あいちトリエンナーレ 表現の不自由展。 表現の不自由展、中止に実行委が抗議「戦後最大の検閲」 [表現の不自由展]:朝日新聞デジタル

あいちトリエンナーレへの補助金を交付せず 文化庁発表:朝日新聞デジタル

あいちトリエンナーレ 表現の不自由展

ツイッターで抗議を呼びかけ、実際に電凸したという人が取材に応じました。 16歳の高校生でした。 高校生 「こういうのに公金を使うのは、おかしいんじゃないかという意見を述べて、できることなら撤去しろ、してくださいとお願いをして。 」 少年は、反日的作品に税金を使うべきではないなどと1日に20件近く投稿。 芸術祭事務局の連絡先も載せました。 少年のフォロワーは3,800。 抗議を呼びかけた投稿は最も多いもので2,500回リツイートされました。 高校生 「電話でなら顔もばれないですし、自分の姿が見られることもないので。 集団心理っていうんですか、ひとりでやるより、みんなでやったほうが何か許されるという雰囲気はある。 自分はそういうのはよくないと思っているんですけど。 」 「即刻、撤去すべき」と芸術祭の事務局に電凸を行ったと投稿していた人物にもたどり着くことができました。 約束の場所に現れたのは、42歳の男性。 大手企業のサラリーマンでした。 地元の有名人の投稿に影響を受けたといいます。 大手企業社員 「高須クリニックの高須院長が、あの人、結構怒ってらっしゃったんです。 やっぱり税金を投入して、そういう政治的なものをアピールするのはおかしいんじゃないかと。 さすがに言わせてもらおうかなと思って。 」 一方で、男性は作品について詳しくは知らないと話しました。 まさか展示が中止になると思わなかったといいます。 大手企業社員 「結局、見に行こうか迷っているうちに展示中止になってしまったので、見に行ってないですね。 いまになってから考えると、もっと見てもらってもよかったんじゃないかな。 」 電凸の矛先は芸術祭に協賛する企業にまで向けられていました。 名古屋市にある大手レンタル会社です。 地元で開かれる芸術祭を応援したいと毎回、協賛。 企画展の内容については知りませんでした。 近藤産興 近藤成章社長 「電話が9時半頃かかってですね、なにか展示物がね、気に入らんと、反日的だとか。 (協賛を)やめろと、こんな大ごとになるなんてね、夢にも思ってないんですわ。 」 開幕から3日後。 芸術祭のトップ、大村知事が「ガソリンを持っていく」という脅迫が届いたとして企画展の中止を発表しました。 愛知県 大村秀章知事 「これ以上、エスカレートしていきますと、安全、安心して楽しくご覧いただくことが難しくなることが危惧される。 」 その後も脅迫は執ように続き、京都アニメーション放火事件を引き合いに出し、学校や幼稚園を標的にするというものまで届きました。 豊田市では犯行予告の時間に職員が不審者の警戒にあたりました。 豊田市 文化振興課 太田栄一朗さん 「パブリックの場所で、多くの人が影響を受けるという危険性があるので、そこが何かあった時、一番心配でした。 」 名古屋市内の保育園では、子どもたちを室内で待機させるなど対応を迫られました。 園児の親 「トリエンナーレと保育園が結びつかなかったので。 京都の事件もあった直後っていうのもあったし、すごく心配でしたね。 怖かったです。 」 企画展の中止から1か月。 その判断をめぐり激しい議論が続いています。 「表現の不自由展」の実行委員会の1人、岡本有佳さん。 中止の判断は誤りだと批判を強めています。 『表現の不自由展』実行委員会 岡本有佳さん 「相当な攻撃もあるだろうということは予測されたので、どういう体制で守るのか。 私たちはずいぶん助言も提案もしてきたのに、それが全く不十分だったっていうことが残念としか言いようがない。 一斉攻撃すれば、中止に追い込めるという前提を作ってしまうっていうのが、ものすごい怖いなと思いました。 」 まず1つ目、脅迫で中止になったことをどう考えるのか。 愛知県や芸術監督の津田さんは「安全な運営が危惧されるとしてやむを得なかった」としています。 一方「表現の不自由展・その後」の実行委員会や一部の作家は、この決定に対して「表現の自由を後退させる」として抗議の声を上げています。 ロバート・キャンベルさんはこの問題についてSNSで積極的に発信されていますが。 まず、脅迫で中止になったという点、どうお考えですか? キャンベルさん:言葉のつぶてを投げあうことは我々にとって自然なことであり、市民社会を育てたり走らせたりするためには不可欠な行為だと思うんです。 反対は反対として表現していいと思うんですが、人や物を傷つける、個人攻撃をすることは言語道断だと思います。 今回、名古屋市に700通以上の脅迫ととられるメールや電話が寄せられたということが、中止とともに我々が向き合うべき重いことだと今回、思いました。 武田:そして、ご自身も美術館の学芸員として数多くの企画展を主催された岡村さんは、少女像を別のギャラリーでかつて鑑賞されたことがあるということですけど、どういうふうにお感じになったんですか? 岡村さん:初めて少女像を見たとき、隣のいすに座っていいと言われて、実は少し身構えたんです。 自分の中にもこれは慰安婦の像だという先入観があったような気がします。 しかし、隣に座って彼女をすごく近い距離で見たときに、それが解きほぐされていくような感じがしました。 作者には作者の思いがあり、そして見る人には見る人それぞれみんな受け止め方は違う、それが当たり前なんですね。 今回、あいちトリエンナーレでも非常に多くの方が列を成して作品を見ようとしていた。 芸術作品の評価というのは長い時間をかけて多くの人の目に触れることで初めて、少しずつ確立されていく。 それが今回、ごく一部の人の声によって中断されてしまったことをとても残念に思っています。 キャンベルさん:メールやSNSなど抗議が本当に集中する、本当に夕立のようにぐわっと降るようなことは日本だけではなくて世界中で今、同時発生をしている。 そういう傾向にあり、私たちはそういう環境にいるわけですが、その環境を私は閉じるべきではない。 そもそも閉じることはできないと思うんですけど、むしろそれをかわすことによって、健全にそれを利用することによって一人一人が市民として育つ、生きる力がそこにあるわけです。 ただ、許容される限度がありまして、個人攻撃ですとかデマ、無実のさまざまな、うそというものは問題だと思います。 武田:抗議が集中してしまうことが、大きな圧力になることもあると思うんですけど? キャンベルさん:私はエビデンスのない共感というふうに呼んでいるわけですけど、自分にとって心地よい考えに出会ったときに、ものの見方をしたときにそれに連動してリツイートしたりコメントしたり拡散していくことがあるわけですね。 その傾向が今、世界中へ広がっている中で、今回のケースは日本の中では極めて特徴的なものとして表れたものだと思います。 武田:これもしっかり議論していく必要があるわけですね。 今回の企画展をめぐっては、一部の作品が税金を投入した芸術祭の内容としてふさわしくないといった政治家の発言が相次ぎました。 公的な場での表現の自由はどこまで守られるべきなんでしょうか。 岡村さん:今の日本では表現の自由はプライベートな場では守られるけども、公共の場では制限されるという空気が少し強まっていることを懸念しています。 本来、公共というのは多様な意見、立場は弱くてもきちんと発言できる場を担保することが大切なわけですが、公的なものがイコール国家、権力ではないんですね。 武田:キャンベルさんはいかがですか? キャンベルさん:表現を通して社会を考えたり、あるいは変化を促したりすることは芸術の生命線だと思います。 ということは、必ず強い芸術には政治性というものがあるわけですね。 私は自治体、行政が公金を出して、ある政治的な色がついたものを出せというものをお墨付きだと先ほどおっしゃられたんですが、私は違うと思います。 行政は人格を持ちません。 お墨付きをするとか賛成をするというのは市民であって、多様な市民のそれぞれの立場をできるだけ均等に発信できる環境を整える、保障することが行政の責任だと考えます。 武田:アメリカではどうですか? キャンベルさん:アメリカでは立場がさまざまあって、議論がずっと、この50年続いているわけなんですが、自治体の中で閉ざすことなく公聴会ですとか、フォーカスグループと言って市民たちを実際に集めて、見せて反応を見る。 全部、透明に可視化させることで自由というもの、表現というものを担保することが行われることがスタンダードだと思います。 武田:このことに関して、芸術祭が開かれている愛知県で議論が始まっています。 市民 「県民税とか市民税を、国税もですけど、それを使って、おかしいんですよ。 」 「表現の自由という尊い憲法を悪用した政治的プロパガンダで、二度と出してはいけない。 」 作家 「表現っていうものは一つのメッセージじゃないんですよ。 プロパガンダを我々はやっていないという認識で作品を作っているんです。 反戦のメッセージがすごい込められた映画があるとします。 でも見た後に若者がすごく戦闘シーンが格好よくて、戦争に行きたいと思う気持ちにさせる映画はいくらでもあるわけですね。 」 議論は平行線でしたが、自由に発言し、異なる意見にも耳を傾けていました。 市民 「不快な人もいるかもしれないけれど、私は見たいなと思う人間の思いを、まさに逆に踏みにじられたっていう気がして。 」 作家 「市民の支えがあるから表現の自由って守られている部分、確実にあって、実際に起こっているのは検閲ではなくて市民の言葉が言葉を殺してしまっているような気がしてならない。 」 武田:必ずしも合意に至らなくても異なる意見をぶつけ合うという現場に、私は希望を感じますが、キャンベルさん、今回多くの方と議論を交わしてどんなことを感じていらっしゃいますか? キャンベルさん:私は、発する側がまず自分に共感しろと事実に基づいて成立しているかどうかということを一度、違う角度から反対意見に出会うことによって、自分の常識を見直すきっかけとして考えるべきだと思います。 受ける側も面倒でも相手の声を遮断しないで5ミリぐらい、足を同じ土俵に乗せることができれば、その小さな折り合いというものが私たちの将来を救うかもしれません。 民主主義そのものが破綻しようとしていると言われている世界なので、とても重要なポイントだと思います。 武田:岡村さん、いかがですか? 岡村さん:なぜ表現の自由が必要かということですね。 自分と異なる歴史や文化から生まれてきた表現に触れることで、これまでこうだと思っていた世界が違って見えてくる、そういう可能性があるわけです。 今、国境を越えて多くの人が交流していく時代の中で、そこに橋を架けて対話し、お互いの理解を促していく。 その表現の力を信じることがとても大事だと思っています。

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あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止問題、論点まとめ

あいちトリエンナーレ 表現の不自由展

ツイッターで抗議を呼びかけ、実際に電凸したという人が取材に応じました。 16歳の高校生でした。 高校生 「こういうのに公金を使うのは、おかしいんじゃないかという意見を述べて、できることなら撤去しろ、してくださいとお願いをして。 」 少年は、反日的作品に税金を使うべきではないなどと1日に20件近く投稿。 芸術祭事務局の連絡先も載せました。 少年のフォロワーは3,800。 抗議を呼びかけた投稿は最も多いもので2,500回リツイートされました。 高校生 「電話でなら顔もばれないですし、自分の姿が見られることもないので。 集団心理っていうんですか、ひとりでやるより、みんなでやったほうが何か許されるという雰囲気はある。 自分はそういうのはよくないと思っているんですけど。 」 「即刻、撤去すべき」と芸術祭の事務局に電凸を行ったと投稿していた人物にもたどり着くことができました。 約束の場所に現れたのは、42歳の男性。 大手企業のサラリーマンでした。 地元の有名人の投稿に影響を受けたといいます。 大手企業社員 「高須クリニックの高須院長が、あの人、結構怒ってらっしゃったんです。 やっぱり税金を投入して、そういう政治的なものをアピールするのはおかしいんじゃないかと。 さすがに言わせてもらおうかなと思って。 」 一方で、男性は作品について詳しくは知らないと話しました。 まさか展示が中止になると思わなかったといいます。 大手企業社員 「結局、見に行こうか迷っているうちに展示中止になってしまったので、見に行ってないですね。 いまになってから考えると、もっと見てもらってもよかったんじゃないかな。 」 電凸の矛先は芸術祭に協賛する企業にまで向けられていました。 名古屋市にある大手レンタル会社です。 地元で開かれる芸術祭を応援したいと毎回、協賛。 企画展の内容については知りませんでした。 近藤産興 近藤成章社長 「電話が9時半頃かかってですね、なにか展示物がね、気に入らんと、反日的だとか。 (協賛を)やめろと、こんな大ごとになるなんてね、夢にも思ってないんですわ。 」 開幕から3日後。 芸術祭のトップ、大村知事が「ガソリンを持っていく」という脅迫が届いたとして企画展の中止を発表しました。 愛知県 大村秀章知事 「これ以上、エスカレートしていきますと、安全、安心して楽しくご覧いただくことが難しくなることが危惧される。 」 その後も脅迫は執ように続き、京都アニメーション放火事件を引き合いに出し、学校や幼稚園を標的にするというものまで届きました。 豊田市では犯行予告の時間に職員が不審者の警戒にあたりました。 豊田市 文化振興課 太田栄一朗さん 「パブリックの場所で、多くの人が影響を受けるという危険性があるので、そこが何かあった時、一番心配でした。 」 名古屋市内の保育園では、子どもたちを室内で待機させるなど対応を迫られました。 園児の親 「トリエンナーレと保育園が結びつかなかったので。 京都の事件もあった直後っていうのもあったし、すごく心配でしたね。 怖かったです。 」 企画展の中止から1か月。 その判断をめぐり激しい議論が続いています。 「表現の不自由展」の実行委員会の1人、岡本有佳さん。 中止の判断は誤りだと批判を強めています。 『表現の不自由展』実行委員会 岡本有佳さん 「相当な攻撃もあるだろうということは予測されたので、どういう体制で守るのか。 私たちはずいぶん助言も提案もしてきたのに、それが全く不十分だったっていうことが残念としか言いようがない。 一斉攻撃すれば、中止に追い込めるという前提を作ってしまうっていうのが、ものすごい怖いなと思いました。 」 まず1つ目、脅迫で中止になったことをどう考えるのか。 愛知県や芸術監督の津田さんは「安全な運営が危惧されるとしてやむを得なかった」としています。 一方「表現の不自由展・その後」の実行委員会や一部の作家は、この決定に対して「表現の自由を後退させる」として抗議の声を上げています。 ロバート・キャンベルさんはこの問題についてSNSで積極的に発信されていますが。 まず、脅迫で中止になったという点、どうお考えですか? キャンベルさん:言葉のつぶてを投げあうことは我々にとって自然なことであり、市民社会を育てたり走らせたりするためには不可欠な行為だと思うんです。 反対は反対として表現していいと思うんですが、人や物を傷つける、個人攻撃をすることは言語道断だと思います。 今回、名古屋市に700通以上の脅迫ととられるメールや電話が寄せられたということが、中止とともに我々が向き合うべき重いことだと今回、思いました。 武田:そして、ご自身も美術館の学芸員として数多くの企画展を主催された岡村さんは、少女像を別のギャラリーでかつて鑑賞されたことがあるということですけど、どういうふうにお感じになったんですか? 岡村さん:初めて少女像を見たとき、隣のいすに座っていいと言われて、実は少し身構えたんです。 自分の中にもこれは慰安婦の像だという先入観があったような気がします。 しかし、隣に座って彼女をすごく近い距離で見たときに、それが解きほぐされていくような感じがしました。 作者には作者の思いがあり、そして見る人には見る人それぞれみんな受け止め方は違う、それが当たり前なんですね。 今回、あいちトリエンナーレでも非常に多くの方が列を成して作品を見ようとしていた。 芸術作品の評価というのは長い時間をかけて多くの人の目に触れることで初めて、少しずつ確立されていく。 それが今回、ごく一部の人の声によって中断されてしまったことをとても残念に思っています。 キャンベルさん:メールやSNSなど抗議が本当に集中する、本当に夕立のようにぐわっと降るようなことは日本だけではなくて世界中で今、同時発生をしている。 そういう傾向にあり、私たちはそういう環境にいるわけですが、その環境を私は閉じるべきではない。 そもそも閉じることはできないと思うんですけど、むしろそれをかわすことによって、健全にそれを利用することによって一人一人が市民として育つ、生きる力がそこにあるわけです。 ただ、許容される限度がありまして、個人攻撃ですとかデマ、無実のさまざまな、うそというものは問題だと思います。 武田:抗議が集中してしまうことが、大きな圧力になることもあると思うんですけど? キャンベルさん:私はエビデンスのない共感というふうに呼んでいるわけですけど、自分にとって心地よい考えに出会ったときに、ものの見方をしたときにそれに連動してリツイートしたりコメントしたり拡散していくことがあるわけですね。 その傾向が今、世界中へ広がっている中で、今回のケースは日本の中では極めて特徴的なものとして表れたものだと思います。 武田:これもしっかり議論していく必要があるわけですね。 今回の企画展をめぐっては、一部の作品が税金を投入した芸術祭の内容としてふさわしくないといった政治家の発言が相次ぎました。 公的な場での表現の自由はどこまで守られるべきなんでしょうか。 岡村さん:今の日本では表現の自由はプライベートな場では守られるけども、公共の場では制限されるという空気が少し強まっていることを懸念しています。 本来、公共というのは多様な意見、立場は弱くてもきちんと発言できる場を担保することが大切なわけですが、公的なものがイコール国家、権力ではないんですね。 武田:キャンベルさんはいかがですか? キャンベルさん:表現を通して社会を考えたり、あるいは変化を促したりすることは芸術の生命線だと思います。 ということは、必ず強い芸術には政治性というものがあるわけですね。 私は自治体、行政が公金を出して、ある政治的な色がついたものを出せというものをお墨付きだと先ほどおっしゃられたんですが、私は違うと思います。 行政は人格を持ちません。 お墨付きをするとか賛成をするというのは市民であって、多様な市民のそれぞれの立場をできるだけ均等に発信できる環境を整える、保障することが行政の責任だと考えます。 武田:アメリカではどうですか? キャンベルさん:アメリカでは立場がさまざまあって、議論がずっと、この50年続いているわけなんですが、自治体の中で閉ざすことなく公聴会ですとか、フォーカスグループと言って市民たちを実際に集めて、見せて反応を見る。 全部、透明に可視化させることで自由というもの、表現というものを担保することが行われることがスタンダードだと思います。 武田:このことに関して、芸術祭が開かれている愛知県で議論が始まっています。 市民 「県民税とか市民税を、国税もですけど、それを使って、おかしいんですよ。 」 「表現の自由という尊い憲法を悪用した政治的プロパガンダで、二度と出してはいけない。 」 作家 「表現っていうものは一つのメッセージじゃないんですよ。 プロパガンダを我々はやっていないという認識で作品を作っているんです。 反戦のメッセージがすごい込められた映画があるとします。 でも見た後に若者がすごく戦闘シーンが格好よくて、戦争に行きたいと思う気持ちにさせる映画はいくらでもあるわけですね。 」 議論は平行線でしたが、自由に発言し、異なる意見にも耳を傾けていました。 市民 「不快な人もいるかもしれないけれど、私は見たいなと思う人間の思いを、まさに逆に踏みにじられたっていう気がして。 」 作家 「市民の支えがあるから表現の自由って守られている部分、確実にあって、実際に起こっているのは検閲ではなくて市民の言葉が言葉を殺してしまっているような気がしてならない。 」 武田:必ずしも合意に至らなくても異なる意見をぶつけ合うという現場に、私は希望を感じますが、キャンベルさん、今回多くの方と議論を交わしてどんなことを感じていらっしゃいますか? キャンベルさん:私は、発する側がまず自分に共感しろと事実に基づいて成立しているかどうかということを一度、違う角度から反対意見に出会うことによって、自分の常識を見直すきっかけとして考えるべきだと思います。 受ける側も面倒でも相手の声を遮断しないで5ミリぐらい、足を同じ土俵に乗せることができれば、その小さな折り合いというものが私たちの将来を救うかもしれません。 民主主義そのものが破綻しようとしていると言われている世界なので、とても重要なポイントだと思います。 武田:岡村さん、いかがですか? 岡村さん:なぜ表現の自由が必要かということですね。 自分と異なる歴史や文化から生まれてきた表現に触れることで、これまでこうだと思っていた世界が違って見えてくる、そういう可能性があるわけです。 今、国境を越えて多くの人が交流していく時代の中で、そこに橋を架けて対話し、お互いの理解を促していく。 その表現の力を信じることがとても大事だと思っています。

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僕が見た「あいちトリエンナーレ」と「表現の不自由展・その後」

あいちトリエンナーレ 表現の不自由展

北海道・東北• 東海・甲信越• 近畿・北陸• 中国・四国• 九州・沖縄• 本展は、ジャーナリストである津田大介芸術監督が2015年に私たちが開催した「表現の不自由展」を見て、あいちトリエンナーレ2019でぜひ「その後」したいという意欲的な呼びかけに共感し、企画・キュレーションを担ってきました。 今回、電話などでの攻撃やハラスメントがあり、トリエンナーレ事務局が苦悩されたことに、私たちも心を痛め、ともに打開策を模索してきました。 しかし、開始からわずか3日で中止するとは到底信じられません。 16組の参加作家のみなさん、そして企画趣旨に理解を示してくださる観客のみなさんに対する責任を、どのように考えての判断なのでしょうか。 今回の中止決定は、私たちに向けて一方的に通告されたものです。 疑義があれば誠実に協議して解決を図るという契約書の趣旨にも反する行為です。 何より、圧力によって人々の目の前から消された表現を集めて現代日本の表現の不自由状況を考えるという企画を、その主催者が自ら弾圧するということは、歴史的暴挙と言わざるを得ません。 戦後日本最大の検閲事件となるでしょう。 私たちは、あくまで本展を会期末まで継続することを強く希望します。 一方的な中止決定に対しては、法的対抗手段も検討していることを申し添えます。 2019年8月3日 「表現の不自由展・その後」実行委員会 アライ=ヒロユキ、岩崎貞明、岡本有佳、小倉利丸、永田浩三.

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