いつか 見 た 夕焼け は。 夕焼けが綺麗に見える重要な2つの条件

ストロベリームーン2020年はいつ見られる?名前の由来や周期、色は

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さあ、前回の記事では 夕焼けがオレンジな理由について書きました! 意外と反響良かったです!ありがとうございます! そして今回はその夕焼けシリーズの続編 夕焼けが綺麗に見える条件 についてお話しさせていただきたいと思います! いつもより真っ赤で燃えるような夕焼け 見た事ありませんか? 圧倒されんばかりに綺麗ですよね。 でもこんな夕焼けいつでも見られるわけではないです。 様々な条件が揃って見られるわけですね。 その条件というのを、今回はお伝えできればと思います! 完全に自分の経験則ですので、確かかは分かりませんが、自信を持ってお伝えできます。 そのため、自分の上空に適度な雲があると 綺麗に見える事が多いです。 できれば、薄く広い雲がいいですね! その雲がある程度高いところにある事で夕焼けに照らされるのです! 巻積雲なんかはこれらの条件を満たしていますね!ただ、巻積雲は移り変わりの早い雲なので、なかなかお目にかかれないです。 そして大事なのは、 自分の上空にある事。 西の日が沈む方に雲があっても、ただ夕日が隠れるだけなので綺麗には見えないです。 」 という理由と 「空気中の水蒸気が増すから」 という理由の2つがよく話されています。 実際、どっちが正解かは分からないです。 笑 どちらにも理屈はあります。 前者は、空気中の塵や埃が雨によって取り除かれることで光が遠くまで届きやすくなるというもの。 後者は、雨上がり空気中の水蒸気が増える事で青系の光線が分散して、赤系の光が強く残るというもの。 かなり噛み砕いて説明しましたが、個人的には後者じゃないかなあと思います。 その方が色々と辻褄が合うんですよね。 水蒸気が多いからというよりも、青系の光を阻害する成分が空気中に多くなるので、雨上がりは夕焼けが強いオレンジになるのではないでしょうか。 しかし雨上がりに空気が澄むというのも事実で、雨上がりは空がいつもより青かったり、星が綺麗に見えやすかったりします。 理由はどうあれ、 雨上がりに夕焼けが綺麗に見えやすいというのは間違いないです。 雨上がりの夕焼けは要チェック! まとめ 以上、上記2点が「夕焼けが綺麗に見える条件」として挙げられるものです! 雨の降らない砂漠の夕焼けも綺麗だったりしますし、これらの条件は一概に正しいとは言えないです。 様々な状況がうまいこと重なり合って、綺麗な夕焼けになるんですね! 他にも条件があるなら見つけていきたいですね。。。 何かご存知の事ありましたら、教えてください! それでは! xxxyuuyakekoyakexxx.

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吉野弘「夕焼け」代表作詩の鑑賞と解説 受難者の心の痛みへの同一化

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ストロベリームーンの周期 ストロベリームーンの周期は、 毎年もっとも昼の時間が長い夏至(6月20日~22日)に近い満月の日とされています。 日本ではちょうど梅雨の時期と重なるので、見れる可能性が少し低くなってしまうのが残念です。 ストロベリームーンはストロベリー色に見える? 「ストロベリームーン」は赤い月のことではないと述べましたが、じつは 北半球では1年で1番赤い月を見やすいのが6月なんです! 月が赤く見えるのは、月の高度に関係があります。 太陽が赤く見えるのは、日が出たばかりのころや日が沈む直前のころですよね。 太陽光は、高度が低いと赤く見えるのですが、これは月光でも同じなのです。 私たち人間が目でとらえている光の色は虹の色で分かるように7種類あります。 太陽や月の光が、私たちの目に届くまでに大気圏を通過しなければなりません。 この大気圏を通る距離が長いと、私たちに見える色が少なくなってきて最終的には赤しか見えなくなってしまいます。 太陽や月の高度が低いと、大気圏を通る距離が長くなってしまうので太陽や月が赤く見えるのです。 北半球にある日本では、太陽が高度の低い所を通るのは冬ですが、 月はその逆で夏に高度の低い位置を通ります。 ですから、夏至の日に近い6月の満月が赤く見える可能性はとても高いのです! そして月の出や月の入りの地平線(水平線)に近い位置にあると太陽の朝焼けや夕焼けのようにさらに月が赤く見える可能性が高くなります。 ただし、必ず赤く見えるとは限らないのでご了承ください。 ストロベリームーンを見ると願いが叶う? 1年に1度しか訪れないストロベリームーンを見ると、恋愛成就、金運アップ、運勢アップなどに御利益があるといわれています。 とくに恋愛成就の御利益が大きいようで、さらに恋愛運をアップさせるには次のようなおまじないが効くそうです! ・ストロベリームーンの写真を携帯電話の待ち受けにすると恋愛運がアップ! ・好きな人と一緒にストロベリームーンを見て祈ると恋が叶う! ・恋人と一緒にストロベリームーンを見て祈ると幸せな時間が続く! 好きな人と同じ場所にいることができなくても、同じ時間にストロベリームーンを見て祈ると願いが叶うといわれているので、ぜひトライしてみてくださいね。 まとめ ストロベリームーンは、もともとはアメリカの先住民の季節を表すために6月の満月に名付けられたものでした。 しかし、6月は月が赤く見える可能性が高いため、最近では「赤く見える6月の満月」のことをストロベリームーンと呼んでいるようです。 ただし、赤く見えなくてもストロベリームーンには変わりないので恋を成就させたいと願っている人はぜひ願掛けをしてみてください。 他の月にも様々な呼び方があり、神秘的ですので、こちらもどうぞ。

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夕焼け:吉野弘

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夕焼け 吉野弘 いつものことだが 電車は満員だった。 そして いつものことだが 若者と娘が腰をおろし としよりが立っていた。 うつむいていた娘が立って としよりに席をゆずった。 そそくさととしよりが坐った。 礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。 娘は坐った。 別のとしよりが娘の前に 横あいから押されてきた。 娘はうつむいた。 しかし 又立って 席を そのとしよりにゆずった。 としよりは次の駅で礼を言って降りた。 娘は坐った。 二度あることは と言う通り 別のとしよりが娘の前に 押し出された。 可哀想に 娘はうつむいて そして今度は席を立たなかった。 次の駅も 次の駅も 下唇をキュッと噛んで 身体をこわばらせて-----。 僕は電車を降りた。 固くなってうつむいて 娘はどこまで行ったろう。 やさしい心の持主は いつでもどこでも われにもあらず受難者となる。 何故って やさしい心の持主は 他人のつらさを自分のつらさのように 感じるから。 やさしい心に責められながら 娘はどこまでゆけるだろう。 下唇を噛んで つらい気持で 美しい夕焼けも見ないで。 吉野弘「夕焼け」鑑賞 この詩はひろく一般の人々に愛誦されている詩です。 ひとつの状況が、ひとつの車内風景が、詩人の中に事件として飛び込んできたのです。 二度まで席を譲った娘 「事件」の内容は単純です。 電車の席に座っていた一人の娘さんの前に高齢の乗客が立ったので、娘さんは席を譲りました。 この譲るという行為は、あくまで自発的な物であり、誰かに求められるものではありません。 そして、2回目、 としよりに席を譲るというのは、やさしい心の持ち主なら誰でも、そうしようと思うことでしょう。 いいことです。 ところが、そのいいことをしようと思いながら、実際に席を譲るのには、ほんのちょっとですが、勇気がいります。 「夕焼け」の娘は、二度までは勇気を出して、自分が善行をするのに堪えました。 しかし、三度目は。 (黒田三郎『詩の味わい方』) ということです。 しかし、私自身は、娘さんが3度目に席を譲らなかった理由は、上の「勇気」の問題とは違うように考えています。 「夕焼け」の「受難」の意味 その答えは、上の引用にあると思います。 つまり「横あいから押されてきた」というところです。 娘さんは、混んでいる電車で、他にも人がたくさんいるのに、自分の他には、誰も「としより」に席を譲っていない、そんなことはしていないということがわかったのです。 そして、「としより」は、そのために、自分のところにばかり巡ってきてしまうということが。 娘さんの感じたことは、勇気というよりも、その不公平性だったのではないでしょうか。 弱者を負う人は誰か。 そして、進んでその役目を負い続けるとどういう風になるのか、ということが、娘さんにはわかってしまったのです。 その結果、娘さんは、自分を弱者ではなく、自分を他の乗客と同じ強者の側に置くことにして、席に座り続けるとする行為を真似ることにしたのです。 弱者への心の通路 そうして、弱者への心の通路を閉ざすことにしてしまった。 自分の目の前に立っている人の心が見えても、見えない振りをすることとしてしまったのです。 しかし、その結果生じる葛藤は、娘さんには快いものではなかったのです。 そして今度は席を立たなかった。 次の駅も 次の駅も 下唇をキュッと噛んで 身体をこわばらせて-----。 「としより」を前にして、自分が座っているということに、誰もが呵責を感じない。 不公平を感じて、他の乗客を真似ようとしたものの、この娘さんには逆にそれがつらいものとなってしまった。 そのことを詩人はどうとらえたのでしょうか。 吉野弘のとらえた「事件」 席を立たなかった大勢の人は、何も感じてはいなかったでしょう。 けれども、詩人は、その娘さんの内面がわかったのです。 娘さんは何かを詩人に向かって話したわけではありません。 しかし、人の心がわかるということがある。 あらためて考えてみると、それはとても不思議なことです。 詩人が視覚的にとらえたのは、「席を立たなかった」というその前2回とは違う、マイナスの行動、「下唇をキュッと噛んで 身体をこわばらせ」「固くなってうつむい」た娘さんの様子だけです。 それなのに、詩人は「やさしい心に責められ」て「つらい気持で」娘さんがいるということがわかるのです。 そして、そこから一つの真理をも導き出しています。 何故って やさしい心の持主は 他人のつらさを自分のつらさのように 感じるから。 というのは、これがその時の詩人の心の状況です。 人の置かれた状況を見て、自分を重ね合わせてみると、その人の感じていることと、同じことが自分にも感じられてくる。 それが、詩の主題です。 すなわち、 弱者に無関心である大衆の中にあって、思いがけないところで起こる一つの「受難」を見出したこと。 そして、もう一つが、一人の人が感じているだろう「受難」を無言のまま見聞きした詩人の中に生じる、同じ心の痛みです。 その不思議な同化の作用が、この詩を生み出す源となっています。 娘さんが弱者に対して心の通路を閉ざしてしまったその代わりに、詩人は新たに娘さんへの心の通路を見出している。 一つの共感が捨てられたが、もう一つの新たな共感が生まれているというのは、一つの救いでもあります。 それが示されるのがしの最後の部分です。 下唇を噛んで つらい気持で 美しい夕焼けも見ないで。 小さな事柄、またありふれた事柄でもありますが、その小さなことが、ひとりの人に及ぼす痛みはけっして小さくはないことを詩人は見過ごしません。 その痛みは、娘さんには、一つの刻印のように残り続ける出来事となったでしょう。 しかし、詩人にとっては、その刻印は「美しい夕焼け」のようなものでもあった。 やさしい気持ちの裏返しのように、受け取らなくてはならない心の痛み、目に見えず詩人が受け取ったものが、夕焼けという視覚的なものに置換されて、最後に提示されます。 目の前に広がる夕焼けの空。 そのイメージを通して、一人の見知らぬ人の内面に同化して寄り添う詩人のあたたかい心を、この詩を読む人は、皆一様に感じとることができるでしょう。 山形の生まれ。 昭和28年(1953)、詩誌「櫂 かい 」に参加。 平易な言葉で人間の温かみを描いた叙情詩で知られる。 詩はやさしい文体で日常のなかの生の不条理、またそれへの愛を歌ってナイーブ。 機智 きち にも富む。 昭和46年(1971)、詩集「感傷旅行」で読売文学賞受賞。 他に詩集「幻・方法」「自然渋滞」など。

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