二兎 追う もの は 一 兎 も 得 ず 英語。 二兎を追う者は一兎をも得ずを英語で!由来はローマから?同じ意味のことわざや対義語も紹介

毒親日記㉝(毒親の傾向、二兎追う者は一兎も得ず)

二兎 追う もの は 一 兎 も 得 ず 英語

スポンサードリンク 由来や語源について 「二兎を追う者は一兎をも得ず」 というのは ローマのことわざという説があります。 しかし、古代ローマに伝わることわざという説は古すぎて、 正確な起源をたどることはできません。 そしてもう一つの説はネーデルラント出身のキリスト教哲学者である デジデリウス・エラスムスの格言が元になっているという説です。 デジデリウス・エラスムスは1466年10月27日に、 オランダの南ホラント州ロッテルダムで生まれました。 幼いころから修道院に入り聖書の研究に没頭し、 人文主義者としての名声を得ました。 人文主義者だけでなくカトリック司祭、神学者、哲学者としても活躍し様々な格言を残しました。 その中の一つに 「 二兎を追う者は一兎をも得ず」 があり、同時に複数を狙うと結局何も得られないという意味だと伝わっています。 あくまで説なので文献に格言が残っているわけではありませんが、 Sponsored Link まとめ 今回は「二兎を追う者は一兎をも得ず」を英語に直した場合や、 言葉の語源について紹介しました。 「二兎を追う者は一兎をも得ず」は二羽の兎を取ろうとして失敗する様子から、 欲張ってたくさんのものを得ようとしたばかりに失敗し、何も得られなかった という状況をあらわしています。 これは欲をかくと碌なことにならないという教訓の意味合いがあります。 現実世界でもよくある状況ですよね。 (^^; 戦略があって2兎を狙う場合は良いのですが、 どっちつかずでふらふらしている場合は、 どちらか一つに絞った方がよさそうですね。 今回は以上です。 ご参考になりましたら幸いです。

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ことわざ・二兎を追う者は一兎をも得ず

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近年は二股どころか、三股、四股と複数の相手と恋を楽しむツワモノもいるようですが、肉体関係の有無に関わらず、複数の相手との恋愛を楽しむ場合「二頭追うものは一頭も得ず」という結果に至るリスクがあることを忘れてはいけません。 危険な恋や背徳の恋愛は、スリルがあり危険度が高いほど燃えると言われています。 急激に燃え上がった恋愛の炎が簡単に消えることはないとも言われます。 しかし別の相手がいるにもかかわらず恋をするということは、その別の相手のプライドを傷つけることになります。 二股の恋に手を出すなら「二頭追うものは一頭も得ず」、最後は一人ぼっちになる可能性が高いリスクがあります。 ハント欲が高いと「二頭追うものは一頭も得ず」に? 「ハント欲」とは、つまり欲する欲求です。 狩りをする意欲とも言います。 異性を狩るとは良い響きではありませんが、ガールハントやボーイハントと言うように相手を求める欲です。 今、特定の相手がいるにもかかわらず狩人としての本能がムクムクと湧き上がってくる欲求の高い人は「二頭追うものは一頭も得ず」という環境になりがちです。 狩人本能は、より高い能力を持った相手を目指すといった、質の高い子孫を残そうとする本能からきているとも言われていますが、空気を読むなど人間のつながりを大切にする日本社会では、あまり重用されていません。 若気の至りで「二頭追うものは一頭も得ず」という恋に走った場合は、その結果によって得る痛みを経験として生かす努力が必要です。 仕事での「二頭追うものは一頭も得ず」の例とは? 仕事がデキる人だと周りから見られたい場合、まず目の前にある仕事を頑張ります。 そして、もっとデキる人と思われたい場合には、それをこなしながら別の案件にも手を出して、どちらも上手に結果を出したいと努力します。 残念ながらこういったケースは失敗することの方が多いです。 人の集中力はそんなに幅広くありません。 例え、一見上手くいったように見えても、後にミスや失敗が見つかりやり直しになったり、最悪はボツになってしまうこともあります。 まさに「二頭追うものは一頭も得ず」です。 本当にデキる人は、結果を読み今できること、集中するべきことを分別します。 何でも手を出しません。 複数の案件を受けても優先順位を付けて順序だてて仕事をします。 時間がかかっても結果を重要視するため、やり直しやボツがありません。 つまり本当に仕事がデキる人は二頭追わないんです。 自分の能力を過大評価しない 仕事で「二頭追うものは一頭も得ず」に至らないためには、自分を把握することが大切です。 とかく人は自分の可能性を期待しがちです。 これは悪いことではありません。 未来の自分に期待することは飛躍のため必要です。 しかし今の自己評価をしっかりできなければ、飛躍もありません。 今の力を過大評価しすぎないことが大切です。 もし、仕事を抱えているのに周囲から更に依頼されたときは、頑張り過ぎないことです。 また正直に説明する能力を鍛えることです。 「今抱えている案件があります。 それから着手しますが時間かかっても良いですか」などと確認することも大切です。 新入社員だと言いづらい場合もあるでしょう。 しかし、できないのに抱える方が良くないことを忘れてはいけません。 具体的なシチュエーションを挙げて「二頭追うものは一頭も得ず」の具体的使い方を紹介しましょう。 例えば、上司から仕事を頼まれ断ったときです。 同僚に「あの案件やっておけば昇進したかもよ?」と声を掛けられました。 貴方は「今、やっている仕事があるから。 」同僚は「そんなの放っておけばよかったのに。 」こういった場面で「どちらも失敗したらそれこそ『二頭追うものは一頭も得ず』だろ?自分のできることはちゃんとやらないと。 」などと使います。 つまり二頭追うものは一頭も得ずを効果的に使う場合は、自分を自虐的に表現する際に活用すると、誰にも失礼を与えることなく、むしろ自分を自虐的に表現しながらも知的な演出を期待できる効果があります。 知的な言葉で日常を楽しもう 「二頭追うものは一頭も得ず」のように、日本語にはことわざや四文字熟語など、表現方法が多彩に存在しています。 こうした表現は巧みに使いこなすことで表現方法も柔軟に膨らみます。 しかし「二頭追うものは一頭も得ず」も他人に使うと、結果的に相手への悪評になってしまうことには注意が必要です。 自分も相手も大切にしようと、意味も知らない言葉を使ってカッコつけようとしては危険です。 誤った情報が相手の耳に入り、相手との関係に亀裂が入り、挙げ句間違えた語句を使うおっちょこちょいの烙印を押されてしまい、それこそ「二頭追うものは一頭も得ず」という結果に至ってしまいます。 結果的によくない表現は、なるべく自己を表現する場合に使うようにしましょう。 さりげない配慮は結果的には相手の耳に入ります。 人間関係の構築にはこうしたさりげない配慮が大切です。 そして知的なそんな表現を上手に取り入れて日常を楽しむ術を学んでみましょう。

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「虻蜂取らず」の意味と語源は?使い方や類語・反対語も解説

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毒親日記とは、毒親に育てられている女子高生と、彼女を支える男子高校生の話です。 前回までのあらすじ 野球部と軽音部、二足の草鞋を履いて部活動に励む主人公、下地涼介。 軽音部をかけ持つ彼のことをよく思わない野球部部員から迫害を受けていた。 そんな事情もあり、野球への情熱は冷めつつある下地であった。 こんにちは、aquaです。 毒親日記も33話まできて中だるみ期間といったところです。 野球部をやめるか辞めないか、重要なところまできました。 ここからどんどん話を加速していきたいところ。 欲を出して同時に二つのことをうまくやろうとすると、結局はどちらも失敗することのたとえです。 あれもやろう、これもやろう、とするとだいたい失敗するという話です。 世間でいう毒親認定されてしまう方はこういった傾向が多いのではと感じています。 様々な生活様式の家庭が存在するため、一概には言えません。 あくまで、毒親に育てられた子どものいち意見としてご理解ください。 aquaの母親はまさにこのパターンで、いろいろ手をつけるのだけれどどれもうまくいかない。 二足の草鞋を履いて忙し無くしているのが大好きな人です。 そして、何も続かない、と自己嫌悪に陥っています。 子どもにもこういった考え方を押し付けるし、我が子は自分のアクセサリー程度にしか思っていないので、我が子にも嫌われています。 二人も生んだのにね。 毒親認定される人は欲が出てしまう傾向にあり 虐待や毒親の傾向を見ていると、親自身が欲にまみれているということがあります。 例えば、子どもに依存的な親は、 子どもが自分のことを幸せにしてくれると思っているのです。 自分の子どもが、• (親が)納得する偏差値の学校へ進学してくれる、• 大企業、あるいは公務員として就職してくれる。 結婚してくれる。 孫の顔を見せてくれる。 介護が必要になったら、介護をしてくれる。 あらゆる操作性を持って子どもを洗脳してきます。 こんなの、当たり前のことって思う方もいると思いますけど、はっきりいって欲にまみれすぎです。 二兎どころか 五兎も追っています。 aquaの毒母、毒祖母も五欲くらいあったので、もう相手するの疲れて家を出ました。 これこそが、二兎追うものは一兎も得ず、ということです。 ネグレクトも、欲の塊かも では何も求めず、放置して育てればいいかというと、そういう話でもないわけです。 そもそも、なぜネグレクト(育児放棄)をしてしまうのか。 理由は、やはり家庭それぞれですのでこれがいい、あれがいけないとは言えないのですが…、 「自分の仕事が忙しいから」という意見でしょう。 お金が欲しい、そしてスキルアップもしたい、子どもにも良質な教育環境を与えたい。 その結果、 子どもと両親が全く顔を合わせない家庭環境が出来上がるのです。 家事も情操教育の一環といって、子どもに丸投げ。 (あくまでaquaの知っている範囲での出来事です。 ) 人に自慢できるようなスキルを得て、頭の良い子どもに囲まれる生活に憧れる! その憧れが、本当に子どものためになっているのかは分かりません。 そして、あれこれと手を付けている人に限って幸せになれないのです。 そういう人は周りと比較して自分はどうなんだろう、って思ってしまいがちです。 天井の無い悩みに縛られてね。 そうはいっても今の時代、共働きをしなければならないので全く子どもにつきっきりというわけにはいかないと思います。 ただ、家族の時間を確保するやり方はいろいろあると思います。 成長が早く不安定な時期の子どもにはできるだけ長い時間寄り添って生活してあげたほうが良いと思うのです。 学校生活も意外と大変ですし、安らげる場所が子どもも大人も欲しいから。 aquaの職場のパートお母さんたちは子どもが学校から帰ってくる時間に合わせて働いていました。 土日は子どもに合わせて休んでいました。 やりたいこともあるのでしょうけれど、自分の子どもが育つまではある程度我慢…。 でも、パートのお母さんたちは、子どもと過ごす時間を本当に大切にしていました。 他人の人生に責任を持つということは、こういうことなんだろうと感じました。 aquaの母は毒母なので、小中高とだいぶ放置されていました。 母は、パートに生け花、資格勉強…、口癖は 「私は、忙しいから仕方ないでしょ!?」。 もう放置教育は私が小学校高学年から始まっていたと思います。 子どもが保育園、小学校にしてすでに正社員として労働(家が貧乏ってわけでもない)。 土日は当然給食が無いので自分でごはんを作らなければなりません。 しかも妹もいますから、妹の分を用意しなければならない(妹にごはんを作ってあげないことがあったけど、怒られた。 でも怒るポイント違うだろ!まともに食えるもん用意しとけや!)。 父は、仕事大好き人間で、家庭は女がやるもんだろ、精神。 彼も、仕事や町会の役員をこなすことに誇りを感じていました。 家族?んなもん知ったもんじゃないね。 俺が稼いでんだから家事も洗濯も女がやるべきだろ。 こういうスタンス。 まじでムカつきます。 土日、父母と過ごした記憶はほとんどありません。 忙しいを理由に家事をしてくれない母の代わりは、全て私の時間と労働力で賄いました。 放置されたお陰で自活力はついたけれど、私の青春は二度と還ってきません。 このブログは毒親育ちの方が見ていると思いますが、 あるある~、と思っていただけたでしょうか? 恥ずかしい話、私も お金がほしい、スキルもほしい、幸せになりたい、と思ってしまう人間なんです。 血は争えないのか、色んなものを欲しがりさんなんです。 その結果、 健康という尊いものを奪われてしまったのです。 昨今は世間も欲を求めない風潮にあります。 ゆっくりでいい、自分らしく、無理せず…、です。 欲にまみれていないか、追い求めすぎた結果、全て失うことにならないか…。 時々確認しながら自分のペースで生きよう。

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