森 鴎外 高瀬舟。 森鴎外の名作『高瀬舟』の舞台・高瀬川に沈んでいる「思い」とは…?

森鴎外の高瀬舟

森 鴎外 高瀬舟

高瀬舟 ( たかせぶね )は京都の 高瀬川 ( たかせがわ )を 上下 ( じょうげ )する小舟である。 徳川時代に京都の罪人が 遠島 ( えんとう )を申し渡されると、本人の親類が 牢屋敷 ( ろうやしき )へ呼び出されて、そこで 暇乞 ( いとまご )いをすることを許された。 それから罪人は高瀬舟に載せられて、 大阪 ( おおさか )へ回されることであった。 それを護送するのは、京都 町奉行 ( まちぶぎょう )の配下にいる 同心 ( どうしん )で、この同心は罪人の親類の中で、おも立った一 人 ( にん )を大阪まで同船させることを許す慣例であった。 これは 上 ( かみ )へ通った事ではないが、いわゆる大目に見るのであった、黙許であった。 当時遠島を申し渡された罪人は、もちろん重い 科 ( とが )を犯したものと認められた人ではあるが、決して盗みをするために、人を殺し火を放ったというような、 獰悪 ( どうあく )な人物が多数を占めていたわけではない。 高瀬舟に乗る罪人の過半は、いわゆる心得違いのために、思わぬ科を犯した人であった。 有りふれた例をあげてみれば、当時 相対死 ( あいたいし )と言った情死をはかって、相手の女を殺して、自分だけ生き残った男というような 類 ( たぐい )である。 そういう罪人を載せて、 入相 ( いりあい )の鐘の鳴るころにこぎ出された高瀬舟は、黒ずんだ京都の町の家々を両岸に見つつ、東へ走って、 加茂川 ( かもがわ )を横ぎって下るのであった。 この舟の中で、罪人とその親類の者とは夜どおし身の上を語り合う。 いつもいつも悔やんでも返らぬ 繰 ( く )り 言 ( ごと )である。 護送の役をする 同心 ( どうしん )は、そばでそれを聞いて、罪人を出した 親戚眷族 ( しんせきけんぞく )の悲惨な境遇を細かに知ることができた。 所詮 ( しょせん )町奉行の 白州 ( しらす )で、表向きの 口供 ( こうきょう )を聞いたり、役所の机の上で、 口書 ( くちがき )を読んだりする役人の夢にもうかがうことのできぬ境遇である。 同心を勤める人にも、いろいろの性質があるから、この時ただうるさいと思って、耳をおおいたく思う冷淡な同心があるかと思えば、またしみじみと人の哀れを身に引き受けて、役がらゆえ 気色 ( けしき )には見せぬながら、無言のうちにひそかに胸を痛める同心もあった。 場合によって非常に悲惨な境遇に陥った罪人とその親類とを、特に心弱い、涙もろい同心が宰領してゆくことになると、その同心は不覚の涙を禁じ得ぬのであった。 そこで高瀬舟の護送は、町奉行所の同心仲間で不快な職務としてきらわれていた。 たぶん江戸で 白河楽翁侯 ( しらかわらくおうこう )が 政柄 ( せいへい )を執っていた寛政のころででもあっただろう。 智恩院 ( ちおんいん )の桜が 入相 ( いりあい )の鐘に散る春の夕べに、これまで類のない、珍しい罪人が高瀬舟に載せられた。 それは名を 喜助 ( きすけ )と言って、三十歳ばかりになる、 住所不定 ( じゅうしょふじょう )の男である。 もとより 牢屋敷 ( ろうやしき )に呼び出されるような親類はないので、舟にもただ 一人 ( ひとり )で乗った。 護送を命ぜられて、いっしょに舟に乗り込んだ同心 羽田庄兵衛 ( はねだしょうべえ )は、ただ喜助が弟殺しの罪人だということだけを聞いていた。 さて牢屋敷から 棧橋 ( さんばし )まで連れて来る間、この 痩肉 ( やせじし )の、色の青白い喜助の様子を見るに、いかにも 神妙 ( しんびょう )に、いかにもおとなしく、自分をば公儀の役人として敬って、何事につけても逆らわぬようにしている。 しかもそれが、罪人の間に往々見受けるような、温順を装って権勢に 媚 ( こ )びる態度ではない。 庄兵衛は不思議に思った。 そして舟に乗ってからも、単に役目の表で見張っているばかりでなく、絶えず喜助の挙動に、細かい注意をしていた。 その日は暮れ方から風がやんで、空一面をおおった薄い雲が、月の輪郭をかすませ、ようよう近寄って来る夏の 温 ( あたた )かさが、両岸の土からも、 川床 ( かわどこ )の土からも、もやになって立ちのぼるかと思われる 夜 ( よ )であった。 下京 ( しもきょう )の町を離れて、加茂川を横ぎったころからは、あたりがひっそりとして、ただ 舳 ( へさき )にさかれる水のささやきを聞くのみである。 夜舟 ( よふね )で寝ることは、罪人にも許されているのに、喜助は横になろうともせず、雲の濃淡に従って、光の増したり減じたりする月を仰いで、黙っている。 その額は晴れやかで目にはかすかなかがやきがある。 庄兵衛はまともには見ていぬが、始終喜助の顔から目を離さずにいる。 そして不思議だ、不思議だと、心の内で繰り返している。 それは喜助の顔が縦から見ても、横から見ても、いかにも楽しそうで、もし役人に対する気がねがなかったなら、口笛を吹きはじめるとか、鼻歌を歌い出すとかしそうに思われたからである。 庄兵衛は心の内に思った。 これまでこの高瀬舟の宰領をしたことは幾たびだか知れない。 しかし載せてゆく罪人は、いつもほとんど同じように、目も当てられぬ気の毒な様子をしていた。 それにこの男はどうしたのだろう。 遊山船 ( ゆさんぶね )にでも乗ったような顔をしている。 罪は弟を殺したのだそうだが、よしやその弟が悪いやつで、それをどんなゆきがかりになって殺したにせよ、人の 情 ( じょう )としていい心持ちはせぬはずである。 この色の青いやせ男が、その人の情というものが全く欠けているほどの、世にもまれな悪人であろうか。 どうもそうは思われない。 ひょっと気でも狂っているのではあるまいか。 いやいや。 それにしては何一つつじつまの合わぬことばや挙動がない。 この男はどうしたのだろう。 庄兵衛がためには喜助の態度が考えれば考えるほどわからなくなるのである。 「喜助。 お前何を思っているのか。 」 「はい」と言ってあたりを見回した喜助は、何事をかお役人に見とがめられたのではないかと気づかうらしく、居ずまいを直して庄兵衛の 気色 ( けしき )を伺った。 庄兵衛は自分が突然問いを発した動機を明かして、役目を離れた応対を求める言いわけをしなくてはならぬように感じた。 そこでこう言った。 「いや。 別にわけがあって聞いたのではない。 実はな、おれはさっきからお前の島へゆく心持ちが聞いてみたかったのだ。 おれはこれまでこの舟でおおぜいの人を島へ送った。 それはずいぶんいろいろな身の上の人だったが、どれもどれも島へゆくのを悲しがって、見送りに来て、いっしょに舟に乗る親類のものと、夜どおし泣くにきまっていた。 それにお前の様子を見れば、どうも島へゆくのを苦にしてはいないようだ。 いったいお前はどう思っているのだい。 」 喜助はにっこり笑った。 「御親切におっしゃってくだすって、ありがとうございます。 なるほど島へゆくということは、ほかの人には悲しい事でございましょう。 その心持ちはわたくしにも思いやってみることができます。 しかしそれは世間でらくをしていた人だからでございます。 京都は結構な土地ではございますが、その結構な土地で、これまでわたくしのいたして参ったような苦しみは、どこへ参ってもなかろうと存じます。 お 上 ( かみ )のお慈悲で、命を助けて島へやってくださいます。 島はよしやつらい所でも、鬼のすむ所ではございますまい。 わたくしはこれまで、どこといって自分のいていい所というものがございませんでした。 こん度お 上 ( かみ )で島にいろとおっしゃってくださいます。 そのいろとおっしゃる所に落ち着いていることができますのが、まず何よりもありがたい事でございます。 それにわたくしはこんなにかよわいからだではございますが、ついぞ病気をいたしたことはございませんから、島へ行ってから、どんなつらい仕事をしたって、からだを痛めるようなことはあるまいと存じます。 それからこん度島へおやりくださるにつきまして、二百 文 ( もん )の 鳥目 ( ちょうもく )をいただきました。 それをここに持っております。 」こう言いかけて、喜助は胸に手を当てた。 遠島を仰せつけられるものには、鳥目二百銅をつかわすというのは、当時の 掟 ( おきて )であった。 喜助はことばをついだ。 「お恥ずかしい事を申し上げなくてはなりませぬが、わたくしは 今日 ( こんにち )まで二百文というお 足 ( あし )を、こうしてふところに入れて持っていたことはございませぬ。 どこかで仕事に取りつきたいと思って、仕事を尋ねて歩きまして、それが見つかり次第、骨を惜しまずに働きました。 そしてもらった 銭 ( ぜに )は、いつも右から左へ人手に渡さなくてはなりませなんだ。 それも現金で物が買って食べられる時は、わたくしの 工面 ( くめん )のいい時で、たいていは借りたものを返して、またあとを借りたのでございます。 それがお 牢 ( ろう )にはいってからは、仕事をせずに食べさせていただきます。 わたくしはそればかりでも、お 上 ( かみ )に対して済まない事をいたしているようでなりませぬ。 それにお牢を出る時に、この二百文をいただきましたのでございます。 こうして相変わらずお 上 ( かみ )の物を食べていて見ますれば、この二百 文 ( もん )はわたくしが使わずに持っていることができます。 お足を自分の物にして持っているということは、わたくしにとっては、これが始めでございます。 島へ行ってみますまでは、どんな仕事ができるかわかりませんが、わたくしはこの二百文を島でする仕事の 本手 ( もとで )にしようと楽しんでおります。 」こう言って、喜助は口をつぐんだ。 庄兵衛は「うん、そうかい」とは言ったが、聞く事ごとにあまり意表に出たので、これもしばらく何も言うことができずに、考え込んで黙っていた。 庄兵衛はかれこれ初老に手の届く年になっていて、もう女房に子供を四人生ませている。 それに老母が生きているので、家は七人暮らしである。 平生人には 吝嗇 ( りんしょく )と言われるほどの、倹約な生活をしていて、衣類は自分が役目のために着るもののほか、寝巻しかこしらえぬくらいにしている。 しかし不幸な事には、妻をいい 身代 ( しんだい )の商人の家から迎えた。 そこで女房は夫のもらう 扶持米 ( ふちまい )で暮らしを立ててゆこうとする善意はあるが、ゆたかな家にかわいがられて育った癖があるので、夫が満足するほど手元を引き締めて暮らしてゆくことができない。 ややもすれば月末になって勘定が足りなくなる。 すると女房が内証で里から金を持って来て 帳尻 ( ちょうじり )を合わせる。 それは夫が借財というものを毛虫のようにきらうからである。 そういう事は 所詮 ( しょせん )夫に知れずにはいない。 庄兵衛は五節句だと言っては、 里方 ( さとかた )から物をもらい、子供の七五三の祝いだと言っては、里方から子供に衣類をもらうのでさえ、心苦しく思っているのだから、暮らしの穴をうめてもらったのに気がついては、いい顔はしない。 格別平和を破るような事のない羽田の家に、おりおり波風の起こるのは、これが原因である。 庄兵衛は今喜助の話を聞いて、喜助の身の上をわが身の上に引き比べてみた。 喜助は仕事をして給料を取っても、右から左へ人手に渡してなくしてしまうと言った。 いかにも哀れな、気の毒な 境界 ( きょうがい )である。 しかし一転してわが身の上を顧みれば、彼と我れとの間に、はたしてどれほどの差があるか。 自分も 上 ( かみ )からもらう 扶持米 ( ふちまい )を、右から左へ人手に渡して暮らしているに過ぎぬではないか。 彼と我れとの相違は、いわば 十露盤 ( そろばん )の 桁 ( けた )が違っているだけで、喜助のありがたがる二百 文 ( もん )に相当する貯蓄だに、こっちはないのである。 さて桁を違えて考えてみれば、 鳥目 ( ちょうもく )二百文をでも、喜助がそれを貯蓄と見て喜んでいるのに無理はない。 その心持ちはこっちから察してやることができる。 しかしいかに桁を違えて考えてみても、不思議なのは喜助の欲のないこと、足ることを知っていることである。 喜助は世間で仕事を見つけるのに苦しんだ。 それを見つけさえすれば、骨を惜しまずに働いて、ようよう口を 糊 ( のり )することのできるだけで満足した。 そこで 牢 ( ろう )に入ってからは、今まで得がたかった食が、ほとんど天から授けられるように、働かずに得られるのに驚いて、生まれてから知らぬ満足を覚えたのである。 庄兵衛はいかに 桁 ( けた )を違えて考えてみても、ここに彼と我れとの間に、大いなる 懸隔 ( けんかく )のあることを知った。 自分の 扶持米 ( ふちまい )で立ててゆく暮らしは、おりおり足らぬことがあるにしても、たいてい 出納 ( すいとう )が合っている。 手いっぱいの生活である。 しかるにそこに満足を覚えたことはほとんどない。 常は幸いとも不幸とも感ぜずに過ごしている。 しかし心の奥には、こうして暮らしていて、ふいとお役が御免になったらどうしよう、大病にでもなったらどうしようという 疑懼 ( ぎく )が潜んでいて、おりおり妻が里方から金を取り出して来て穴うめをしたことなどがわかると、この疑懼が意識の 閾 ( しきい )の上に頭をもたげて来るのである。 いったいこの懸隔はどうして生じて来るだろう。 ただ 上 ( うわ )べだけを見て、それは喜助には身に係累がないのに、こっちにはあるからだと言ってしまえばそれまでである。 しかしそれはうそである。 よしや自分が 一人者 ( ひとりもの )であったとしても、どうも喜助のような心持ちにはなられそうにない。 この根底はもっと深いところにあるようだと、庄兵衛は思った。 庄兵衛はただ 漠然 ( ばくぜん )と、人の一生というような事を思ってみた。 人は身に病があると、この病がなかったらと思う。 その日その日の食がないと、食ってゆかれたらと思う。 万一の時に備えるたくわえがないと、少しでもたくわえがあったらと思う。 たくわえがあっても、またそのたくわえがもっと多かったらと思う。 かくのごとくに先から先へと考えてみれば、人はどこまで行って踏み止まることができるものやらわからない。 それを今目の前で踏み止まって見せてくれるのがこの喜助だと、庄兵衛は気がついた。 庄兵衛は今さらのように驚異の目をみはって喜助を見た。 この時庄兵衛は空を仰いでいる喜助の頭から 毫光 ( ごうこう )がさすように思った。 今度は「さん」と言ったが、これは充分の意識をもって称呼を改めたわけではない。 その声がわが口から出てわが耳に 入 ( い )るや否や、庄兵衛はこの称呼の不穏当なのに気がついたが、今さらすでに出たことばを取り返すこともできなかった。 「はい」と答えた喜助も、「さん」と呼ばれたのを不審に思うらしく、おそるおそる庄兵衛の 気色 ( けしき )をうかがった。 庄兵衛は少し 間 ( ま )の悪いのをこらえて言った。 「いろいろの事を聞くようだが、お前が今度島へやられるのは、人をあやめたからだという事だ。 おれについでにそのわけを話して聞せてくれぬか。 」 喜助はひどく恐れ入った様子で、「かしこまりました」と言って、小声で話し出した。 「どうも飛んだ心得違いで、恐ろしい事をいたしまして、なんとも申し上げようがございませぬ。 あとで思ってみますと、どうしてあんな事ができたかと、自分ながら不思議でなりませぬ。 全く夢中でいたしましたのでございます。 わたくしは小さい時に 二親 ( ふたおや )が 時疫 ( じえき )でなくなりまして、弟と 二人 ( ふたり )あとに残りました。 初めはちょうど軒下に生まれた犬の子にふびんを掛けるように町内の人たちがお恵みくださいますので、近所じゅうの走り使いなどをいたして、飢え凍えもせずに、育ちました。 次第に大きくなりまして職を捜しますにも、なるたけ二人が離れないようにいたして、いっしょにいて、助け合って働きました。 去年の秋の事でございます。 わたくしは弟といっしょに、 西陣 ( にしじん )の 織場 ( おりば )にはいりまして、 空引 ( そらび )きということをいたすことになりました。 そのうち弟が病気で働けなくなったのでございます。 そのころわたくしどもは 北山 ( きたやま )の 掘立小屋 ( ほったてごや )同様の所に寝起きをいたして、 紙屋川 ( かみやがわ )の橋を渡って織場へ 通 ( かよ )っておりましたが、わたくしが暮れてから、食べ物などを買って帰ると、弟は待ち受けていて、わたくしを 一人 ( ひとり )でかせがせてはすまないすまないと申しておりました。 ある日いつものように何心なく帰って見ますと、弟はふとんの上に突っ伏していまして、 周囲 ( まわり )は血だらけなのでございます。 わたくしはびっくりいたして、手に持っていた竹の皮包みや何かを、そこへおっぽり出して、そばへ行って『どうしたどうした』と申しました。 すると弟はまっ 青 ( さお )な顔の、両方の 頬 ( ほお )からあごへかけて血に染まったのをあげて、わたくしを見ましたが、物を言うことができませぬ。 息をいたすたびに、傷口でひゅうひゅうという音がいたすだけでございます。 わたくしにはどうも様子がわかりませんので、『どうしたのだい、血を吐いたのかい』と言って、そばへ寄ろうといたすと、弟は右の手を 床 ( とこ )に突いて、少しからだを起こしました。 左の手はしっかりあごの下の所を押えていますが、その指の間から黒血の固まりがはみ出しています。 弟は目でわたくしのそばへ寄るのを留めるようにして口をききました。 ようよう物が言えるようになったのでございます。 『すまない。 どうぞ堪忍してくれ。 どうせなおりそうにもない病気だから、早く死んで少しでも兄きにらくがさせたいと思ったのだ。 笛 ( ふえ )を切ったら、すぐ死ねるだろうと思ったが息がそこから漏れるだけで死ねない。 深く深くと思って、力いっぱい押し込むと、横へすべってしまった。 刃はこぼれはしなかったようだ。 これをうまく抜いてくれたらおれは死ねるだろうと思っている。 物を言うのがせつなくっていけない。 どうぞ手を借して抜いてくれ』と言うのでございます。 弟が左の手をゆるめるとそこからまた息が漏ります。 わたくしはなんと言おうにも、声が出ませんので、黙って弟の 喉 ( のど )の傷をのぞいて見ますと、なんでも右の手に 剃刀 ( かみそり )を持って、横に笛を切ったが、それでは死に切れなかったので、そのまま剃刀を、えぐるように深く突っ込んだものと見えます。 柄 ( え )がやっと二寸ばかり傷口から出ています。 わたくしはそれだけの事を見て、どうしようという思案もつかずに、弟の顔を見ました。 弟はじっとわたくしを見詰めています。 わたくしはやっとの事で、『待っていてくれ、お医者を呼んで来るから』と申しました。 弟は恨めしそうな目つきをいたしましたが、また左の手で 喉 ( のど )をしっかり押えて、『医者がなんになる、あゝ苦しい、早く抜いてくれ、頼む』と言うのでございます。 わたくしは途方に暮れたような心持ちになって、ただ弟の顔ばかり見ております。 こんな時は、不思議なもので、目が物を言います。 弟の目は『早くしろ、早くしろ』と言って、さも恨めしそうにわたくしを見ています。 わたくしの頭の中では、なんだかこう車の輪のような物がぐるぐる回っているようでございましたが、弟の目は恐ろしい催促をやめません。 それにその目の恨めしそうなのがだんだん険しくなって来て、とうとう 敵 ( かたき )の顔をでもにらむような、憎々しい目になってしまいます。 それを見ていて、わたくしはとうとう、これは弟の言ったとおりにしてやらなくてはならないと思いました。 わたくしは『しかたがない、抜いてやるぞ』と申しました。 すると弟の目の色がからりと変わって、晴れやかに、さもうれしそうになりました。 わたくしはなんでもひと思いにしなくてはと思ってひざを 撞 ( つ )くようにしてからだを前へ乗り出しました。 弟は突いていた右の手を放して、今まで喉を押えていた手のひじを 床 ( とこ )に突いて、横になりました。 わたくしは 剃刀 ( かみそり )の柄をしっかり握って、ずっと引きました。 この時わたくしの内から締めておいた表口の戸をあけて、近所のばあさんがはいって来ました。 留守の間、弟に薬を飲ませたり何かしてくれるように、わたくしの頼んでおいたばあさんなのでございます。 もうだいぶ内のなかが暗くなっていましたから、わたくしにはばあさんがどれだけの事を見たのだかわかりませんでしたが、ばあさんはあっと言ったきり、表口をあけ放しにしておいて駆け出してしまいました。 わたくしは 剃刀 ( かみそり )を抜く時、手早く抜こう、まっすぐに抜こうというだけの用心はいたしましたが、どうも抜いた時の手ごたえは、今まで切れていなかった所を切ったように思われました。 刃が外のほうへ向いていましたから、外のほうが切れたのでございましょう。 わたくしは剃刀を握ったまま、ばあさんのはいって来てまた駆け出して行ったのを、ぼんやりして見ておりました。 ばあさんが行ってしまってから、気がついて弟を見ますと、弟はもう息が切れておりました。 傷口からはたいそうな血が出ておりました。 それから 年寄衆 ( としよりしゅう )がおいでになって、役場へ連れてゆかれますまで、わたくしは剃刀をそばに置いて、目を半分あいたまま死んでいる弟の顔を見詰めていたのでございます。 」 少しうつ向きかげんになって庄兵衛の顔を下から見上げて話していた喜助は、こう言ってしまって視線をひざの上に落とした。 喜助の話はよく条理が立っている。 ほとんど条理が立ち過ぎていると言ってもいいくらいである。 これは半年ほどの間、当時の事を幾たびも思い浮かべてみたのと、役場で問われ、 町奉行所 ( まちぶぎょうしょ )で調べられるそのたびごとに、注意に注意を加えてさらってみさせられたのとのためである。 庄兵衛はその場の様子を 目 ( ま )のあたり見るような思いをして聞いていたが、これがはたして弟殺しというものだろうか、人殺しというものだろうかという疑いが、話を半分聞いた時から起こって来て、聞いてしまっても、その疑いを解くことができなかった。 弟は 剃刀 ( かみそり )を抜いてくれたら死なれるだろうから、抜いてくれと言った。 それを抜いてやって死なせたのだ、殺したのだとは言われる。 しかしそのままにしておいても、どうせ死ななくてはならぬ弟であったらしい。 それが早く死にたいと言ったのは、苦しさに耐えなかったからである。 喜助はその 苦 ( く )を見ているに忍びなかった。 苦から救ってやろうと思って命を絶った。 それが罪であろうか。 殺したのは罪に相違ない。 しかしそれが苦から救うためであったと思うと、そこに疑いが生じて、どうしても解けぬのである。 庄兵衛の心の中には、いろいろに考えてみた末に、自分よりも上のものの判断に任すほかないという念、オオトリテエに従うほかないという念が生じた。 庄兵衛はお 奉行 ( ぶぎょう )様の判断を、そのまま自分の判断にしようと思ったのである。 そうは思っても、庄兵衛はまだどこやらにふに落ちぬものが残っているので、なんだかお奉行様に聞いてみたくてならなかった。 次第にふけてゆくおぼろ夜に、沈黙の人 二人 ( ふたり )を載せた高瀬舟は、黒い水の 面 ( おもて )をすべって行った。

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『高瀬舟』における「喜助」を凶悪犯として捉える方法

森 鴎外 高瀬舟

高瀬舟の感想・考察(ネタバレ有) ここからは、本作に関する解釈や考察を含めた感想を述べていきたいと思います。 なお、記事の構成上多くの ネタバレを含みますので、その点はご了承ください。 「足るを知る」喜助と、「足ることを知らなかった」庄兵衛 あらすじでも少し触れましたが、 この『高瀬舟』は罪人である喜助と、彼を護送する役人庄兵衛のやりとりを中心に展開し、庄兵衛の視点で描かれています。 このやり取りの中で庄兵衛は、喜助が二百文というお金をもらったことに大いに感激し満足していることを知るのです。 二百文は、当時では米三升強が買える金額。 米一升は約4,5kgなので三升強とは約5kg。 現在で言えば 約二千円といったところでしょう。 罪を犯して島流しにされ、お上から二千円程度の捨て金を受け取り、そのはした金にたいそう喜んでいる。 「喜助よ、マジか!?お前は不幸だ。 目を覚ませ」と言いたいところです。 しかし、そんな喜助の態度をみて、庄兵衛はついつい我が身と喜助を比べてしまいます。 客観的に見れば不幸のどん底にある喜助。 一方の自分は、役人であり、それなりに生活は成り立っている。 とはいえ、裕福でも貯金があるわけでもない。 むしろ、もし自分が病気になったり、仕事をクビになったりすれば、たちまち生活に困窮してしまう。 庄兵衛はそんな自分の境遇に対し、不安を感じつつ生きています。 そして、庄兵衛は大事なことに気づくのです。 喜助が 「足ることを知っている」ということに。 現代のボクらも、庄兵衛やあるいは喜助と、大なり小なり似たようなものかもしれません。 江戸時代に比べれば、社会保障はしっかりしているし、コンビニもスマホもあります。 正社員になればそれなりに、生活はできるし、アルバイトやパートでも、飢え死にする危険はそれほど感じないでしょう。 しかし、欲しいモノが手に入らなかったり、体のどこかが痛かったり、なんとなく将来が不安だったり。 お金が手に入れば、それなりに満足するでしょう。 でも、それ以上のお金が欲しくなったり、失うことに不安になったりするかもしれません。 逆に、裕福でなくても、今の自分の置かれている環境を受け入れてそれに満足することはできるはずです。 喜助はわずか二千円のお金に喜んでいましたが、老子に言わせれば、そのわずかな財産に満足できる喜助こそ本当に豊かな者だ、ということになりそうです。 欲しいモノが手に入らずモンモンとするときなんかに、思い出したい教えですね。 森鴎外の描く「安楽死」は是か非か ここまでの解説のなかで何度か、「罪人である喜助は・・・」という表現をしてきましたが、喜助はなんの罪を犯したのでしょうか。 実は喜助は弟殺しの罪で島流しになったのでした。 このあたりの詳細は庄兵衛とのやり取りで明らかになりますので、ぜひそちらを見て欲しいと思います。 そして、ここは『高瀬舟』1番のヤマ場でもあります。 グイグイと引き込まれ、きっとページをめくる手がとまらないことでしょう! そもそも、作者・森鴎外は安楽死についてどう考えていたのでしょうか。 森鴎外自身の作品に対する解説書『高瀬舟縁起』の中で、安楽死について 「楽に死なせると云う意味である」と述べます。 そして続けて、 「高瀬舟の罪人はちょうどそれと同じ場合にいたように思われる。 私にはそれがひどく面白い」と結んでいるのです。 森鴎外は、幼い我が子・ 不律を百日咳という病で亡くしたという経験があります。 このとき鴎外は、苦しむ我が子を楽にしてやりたい、と医師と話していると、妻に大声で止められた、というエピソードがあります。 また、別の話として長女・ 茉莉(まり)が同じく百日咳でもう一日ももたないだろうということもありました。 森茉莉(出典:Wikipedia) この時、鴎外と妻は、これ以上苦しませるのはかわいそうだと話し合い、まさに安楽死のための注射を準備しようとしていました。 すると、裁判官をしている妻の父がぬっと現れ、「天から授かった命はどんなことがあっても生かさなくてはならん!」と大変な剣幕で叱られ中止になったということもあります。 不律は亡くなりましたが、茉莉は持ち直し、鴎外に溺愛されながら小説家として84年の人生を全うしました。 もし、茉莉が安楽死の注射をされていたら、彼女の84年の人生は存在しませんでした。 また、彼女の作品も存在せず、彼女と関わりから生まれた笑ったり泣いたりといった経験も失われたことでしょう。 『高瀬舟』の話からは、 森鴎外が安楽死を肯定(あるいは渇望?)していたことが伺われます。 一方で、現在も安楽死に反対する人たちもたくさんいます。 ボク自身は『高瀬舟』を読むことが、安楽死問題に興味を持つきっかけになりました。 そして、自分なりにいろいろ調べてみましたが、正直どちらが正しいのか、いまだにわかりません。 日本では安楽死は認められませんが、オランダやスイス、アメリカの一部の州では認められます。 世界でも様々な意見があるようです。 みなさんはどう思われるでしょうか? まとめ ここまで、『高瀬舟』という作品について解説してきました。 まず、この作品は何より読みやすく、古典や文学というもののハードルを一気に低くしてくれると言えます。 それでいて内容も深く、古代中国の人生訓に触れることもできます。 話のテンポもよく、読み進めていくうちにドンドン引き込まれること請け合いです。 対照的な2人の人物「喜助」と「庄兵衛」。 あなたはどちらに共感するでしょうか。

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森鴎外 高瀬舟

森 鴎外 高瀬舟

目次 [閉じる]• あらすじ 高瀬舟の仕事 高瀬舟は京都の高瀬川を渡る小舟で、罪人を島流しにするためのものです。 高瀬舟に乗せられるのは重罪人ですが、しかし極悪人ばかりという訳ではありません。 不幸な事情があったり、思わぬ罪を犯してしまった人が大半でした。 護送役の同心はそんな罪人の悲惨な事情を細かく聞くことができます。 情け深い同心なら涙を禁じ得ないものも多く、そんな高瀬舟の仕事は同心仲間には不快なものとして嫌われていました。 ある日の高瀬舟 江戸の寛政の頃、高瀬舟に30歳ほどの罪人・喜助が乗せられました。 護送役の同心・羽田は、喜助が兄弟殺しの罪人であるということだけ聞いていました。 しかしこの喜助、今から島流しになるというのにその顔は晴れやかで楽しそうです。 羽田が今まで護送した罪人は皆一様に悲壮な顔をしていたのに、なぜそんな顔をしているのか不思議に思い事情を聴くことにしました。 喜助は自分がにこやかにしているのは、自分の暮らしがそれ以上に苦しかったからだと言います。 辛い仕事を必死にしても食うに困るぐらいだったのに、牢に入れば食事を食べさせて貰えたし、島流しの際には今まで見た事もない支度金まで頂けたと話しました。 一旦は納得した羽田でしたが、このような純朴な男が弟を殺すだろうか、もっと深い事情があるのではないかと考えました。 そして改めて事件の事情を聞くと、喜助はこの殺人は弟を安楽死させるためのものだったと語ります。 喜助の事件の顛末 喜助は小さい頃に親を亡くし、弟と二人で助け合って生きていました。 しかし弟が病気になって働けなくなると、喜助は一人で必死に働いて弟の面倒を見ていました。 ある日家に帰ると、弟は剃刀で喉を刺して死に損ねていました。 最早話すことはできませんでしたが、その目は「俺はどうせ助からないから早く死んで兄に楽になって欲しい、どうか死なせてくれ」と訴えているようでした。 喜助は剃刀を抜いて弟を殺しましたが、しばし茫然となって佇んでいました。 その様子を近所の人が見ていて役所へ連れられて罪人になったのです。 羽田はこれは果たして弟殺しなのか、喜助は罪に問われなければならなかったのか考えましたが答えは分かりませんでした。 お奉行樣の判斷に任せるしかなく、沈黙する二人を乗せた高瀬舟はただ黒い水面を進むのみでした。 感想 日本において他人を安楽死させる行為は、厳格な条件を満たしていなければ殺人罪となります。 しかし条件を満たすのは中々難しく、死にたいのに死ぬことができない人も少なくありません。 高瀬舟の兄弟における安楽死も、現代の法律においては違法性を問われることになると思います。 喜助が話したことが真実かは分かりませんが、たとえ真実であってもそれは変わりません。 真に死を望む人を殺すのは殺人なのか、自殺幇助は罪なのか、誰にも答えは分かりません。 羽田と同じようにお上の判断に任せるしかないでしょう。 物語において兄は罪を問われることになりましたが、その胸中は晴れやかでした。 それがこの物語のせめてもの救いと言えるかもしれません。

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