有田利二。 浜ちゃんのブラックフェイスは黒人差別なのか 知らなかったでは済まされない(木村正人)

浜ちゃんのブラックフェイスは黒人差別なのか 知らなかったでは済まされない(木村正人)

有田利二

黒人差別をなくす会 「ジャングル黒べえ」単行本が絶版になっていた時期があり、アニメは再放送どころかDVD化も長い間されなかった理由。 けっこう有名ですよね。 表現が黒人差別にあたると見なされたゆえ。 それを指摘したのは「黒人差別をなくす会」。 この団体は実は家族3人だけで成り立っているかなり小さな会だけど、出版界への影響は強かった・・・ここまでは私も知っていました。 しかしこの本では、事情はもっと深いところにあったことが明らかにされています。 まず、「なくす会」は「ジャングル黒べえ」を糾弾していませんでした。 やり玉に挙がったのは、藤子不二雄作品に関しては「オバケのQ太郎」の「国際オバケ連合」というエピソードのみ。 世界のオバケが集まる総会に来た「ウラネシヤ」の「ボンガ」というオバケが黒く厚い唇で、「バケ食いオバケ」とされていて、「(悪いやつらは)たべてしまえ」と発言、驚くオバケたちに「いまのはもののたとえだよ」と説明。 この造形とやりとりが対象だというのです。 89年7月の出来事です。 しかしこの時、「なくす会」は「ジャングル黒べえ」を対象とはしていません。 当時、「なくす会」は破竹の勢いでした。 堺市在住の公務員有田利二氏が妻・当時小四の息子と結成したこの会は、88年の渡辺美智雄政調会長の「黒人だとかいっぱいいて・・・(破産しても)アッケラカーのカー」発言以後、黒人を揶揄したような商品を糾弾し始めます(海外旅行に使うはずだった25万円で100点以上の商品を購入)。 商品を出している会社に改善要望の手紙を送るなどしたのです。 その後は、有名な「ちび黒サンボ」の絶版、タカラのダッコチャンマークやカルピスの黒人マークの変更。 そして上述の「オバQ」を含む多くのまんがが次々と出荷停止・書き換えとなっていきます。 この中で、出版社は過剰反応し、直接やり玉にあがっているわけでもない「ジャングル黒べえ」を自主規制してしまった可能性が高いようです。 では、なぜ出版社はそれほど「なくす会」を恐れていたのでしょうか。 出版社自らが作り出した「恐れ」 京都産業大学の灘本昌久教授(被差別部落研究史に詳しく、祖父母が被差別部落で育ったことから「部落民三世」を自称)はこのように推測します。 1985年頃からの10年間は、部落解放同盟が差別表現の摘発路線を最も過激にやっていた時期なので、「物言えば唇寒し」の風潮が強かった。 そのためではないかと。 実は、「なくす会」の有田氏は、もともと地道に部落差別反対運動を続けていた人でした。 当時の講談社法務部長で、この問題に深く関わった(後述します)西尾秀和氏も、「なくす会」のバックには部落解放同盟がいるのではと錯覚していた時期があったし、他の出版社も同じ理由から「なくす会」を恐れていたのでは、と述べています。 しかし、実態は異なりました。 「なくす会」の有田氏と西尾氏を含む講談社幹部3名が議論した際、部落解放同盟の阪本書記が立会人として参加しましたが、同盟は有田氏と完全に距離を置いていたそうです。 また、有田氏も同盟がバックにいることをにおわすような発言等をすることもありませんでしたし、お金に関する要求も一切なかった。 すべては出版社自らが作り出した「恐れ」だったのです。 このことについては、出版社がことなかれ主義過ぎる、という批判もあるかもしれません。 しかし私個人の感覚としては、いわゆる「糾弾」が横行している時期には、暗闇にいるはずのないお化けを見てしまうのはいたしかたないとは思います。 出版社の人たちだって、文化を広め守るという使命以前に、自分や家族の生活が大事なのはその他の職業の人たちと同じだと思いますし。 また、「糾弾」の内容や手段によっては、糾弾される側が萎縮して当然ということもあるでしょう。 もちろん、そんな現状に対し果敢に立ち向かう方については、本当にすごいと思いますし、そういった方にこそ文化を広め守る仕事についていただきたいという思いももちろんあります。 そして、まさにそういった行動を取ったのが前述の元講談社法務部長・西尾和秀氏でした。 変化 ー 手塚治虫作品への抗議と出版社の対応 西尾氏が立ち上がったのは手塚治虫作品が抗議を受けた90年頃です。 一部の作品がいったん出荷停止になったものの、西尾法務部長が、日本を代表する漫画家の作品をそんな簡単に回収絶版にしていいのかと社内で意見し、同社の手塚治虫漫画全集は注釈をつけて出版を続行するようになったのです。 以後、多くの漫画作品がこの対処方法を参考にするようになりました。 しかし、「ジャングル黒べえ」は今だ絶版のまま(まんがは2010年に復刊)です。 この理由は明らかにはなっていません。 「手塚治虫漫画全集」(講談社刊)注釈「読者の皆さまへ」から抜粋 私たちが今あえてこの「手塚治虫漫画全集」を刊行しつづけるのは、筆者がすでに故人で作品の改訂が不可能であることと、第三者が故人の作品に手を加えることは、著作者の人格権上の問題もさることながら、当該問題を考えてゆくうえでも、決して適切な処置とは思えないことと、私たちには日本の文化遺産と評価される作品を守ってゆく責務があると考えられるからです。 もとより私たちは地球上のあらゆる差別に反対し、差別が無くなるよう努めてまいります。 それが出版に携わる者の責任であると考えます。 読者の皆さまも、この手塚作品に接するのを機会に、さまざまな差別が存在している事実を認識し、この問題への理解を深めてくださいますようお願いいたします。 手塚プロダクション/講談社 70年代の日本にとってのアフリカ この本では、「ジャングル黒べえ」は本当に黒人差別にあたるのかも地道に検証しています。 この作品が生まれた70年代、アフリカは日本にとって「交通事故や公害のない」理想郷という側面もあった(当時の番組宣伝用ポスターにそういう文言があります)。 自然回帰への一環で制作側に差別の意図はなかったのではないか、そしてそんな「理想郷」への憧れが、80年代以降は一転して差別表現だという恐れを生むまでになってしまったのではないか・・・そんな考察を、関係者へのインタビューを通じて明らかにしていっているのです。 その中にはオスマン・サンコンさんも。 彼の語る日本人の黒人観は非常に興味深いものでした。 なお、サンコンさんは「ジャングル黒べえ」のどこが差別にあたるのかわからないと語っています。 この部分を読んで私が連想したのは、同じく70年代に放映されたアニメ「」。 敵「ブライキング・ボス」は、もともと環境をクリーンにするために人間が作ったロボットでした。 それが落雷のショックで「地球環境を良くするなら人間を地球からなくすのが一番」ということに気づいてしまい人間の「敵」となる・・・という設定なのですが、こんなアイロニーが生まれる背景には、やはり当時の日本に公害への恐れがはっきりあったということなのでしょう。 当時子どもだった私も、テレビや本で今よりも公害が身近かつ頻繁に登場していたこと、川がどんどん汚くなり(というか、明らかに現代より汚く、洗剤の泡とかがよく浮いてました。 においもひどかった。 )空き地がどんどん宅地に変わっていったことははっきり覚えています。 キャシャーンのことは、幼稚園児らしく強くてかっこいいヒーローとして応援していただけで、そんな設定があることなどもちろん知りませんでしたが。 安藤健二さんの姿勢 著者安藤さんは、こういった、下手をすると単に人がいやがる秘密を暴くだけの「暴露もの」になってしまう題材を、地道ながらも絶版作品への愛情と関係者への理解ある眼差しを通じて解きほぐしてくれています。 取材対象や取材結果の興味深さだけでなく、そのような著者の姿勢がこの本を「暴露もの」とは一線を画する存在にしていると感じました。 この本には、他にも、原作者と作画者の確執がもとで絶版状態が続いている「キャンディ・キャンディ」、取材するもいっこうに絶版理由が明らかにならない、ただし最後にはおぼろげながらに真相らしきものが浮かび上がる「オバケのQ太郎」(なお、この本が出版された2006年当時は20年以上にもわたる絶版状態のさなかでしたが、現在は無事出版されています。 )、私自身は存在すら知らなかった手塚治虫の特撮もの「サンダーマスク」などについてのエピソードもあり盛りだくさんでした。 安藤さんの熱意と真摯さを感じる内容です。

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堺発祥の勘違い差別団体 その1 黒人差別をなくす会

有田利二

サンボとアトム サンボとアトム 「ちびくろサンボ」の本が人種差別図書と糾弾されて以来、 15 年もの間、姿を 消していたのですが、数年前から復刻版が出ていると知って買ってみました。 すでに 40 歳台 後半の、倅や娘に見せたところ、彼らは、 「ありゃあ、懐かしいなあ」 と言いながら頁を繰っています。 ということは私の「孫」…つまり、彼らの子供たちは「ちびくろサンボ」なんて 見たことも、聞いたこともないまま大きくなったに違いありません。 15 年から 20 年のブランクとは実に大きいと思いました。 一世代が、スコンと 抜け落ちてしまうのですから…。 五年前に復刻してくれた瑞雲社という出版社は偉いと思いました。 最近、私が買った「ちびくろサンボ」は、筋書きが原作と少し違っているよう でしたが、絵はとても可愛く魅力的で、子供たちの心を捉える力を感じました。 これほど子供たちに人気のある「ちびくろサンボ」が、どうして絶版になって しまったのでしょうか。 「週刊文春」の 1994 年(平成六年)2月 17 日号にこんな記事が出ています。 * * * 『 堺市は言葉に関して頗る敏感な町として、関係者の間でつとに有名である。 この町の 二つの団体を取り上げたい。 一つは、「堺市女性団体連絡協議会」もう一つは「黒人差別をなくす会」である。 「黒人差別をなくす会」は有田利二氏を副会長にして『ちびくろサンボ』を黒人 差別図書だとして追及し、 88 年の末までに絶版に追い込んだことで知られている。 そして、山口彩子市議が委員長を務める「堺市女性協・童話・絵本研究会」は、 89 年、「百十八点の童話と、絵本に、問題があった」と発表した団体だ。 (堺市教育委員会や婦人会館では「奥さん」「ご主人」はご法度。 「妻さん」「夫さん」 と呼びあうに至った) 「ちびくろサンボ」で有名になった「黒人差別をなくす会」の方は望外な「成果」を あげている。 有田利二氏は 88 年8月、小学四年生の九歳になる 息子の太 はじめ くんの発案を 受けて「黒人差別をなくす会」を作り、妻の喜美子さんを会長に、自分は副会長、 太くんを書記長とする奇妙な団体を作った。 多額の費用と時間を注ぎ込み、グッズの収集や、出版社への抗議文を出し続けた 最初の成果が、 11 社の「チビ黒サンボ」を絶版に追い込んだ壮挙である。 有田氏は当時、堺市教育委員会職員で解放会館の舳松 へのまつ 歴史資料館に勤務 しており部落解放運動の活動はしていても、特に黒人解放運動をやっていたわけ ではなかった。 しかし、黒人差別反対運動の「戦士」の活動がワシントンポストを通じてアメリカ にも知れわたり、ついに翌 89 年、アメリカ黒人団体の招待で親子二人のアメリカ 旅行にまで発展した。 有田一家は「サンボ」の絵本以外にも、カルピス食品のシンボル、黒人マークに 「典型的差別」と抗議して、 90 年からの使用中止決定を勝ち取った。 わずか 12 歳の 太・書記長の指摘で、 65 年にわたって、親しまれてきたマークは ついにその生涯を終えた』 聊か意地の悪い記事ではありますが、有田一家が「黒人差別だ」と言って出版社や 食品会社どを糾弾することによって「成果」を挙げたとすれば週刊誌に少々糾弾 されたとしても、まあ以って瞑すべしというところでしょうか。 * * * 「ちびくろサンボ」の本や「カルピス」の黒人マークが抹殺されたのと同じ時期、 「だっこちゃん」も姿を消しました。 お若い方は「だっこちゃん」をご存知ないかもしれません。 「だっこちゃん」というのは、「ちびくろサンボ」みたいな可愛い風船人形の手が、 人間の二の腕にしがみ付くようになっていて若い女の子がアクセサリーよろしく 腕につけて歩いていました。 これが物凄く流行して、売り場に行列が出来たほどの人気だったのです。 もう 50 年も前のことですけど。 わが崇拝する 手塚治虫さんが朝日放送の番組に出演したことがありました。 亡くなる数年前のことです。 「手塚さんが我が社に出演するらしい」 と聞いた私は、所蔵していた「鉄腕アトム」の一冊を、スタジオに持ち込んで 強訴しました。 「私、鉄腕アトム全 23 巻を購入し愛読している者です。 この、1巻目の表紙の 裏側にサインをお願いします」 もう「ミーハー」もいいところで、自分が放送局のアナウンサーという自覚も 羞恥心も、かなぐり捨てていました。 手塚さんは快く引き受け、私の目の前でサラサラと描いてくれたのがこの一筆…。 さて 10 秒もかかったでしょうか。 アッという間に生まれたのが、このお宝です。 話が横道に逸れましたが、この手塚さんの漫画を出版した会社も「黒人差別糾弾」 で苦しみました。 1994 年3月 10 日号の週間文春に、こんな投書が掲載されています。 『 最近次々と出されている鉄腕アトムの単行本を見て驚いた。 情けなくなった。 しまいには腹が立ってきた。 オリジナルとは、大幅に変わっており、いわゆる差別用語とされている言葉は 完全に消され、言い換えられ、空白や伏せ字になっているではないか。 素晴ら しい手塚マンガのオリジナルが滅茶苦茶だ。 これは単なる著作権侵害ではない。 作者や作品の人格権を侵害する犯罪と言ってもよい 』 確かに、あのころは酷いものでした。 出版社に限らず放送局も、色々なところから、色々な表現が糾弾されたのです。 『このシリーズには黒人をはじめ多くの外国人が登場します。 それらの一部が、 未開発時代を誇張した描き方になっていたりして、現在の状況とは大きく違う 所があります。 最近、このような描き方は黒人や一部の外国人に対する人種差別に繋がるとの 指摘がなされております。 そのような絵の入った作品を発表した当時、作者には差別意識はなかったと思い ますが、今日、こうした描写を差別と感じる人がいる以上、その声には真剣に 耳を傾けなければなりません。 もちろん私達はあらゆる差別に反対し差別がなくなるよう努めてまいります。 しかしながら、作者が既に故人で、第三者が作品に手を加え、改訂することは 著作者の人格権上の問題ともなりかねないのと同時に、この問題を考えて行く 上で適切な処置ではないと思います。 私たちが今、手塚作品を原作のまま出版いたしますのは、作品の根底に流れる 「人間愛」「生命の尊さ」等のテーマを、広く社会に訴えることに意義を認める からです。 読者の皆様にも、この作品に接するのを契機に、差別に対する認識の、過去と 現状の違いを把握され、且つまたこの問題に対する理解をより深めて頂ければ と考えております』 お説、まことにご尤もであります。 遺伝的に皮膚の黒い人種が地球上に存在することは厳然たる事実で、表現者が これを避けたり、編集者が塗り替えたりしたら、それこそ差別でしょう。 今や黒人大統領、それも黒人奴隷の解放をめぐって内戦まで起こしたアメリカで オバマ大統領が誕生したのですから、世の中も変わってきました。 39 歳で凶弾に倒れたキング牧師は 1963 年にこんな演説を残しています。 「 私には夢がある。 いつか、ジョージアの赤土の丘に元奴隷の息子達と、元奴隷 所有者の息子達が、一緒に座り、友愛のテーブルを囲む日が来るという夢が 」 彼がノーベル平和賞を受賞したのは、この翌年のことでした。 私より四つ年上のキング牧師が、もし暗殺されずに 79 歳まで生きてて、オバマ 大統領の就任式典に招待されたとしたら、どんな表情で、どんなコメントをして くれたでしょうか。 かくなる上は、オバマ大統領が暗殺されないことを願うばかりです。 (徳島エコノミージャーナル 11 年6月号).

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「ジャングル黒べえ」が絶版になっていた本当の理由

有田利二

老若男女を問わず、世代も超えて愛され続けている乳酸菌飲料「カルピス」と言えば知らない人は居ないと言っても過言ではないでしょう。 それもそのはず、カルピスは今年で発売からなんと100年目!! 1世紀にも渡り日本人に飲まれ続けてきたカルピスだけに、「黒歴史」とも言えるキャラクター問題があった事をご存知でしょうか? 現在カルピスでは、水玉模様のロゴとタレントをイメージキャラクターに起用するスタイルとなっていますが、昔は少し怖い印象も受けるキャラクターを採用していました。 naver. 確かに、現在の爽やかなイメージロゴを見慣れている私たちからするとかなりカルピスのイメージから遠いように感じてしまうキャラですよね。 mh-logo. 意外にも1990年という近年まで使用されていたマークなので、記憶に残っているという方もいらっしゃるかもしれません。 この黒人マークが使用された経緯については後述するとして、どうして1990年に使用を中止する事になったのかを解説します。 黒人差別をなくす会の影 カルピスの黒人マークが使用中止へと追い込まれた原因は、 「黒人差別をなくす会」という私設団体にあります。 1988年に 有田利二・有田喜美子夫妻と息子の太(はじめ)君の家族3人で発足したのが「黒人差別をなくす会」です。 ワシントン・ポスト紙で掲載された黒人をモチーフにした日本製の人形について書かれた批判記事を夫妻が読んだ事がきっかけでした。 その後、有田夫妻は身近に売られている黒人キャラクターや、漫画などに描かれる黒人キャラクターなどの表現を調べては、抗議文を送りつけるという活動をするようになっていきます。 発足後、この団体の活動によって多くの企業や漫画家などが迷惑を被る事になります。 ibaraki-law. カルピスはこの指摘を受けて、 1990年の1月から黒人マークを使用中止する事を決定しました。 カルピスの黒人マークは、私設団体のしかも12歳の少年に【典型的差別】だと糾弾されたことが原因で使用中止になってしまった事になります。 カルピスはどうして差別と捉えられてしまうような黒人マークを使い始めたのでしょうか? 次項で、カルピスがキャラクターに黒人マークを使用した経緯や意味について解説します。 カルピスのキャクターを黒人にした本当の意味は人を救うためだった カルピスが黒人マークを使い始めたのは大正12年(1923年)からです。 その当時、第一次世界大戦の影響が色濃く残る欧州の絵描きたちは仕事も無く、生活に困る人が多くいました。 そこで、 カルピスは外務省と提携して国際懸賞ポスター展を開催。 世界中を対象として、カルピスの企業ポスターを懸賞金付きで広く応募することで、 終戦後の影響に苦しむ画家たちを救おうという意図がありました。 この国際懸賞ポスター展で、 3位を受賞したオットー・デュンケルスビューラーというドイツのデザイナーこそが、黒人マークを描いた作者です。 wikipedia. 作者であるオットーも、三島海雲も黒人マークに差別的な意味合いを込めるべくもなく、黒人マークが生まれた経緯は三島の「人助けをしたい」という思いによるものでした。 まさか、約70年後に12歳の少年によって使用中止に追い込まれるとは夢にも思わなかったでしょうね。 黒人差別をなくす会の犠牲になったキャラクター達は他にも・・・ 黒人差別をなくす会の活動によって、修正や商品回収などの被害を被ったケースはカルピスばかりではありません。 最も有名な被害として童話の 「ちびくろサンボ」が絶版に追いやられたという被害があります。 1988年、つまり黒人差別をなくす会を発足してすぐに児童用絵本の「ちびくろサンボ」に抗議をして絶版に追いやっています。 この、発足してすぐに成果を挙げてしまった事が同会の活動に拍車をかけてしまったのかもしれません。 さらに悪い事に、ちびくろサンボを絶版に追いやった事を聞きつけ、ワシントンポスト紙を介してアメリカの大統領候補やロス市長らと会見して活動を褒め称えられてもいます。 彼らの活動はエスカレートしていき、1990年にはカルピスの黒人マークを使用中止に。 jugem. その後、黒人差別をなくす会のターゲットは、漫画の世界へと移り彼らは黒人と思われる人物が登場する作品を探しては抗議を送りつけるようになっていきます。 回収や修正に追い込まれた漫画作品は• ジャングル大帝• オバケのQ太郎• スランプ• こちら亀有区亀有公園前派出所• ついでにとんちんかん• etc と数多く、顔が黒く唇が厚いキャラクターを書けないという風潮を業界に引き起こす事となりました。 黒人差別をなくす会は、今どうなっているのか? 様々な企業や漫画家へ多大なる被害をもたらした「黒人差別をなくす会」ですが、現在(令和元年5月時点)における表立った活動は確認できなくなっています。 1990年代に猛威を振るった黒人差別をなくす会ですが、 平成14年に「ドリトル先生」内の表現に抗議をした活動を最後に、目立った報告を知る事が出来なくなっています。 活動を知る事が出来ない一番の原因は、ホームページやブログなどを持たず、マスコミも「黒人差別をなくす会」について取り上げる事が無くなったためです。 一時は数百人規模の私設団体にまで成長し、猛威をふるった同会ですが活動の露出が激減した事からも、規模や活動が縮小した事は明白です。 カルピスで黒人のキャラクターのマークまとめ! 冒頭でも触れたように、現在カルピスはイメージキャラクターにタレントを起用するなどして、爽やかな印象となっています。 黒人マークの撤廃は、黒人差別をなくす会の抗議によるものでしたが経緯はどうあれ、爽やかな企業イメージになっている事を考えれば大きな被害も受けず良かったという所でしょうか。 黒人マークの撤廃が無かったら、令和となった現在も使い続けていたのか気になるところですが・・。 マークは変われども、カルピスが美味しい事には変わりありません。

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