生田武志。 生田武志 おすすめランキング (11作品)

子どもに「ホームレス」をどう伝えるか? いじめ・襲撃をなくすために : 生田武志

生田武志

『フリーターズフリー』編集発行人。 野宿者ネットワーク代表。 大学在学中から釜ヶ崎の日雇い労働者・野宿者支援活動にかかわる。 2000年、群像新人文学賞評論部門優秀賞受賞。 2001年から各地の小中学・高校などで「野宿問題の授業」を行なう 北村年子 : 一般社団法人ホームレス問題の授業づくり全国ネット代表理事。 ノンフィクション作家。 自己尊重トレーニングトレーナー。 子どものいじめ・自死をなくしたいと十代200人を取材したデビュー作『少女宣言』が話題をよぶ。 1990年、釜ヶ崎「こどもの里」に出会い野宿者支援にかかわる。 2010年、女性人権活動奨励賞・やよりジャーナリスト賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです).

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『いのちへの礼儀 (単行本)』(生田武志)の感想(4レビュー)

生田武志

同志社大学在学中から釜ヶ崎の日雇労働者・野宿者支援活動に関わる。 2000年、「つぎ合わせの器は、ナイフで切られた果物となりえるか?」で群像新人文学賞評論部門優秀賞。 2001年から各地の小、中、高校などで「野宿問題の授業」を行なう。 野宿者ネットワーク代表。 「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」共同代表。 「フリーターズフリー」編集発行人。 著書 『論』 人文書院2005 『ルポ 最底辺 不安定就労と野宿』 ちくま新書2007 『貧困を考えよう』 岩波ジュニア新書2009 『おっちゃん、なんで外で寝なあかんの? 1969年 近所の幼稚園に通う。 自分はサイボーグだと信じていた。 1971年 近所の市立小学校に通う。 ケンカにあけくれる充実した毎日。 1974年 倉敷市に引っ越し(一番近い喫茶店に行くのも自転車で30分かかるようなスポット)、近所の市立小学校に通う。 こどものやるようなことは全部やってあそぶ。 器楽合奏部に入って、4年生の時からウッドベースを弾く。 この部は我々が6年生の時、モーツァルトの交響曲「ハフナー」第一楽章で県大会優勝。 代表で優勝旗を受け取った。 (当時の。 ) 1977年 近所の市立中学校に通う。 よく数学や音楽の話をしていたは、後に京都大学経済研究所教授になった。 1980年 近所の県立高校に通う。 バンドでキーボードを受け持つ。 3年間活動したが、バンドの中心だったは、後にプロになってレコード大賞作曲賞を取り、紅白歌合戦に出た。 音大に行くかどうか迷う。 普通の大学に行くなら科学哲学 特に数学と哲学の間の領域 と決めていたが。 よく弾いたのはバッハ、ドビュッシー、サティ。 1983年 この年の大学受験を放棄。 特に代数学と幾何学の間の翻訳の問題について)。 1986年 大阪市西成区の釜ヶ崎に通う。 主に福祉活動。 これ以降の2年間は、京都にいるよりも釜ヶ崎にいる時間の方が長かった。 1988年 学校を卒業して、通っていた釜ヶ崎キリスト教協友会の施設の一つでアルバイト。 同年8月 アブレ期が終わったので、プロの日雇労働者としてデビュー。 日雇労働運動や福祉・医療活動をやりながら(逆?)、建設現場の雑役や土方仕事をする。 日雇労働外の収入は、通っていた釜ヶ崎キリスト教協友会の、学童保育「芽」のアルバイト(時給がマクドナルドより安い)のみ。 1996年 が獲得した事業、の責任者の一員としての仕事を始める。 これも身分は日雇労働者。 1998年 チェンバリストの河野まり子先生についてチェンバロを弾き始める。 よく弾くのはバッハ、スコット・ジョプリン、バルトーク。 2000年 「つぎ合わせの器は、ナイフで切られた果物となりえるか?」が講談社の「群像」新人文学賞・評論部門優秀作になる。 同期受賞は小説の、。 2001年 チームを組んで、高校などでを始める。 2005年 『〈野宿者襲撃〉論』(人文書院)刊行。 2007年 5年ほど前から準備を進めていたプロジェクトがとして始動。 6月に雑誌「フリーターズフリー」創刊。 8月、『ルポ 最底辺 不安定就労と野宿』(ちくま新書)刊行 2008年 3月、呼びかけ開始 9月いっぱいでの仕事を辞める 12月、「フリーターズフリー」2号刊行 2009年 10月、『貧困を考えよう』(岩波ジュニア新書)刊行 2012年 4月、『おっちゃん、なんで外で寝なあかんの?

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生田武志 おすすめランキング (11作品)

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路上死 このたび、社会貢献者表彰を頂き、感謝申し上げます。 大学生だった1986年4月に釜ヶ崎に初めて行き、0. 62平方キロの街に500人ほどの人たちが失業のために野宿になり、さらに多くの人たちが病死、凍死、餓死していく様子を見てショックを受けました。 それから野宿者支援活動、日雇労働運動、そして(山王こどもセンターなど)こどもたちに関わる活動などに関わってきました。 また、10代の若者などが野宿者を襲い、ときに殺害する事件が後をたたないことから、2000年から全国各地の小中高校で「野宿問題の授業」を続けています。 現在、野宿者ネットワークを中心に野宿者支援活動を行なっています。 野宿者ネットワークは年間予算100万円そこそこの団体(人件費ゼロ)ですが、最大の経費が「寝袋代」です。 以前は夜まわりで冬季に100個は配っており、近年も数十個配っています。 夏用寝袋では冬の野宿には役に立たないので、定価5,000円ぐらいのものを毎年買っています。 また、野宿者ネットワークが在庫に置いている寝袋は、2011年の東日本大震災のときは仙台の夜まわり団体に、今年の熊本地震のときは熊本の支援団体にそれぞれありったけの数十個、郵送しました。 どちらもまだ寒い時期の被災だったので、車中泊の人や野宿の人たちのために使ってもらえたようです。 副賞はこの寝袋代などに使っています。 11月の授賞式では、以前に講演に呼んでいただいた「反貧困ネットワーク広島」、2011年に泊まり込みでボランティアに行った「仙台ワンファミリー」の人たちも受賞で来ておられ、いろいろお話ししました。 また、神戸の女性シェルターネットの方や、沖縄で夜間中学を運営されている方、大阪で生活困窮者レスキュー事業に関わっておられる方もおられ、いろいろな情報交換でき、たいへん有意義な機会になりました。 いま、釜ヶ崎では仕事がなくなり、行政の窓口が閉じる年末年始を迎え、「一人の餓死・凍死者も出すな! 」を合言葉とする越冬闘争が始まろうとしています。 大晦日に夜まわりを行ない、元日は西成公園で野宿している人たちとの食事会を行ないます。 厳しい状況が続く中、今後もできる限りの活動を続けていきたいと思っています。

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