よんでいるむねのどこか。 ゆあさんの投稿/歴史の宿金具屋 | ことりっぷ

木村弓 いつも何度でも 歌詞

よんでいるむねのどこか

太田君がボランティアできていた。 子どもたちは、太田君と折り紙を切ったり、ダンボールでお部屋をつくって遊んでいた。 太田君の保育の流れはとても自然でよい。 私は彼に合うたびに感心して眺めていたのである。 子どもたちは、自分だけのお部屋に入ったり、みんなで大きいお部屋に入ったりしながら遊んでいた。 突然ダンボールの自分のお部屋に入っている子どもたちが、両手を合わせ、唱え始めた。 「ナム、アーメン」「ナム、アーメン」……… 子どもたちは何を無意識で意識していたのだろう。 宗教につながる自分の感情……、仏教とキリスト教につながる感情……が、無意識に登ってきたのであろう。 ひとりのお部屋にいるときは、「自分」を強く感じ、みんなといっしょにお部屋にいるときは、「みんな」を感じるのである。 お部屋遊びの後、Bが近寄ってきたので、「まめっちょ」を始めた。 まめっちょ まめっちょ いったまめ ぽりぽり いんねえまめ なまぐせ すずめらがまわっから おれらもまわりましょ Aが寄ってくる。 Dも手をつないでくる。 Fも手をつないでくる。 「まめっちょからすずめらがまわっから」までは手をつないで手をふり、「おれらもまわりましょ」でくるっと一回転した。 ついで、「いちばちとまった」をした。 B、A、D、F、G、が参加してきた。 わらべうた遊びの後でライヤーを取り出した。 A、B、G、C、E、D、F、がかわるがわる触った。 写真のように、指を伸ばし、滑らせてグリッサンドすることが上手になった。 子どもたちは繰り返しライヤーの振動を味わっていた。 わらべうた遊びではなかなか参加しにくいCとEがライヤーには触りに来る。 私は、C、E、Gが他の子どもたちの気持ちを聴けるようになるためには、ライヤーに触ることでゆっくりした呼吸を教えることが効果があるのではないかと思っている。 男の子は特に、自分の思考が響いてしまうと、自分の思いがつのり、他の子どもたちや職員の気持ちが聴こえなくなってしまう。 コミュニケーションの基本である会話は、ゆっくりと相手の感情の一区切りを聴き、それに対する自分の感情がまとまったらゆっくりと話す、ということの繰り返しなのである。 Fを抱っこして「いつも何度でも」の歌を歌いながらオィリュトミーしてみた。 よんでいるむねの どこかおくで いつも こころおどる ゆめをみたい かなしみは かぞえきれないけど そのむこうできっと あなたにあえる 「これは、Fのうたなの。 せんせいといっしょに『千と千尋の神隠し』のえいがをみてきたんだよ。 」 抱っこしながら歌い踊っていると、Fはぺたっとからだを預けてきた。 Fが終わると、AとBが手を差し伸べて待っていた。 AとBが終わると、Dが待っていた。 2. 午後は、年中児と学童の子どもたちに『かも』の彫塑を教えた。 知恵遅れのあるU(写真左)がこれほどしっかり針金にたこいとを巻きつけられたことは、意識の統合性の回復が相当進んでいることを現している。 R(写真中)はとてもうれしそうな顔をしていた。 T(写真右から2番目)は、しっかりと腰を入れて粘土をこねることができる。 Z(写真右はし)は、腰を入れて粘土をこねることがまだ不十分である。 L(年中) 力強い。 K(年中) 優雅でやさしい。 M(年中) 力強く構造的である。 S(年長) 構造を感覚しようとしている。 R(年長) 美しく構造的である。 O(年長) 構造を感覚しようとしている。 U(1年生) 構造を認識している。 T(1年生) 美しい。 構造を感覚しようとしている。 Z(1年生) 構造を感覚しようとしている。 V(1年生) 美しい。 構造を感覚しようとしている。 5M(5年生) 優雅である。 力強く、構造的である。 6M(6年生) 美しい。 構造を感覚しようとしている。 6Mは、はじめて私に教わった。 「ぼくは、図工は5なんだよ」 とはなす6Mにたいして、わたしは、芯への粘土の巻きつけ方や、粘土の盛り上げ方、を少しずつ、彼のプライドを傷つけないように教えていった。 彼は、「白鳥を作りたい」といい、彼の頭の中のイメージに作品を近づけようと努力していた。 わたしは、彼のしたいことのヒントを与えることに徹していた。 3. 夕食後、幼児たちは岸田さんと一緒にテレビの前のカーペットで遊んでいた。 Gのうえに岸田さんが乗り、そのうえにC、そのうえにB、そのうえにF……、重なってはころがり、重なってはころがり…… 子どもたちはとても嬉しそうであった。 いちばん下になっていたGは、とても力強く見えた。 4. 食後、7:30から恒例となった男子学童といっしょの入浴。 裸のまま、Uをおんぶして、「クリスマスがやってくる」「そらをみてたら」「ねこのおいしゃさん」を歌いながら踊る。 8:00から食堂でライヤーを弾き、ピアノを弾き、歌った。 Uが一番最初に来た。 「これやりたい」ライヤーをゆびさす。 わたしは、Uにライヤーを持たせ、 グリッサンドをさせ、一音ずつ弾くことを教えた。 5M、U、2J、Z、2S(2年生)、6M(6年生)、といったメンバーが集まってきた。 ピアノで「いつも何度でも」(千と千尋の神隠し)のテーマを弾き歌い始めたら、伊藤先生に「今、38度の熱を出している子がいますので」と止められた。 「だれがねつをだしているの?」とたずねると、5Mが部屋に調べにいってくれた。 「Vがねつをだしているんだって。 」 「それじゃあ、そっとちいさなおとでできるものをやろう」 2J(2年生)、2S(2年生)、2S(2年生)、5M(5年生)を抱っこし、ライヤーを持たせ、グリッサンドと、一音ずつ弾くことを教えた。 「記念に、ツーショットを撮っておくか。 」 写真はこのときのものである。 2Jは7弦のペンタトンライヤーも「触らせて」といい、 「『たんぽぽ』は、どうやって弾くの」とたずねてきた。 彼に「ラソソラソソ、ミソララソラララ」「タンポポ タンポポ むこうやまへとんでけ」と教えると、なんども繰り返し練習し、「できたあ!」と喜んでいた。 6M(6年生)は、ずっと側でゲームをしていた。 8時半には、「一年生は寝る時間ですから」と、伊藤先生がむかえにこられた。 ひとりずつ子どもたちがいなくなり、5Mが残ったので、わたしは、彼に、 「せんせいといっしょに弾こうか」といった。 5Mに35弦ライヤーを持たせ、わたしが7弦のペンタトンライヤーを持ち、 まずわたしが、一音を弾く。 ……「どうぞ」 5Mが、一音を弾く。 …… ゆっくりと、音による対話がつづきはじめた。 それは、じつに美しい音楽であった。 9時にまた、Uがやってきた。 「ひかせて……」 「いちねんせいはねるじかんがとっくにすぎているよ。 ……」 「……でも、とくべつにね……」 Uは、なんどもグリッサンドを続けていた。 Uは,迎えにきた職員に連れられて帰っていった。 5. 幼児の職員室へ戻ると、宿直の三瀬さんがいた。 「今日は男の子たちにライヤーを教えて楽しかったですよ。 2Jは『たんぽぽ』を小さいライヤーで弾いてね、よろこんでたよ。 5Mくんとは、このまえ三瀬さんとしましたライヤーでの対話の即興演奏ができてね、……うれしかった……」 「それはよかったですね」 「でも、なんとなく学童の職員の様子がおかしいんですよね。 午後、学童の子どもたちと『かも』をつくって、伊藤さんに報告しようと職員室に行ったら、伊藤さんは子ども達の宿題に追われていてわたしの相手なんかしていられる状態じゃあないんだね。 夜もね、『38度で寝ている子がいますので』といわれてしまって、…… 僕は男子学童の運営に悪いことをしてしまっているんじゃないかと思って胸がきゅっとしてしまってね…… Vが熱だと分かったので、『Vがわたしのところにきたがっていたんだな』とは推察できたんですが…… 何かあったの?」 「Uが昨日まんびきしたんです。 今日お店に職員と誤りに行く約束だったんですが……」 「ああ、それで昼間、なんども『あなたはやることがあるでしょう』といわれていたんだ。 」 わたしは、先ほどとった写真をパソコンに写してみた。 ライヤーを弾くUの表情は、目が泳いでいた。 ああ、かわいそうに……彼は、何度も自分の罪を自分で自分自身に繰り返し責めたに違いない。 Uは、今日4度私のところに来た。 …………ただ……慰められることを求めて…… 「もしTが万引きしたら、三瀬さんはどうしますか?それがUだったら?」 「Tだったら、自分の愛情をぶつけて全力で叱ります。 Uだったら、じっと抱きしめます。 」 「それが正解です。 その子のコミュニケーション障害に応じて対応をわけなければならないね。 TやBやFのようにADHD・前頭葉の微細障害をおこしやすいタイプの子どもは、自分や友達の世間の仕組みへの反感で犯罪行為をしてしまうところがあってね、そのような場合には、『世間様に迷惑をかけるようならば、あなたを殺してお母さんも死にます。 』くらいの激しい愛情で叱ると、本人が本然と我に帰るね。 愛情がほとばしったのならば叩いてもいい。 UやDやCのようにぐるぐる循環する思考を起し意識の中枢の統合性がくずれやすい(分裂病を起こしやすい)タイプの子どもは、やってみる(経験してみる)ために犯罪行為をしてしまうところがあってね、この場合には、一度いって聞かせたら、だまってじっと抱きしめて、本人の気持ちが治まり自分で行動を起こすまでゆっくり時間をかけて待っている必要があるんだ。 口やかましくいうとね、彼らは自分で自分を追い込んでしまうからね。 」 6. 6日朝7時30分に幼児の部屋へ行く。 幼児たちはげんきだ。 Gのパジャマを脱がせ、脱いだシャツで乾布摩擦をする。 「せんぞうやまんぞう おふねはぎっちらこ ぎっちらぎっちらこげば みなとがみえる えびすかだいこくか こちゃふくのかみよ」 歌いながら彼の皮膚をこする。 アトピーで彼の胴の皮膚はすべてざらざらしていた。 「かきかきして」 肘の内側、膝の内側がアトピーで真っ赤になっている。 「Gのアトピーの最終的な対策は、綿の布の乾布摩擦しかないね。 アトピーは全員の子どもが持っているから、こうやって寝起きの乾布摩擦がいちばんいいのさ。 」 「Bもやって……」 Bも着替えさせ、乾布摩擦をする。 Bのおなかはまだ固い。 「鬱病ッけのある子どもはお腹が固いんだよ。 Bがときどき『おなかがいたい』っていうのは鬱病っけのせいだね。 おなかをよくもんであげることだね。 」 「うう……」 Aが自分も着替えさせてといっていた。 7. 年中さんたちが幼稚園に行ったあと、幼児たちとかもさんの色塗りをした。 「あかドン、きいろドン、あおトン…… まぜまぜして……ちゃいろになったかな? じゃあ、かもさんのからだぜんたいに、ちゃいろをぬってあげよう」 ベースになるちゃいろを塗ったら、藍色と赤と黄色を等量に混ぜ黒を作りめだまを入れる。 赤と黄色と青と白を水を少なくべとべとに混ぜもう一度羽を描く。 完成した作品へのコメントは今回はよそう。 自分の作品を持った子ども達の表情が全てをあらわしている。 かもを持ったEの顔がじつにしっかりしている。 Dの顔も、やっと目がパッチリして美人になってきた。 広義のリューマチがやっと治ってきて意識の統合性がしっかりしてきたからである。 8. Fが「千と千尋を歌って」といってきた。 わたしは「いつも何度でも」の歌を歌いながらオィリュトミーした。 よんでいるむねの どこかおくで いつも こころおどる ゆめをみたい かなしみは かぞえきれないけど そのむこうできっと あなたにあえる くりかえす あやまちの そのたび ひとは ただ あおいそらの あおさをしる はてしなく みちは つづいてみえるけど このりょうては ひかりをいだける さよならのときの しずかなむね ゼロになるからだが みみをすませる いきているふしぎ しんでいくふしぎ はなも かぜも まちも みんなおなじ 自分の自我を実現しようと意識でがんばるから、自分と他者を傷つけてしまう。 しかし、その繰り返しの経験のかなたでしか、主・あなたに会うことができない。 ほんとうに素直になり無我になったときに、自分が出会っている他者の本当の気持ちも歪んだ気持ちも分かる瞬間が起きる。 それは、自分が光の中を歩んだ瞬間である。 Fは、わたしのからだにぴったりとからだを預け、4回、5回と繰り返しねだった。 彼女が満足したあと、うえの写真を撮った。 D、B、A、が「千と千尋をうたって」ともとめてきた。 Aは回らぬ舌でいっしょにうたっていた。 昼食を食べてから、恩寵園を後にした。 園庭に出てみると、梅がもう咲いていた。 2002年2月11日 千葉義行.

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与えすぎてたし、力を貸しすぎていた|谷中みか (utena.m.f)|note

よんでいるむねのどこか

この世界背景で、オンラインのレッスンで、まあ、思うようにレッスンははかどらない。 でも、いや、むしろこのほうが良いのだ、と思う発見もいくつもあります。 Yくんは自分がやってみたい曲ということで、「いつも何度でも」を練習中。 楽譜ははほとんど頼らず、ほとんど耳コピでやっていて、それに、私がかんたんな伴奏を後から付け足していっている、という方法。 でも、いつもメロディがこんがらがって、色んな所へ飛んでしまいます。 なんでかなー、ここもう何週もそんな感じで、先へ進めなかったのでしたが、その理由がこの前のレッスンのときに判明。 メロディラインをちゃんと追っかけてほしくて、歌ってみようか、と言うと、どうも歌自体が漠然としたイメージだけで、ピアノでの演奏と全く同じように間違ってこんがらがって、出口ない状態だったのでした。 本人も気がついた様子。 楽譜いらないから、一つ一つ歌詞を書き取っていこうか、ということになって、パソコンのあっちとこっちで、お互い白紙に歌の文句を書き始めました。 文字をかきながら、ゆっくりゆっくり、思い出しながら、忘れたとこだけ、歌詞を見て、タイムラグも気にならないくらいにゆっくりと声を揃えて一緒に歌いながら。 よんでいる むねの どこかおくで、 いつも こころ おどるゆめをみたい PCの向こうで気配が変わっていくのを感じました。 集中してる。 知らなかったんやね、歌。 知りたかったんやね。 スポンジに吸い込むように歌詞が広がっていく。 詩と、メロディが、つながっていく。 彼の歌はしょっちゅう転調するけど私も彼に合わせて転調します。 彼が読み取ろうとしてるものを互いのあいだにひきだしてくるようにして。 かなしみは数え切れないけれど その むこうで きっと あなたに あえる というところで、 私達みたいやね、と言うと、向こうで、Yくんが、 うん。 と言いました。 あやまちってなに? と尋ねると、まちがってやったこと、と。 そか、繰り返すんやね、何回も。 青は2回でてくるね。 彼は今とても必要としていたものに出会っている、と思うと、胸が熱くなってきて、泣きそうになりましたけど、我慢。 そうして、一番の最後までをゆっくりと書き取り。 ユーチューブで見といてね。 ちゃんとメロディ聞き直してみー。 と、言って終わり。 いいレッスンでした。 こんなレッスンがしたいとおもっていた、と思いました。 そして、 いつものレッスンが多くを先に与えてしまっていることに気付かされたのです。 きっといつもの手が届くレッスンだったら、楽譜をきちんと読ませて、間違いを正して、きれいに直ってよかったよかった、だったかも。 歌詞だって、プリントアウトして読むだけでは、こんなふうに深いところで読み合うことはできなかったかも。 子どもはいつも何かを欲しています。 それを、大人は、与えすぎて、「自分の手で掴む」ことを忘れさせてしまう。 与えすぎてたし、力を貸しすぎていた。 このレッスンは私のなかでなにか大事な鍵になってくる気がします。 *** 音楽室の前のアンジェラ、というバラが盛りでした。 もう終わりかな。

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いつも何度でも

よんでいるむねのどこか

この世界背景で、オンラインのレッスンで、まあ、思うようにレッスンははかどらない。 でも、いや、むしろこのほうが良いのだ、と思う発見もいくつもあります。 Yくんは自分がやってみたい曲ということで、「いつも何度でも」を練習中。 楽譜ははほとんど頼らず、ほとんど耳コピでやっていて、それに、私がかんたんな伴奏を後から付け足していっている、という方法。 でも、いつもメロディがこんがらがって、色んな所へ飛んでしまいます。 なんでかなー、ここもう何週もそんな感じで、先へ進めなかったのでしたが、その理由がこの前のレッスンのときに判明。 メロディラインをちゃんと追っかけてほしくて、歌ってみようか、と言うと、どうも歌自体が漠然としたイメージだけで、ピアノでの演奏と全く同じように間違ってこんがらがって、出口ない状態だったのでした。 本人も気がついた様子。 楽譜いらないから、一つ一つ歌詞を書き取っていこうか、ということになって、パソコンのあっちとこっちで、お互い白紙に歌の文句を書き始めました。 文字をかきながら、ゆっくりゆっくり、思い出しながら、忘れたとこだけ、歌詞を見て、タイムラグも気にならないくらいにゆっくりと声を揃えて一緒に歌いながら。 よんでいる むねの どこかおくで、 いつも こころ おどるゆめをみたい PCの向こうで気配が変わっていくのを感じました。 集中してる。 知らなかったんやね、歌。 知りたかったんやね。 スポンジに吸い込むように歌詞が広がっていく。 詩と、メロディが、つながっていく。 彼の歌はしょっちゅう転調するけど私も彼に合わせて転調します。 彼が読み取ろうとしてるものを互いのあいだにひきだしてくるようにして。 かなしみは数え切れないけれど その むこうで きっと あなたに あえる というところで、 私達みたいやね、と言うと、向こうで、Yくんが、 うん。 と言いました。 あやまちってなに? と尋ねると、まちがってやったこと、と。 そか、繰り返すんやね、何回も。 青は2回でてくるね。 彼は今とても必要としていたものに出会っている、と思うと、胸が熱くなってきて、泣きそうになりましたけど、我慢。 そうして、一番の最後までをゆっくりと書き取り。 ユーチューブで見といてね。 ちゃんとメロディ聞き直してみー。 と、言って終わり。 いいレッスンでした。 こんなレッスンがしたいとおもっていた、と思いました。 そして、 いつものレッスンが多くを先に与えてしまっていることに気付かされたのです。 きっといつもの手が届くレッスンだったら、楽譜をきちんと読ませて、間違いを正して、きれいに直ってよかったよかった、だったかも。 歌詞だって、プリントアウトして読むだけでは、こんなふうに深いところで読み合うことはできなかったかも。 子どもはいつも何かを欲しています。 それを、大人は、与えすぎて、「自分の手で掴む」ことを忘れさせてしまう。 与えすぎてたし、力を貸しすぎていた。 このレッスンは私のなかでなにか大事な鍵になってくる気がします。 *** 音楽室の前のアンジェラ、というバラが盛りでした。 もう終わりかな。

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