かごめ の 歌 意味。 かごめかごめ

「かごめかごめ」の真相にせまる Part I ヘブライ語で書かれていた「カゴメの歌」

かごめ の 歌 意味

「私の肉体には魂が宿っていない」と 「私の肉体には魂が宿っている」の続編だが、 『人間は「魂」「霊体」「幽体」「肉体」の四重構造になっている ということで、肉体に魂が宿っているというのも一応は事実』 だと書いたが、オコツトのメッセンジャー半田広宣氏によると、 肉体に魂が宿っているという観念は、 自我を生み出している「人間型ゲシュタルト」だという。 私も、その通りだと思う。 魂が肉体に宿っているという観念を持っている限り、 魂を解放することはできず、 自他分離意識を克服することもできないのだ。 いや、私の場合は、魂が解放されたことによって 「魂が肉体に宿っている」という感覚が希薄になったのだが、 真我覚醒の為には「魂が肉体に宿っている」という観念を捨てた方が良い。 「かごめ歌」が阪神大震災の予言だったことは間違いないと思われるが、 当然ながら霊的な意味も含まれている。 阪神大震災とかごめ歌 封印が解かれる事を「岩戸開き」というが、 阪神大震災はその第1弾だった。 また、『日月神示』には次のように示されている。 「この神に鳥居と注連縄は要らんぞ」 神社は人体の投影、象徴のようなものである。 かごめ歌の「籠の中の鳥」とは、肉体に閉じ込められた魂のことだろう。 閉じ込められているというよりも、 「肉体に魂が宿っている」という観念といった方が良いかも知れない。 そして、「後ろの正面」には、 背後霊ならぬ真我(魂)があるということなのだろうか……。 籠目は「六芒星」で、 鳥は古代から人間の「霊性」のシンボルだったという。 つまり、「籠の中の鳥」は、 「六芒星的世界に閉じ込められた人間の霊性」を意味するという。 だが、六芒星ではなく「六角形」と言った方が良いだろう。 六芒星を折り畳むと六角形になる通り、 六角形を開くことで六芒星(陰陽合一)となるからだ。 「夜明けの晩」は1日の円環的つなぎ目で、 「宇宙の円環的な性質」を物語っているという。 つまり、夜明けの晩は宇宙の破壊期(終末)である現在にあたる。 「鶴」は女性原理の象徴、「亀」は男性原理の象徴で、 これが「すべる(統べる)」とは「陰陽の統合」を意味する。 つまり、「光と闇」「善と悪」などの一元回帰と換言する事が出来る。 「うしろの正面」について、半田はこのように述べている。 「わたしたちが常に背中側に感じている暗闇の意識空間……。 そこには何と、真向かいにいる他者が見ている世界が存在しているのだ。 つまり、わたしたちの背後には、 いわゆる3次元的な意味での後ろ側の空間など存在していないのである。 その意味からすれば、うしろの正面とは、 他者が見ているわたし自身に他ならない。 自己と他者とは進化の方向へ反転した空間においては 背中と背中がくっつき合った同一のアダムなのである。 そして、このことを発見することが、 かごの中の鳥を真の自由空間へ飛翔させるのだ」 「かごめ歌」は色々な解釈がされていて、 半田氏の解釈も1つの仮説に過ぎないが、的を得ていると思う。 当時は左脳で理論的に理解していたが、 今は右脳で感覚的に感じていることである。 半田氏の「かごめ歌」の解釈は、私の真我覚醒の経緯と一致している。 夜明けの晩、すなわち、宇宙周期の破壊期(終末)とは、 「ガイアの法則」的には阪神大震災が幕開けだったことになるが、 オコツトによると2013年から「覚醒期」がスタートしたという。 厳密に言えば、マヤ暦が終わった翌日の2012年12月23日(日本時間) だと言えると思うが、それ移行、進化の方向性に向かっている人間は、 人間型ゲシュタルトが破壊されて「変換人」になるという。 その後、意識進化が進んで覚醒し、「真実の人間(神)」になるという。 オコツトによると、変換人になった人々は、2037に「入神」するという。 そして、生きながら死後の世界に入って不死となるそうなので、 この「入神」というのがアセンションではないかと思っている。 私は覚醒期が始まる3年前に「覚醒」したが、 オコツトによると、覚醒期に入らなければ覚醒しないそうで、 釈迦やイエスも覚醒していなかったという。 私は真我覚醒をしたと自称しているが、 それは釈迦やイエスのレベルかそれ以下であろう。 だが、人間型ゲシュタルトの破壊が進み、 2010年の時点で「変換人」の意識に突入したことは確かである。 従来の世界で、それは一応「真我覚醒」と言って良いものだと思うが、 真の意味での覚醒には至っていないということである。 覚醒とは「目覚める」という意味で、 真我の覚醒とは「現実という名の夢」から覚めることである。 人間が「現実」と呼ぶこの世界は夢のようなもので、 自我で生きている人々は、 この世を夢だとは気づかずに夢を見ているようなものである。 覚醒に近づいてくると明晰夢となり、今までのことが夢だったと気づき、 「夢を見ている」ということを自覚しながら夢を見ている状態となる。 もちろん、夢の中の自分は単なる映像で、 夢を見ている自分が「本当の自分」だと認識できる状態である。 もちろん、夢のストーリーや夢の中の全ての登場人物は、 自分が映し出していることを自覚している意識状態である。 真我の覚醒もそれと同じで、 この世に生きていることが夢のようなものだったということが分かり、 意識の主体が真我(魂)にシフトして、 人生のストーリーも他者も全ては自分が映し出していることが分かる。 だが、それは「半覚醒」と呼ぶべきで、 完全に覚醒すると、この世から自分が消滅することになる。 いや、自分が映し出していた「この世」そのものが消滅してしまうのだ。 それが「アセンション」だと私は解釈している。 「覚醒するとこの世が消滅する」というと首を傾げる人も多いと思うが、 夢から覚めると夢の世界が消滅することを思えば理解できるだろう。 理解し辛いかも知れないが、例えば、Aという人物が覚醒したとすると、 Aが生きていた「この世」は消滅するのである。 だが、A以外の人々が生きている「この世」が消滅することはなく、 A以外の人々が生きている「この世」からAが消滅して見えることになる。 過去にも何度か詳述しているが、人間が「この世」と認識している世界は、 人間である自分が投影しているバーチャル・リアリティである。 すなわち、誰一人として同じ世界(宇宙)には生きておらず、 自分が生きている「この世」は、自分が生まれた時に誕生したものであり、 死と共に消滅するのである。 従って、「自分の世界」に於いては、 自分の両親でさえも自分が生まれた瞬間に誕生したものであり、 自分が映し出しているものなのだ。 精神科でこのような話をすると「精神障害」と診断されかねないが、 これが私が認識する本質的な世界観である。 私から言わせると、それを「精神障害」と診断する精神科医こそ、 「意識レベルの発達障害」と言わざるを得ないが、 それも自分が映し出しているということになるので、 ひたすら謝罪をする必要があるということである。 また、私はある人に「発達障害」を疑われているが、 覚醒すると「発達障害」に思われても仕方がないことがあることは、 上記の説明を読めば分かるだろう。 だが、実際には発達障害などではなく、 発達障害であれば真我の覚醒は不可能である。 それでは話を戻して、話を進めていこう。 私の自叙伝『我が闘争』やこのブログの「初めての方へ」などにも書いているが、 私が半覚醒する少し前に「落雷事件」に匹敵する同様の事件が起きた。 落雷事件の約1年後の2010年の2月26日に起きた出来事なので、 私はそれを「獣の2・26事件」と呼んでいるが、 この時は深い眠りに就いていて、 夢も見ていなかったので何が起きたのか全く分からなかった。 だが、後の解釈により、 「ヨハネの黙示録」に登場する至福千年王国の首都 「新エルサレム」の霊的降臨だという結論に至った。 これは「鶴(女性原理の象徴)と亀(男性原理の象徴)の統合」 と言っても良い出来事である。 また、人間の中にはもともと「男性性」と「女性性」があるが、 私は陰陽を統合する瞑想もしていて性差というものを超越している。 厳霊と瑞霊の合体神を「伊都能売神」というので、 私は「伊都能売神」を名乗ったこともあるが、 それは決して的外れな見解ではないと思う。 また、私がずっと御札を祀っていた伊勢外宮の主祭神 「豊受大神」は、国常立尊と天照大神の合体神で、 やはり厳霊と瑞霊の合体神であると言える。 もちろん私は、神名を名乗って偉ぶったり、 自己顕示をするような気持ちは全くない。 私の記事を読むとそのようにしか見えないと思うが、 私の世界観を理解すれば、 私にそのような自我がないことが分かるはずである。 もし、私の記事を額面通りに読んで、 傲慢だとか自己顕示欲が強いと感じるなら、 それはその読者の投影である。 反キリ3のブログ説明にも書いているが、 今までたびたび念押しに書いてきた通り、 私の文章の書き方は「ルシファー」と「反キリスト」の代名詞でもある 「傲慢」なキャラを演じているだけであり、 それによって読者の自我をポアする目的もあることをご理解頂きたい。 また、ピラミッドの謎を解明するキッカケとなったのは、 「マイ・ミュート・アーテ」と思われる女神の霊夢による啓示だが、 その解明に取り組んでいる頃、 聖母の誘いで「古墳の火祭り」に行くことになった。 実は、それも黄金太陽と深い関係があり、 私にとっては真我覚醒に至る為に用意されたイベントだった。 「円環の愛、スパスシフィカは承認終了。 炎の熱さと暖かさの故に、回転を始める。 スパスシフィカは太古よりの言い伝え。 また、松明を持った人たちが回転する儀式が行われたが、 それはまさに「炎の円環運動」だった。 これだけなら、偶然やこじつけで片付けることも出来るが、 アリオンは次のようにも言っている。 「炎の熱さと暖かさの故に、回転を始める」とのことだが、 火祭りに行ったことによって私の黄金太陽(霊と肉)が回転を始めたようで、 「左右反転」の認識が始まったのはその頃だった。 また、アリオンは黄金太陽について、こう言っている。 従って、三途の川を渡った霊界が「彼岸」だと思っている人が 多いと思うが、残念ながらそうではない。 此岸は煩悩にまみれた世界であり、 悟りの世界である彼岸に至る為に、 煩悩を川で洗い流すというのである。 『般若心経』は「色即是空」の悟りを説いたものだが、 その最後に次のようにある。 ギャーティ ギャーティ(往ける者よ 往ける者よ) ハラ ギャーティ(彼岸に往ける者よ) ハラ ソウ ギャーティ(彼岸に全く往ける者よ) ボウジ ソワカ(悟れよ 幸あれ) 要するに、彼岸とは5次元世界のことだが、 彼岸は「涅槃」とも同義語である。 但し、「彼岸=涅槃」ではない。 涅槃はあくまでも5次元での1つの形態であり、 幸福や歓喜という感情・感覚もない状態である。 要するに、「此岸」は人間界だけではなく、 「六道輪廻の世界」と言えるのだが、 もっと単純に「此岸=3次元・4次元」 「彼岸=5次元」と言って良いだろう。 もちろん、4次元と5次元の間に実際に川が存在するわけではない。 隈本確は、その川のことを「火の壁」と表現している。 スウェデンボルグがいう「最上の天国」のことを、 隈本確は「聖天界」と呼んでいるが、 その上に「天命界」という超神霊の世界があるという。 「天命界とは、霊界で一番上の段階であり、 聖天界まで向上してきた神霊といえども、 容易に入ることのできない世界です。 聖天界と天命界の間には、火の壁といわれる関門が厳然と存在し、 この火の壁を通過し得るのは、神霊のうちでも、 ごく少数のものに限られているのです。 天命界に住む神霊は単なる神霊を超えた、超神霊とよばれる存在です。 読者の皆様は、ちょっとびっくりされるかもしれませんが、 この天命界に存在される超神霊のほとんどは、 地球以外の他宇宙天体で発生されています。 しかも、発生年は五億年前、十億年前、二十億年前といった具合で、 私たち地球人類の知恵や常識では、考えもつかないほどの超古代です。 現在の私は、長年にわたる毎日の霊界探訪の努力が実を結んで、 この天命界へも行くことができるようになっています」 宇宙は5000億光年らしいが、 それはともかくの「火の壁」の概念 スウェデンボルグが探訪した「最上の天国」までは地球霊界だが、 それを超えた天命界の超神霊は、他の天体から発生した生命体が多いという。 天命界をフォーカス35(5次元)とするなら、 モンロー研究所のヘミシンクの体験者たちの話と一致する。 もちろん、実際に「火の壁」が存在するわけではないが、 5次元の世界に入る為の関門のようなものである。 その関門とは、私の場合は「ピラミッドの謎」の解明だった。 アートライン・プロジェクトは次のように述べている。 「預言解読を志す者は、アリオンが用いている象徴体系や レトリックを読み解くために、様々な文献を調べたり、 あるいは直観力を磨いたりしなければならない。 それが解読者自身の成長につながり、 解読者が成長するごとにより深みのある解読が可能になってゆく。 そして、解読者の成長にしたがって、 新たなメッセージやヒントが与えられていくようだ。 すなわち、神々の智慧をわかろうとする努力の中に人間の学びがあるのだ。 神から智慧を直接与えられたとしても、それは決して人間の血肉にならない」 つまり、私の場合、「ピラミッドの謎」の解明は、 5次元世界への入学試験だったわけである。 5次元意識に到達する人の全てが、 私と同じような体験をするかどうかは分からない。 また、黄金太陽を構築する為に、 私に起きた「落雷事件」や「2・26事件」のような 特殊な体験をするとは限らない。 それにしても、隈本確の「火の壁」という表現はナイスだと思う。 「霊的」すなわち「霊の性質を帯びている」ということは、 逆に言えば「霊そのものではない」とも言えるのではないだろうか。 「霊的なる者」の「なる」という部分も気になってくる。 「なる」という音には、 「成る」「生る」「鳴る」などの漢字を当てはめることができる。 「霊的成る者」だとすれば「これから霊的なステージに移行していく者」 という意味に受け取れるし、「霊的為る者」だとすれば 「地上において霊的なことを為してゆく者」という解釈も成り立つ。 どちらの意味であっても、私とピッタリな言葉である。 黄金太陽は最終的にマカバ(かごめ)となるが、 それこそが真の覚醒(アセンション)だと考えられる。 しかも、「新エルサレム」は太陽の大気圏を公転する 超巨大階段ピラミッドらしいが、上記のことを裏づけるような話がある。 ホピ族には「大地の母」と呼ばれる 四角い迷路のような幾何学的デザインのシンボルがある。 この図形はマヤ・アステカ文明が築いた階段ピラミッドを、 上空から見た図だと飛鳥昭雄氏は指摘。 その図形には「ホピの鉤十字」が合わさって描かれている。 ホピ族の伝承によると、「ホピ族の鉤十字」は太陽を意味し、 それが天から現れた時に世界が赤く燃え上がるという。 飛鳥説によれば、その太陽の力を持つ存在が階段ピラミッドのシンボルなら、 太陽と同じプラズマの力で飛翔する階段ピラミッドが存在する事になるという。 イエス・キリストの神殿「天空の城ラピュタ」の正体 さて、黄金太陽を形成した私は「陰陽」だけではなく、 「自他」「善悪」「生死」など、 あらゆる二元性を一元的に捉える感覚を獲得した。 そして、夜明けの晩に鶴と亀が統べった私は「うしろの正面」を発見した。 これも真我(魂)の覚醒による「意識の拡大」と言えるだろう。 古今東西、人間界が幻影であることを説いた聖者は存在するが、 「魂は肉体に宿っていない」ということを主張した奇人が、 どれだけいただろうか……。 つづく 今回のような記事は僕の頭では難し過ぎてポカーン…としてしまい、 霊的進化から置いてかれそうな気がしてちょっと不安になったりするのですが、 今までのZEROさんの記事を読む限り、またはメールなどで御指南いただいた内容を振り返る限り、 そういった不安こそ良くない気持ちの持ち方で、分からなくても各々がマイペースに浄化に取り組んでいればとりあえずは大丈夫なのだろう、と改めて思いました。 それから記事の中で >さて、黄金太陽を形成した私は「陰陽」だけではなく、「自他」「善悪」「生死」など、あらゆる二元性を一元的に捉える感覚を獲得した。 >私は「かごの中の鳥」を真の自由空間へ飛翔させることになり、 「魂は肉体に宿っていない」という感覚が生まれてきたのだった。 とありますが、 この「感覚」というのは 「理論」としてでしょうか? それとも「実感」などだったりするのでしょうか? 僕には知る必要は無い事かもしれませんが… Zeroさま、ごきげん、うるわしく!いつも本当にすごいなぁ・・と感心しています。 たしかに、ちと難解です。。 私も四次元、五次元の世界にとても憧れていました。 ペトル・ホボットさんのアマゾンワークを受けに行きたい、とも思ったこともあります。 ゲイリー・ボーネル主催の学校に入ろうかな、とかね。 私がずっとスピリチュアル世界を旅してきた結果、実感したことは、着実にこの3次元の現実世界を味わおうということでした。 空海は、優れたすばらしい能力のある人でしたが、彼はあまりにも4次元、5次元の世界へのこだわりのため、水銀を使って意識を飛ばし、宇宙へ意識を飛ばし神との一体を得ましたが、結局、水銀中毒で亡くなってゆかれました。 その彼の最期の言葉が「師と求めず道を求めよ」だったのです。 この言葉には彼の愛がたくさん、つまっています。 私たちはこの3次元で学ぶべきことが多々ありますが、この世界でしか学べないことも多々あるのです。 だからこそ、日々の小さな幸せや、やりたいと思ったことに何でもチャレンジしたり、人間の愛にふれたり、世界の闇と光をまっすぐな瞳で見たり、そういうことがとても大事なのだと思う、今日このころです。 以前の私は4次元、5次元を征服してやろうというエゴで生きていましたが、今はこの3次元を最大に生きようと、そう思えるようになりました。 世界は混沌としていますが、けして悲しいことが起きているわけではない、、それも、このスピリチュアルな世界を旅して、はじめて理解できたことでした。 善悪、光と影、失敗成功、そういうことを超えてゆこうと、とても新鮮に感じてる毎日です。 クワトロ・ワープさま、自分に能力がないと思う必要はありません。 すばらしい能力をもった人は、たくさんいますが、みなそれぞれの仕事と人生の課題を選択して生きてるだけなのです。 肉体がスマホで心臓が受信装置、インターネットが神と例えるなら、 なんちゅーか、魂は肉体にはなく、カゴメの鳥(心臓)の解放とは、受信装置が目覚めてネット(神・真我)に繋がることみたいに思われます。 笑 「カゴメ」の謎は、解けた!(拝借引用紹介) 越楠庭園 in 大阪 カゴメ考察が懐かしい。 笑 是非、天流れで閣下、総裁、将軍で、四天王寺のスパイラルの中心点に行きたいです〜! 笑 ちなみに、このタイミングにまたゴーカイジャーの宇宙最大のお宝の回が再放送で観れたのもシンクロです!何故なら、お宝と越楠祠の神紋がソックリ(三つ鱗紋=ピラミッド?!)だからです。 昨日のメールの通り、マイペースで良いですよ^^ 少なくとも、以前よりは状況は悪くなっていないと思います。 「感覚」は「理論」ではなく「実感」ですが、 まず「理論」を理解しておいた方が良いと思います。 でなければ、瞑想だけしていれば良い事になりますからね。 知る必要は無い事はないですが、今は理解できなくて当然です。 私も4年前には全く理解していなくて、 知識的に頭に入っていたようなことです。 理解しようと努力する必要もないですよ。 実践内容の詳細は、メールの通りでOKです。 できる範囲で取り組んでみて下さい^^ 神武の来た道さん、こんばんは。 空海…………そうだったんですか^^; で、神武の来た道さんの仰るとおりです。 その通りなのですが、 世の人々は現実に生きているようで生きていないので、 日々の小さな幸せに気づかず、やりたいことが分からないの現実です。 神武の来た道さんは満月瞑想で悟っているも同然なので、その言葉は正しいのですが、その真の意味が分からない人が多いのは事実です。

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童謡「かごめかごめ」の本当の意味が怖い

かごめ の 歌 意味

地元の小さな書店に雑誌を買いに入り、ふと見ると棚に童謡・唱歌のCD10組が980円で売っていました。 見ると「かごめ歌」が入っていましたので、なんとなく買って来ました。 買って来て、かごめ歌を聴くと、私が知っている歌詞とは一部が違っているのです。 ???。 通常知られている「かごめ」歌は かごめ かごめ 籠の中の鳥は いついつ出ある。 夜明けの晩に 鶴と亀がすべった。 後ろの正面 だあれ。 ところが、その歌詞は かごめ かごめ 籠の中の鳥は いついつ出ある。 夜明けの晩に 鶴と亀が出おうた。 後ろの正面 だあれ。 「すべった」と「出おうた」では、意味が完全に違って来るのです。 この「かごめ」歌は、神霊世界に関わっている方でしたら異口同音に 予言歌であると言われるかと思います。 無論、最近のスピリチュアルではそうしたことすら言わないと思いますが。 私が子供の頃に臨んだ声は、【旧約聖書は私の書ではあるが秘め書であって、その意味は解読しないと解らない様にしてある。 私の教えは、この日本の昔話や民話、そして「わらべ」歌などにいれてある。 一番重要なわらべ歌は「かごめ」歌であり、そこにこの神の仕組みがある。 】と告げられたしだいです。 だが、その意味は教えてはくださいませんでした。 常に自分で解読せよです。 この「かごめ」歌が大切な予言歌であるということは、精神世界に関わる方でしたら守護霊さんから告げられたと言われる方達も多々ありまして、そうした方達はその意味を解読しようとされているわけです。 かごめ かごめ の【カゴメ】はダビデの紋章のことであるはことは、ほぼ一致した見解のようです。 日本では、伊勢外宮の豊受神の神紋として知られています。 豊受の神が丹後の与謝宮から伊勢の外宮に迎えられるのですが、それまで鎮座されていた神社は元伊勢と言われる丹後一宮【籠神社】。 籠目(かごめ)の籠(こも)神社です。 だが、世間一般の方は、かごめ(籠目)徴を見ないから、違った解釈をされるわけです。 何故、六芒星が籠目なのかは 六芒星を組み合わせた籠の目を見れば解るでしょう。 その籠の中の鳥とは、【不死鳥という方もあれば、鳳凰とか火の鳥】という方もあります。 何れにしても、その鳥が「カゴ」から出れば、新しい時代がやって来ると言う予言歌とするわけです。 それが出るのは夜明けの晩(みろくの世の前)となるのです。 この辺は「かごめ歌」を予言歌と見る方は一致していると思います。 その前の「鶴と亀」がすべったが謎で、解釈がバラバラになったわけです。 御承知の様に、鶴は千年、亀は万年を意味します。 その鶴と亀が滑った(すべった)では、今の世が終わることを意味します。 それに対して、それは「滑った」ではなくて、「統べった、すべったに変化したのであって、鶴(千年)と亀(万年)が統べったで統一されるという意味であるとの説があるわけです。 この統一とは、統原(高天原を統一する)であり、すばる(統原)としますので、星で言えば【昴(すばる)】とするわけです。 スピで言うならば昴星(プレアデス星団)となるのです。 別名「スマル」とも言います。 〇の中に黒点を打って、〇に「ス」とか「マルス」とも言えるわけです。 現在の地上神界の高天原は統一などされた状態ではない為に、世界の宗教がその教えで覇権を争い収拾がつかなくなっているわけです。 後ろの正面とは、当然に【鬼】で、鬼で表現されるのは【国常立尊】様となるわけです。 創造神です。 ところが【鶴と亀が出あった】となると、意味がガラリと変わるのです。 鶴はイエスで説かれた聖書の「千年王国」。 亀は龍宮の乙姫で説ける「万年王国」を意味して来ます。 すると、イエスと龍宮の乙姫様が出会われたのかとなりますが、この千年王国の方はイエスではなくて、大本教の演技で世に出された【日之出神】のことなのです。 大本教では出口王仁三郎聖師さんの実娘であるところの三代教主出口直日(直日と名乗る前はあさの)さんを龍宮の乙姫として、その娘婿である方の日出麿さんを日之出神としたわけです。 だが、これがニセ者で、霊界物語第十三巻の信天翁に、 いま大本にあらはれた 変性女子はニセものだ まことの女子が現はれて やがて尻尾が見えるだろ 女子の身魂を立直し 根本改造せなくては 誠の道はいつまでも 開く由しなしさればとて それに優りし候補者を 物色しても見あたらぬ 時節を待ってゐたならば いづれ現はれ来たるだろ みのか尾張の国の中 変性女子が分かりたら モウ大本は駄目だらう 前途を見こして尻からげ 一足お先に参りませう 皆さまあとからゆっくりと 目がさめたなら出て来なよ 盲目千人のその中の 一人の目明きが気をつける なぞと慢神してござる 王仁はこの言聴くにつけ お気の毒にてたまらない こんな判らぬ奴ばかり 盲目ばかりがささやけり この歌を各自のことに誤解して 罪をかさぬる曲人もあり この女子とは、本当は【龍宮の乙姫】たる魂を持った女子のことなのです。 大本教三代教主である直日さんのことではないのです。 しかしながら、大本教神芝居の中で三代教主を「龍宮の乙姫」様とし、三代教主補の出口日出麿さんを「日之出神」とする神芝居は曲がりなりにも出せたのです。 こうしたことが大本教は予告編で、本番はこれからと言われるわけです。 この日出麿さんの最大の功績は、「九ラ式」を別の形で出せたことなのです。 日出麿さんにしても、日月神示の岡本天明さんにしても、二人とも出身地が【倉敷】なのです。 私は「みのか尾張」の国の中からで、国道41号線で九つ花が「九良式」であることを解きましたが、「倉敷」としても出せるわけです。 龍宮の乙姫様の相方の【日之出神】とは、伏見稲荷山などに行きますと、日之出神と書かれたお塚が多数ありますが、そうしたお塚に祭られている日之出神のことではないのです。 日之出神とは、単に通称名で新しい「日の出」の働きを言っているのであって、正式の神名ではないと思われます。 みろくの世における新しい「真性天照大御神」様に当たる存在を言うのでしょう。 なお、大本教で言っている龍宮の乙姫様とは、日本神話の「豊玉姫」とは別の存在です。 神界レベルでは、もっと高い存在です。 故、金井南龍師は「母なる神」の徴をもった存在で、神界の機密とも言われ居ます。 天橋立の籠神社と龍宮とがどう結びつくのかの指摘はあろうかと思いますが、舞鶴沖にあります冠島は国常立尊様の御引退場所とされており、この冠島に龍宮があるとされるわけです。 その龍宮の出先が籠神社であるとするわけです。 では、鶴と亀が出あったの「かごめ」歌を聴きたい方は。 これら全てを仕組んでおられる神は「国常立尊」様なので、後ろの正面は「鬼」と言います。 大本教神典では、日之出神と龍宮の乙姫様は夫婦としますが、すっきりとは揃わないとあります。 だが、「出おうた」でいいのであれば、おそらく出会っていると考えられます。 それを紐解く鍵は、「豊受」神にあるのです。 日本では単に「五穀の神」としての扱いだけなのですが、世界の神話を見ていけば、別の要素が出て来るからです。 私は「みろく世の人の命は一万年と出て来たのですが、では、どこまで続くのかが見当がつきませんでした。 日之出の神の鶴は1000年。 龍宮の乙姫の亀は万年で掛けると「1000万年」となります。 それならば永遠の世と言ってもいいでしょう。 世界をまたにかける神芝居が行われようとしているのです。 ただ、これらも言葉の仕組みの解説であって、現実にそうなるという話ではありません。 不思議な仕組みだと言うことです。 この内容がよければ、応援のクリックをお願いします。 selected entries• 6 recommend.

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童謡・「かごめかごめ」に隠された本当の意味とは(都市伝説)

かごめ の 歌 意味

「私の肉体には魂が宿っていない」と 「私の肉体には魂が宿っている」の続編だが、 『人間は「魂」「霊体」「幽体」「肉体」の四重構造になっている ということで、肉体に魂が宿っているというのも一応は事実』 だと書いたが、オコツトのメッセンジャー半田広宣氏によると、 肉体に魂が宿っているという観念は、 自我を生み出している「人間型ゲシュタルト」だという。 私も、その通りだと思う。 魂が肉体に宿っているという観念を持っている限り、 魂を解放することはできず、 自他分離意識を克服することもできないのだ。 いや、私の場合は、魂が解放されたことによって 「魂が肉体に宿っている」という感覚が希薄になったのだが、 真我覚醒の為には「魂が肉体に宿っている」という観念を捨てた方が良い。 「かごめ歌」が阪神大震災の予言だったことは間違いないと思われるが、 当然ながら霊的な意味も含まれている。 阪神大震災とかごめ歌 封印が解かれる事を「岩戸開き」というが、 阪神大震災はその第1弾だった。 また、『日月神示』には次のように示されている。 「この神に鳥居と注連縄は要らんぞ」 神社は人体の投影、象徴のようなものである。 かごめ歌の「籠の中の鳥」とは、肉体に閉じ込められた魂のことだろう。 閉じ込められているというよりも、 「肉体に魂が宿っている」という観念といった方が良いかも知れない。 そして、「後ろの正面」には、 背後霊ならぬ真我(魂)があるということなのだろうか……。 籠目は「六芒星」で、 鳥は古代から人間の「霊性」のシンボルだったという。 つまり、「籠の中の鳥」は、 「六芒星的世界に閉じ込められた人間の霊性」を意味するという。 だが、六芒星ではなく「六角形」と言った方が良いだろう。 六芒星を折り畳むと六角形になる通り、 六角形を開くことで六芒星(陰陽合一)となるからだ。 「夜明けの晩」は1日の円環的つなぎ目で、 「宇宙の円環的な性質」を物語っているという。 つまり、夜明けの晩は宇宙の破壊期(終末)である現在にあたる。 「鶴」は女性原理の象徴、「亀」は男性原理の象徴で、 これが「すべる(統べる)」とは「陰陽の統合」を意味する。 つまり、「光と闇」「善と悪」などの一元回帰と換言する事が出来る。 「うしろの正面」について、半田はこのように述べている。 「わたしたちが常に背中側に感じている暗闇の意識空間……。 そこには何と、真向かいにいる他者が見ている世界が存在しているのだ。 つまり、わたしたちの背後には、 いわゆる3次元的な意味での後ろ側の空間など存在していないのである。 その意味からすれば、うしろの正面とは、 他者が見ているわたし自身に他ならない。 自己と他者とは進化の方向へ反転した空間においては 背中と背中がくっつき合った同一のアダムなのである。 そして、このことを発見することが、 かごの中の鳥を真の自由空間へ飛翔させるのだ」 「かごめ歌」は色々な解釈がされていて、 半田氏の解釈も1つの仮説に過ぎないが、的を得ていると思う。 当時は左脳で理論的に理解していたが、 今は右脳で感覚的に感じていることである。 半田氏の「かごめ歌」の解釈は、私の真我覚醒の経緯と一致している。 夜明けの晩、すなわち、宇宙周期の破壊期(終末)とは、 「ガイアの法則」的には阪神大震災が幕開けだったことになるが、 オコツトによると2013年から「覚醒期」がスタートしたという。 厳密に言えば、マヤ暦が終わった翌日の2012年12月23日(日本時間) だと言えると思うが、それ移行、進化の方向性に向かっている人間は、 人間型ゲシュタルトが破壊されて「変換人」になるという。 その後、意識進化が進んで覚醒し、「真実の人間(神)」になるという。 オコツトによると、変換人になった人々は、2037に「入神」するという。 そして、生きながら死後の世界に入って不死となるそうなので、 この「入神」というのがアセンションではないかと思っている。 私は覚醒期が始まる3年前に「覚醒」したが、 オコツトによると、覚醒期に入らなければ覚醒しないそうで、 釈迦やイエスも覚醒していなかったという。 私は真我覚醒をしたと自称しているが、 それは釈迦やイエスのレベルかそれ以下であろう。 だが、人間型ゲシュタルトの破壊が進み、 2010年の時点で「変換人」の意識に突入したことは確かである。 従来の世界で、それは一応「真我覚醒」と言って良いものだと思うが、 真の意味での覚醒には至っていないということである。 覚醒とは「目覚める」という意味で、 真我の覚醒とは「現実という名の夢」から覚めることである。 人間が「現実」と呼ぶこの世界は夢のようなもので、 自我で生きている人々は、 この世を夢だとは気づかずに夢を見ているようなものである。 覚醒に近づいてくると明晰夢となり、今までのことが夢だったと気づき、 「夢を見ている」ということを自覚しながら夢を見ている状態となる。 もちろん、夢の中の自分は単なる映像で、 夢を見ている自分が「本当の自分」だと認識できる状態である。 もちろん、夢のストーリーや夢の中の全ての登場人物は、 自分が映し出していることを自覚している意識状態である。 真我の覚醒もそれと同じで、 この世に生きていることが夢のようなものだったということが分かり、 意識の主体が真我(魂)にシフトして、 人生のストーリーも他者も全ては自分が映し出していることが分かる。 だが、それは「半覚醒」と呼ぶべきで、 完全に覚醒すると、この世から自分が消滅することになる。 いや、自分が映し出していた「この世」そのものが消滅してしまうのだ。 それが「アセンション」だと私は解釈している。 「覚醒するとこの世が消滅する」というと首を傾げる人も多いと思うが、 夢から覚めると夢の世界が消滅することを思えば理解できるだろう。 理解し辛いかも知れないが、例えば、Aという人物が覚醒したとすると、 Aが生きていた「この世」は消滅するのである。 だが、A以外の人々が生きている「この世」が消滅することはなく、 A以外の人々が生きている「この世」からAが消滅して見えることになる。 過去にも何度か詳述しているが、人間が「この世」と認識している世界は、 人間である自分が投影しているバーチャル・リアリティである。 すなわち、誰一人として同じ世界(宇宙)には生きておらず、 自分が生きている「この世」は、自分が生まれた時に誕生したものであり、 死と共に消滅するのである。 従って、「自分の世界」に於いては、 自分の両親でさえも自分が生まれた瞬間に誕生したものであり、 自分が映し出しているものなのだ。 精神科でこのような話をすると「精神障害」と診断されかねないが、 これが私が認識する本質的な世界観である。 私から言わせると、それを「精神障害」と診断する精神科医こそ、 「意識レベルの発達障害」と言わざるを得ないが、 それも自分が映し出しているということになるので、 ひたすら謝罪をする必要があるということである。 また、私はある人に「発達障害」を疑われているが、 覚醒すると「発達障害」に思われても仕方がないことがあることは、 上記の説明を読めば分かるだろう。 だが、実際には発達障害などではなく、 発達障害であれば真我の覚醒は不可能である。 それでは話を戻して、話を進めていこう。 私の自叙伝『我が闘争』やこのブログの「初めての方へ」などにも書いているが、 私が半覚醒する少し前に「落雷事件」に匹敵する同様の事件が起きた。 落雷事件の約1年後の2010年の2月26日に起きた出来事なので、 私はそれを「獣の2・26事件」と呼んでいるが、 この時は深い眠りに就いていて、 夢も見ていなかったので何が起きたのか全く分からなかった。 だが、後の解釈により、 「ヨハネの黙示録」に登場する至福千年王国の首都 「新エルサレム」の霊的降臨だという結論に至った。 これは「鶴(女性原理の象徴)と亀(男性原理の象徴)の統合」 と言っても良い出来事である。 また、人間の中にはもともと「男性性」と「女性性」があるが、 私は陰陽を統合する瞑想もしていて性差というものを超越している。 厳霊と瑞霊の合体神を「伊都能売神」というので、 私は「伊都能売神」を名乗ったこともあるが、 それは決して的外れな見解ではないと思う。 また、私がずっと御札を祀っていた伊勢外宮の主祭神 「豊受大神」は、国常立尊と天照大神の合体神で、 やはり厳霊と瑞霊の合体神であると言える。 もちろん私は、神名を名乗って偉ぶったり、 自己顕示をするような気持ちは全くない。 私の記事を読むとそのようにしか見えないと思うが、 私の世界観を理解すれば、 私にそのような自我がないことが分かるはずである。 もし、私の記事を額面通りに読んで、 傲慢だとか自己顕示欲が強いと感じるなら、 それはその読者の投影である。 反キリ3のブログ説明にも書いているが、 今までたびたび念押しに書いてきた通り、 私の文章の書き方は「ルシファー」と「反キリスト」の代名詞でもある 「傲慢」なキャラを演じているだけであり、 それによって読者の自我をポアする目的もあることをご理解頂きたい。 また、ピラミッドの謎を解明するキッカケとなったのは、 「マイ・ミュート・アーテ」と思われる女神の霊夢による啓示だが、 その解明に取り組んでいる頃、 聖母の誘いで「古墳の火祭り」に行くことになった。 実は、それも黄金太陽と深い関係があり、 私にとっては真我覚醒に至る為に用意されたイベントだった。 「円環の愛、スパスシフィカは承認終了。 炎の熱さと暖かさの故に、回転を始める。 スパスシフィカは太古よりの言い伝え。 また、松明を持った人たちが回転する儀式が行われたが、 それはまさに「炎の円環運動」だった。 これだけなら、偶然やこじつけで片付けることも出来るが、 アリオンは次のようにも言っている。 「炎の熱さと暖かさの故に、回転を始める」とのことだが、 火祭りに行ったことによって私の黄金太陽(霊と肉)が回転を始めたようで、 「左右反転」の認識が始まったのはその頃だった。 また、アリオンは黄金太陽について、こう言っている。 従って、三途の川を渡った霊界が「彼岸」だと思っている人が 多いと思うが、残念ながらそうではない。 此岸は煩悩にまみれた世界であり、 悟りの世界である彼岸に至る為に、 煩悩を川で洗い流すというのである。 『般若心経』は「色即是空」の悟りを説いたものだが、 その最後に次のようにある。 ギャーティ ギャーティ(往ける者よ 往ける者よ) ハラ ギャーティ(彼岸に往ける者よ) ハラ ソウ ギャーティ(彼岸に全く往ける者よ) ボウジ ソワカ(悟れよ 幸あれ) 要するに、彼岸とは5次元世界のことだが、 彼岸は「涅槃」とも同義語である。 但し、「彼岸=涅槃」ではない。 涅槃はあくまでも5次元での1つの形態であり、 幸福や歓喜という感情・感覚もない状態である。 要するに、「此岸」は人間界だけではなく、 「六道輪廻の世界」と言えるのだが、 もっと単純に「此岸=3次元・4次元」 「彼岸=5次元」と言って良いだろう。 もちろん、4次元と5次元の間に実際に川が存在するわけではない。 隈本確は、その川のことを「火の壁」と表現している。 スウェデンボルグがいう「最上の天国」のことを、 隈本確は「聖天界」と呼んでいるが、 その上に「天命界」という超神霊の世界があるという。 「天命界とは、霊界で一番上の段階であり、 聖天界まで向上してきた神霊といえども、 容易に入ることのできない世界です。 聖天界と天命界の間には、火の壁といわれる関門が厳然と存在し、 この火の壁を通過し得るのは、神霊のうちでも、 ごく少数のものに限られているのです。 天命界に住む神霊は単なる神霊を超えた、超神霊とよばれる存在です。 読者の皆様は、ちょっとびっくりされるかもしれませんが、 この天命界に存在される超神霊のほとんどは、 地球以外の他宇宙天体で発生されています。 しかも、発生年は五億年前、十億年前、二十億年前といった具合で、 私たち地球人類の知恵や常識では、考えもつかないほどの超古代です。 現在の私は、長年にわたる毎日の霊界探訪の努力が実を結んで、 この天命界へも行くことができるようになっています」 宇宙は5000億光年らしいが、 それはともかくの「火の壁」の概念 スウェデンボルグが探訪した「最上の天国」までは地球霊界だが、 それを超えた天命界の超神霊は、他の天体から発生した生命体が多いという。 天命界をフォーカス35(5次元)とするなら、 モンロー研究所のヘミシンクの体験者たちの話と一致する。 もちろん、実際に「火の壁」が存在するわけではないが、 5次元の世界に入る為の関門のようなものである。 その関門とは、私の場合は「ピラミッドの謎」の解明だった。 アートライン・プロジェクトは次のように述べている。 「預言解読を志す者は、アリオンが用いている象徴体系や レトリックを読み解くために、様々な文献を調べたり、 あるいは直観力を磨いたりしなければならない。 それが解読者自身の成長につながり、 解読者が成長するごとにより深みのある解読が可能になってゆく。 そして、解読者の成長にしたがって、 新たなメッセージやヒントが与えられていくようだ。 すなわち、神々の智慧をわかろうとする努力の中に人間の学びがあるのだ。 神から智慧を直接与えられたとしても、それは決して人間の血肉にならない」 つまり、私の場合、「ピラミッドの謎」の解明は、 5次元世界への入学試験だったわけである。 5次元意識に到達する人の全てが、 私と同じような体験をするかどうかは分からない。 また、黄金太陽を構築する為に、 私に起きた「落雷事件」や「2・26事件」のような 特殊な体験をするとは限らない。 それにしても、隈本確の「火の壁」という表現はナイスだと思う。 「霊的」すなわち「霊の性質を帯びている」ということは、 逆に言えば「霊そのものではない」とも言えるのではないだろうか。 「霊的なる者」の「なる」という部分も気になってくる。 「なる」という音には、 「成る」「生る」「鳴る」などの漢字を当てはめることができる。 「霊的成る者」だとすれば「これから霊的なステージに移行していく者」 という意味に受け取れるし、「霊的為る者」だとすれば 「地上において霊的なことを為してゆく者」という解釈も成り立つ。 どちらの意味であっても、私とピッタリな言葉である。 黄金太陽は最終的にマカバ(かごめ)となるが、 それこそが真の覚醒(アセンション)だと考えられる。 しかも、「新エルサレム」は太陽の大気圏を公転する 超巨大階段ピラミッドらしいが、上記のことを裏づけるような話がある。 ホピ族には「大地の母」と呼ばれる 四角い迷路のような幾何学的デザインのシンボルがある。 この図形はマヤ・アステカ文明が築いた階段ピラミッドを、 上空から見た図だと飛鳥昭雄氏は指摘。 その図形には「ホピの鉤十字」が合わさって描かれている。 ホピ族の伝承によると、「ホピ族の鉤十字」は太陽を意味し、 それが天から現れた時に世界が赤く燃え上がるという。 飛鳥説によれば、その太陽の力を持つ存在が階段ピラミッドのシンボルなら、 太陽と同じプラズマの力で飛翔する階段ピラミッドが存在する事になるという。 イエス・キリストの神殿「天空の城ラピュタ」の正体 さて、黄金太陽を形成した私は「陰陽」だけではなく、 「自他」「善悪」「生死」など、 あらゆる二元性を一元的に捉える感覚を獲得した。 そして、夜明けの晩に鶴と亀が統べった私は「うしろの正面」を発見した。 これも真我(魂)の覚醒による「意識の拡大」と言えるだろう。 古今東西、人間界が幻影であることを説いた聖者は存在するが、 「魂は肉体に宿っていない」ということを主張した奇人が、 どれだけいただろうか……。 つづく 今回のような記事は僕の頭では難し過ぎてポカーン…としてしまい、 霊的進化から置いてかれそうな気がしてちょっと不安になったりするのですが、 今までのZEROさんの記事を読む限り、またはメールなどで御指南いただいた内容を振り返る限り、 そういった不安こそ良くない気持ちの持ち方で、分からなくても各々がマイペースに浄化に取り組んでいればとりあえずは大丈夫なのだろう、と改めて思いました。 それから記事の中で >さて、黄金太陽を形成した私は「陰陽」だけではなく、「自他」「善悪」「生死」など、あらゆる二元性を一元的に捉える感覚を獲得した。 >私は「かごの中の鳥」を真の自由空間へ飛翔させることになり、 「魂は肉体に宿っていない」という感覚が生まれてきたのだった。 とありますが、 この「感覚」というのは 「理論」としてでしょうか? それとも「実感」などだったりするのでしょうか? 僕には知る必要は無い事かもしれませんが… Zeroさま、ごきげん、うるわしく!いつも本当にすごいなぁ・・と感心しています。 たしかに、ちと難解です。。 私も四次元、五次元の世界にとても憧れていました。 ペトル・ホボットさんのアマゾンワークを受けに行きたい、とも思ったこともあります。 ゲイリー・ボーネル主催の学校に入ろうかな、とかね。 私がずっとスピリチュアル世界を旅してきた結果、実感したことは、着実にこの3次元の現実世界を味わおうということでした。 空海は、優れたすばらしい能力のある人でしたが、彼はあまりにも4次元、5次元の世界へのこだわりのため、水銀を使って意識を飛ばし、宇宙へ意識を飛ばし神との一体を得ましたが、結局、水銀中毒で亡くなってゆかれました。 その彼の最期の言葉が「師と求めず道を求めよ」だったのです。 この言葉には彼の愛がたくさん、つまっています。 私たちはこの3次元で学ぶべきことが多々ありますが、この世界でしか学べないことも多々あるのです。 だからこそ、日々の小さな幸せや、やりたいと思ったことに何でもチャレンジしたり、人間の愛にふれたり、世界の闇と光をまっすぐな瞳で見たり、そういうことがとても大事なのだと思う、今日このころです。 以前の私は4次元、5次元を征服してやろうというエゴで生きていましたが、今はこの3次元を最大に生きようと、そう思えるようになりました。 世界は混沌としていますが、けして悲しいことが起きているわけではない、、それも、このスピリチュアルな世界を旅して、はじめて理解できたことでした。 善悪、光と影、失敗成功、そういうことを超えてゆこうと、とても新鮮に感じてる毎日です。 クワトロ・ワープさま、自分に能力がないと思う必要はありません。 すばらしい能力をもった人は、たくさんいますが、みなそれぞれの仕事と人生の課題を選択して生きてるだけなのです。 肉体がスマホで心臓が受信装置、インターネットが神と例えるなら、 なんちゅーか、魂は肉体にはなく、カゴメの鳥(心臓)の解放とは、受信装置が目覚めてネット(神・真我)に繋がることみたいに思われます。 笑 「カゴメ」の謎は、解けた!(拝借引用紹介) 越楠庭園 in 大阪 カゴメ考察が懐かしい。 笑 是非、天流れで閣下、総裁、将軍で、四天王寺のスパイラルの中心点に行きたいです〜! 笑 ちなみに、このタイミングにまたゴーカイジャーの宇宙最大のお宝の回が再放送で観れたのもシンクロです!何故なら、お宝と越楠祠の神紋がソックリ(三つ鱗紋=ピラミッド?!)だからです。 昨日のメールの通り、マイペースで良いですよ^^ 少なくとも、以前よりは状況は悪くなっていないと思います。 「感覚」は「理論」ではなく「実感」ですが、 まず「理論」を理解しておいた方が良いと思います。 でなければ、瞑想だけしていれば良い事になりますからね。 知る必要は無い事はないですが、今は理解できなくて当然です。 私も4年前には全く理解していなくて、 知識的に頭に入っていたようなことです。 理解しようと努力する必要もないですよ。 実践内容の詳細は、メールの通りでOKです。 できる範囲で取り組んでみて下さい^^ 神武の来た道さん、こんばんは。 空海…………そうだったんですか^^; で、神武の来た道さんの仰るとおりです。 その通りなのですが、 世の人々は現実に生きているようで生きていないので、 日々の小さな幸せに気づかず、やりたいことが分からないの現実です。 神武の来た道さんは満月瞑想で悟っているも同然なので、その言葉は正しいのですが、その真の意味が分からない人が多いのは事実です。

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