サンチェ ジャニーズ。 嵐にしやがれ★TRF秘蔵写真公開★サンチェさん&ジャニーズファン興奮

ジャニーズのダンスの先生(今もサンチェさんですかね?)って、...

サンチェ ジャニーズ

こちらはサンチェさん似と言われる、Jr. サンチェ氏といえば、ジャニーズタレントからも恐れられている人物だが、かつては人気グループの初期メンバーだったという。 この日の『ナカイの窓』は「伝説のグループSP」と題した企画で、TRFのダンサー・SAMがゲスト出演。 MCを務めるSMAP中居正広がグループ結成秘話を尋ねると、SAMは深夜のダンス番組にレギュラー出演していた当時、「8人組のダンスチームだった」と説明した上で、チームには「サンチェもいた」と告白。 中居は「サンチェも! へぇ~!」と驚きつつ、サンチェ氏を知らない出演者に向かって「サンチェって、今ジャニーズの振り付けをずっとやってる……もう15年、20年ぐらいやってますかね」と補足。 SAMが「だってサンチェ、それこそオレがね、ジャニーズの振り付けやってて、忙しくなってサンチェにバトンタッチしたから」と裏話を披露すると、中居は「そうなんだ!」と驚いた様子。 このエピソードについてジャニーズファンからは「サンチェってTRFのメンバーだったの?」「サンチェさんTRFだったとか初めて知った」と、同様に驚きの反応が漏れる一方、中には以前から知っていた人の書き込みも見受けられ、「TRFの話でサンチェの話題があってびっくり。 そこ触れちゃいけないとこかと思ってた」という声も。 』(フジテレビ系)だろう。 この時、ナインティナインの岡村隆史が「ジャニーズJr. としてSMAPのコンサートに出演する」という企画が行われ、サンチェ氏はリハーサル場面などで登場。 岡村から「Jr. としてコンサートに出る」と聞かされてもクールに対応し、「お前、SMAPのステージだからな。 ぶち壊すなよ」とJr. を激しく叱責。 岡村にも「お前も邪魔するんだったら帰れ!」と、激怒していた。 』では、大倉忠義が「サンチェさんにすぐ怒られんねん」と切り出し、過去にKinKi KidsのコンサートでJr. の立ち位置を決める時、遊んでいたところ「出なくていいよ、この曲」とキツイ一言をくらった話を振り返ったという。

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【元Jr.独占手記】ジャニーズの振り付け師・サンチェを、僕たちが怖がっていた本当の理由 (2017年5月14日)

サンチェ ジャニーズ

僕が見たジャニー喜多川氏の素顔 「ジャ、ジャニーさんだ……! ジャニーさんが目の前に立っている!」 スタジオの中心で踊っていた少年たちが、サーっと壁際に移動すると、ジャニーさんが奥の方に見えた。 モーゼかな、とちょっと思った。 ジャニーズ事務所 写真:AFLO 2004年7月。 テレビ東京の大きなスタジオ。 200人ほどの少年たちの中で、僕は人生最大のチャンスに心を踊らせていた。 ジャニーズJr. オーディションだ。 小学4年生の時に家で流れていた『愛ラブSMAP! 』(91年~97年・テレビ東京系)でSMAPに憧れた。 中居正広主演の『味いちもんめ』(95年・テレビ朝日)を食い入るように見ていた。 『しようよ』がオロナミンCのCMソングになって、よく流れている頃だった。 以来僕は生粋のジャニーズヲタク、ジャニヲタだ。 高校生になって、何もなし得ていない自分に焦りを覚えた。 ふとテレビをつけると、同い年の山下智久が『池袋ウエストゲートパーク』(00年TBS)といったドラマで活躍していた。 「偏差値を高めれば人生は保証されるはず」と思って入った進学校には、勉強に邁進する同級生ばかりで、ジャニーズJr. のほうが社会に価値を残しているように思えた。 彼らに比べて、自分は人生のスピードが遅く、このままだと、どんどんとかけ離されていくような気がした。 この人たちに、混じりたい……。 高校1年生から履歴書を送り続け、ついに返事が来たときには既に大学生になっていた。 19歳を目前にして、ついに夢への大きな切符を手にしたのだった。 157cmの僕は、小学校以来『小さいほう』だったが、この日のこの瞬間だけは、頭ひとつ飛び抜けて『大きいほう』だった。 オーディションに呼ばれているのは8歳から13、4歳くらいまでがメインで、親の付き添いのない僕のほうが珍しいくらいだった。 受付で名前を言うと、バッヂを渡された。 そこにプリントされた『霜田明寛(18)』の文字に高揚する。 まず登場したのはサンチェさんだった。 ジャニーズ専属の振付師として知られる彼は、ファンの中では有名な存在だ。 SMAPにも振り付けをしたサンチェさんが出てきて、僕たちにダンス指導をしてくれる。 ジャニヲタにとっては夢のような体験だ。 しばらくすると、サンチェさんが 「では、手本を見せてもらいましょう!」と言って、スタジオの外のほうに声を発した。 すると、二人の少年が入ってきた。 千賀健永くんと山本亮太くん、二人のジャニーズJr. である。 「千賀くんはちびっこ相撲大会に出場経験あり!」などと、一ジャニヲタとして心の中でデータを叫んでしまうほどにテンションが上がってしまうが、今日の目的はそこじゃない、と自分をおさめながら、なんとか振りを覚えていく。 そして、ついにダンス審査に入る。 10人一グループにされて、スタジオの中心に集められ、ダンスをする。 10人以外は、スタジオの端によって待機することになるので、このときはじめて、200人で埋め尽くされていたスタジオの中に、空間ができた。 すると、冒頭のように遠くに小さな初老の老人の姿が見えたのだった。 「ジャニー喜多川は、自分がジャニーだ、と名乗らず、そこにいて子どもたちの人間性を見ているらしい」 この頃には、タレントたちが、バラエティ番組でジャニーさんトークをすることが多くなっていて、それを親から聞いているのか、それともオーラで気づくのか、子どもたちの中にも緊張感が走るのがわかる。 数あるオーディションエピソード通り、ジャニーさんは名乗ることもなく、手にメモとペンを持ち、立っている。 しかしその顔は、雑誌などで見ていた顔そのものだった。 目線が僕と同じくらいの、小柄な男性。 そして、ついに自分のダンスの順番がやってきて、僕は必死にフリを間違えないように踊った。 間違えないことに必死になりながらも、懸命に楽しそうな顔をしてみた。 チラッと見たジャニーさんは、僕ではない、他のコの方を見ていた。 まずい、後がない……。 僕は焦っていた。 ダンス審査が終わると、僕らは円の形を作って座らされた。 円の真ん中に、サンチェさんが入る。 そして 「何か特技がある人は、ここで見せて下さい!」と、僕らへのチャンスを与えてくれた。 さっきのダンス審査ではジャニーさんの目には僕は入っていないだろう。 ここで逆転しなければいけないが、僕にはこれといった特技がない。 気づいたら 「他に何かある人!」というサンチェさんの声に 「はい!」と大きな声で反応していた。 サンチェさんは、その声に反応し、僕に向かって 「じゃあ君!特技は何かな?」と聞いてきてくれた。 僕は頭の中で必死に過去を巡らせる。 何か僕の中で特技と言えるもの……。 僕は 「モノマネです!」と答えていた。 小学生のときにウケていたCHARAのモノマネをするつもりだった。 僕の決死の答えを聞いたサンチェさんは、こう返した。 「モノマネか…それはカメラテストでやってくれ。 はい次!ほか!」 この事件で確実に僕の心は動揺した。 カメラテストでCHARAをやる勇気はもう残っていなかった。 2台のカメラが置かれ、同時進行で2人ずつカメラテストはおこなわれていて、その2つのカメラの真ん中あたりにジャニーさんは立っていた。 順番がまわってきて、カメラの前に立った僕は 「霜田明寛、18歳です。 げ、現在、早稲田大学の1年生です……」 という完全に人間性の伝わらない、アウトな自己PRをしてしまっていた。 この時のジャニーさんの行動は「早稲田」と聞こえた瞬間にメモから顔を上げ、こちらを一瞥。 僕の顔を確認すると、スグにまた目をそらす……というものだった。 これが僕の、最初で最後の、自分にとっての神様とのすれ違いの日となった。 オーディションの最後に事務所の女性はこう言っていた。 「この時点で、皆さんはジャニーズジュニア研修生です。 今のタイミングでレッスンには呼ばない、と判断した方にも、半年、1年と経って連絡することもあります」 その言葉を信じて、あれから15年が経った今も、電話を待っている。 ……というのは冗談だが、落ちた後は、余計に自分に足りなかったものを考え続けた。 それはすなわち、ジャニーズのすごさを見つめ続けることに他ならなかった。 「ジャニーズには落ちたけれど、ジャニーズという素晴らしい人たちのいる世界で、僕は生きていかなきゃいけない」と思うことで、なんとか人生を進めていくことができた。 そんな僕のジャニーズへの憧れは今も消えることなく、ジャニーズのすごさ綿密に調べた著書まで出せた。 世界の見方を変えてくれた、一度だけすれ違えたおじいちゃんに、これからも感謝し続けて生きていこうと思う。

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【元Jr.独占手記】ジャニーズの振り付け師・サンチェを、僕たちが怖がっていた本当の理由 (2017年5月14日)

サンチェ ジャニーズ

僕が見たジャニー喜多川氏の素顔 「ジャ、ジャニーさんだ……! ジャニーさんが目の前に立っている!」 スタジオの中心で踊っていた少年たちが、サーっと壁際に移動すると、ジャニーさんが奥の方に見えた。 モーゼかな、とちょっと思った。 ジャニーズ事務所 写真:AFLO 2004年7月。 テレビ東京の大きなスタジオ。 200人ほどの少年たちの中で、僕は人生最大のチャンスに心を踊らせていた。 ジャニーズJr. オーディションだ。 小学4年生の時に家で流れていた『愛ラブSMAP! 』(91年~97年・テレビ東京系)でSMAPに憧れた。 中居正広主演の『味いちもんめ』(95年・テレビ朝日)を食い入るように見ていた。 『しようよ』がオロナミンCのCMソングになって、よく流れている頃だった。 以来僕は生粋のジャニーズヲタク、ジャニヲタだ。 高校生になって、何もなし得ていない自分に焦りを覚えた。 ふとテレビをつけると、同い年の山下智久が『池袋ウエストゲートパーク』(00年TBS)といったドラマで活躍していた。 「偏差値を高めれば人生は保証されるはず」と思って入った進学校には、勉強に邁進する同級生ばかりで、ジャニーズJr. のほうが社会に価値を残しているように思えた。 彼らに比べて、自分は人生のスピードが遅く、このままだと、どんどんとかけ離されていくような気がした。 この人たちに、混じりたい……。 高校1年生から履歴書を送り続け、ついに返事が来たときには既に大学生になっていた。 19歳を目前にして、ついに夢への大きな切符を手にしたのだった。 157cmの僕は、小学校以来『小さいほう』だったが、この日のこの瞬間だけは、頭ひとつ飛び抜けて『大きいほう』だった。 オーディションに呼ばれているのは8歳から13、4歳くらいまでがメインで、親の付き添いのない僕のほうが珍しいくらいだった。 受付で名前を言うと、バッヂを渡された。 そこにプリントされた『霜田明寛(18)』の文字に高揚する。 まず登場したのはサンチェさんだった。 ジャニーズ専属の振付師として知られる彼は、ファンの中では有名な存在だ。 SMAPにも振り付けをしたサンチェさんが出てきて、僕たちにダンス指導をしてくれる。 ジャニヲタにとっては夢のような体験だ。 しばらくすると、サンチェさんが 「では、手本を見せてもらいましょう!」と言って、スタジオの外のほうに声を発した。 すると、二人の少年が入ってきた。 千賀健永くんと山本亮太くん、二人のジャニーズJr. である。 「千賀くんはちびっこ相撲大会に出場経験あり!」などと、一ジャニヲタとして心の中でデータを叫んでしまうほどにテンションが上がってしまうが、今日の目的はそこじゃない、と自分をおさめながら、なんとか振りを覚えていく。 そして、ついにダンス審査に入る。 10人一グループにされて、スタジオの中心に集められ、ダンスをする。 10人以外は、スタジオの端によって待機することになるので、このときはじめて、200人で埋め尽くされていたスタジオの中に、空間ができた。 すると、冒頭のように遠くに小さな初老の老人の姿が見えたのだった。 「ジャニー喜多川は、自分がジャニーだ、と名乗らず、そこにいて子どもたちの人間性を見ているらしい」 この頃には、タレントたちが、バラエティ番組でジャニーさんトークをすることが多くなっていて、それを親から聞いているのか、それともオーラで気づくのか、子どもたちの中にも緊張感が走るのがわかる。 数あるオーディションエピソード通り、ジャニーさんは名乗ることもなく、手にメモとペンを持ち、立っている。 しかしその顔は、雑誌などで見ていた顔そのものだった。 目線が僕と同じくらいの、小柄な男性。 そして、ついに自分のダンスの順番がやってきて、僕は必死にフリを間違えないように踊った。 間違えないことに必死になりながらも、懸命に楽しそうな顔をしてみた。 チラッと見たジャニーさんは、僕ではない、他のコの方を見ていた。 まずい、後がない……。 僕は焦っていた。 ダンス審査が終わると、僕らは円の形を作って座らされた。 円の真ん中に、サンチェさんが入る。 そして 「何か特技がある人は、ここで見せて下さい!」と、僕らへのチャンスを与えてくれた。 さっきのダンス審査ではジャニーさんの目には僕は入っていないだろう。 ここで逆転しなければいけないが、僕にはこれといった特技がない。 気づいたら 「他に何かある人!」というサンチェさんの声に 「はい!」と大きな声で反応していた。 サンチェさんは、その声に反応し、僕に向かって 「じゃあ君!特技は何かな?」と聞いてきてくれた。 僕は頭の中で必死に過去を巡らせる。 何か僕の中で特技と言えるもの……。 僕は 「モノマネです!」と答えていた。 小学生のときにウケていたCHARAのモノマネをするつもりだった。 僕の決死の答えを聞いたサンチェさんは、こう返した。 「モノマネか…それはカメラテストでやってくれ。 はい次!ほか!」 この事件で確実に僕の心は動揺した。 カメラテストでCHARAをやる勇気はもう残っていなかった。 2台のカメラが置かれ、同時進行で2人ずつカメラテストはおこなわれていて、その2つのカメラの真ん中あたりにジャニーさんは立っていた。 順番がまわってきて、カメラの前に立った僕は 「霜田明寛、18歳です。 げ、現在、早稲田大学の1年生です……」 という完全に人間性の伝わらない、アウトな自己PRをしてしまっていた。 この時のジャニーさんの行動は「早稲田」と聞こえた瞬間にメモから顔を上げ、こちらを一瞥。 僕の顔を確認すると、スグにまた目をそらす……というものだった。 これが僕の、最初で最後の、自分にとっての神様とのすれ違いの日となった。 オーディションの最後に事務所の女性はこう言っていた。 「この時点で、皆さんはジャニーズジュニア研修生です。 今のタイミングでレッスンには呼ばない、と判断した方にも、半年、1年と経って連絡することもあります」 その言葉を信じて、あれから15年が経った今も、電話を待っている。 ……というのは冗談だが、落ちた後は、余計に自分に足りなかったものを考え続けた。 それはすなわち、ジャニーズのすごさを見つめ続けることに他ならなかった。 「ジャニーズには落ちたけれど、ジャニーズという素晴らしい人たちのいる世界で、僕は生きていかなきゃいけない」と思うことで、なんとか人生を進めていくことができた。 そんな僕のジャニーズへの憧れは今も消えることなく、ジャニーズのすごさ綿密に調べた著書まで出せた。 世界の見方を変えてくれた、一度だけすれ違えたおじいちゃんに、これからも感謝し続けて生きていこうと思う。

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