ミッドウェー 海戦 と は。 5分でわかるミッドウェー海戦!概要と敗因は?もし勝っていたら……

ミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい

ミッドウェー 海戦 と は

「戦史叢書ミッドウェー海戦」・・・市立や県立図書館でも置いてるところは結構あります。 この本によると次の6項目が大きな日本軍の敗因として取り上げられています。 1 情報戦の大敗。 日本海軍の暗号が解読され、米軍は日本軍の計画を察知していたのに、日本軍は敵情がよくわかっていなかった。 2 心のゆるみ。 開戦以来の戦果から心にゆるみが生じ、作戦の計画と実行に慎重さを欠いた。 3 山本長官の出撃。 山本長官が戦艦に座乗して出撃したので、その位置を秘匿するため、無線の使用が制限され、作戦指導に支障を生じた。 4 航空戦様相の事前研究、訓練の不足。 索敵、偵察、報告などの地道な訓練及び、空母の被害局限対策の研究が足りなかった。 5 5日の航空決戦の指導の誤り。 二度の兵装転換によって弱点を作った。 6 戦艦主兵思想の転換の不十分。 戦艦部隊が後方遠く離れて航空決戦に寄与できなかった。 ・・・日本軍は奇襲を試みようとして日本軍自体が奇襲された」と述べています。 また日本軍が空母戦力を分散してアリューシャン作戦を行った事を批判し、その戦力分散が無ければ米艦隊が敗北していた可能性があると述べています。 そもそも記事を書いた人が無理矢理こじつけた感じがするのですが… アベノミクスはそもそも最初の段階で三段階存在するわけです。 海軍の作戦には当初、ミッドウェイ攻撃は存在しません。 ドゥーリットル空襲を受けた結果、敵の進入路を塞ぐために急遽計画したものです。 株価が大暴落したんで慌てて年収150万増を喚いたならミッドウェイですが、そうではありません。 先の戦争に勝敗の趨勢を決したのはガダルカナルです。 海軍の無謀な計画に陸軍がかき乱されたのです。 海軍も貴重な航空戦力をすり身にしました。 ミッドウェイの敗因は稚拙な作戦計画が原因です。 11です。 この日米の差は何だったのかなと思いました。 の部分について少し・・・ 慢心や自信過剰という点では、アメリカも幾つか陥っています。 例えば・・・ 1 開戦劈頭、ハワイを奇襲された事。 ハル・ノートを日本側に渡した翌日の11月27日に、米海軍のスターク海軍作戦部長は、ハワイのキンメル太平洋艦隊司令官にあてて警報を発しています。 「本電を戦争の警報とみなせ。 日米交渉は終わりを告げ、日本の攻撃的行動がここ数日中に予想される。 ・・・」と。 米陸軍のマーシャル陸軍参謀総長も同じ11月27日に、ハワイのショート陸軍部隊司令官に警報を発しています。 「日米交渉は日本政府から継続の申し入れが無い限り終わったように思われる。 日本の今後の行動は予測できないが、すぐにも敵対行動が始まる可能性がある。 ・・・」と。 そして、この警報を受けとったハワイでは、その日のうちに会議が開かれます。 しかし、そこでの判断は日本軍によるハワイ攻撃はありえないと判断するものでした。 そしてハワイ周辺の哨戒については月曜から木曜まで毎日、訓練を兼ねた哨戒機を飛ばしていましたが 北と北西にも哨戒機を飛ばしていました 、金曜から日曜日にかけては、哨戒機の整備とパイロットの休日にあてていました。 そして、ハワイの現地時間で12月7日の日曜日に、日本軍による真珠湾奇襲を受けます。 このハワイに奇襲を受けた事について米国は原因を究明するために調査委員会を設置しますが、キンメル太平洋艦隊司令官に誤りがあったと結論が出ました。 キンメル太平洋艦隊司令官がこの真珠湾奇襲についてどう言っていたかというと・・・ 「私はあのような遠距離の渡洋作戦は無理だと思った。 日本の空母は足が短い。 ハワイを奇襲するなど不可能に近い。 また、日本の海軍機の事もよく知っていた。 だから真珠湾攻撃の結果と方法を見た時、目を疑ったものだ」 さらに当時、太平洋艦隊作戦参謀だったマクモリス大佐は・・・ 「真珠湾は、日本からの距離が遠すぎるので、燃料補給が難しく、とても攻撃は無理だろうと考えた。 さらに艦船への雷撃も真珠湾の水深は12メートルしかなく、戦例を調べてもそんな浅いところで使用できる魚雷もない。 我々アメリカ海軍自身が、日本本土に対して効果的に渡洋奇襲を決行できるとは思えないから、日本にもできるわけがないと考えた」 このキンメルとマクモリスの証言から分かるように、アメリカ太平洋艦隊司令官とその参謀が日本軍を侮り慢心していた故の油断から真珠湾を奇襲された事がわかります。 2 開戦初期、フィリピン防衛に失敗した事。 日本軍がフィリピンを攻撃して来た場合、米軍はバターン半島に撤退して抵抗する作戦でした。 計画では4万3千人の6ヶ月分の食料を運び込み、米本土から救援が来るまで6ヶ月間持ち堪える作戦でした。 しかし、開戦してもマッカーサーはなかなかバターン半島への篭城準備命令を出さず、2週間以上経った12月23日になってようやく出しました。 しかし、この遅れは致命的で食料は2ヶ月分しかバターン半島に運びこめず、抵抗の準備は遅れました。 しかも、その後のマッカーサーの指揮ぶりも優れたものを見せる事はなく「カムバックした元チャンピオン・ボクサーが久しぶりのリングの上でとまどう姿を思わす」と酷評される始末です。 日本軍を侮っていたマッカーサーの自信過剰と慢心からフィリピンは早期陥落となりました。 早くに戦争準備を開始していれば、フィリピンがあのように早期に陥落する事は無かったでしょう。 3 潜水艦の魚雷問題。 開戦初期、米潜水艦は魚雷の低性能と不良品に泣かされました。 日本の輸送船、第三図南丸などはいいで例で、米潜水艦から5本も魚雷を命中されましたが、なんと全部不発で爆発しませんでした。 米潜水艦の艦長達は魚雷の欠陥の報告をしましたが、米海軍軍需局と魚雷研究センターは魚雷の欠陥を当初は全く認めず、攻撃が失敗するのは米潜水艦の艦長と乗員の腕のせいにしました。 最終的には魚雷の欠陥を軍需局も認めますが、新型のまともな魚雷は1943年秋になってようやく配備されるようになりました。 つまり、米潜水艦は開戦から約2年近くもの間、欠陥魚雷を使わされ、戦果を台無しにされ続けていたのでした。 これは米海軍軍需局と魚雷研究センターの慢心のせいと言えるでしょう。 しかし、開戦後は真珠湾奇襲、フィリピンやマレー半島、インドネシアが占領され、シンガポール要塞も陥落し、英国艦隊も撃破されるに至り、日本を侮る風潮は著しく退潮します。 それどころか、米本土への日本軍の攻撃に怯えるような事態となります。 下に貼ったウィキを読めばわかりますが、1942年2月25日には、米軍は幻の日本軍相手に戦闘しているぐらいです。 「ロサンゼルスの戦い」 なお、これより前の1941年12月8日にはサンフランシスコが爆撃されるとか、12月9日には日本艦隊がサンフランシスコとロサンゼルスとの間を航行中とか、12月11日には日本の主力艦隊がサンフランシスコ沖に到着などという情報が、米本土西海岸を防衛する米第三軍司令部に寄せられています。 当時の第三軍司令官は12月11日の日記に「全軍警戒態勢を発したが、どう対応すべきか見当もつかずに部屋をぐるぐる歩き回るばかり」と書いています。 米陸軍では日本軍のアメリカ本土上陸を防ぐのは無理と判断したり、ルーズベルト大統領は日本軍がアメリカ本土西海岸に上陸してきた場合、中西部のシカゴで反撃するという構想を描くほどでした。 つまり、アメリカは開戦前は日本軍を過小評価し侮っていましたが、あまりの日本軍の攻勢とその戦果に、今度は日本軍を過大評価するようになりました。 アメリカの経済が軍事中心に切り替わるのには時間がかかりますし、軍艦を建造するにも、新兵を訓練するにも時間がかかります。 だからミッドウェー海戦で出撃したアメリカ軍のパイロットの中には、訓練が終了していない者もいました。 それほど、当時は追い詰められていました。 ミッドウェー海戦の三ヶ月後には、アメリカ軍では無傷の大型空母が0隻となるいう状況に陥っています。 ちなみに新造の大型空母のエセックス級の1番艦が完成したのは開戦1年経った1942年12月で、それから完熟航行と訓練を行い実戦に投入されのは1943年9月です。 アメリカの巨大な生産力により戦力が充実してきたのは1943年以降の事です。 その後、戦力が充実してきた後については、他の回答者さんの回答にもありますが、台風に2回も艦隊を突っ込ませて大損害を被るなどしていますが、この頃には日本軍の戦力が低下しすぎて、その機会を生かす事などできない状態でした。 この日米の差は何だったのかなと思いました。 第二次大戦中の米軍の慢心に由来する損害なんて、日本軍の比ではないですよ…。 例えば、昭和19年12月17日~18日、昭和20年6月5日の二度の台風で受けた航空機の被害(要は米軍の単独での自滅)はミッドウェーでの日本軍の被害に匹敵します。 (鎌倉時代の元寇とおなじく、神風はちゃんと吹いていたのですよね…。 ) 昭和19年12月14~16日 駆逐艦3隻が転覆沈没したほか、軽空母4隻、護衛空母4隻、軽巡1隻、駆逐艦7隻、護衛駆逐艦3隻、その他補助艦艇などに損傷を受け、航空機146機を失う。 昭和20年6月5日 戦艦4隻、正規空母2隻、軽空母2隻、護衛空母4隻、重巡3隻、軽巡4隻、駆逐艦以下17隻の合計36隻が損傷を受け、航空機142機を失う。 しかも、この二度とも同じ司令官(ハルゼー大将)がやらかしてます…。 沖縄戦でもアメリカ第10軍司令官(沖縄上陸軍最高指揮官)サイモン・バックナー中将が戦死(日本軍の反撃を甘く見て前線視察中に…。 )しています。 (現在に至るまで、アメリカ軍史上において最高位の戦死者) ぶっちゃけ、第二次大戦のアメリカ軍なんて日本軍が一切のミスを犯さなかったとしても、降伏が数ヶ月程度先に成るだけで体勢にはたいした影響が出ないほど強大です。 (史実の日本軍だってミッドウェー海戦後に奮起して、太平洋上の米軍の可動空母をゼロにする様な戦果を挙げたのに、米軍は直ぐに戦力を日本軍の数倍まで強化させて復活する。 ) 日本から見たら、当時の米軍は殺しても殺しても、その次の戦いではより強大になって登場するゾンビみたいな物です。 勝ち目なんて無いのです…。 時刊重爆撃機[約1時間毎に1機]、日刊護衛艦[約1日毎に1隻]、週間護衛空母[約1週間毎に1隻]、月刊正規空母[約1ヶ月毎に1隻]という生産力には…。 4です。 「日本海軍の暗号がアメリカに解読されていて、ミッドウェーの陸上部隊・航空部隊、3隻の空母全力で待ち伏せされていた」 のは、No. 4の回答で述べたとおり事実です。 なお、他の方が言われる「実は暗号がばれたのは、アメリカがミッドウェイで雨水のろ過装置が呼称したというニセ情報を流したところ「攻撃目標で水が不足しそうだ」とすぐ暗号で報告したからなんですね」という話は、アメリカが、日本が想像も出来ないほどの人手をかけて暗号解読作業を行った最終段階で「日本が攻撃目標にしているのはどこか」をどう探知したか、ということで、膨大な暗号解読作業から見れば些細なことです。 「アメリカが、日本海軍の暗号をどのように解読したか」は、一冊の本が書けるほどのテーマであり、今でも詳細なことは解明されていません。 さて 「暗号が解読されてた時点で負けは決まってたということでしょうか?」 ですが、暗号が解読されていたとしても、日本海軍が持てる戦力を「ミッドウェー近海でのアメリカ艦隊捕捉撃滅」に集中していれば、勝つことは可能でした。 4の回答で示したように、 「史実で、重要性の低いアリューシャン作戦に振り向けた龍驤・隼鷹、内地で待機していた瑞鶴を参加させれば、日本海軍はずっと楽な戦いをできただろう」 と言えます。 「戦勝の要諦は先制と集中にあり」 という言葉は将校なら誰でも知っている言葉で、これに反する作戦行動を「必要がないのに」取った時点で、負ける可能性が濃厚になった、とは言えるでしょう。 ただ、「アメリカは日本海軍の暗号を読んでいた」事実があった以上、仮にミッドウェーに日本空母の全力(史実プラス3隻)が向かった場合、敗北を恐れるアメリカ側が、迎撃を行わず、ミッドウェー島を占領しただけで終わってしまうことも有り得ました。 なお、一般にミッドウェーでの4空母喪失の責任者とされる南雲忠一中将は、ミッドウェーで実際に戦った機動部隊を指揮していましたが、 「対空レーダーは、ミッドウェーに向かう機動部隊に配属されている榛名と霧島に装備する」 「ミッドウェーに向かう機動部隊に、龍驤・隼鷹・瑞鶴を加える」 などという権限は持っておりません。 このような権限は、連合艦隊司令部、あるいは軍令部や海軍省が有しており、南雲中将は、与えられた兵力で、天皇の名で出された作戦命令を実行する立場でしかありませんでした。 南雲中将の指揮が完璧でなかったことは、No. 4の解答で文献として示した森史朗氏の「ミッドウェー海戦」を読めば分かりますが、ミッドウェーの敗北の責任は、このような作戦を立て、差し向ける兵力を決めた連合艦隊司令部にあると言えます。 ミッドウェー海戦では海上戦力において劣勢の米軍は、 情報戦で日本軍に対し優位を保つことで勝機をつかんだと言えます。 また柔軟な部隊運用も日本海軍とは一線を画しています。 日本海海戦時のような慎重にして柔軟かつダイナミックな発想は、 日本軍が官僚的な軍組織へと移行するなかで失われていったようです。 このような状況下での初戦からの連戦連勝ムードによる慢心が重なり、 大敗北へとつながったように思います。 ただしここで仮に4隻の主力空母を失わずに米軍の2隻の空母を仕留めたとしても、 最終的な結果に大きな差は出なかったようにも思います。 日本海軍が4年の歳月で葬った連合軍艦艇は相当数におよびましたが、 戦った相手国のアメリカは短い年月でその数倍の戦力を回復しています。 代表的な工業生産品の自動車生産においてみても1:100ほどの開きがある、 この工業生産力の差は如何ともしようがありません。 mkfdhさん、こんばんわ。 この作戦は日本の焦りから生まれたものだと思います。 それは日本が初めて空襲であったドーリットル空襲がきっかけでした。 ミッドウェー作戦はまず、敵を惑わすためにアリューシャン攻略作戦があり、そしてメインのミッドウェー島攻略作戦がありました。 この作戦の主眼はミッドウェー島を攻略すると見せて、おびき出した敵空母をたたくという作戦でした。 しかし、ミッドウェー島の攻撃がうまくゆかず、さらに偵察行動が不十分なため、敵空母を見逃し、そのためにミッドウェー島攻撃を考え、雷装を爆装に切り替えたときに、敵空母を発見して大慌てでどうしたらよいか考えているうちにアメリカの急降下爆撃機に赤城、加賀、蒼龍が攻撃され、大破してしまいました。 そのあと、一隻残った飛龍だけで敵空母ヨークタウンを撃破しますが、飛龍も損傷激しく、結局四隻とも味方駆逐艦によって沈没処分されました。 日本はその他に重巡三隈を失い、たくさんの航空機を失いました。 アメリカ側も空母ヨークタウンと駆逐艦一隻を日本の潜水艦によって失いました。 この戦いは日本軍にとって不運ばかりが目立ちました。 図上演習でもかなりの損害が出たというお話もありましたし、第2航空戦隊司令官山口多聞少将はこんな虫のよい作戦が成功するわけがないと漏らしたとか。 もう二隻の空母翔鶴、瑞鶴は珊瑚海海戦で損傷や航空機を消耗し、参加できませんでした。 歴戦の指揮官淵田中佐も盲腸で攻撃に参加できませんでした。 そして、日本の暗号もアメリカに筒抜けになっていました。 有名な蒸留装置の故障のお話です。 そのためにミッドウェー島にはかなりの準備がなされていました。 また、珊瑚海で損傷を受けた空母ヨークタウンがたった3日で修理を終え、作戦に参加したことです。 日本はこの時点で空母はエンタープライズ、ホーネット二隻だけと考えていました。 また、日本海軍側の問題としてはすべての判断が作戦重視、情報軽視の思想だったためこういう結果を生んだと思います。 詳細なことはURLを参照ください。 A ベストアンサー 当時の帝国海軍及び陸軍の致命的な欠点の一つとしてあげられるのが「補給の軽視」です。 そもそも海軍の対米戦略は「艦隊決戦による早期講和」でそのために艦隊の整備を行って来ました。 長大な航続距離と偵察機を装備した「イ号潜水艦」はその典型で「艦隊決戦を行う前に敵艦隊の戦力をすり減らすため」といった通商破壊を主とするWW2での各国の潜水艦戦略とは大きく異なった運用法からも見てわかるとおり、「潜水艦はあくまで補助戦力」といった考え方から抜け出せず、米軍の魚雷の劣悪な性能も相まって「輸送・補給船団が潜水艦に攻撃されたとしても大した損害はないだろう」、「護衛は旧式駆逐艦でもつけとけばいいだろう」と考えた結果もともと少ない輸送船及び護衛艦は大損害を出し、次第に作戦遂行に影響を与え始めます。 昭和18年11月になってようやく「海上護衛総司令部」を設置し12月には護衛空母4隻を編入するなど、それなりの体裁を整えますが、主力となるはずの駆逐艦は「峯風型」や「神風型」といった旧式艦ばかりでした。 帝国海軍の駆逐艦は対潜戦闘よりも上記の艦隊決戦構想のため対艦戦闘と主眼とした装備で対潜性能が低く、狩るはずの潜水艦に逆に沈められるケースも多く、もっとも米潜水艦による駆逐艦の損害が多かった昭和19年だけでも30隻の駆逐艦が撃沈されています。 長々と書いてまいりましたが、 1 日本海軍は開戦初頭に占領したウェーク島の補給が限界地点だといわれており、ウェークよりもさらに遠いハワイやパナマを占領し維持し続けるための輸送能力及び護衛戦力があるのか? 2 ガトー級だけでも200隻あまりを計画し大戦中にほとんどを整備した米国の造船能力・潜水艦戦力に対抗できるのか? 3 北方 ソ連 を重視し、泥沼の中国戦線を抱え、南方に戦力を割かなければならない状況を苦々しく思っていた陸軍からハワイ・パナマを占領し維持するために必要な戦力を抽出することが可能か? 等々、ハワイ・パナマを占領し維持するだけでも「日本軍には不可能」と言わざるを得ません。 西海岸の爆撃ともなると防弾性能の貧弱な日本軍機が、管制された雲霞のような米軍迎撃機群、対空砲火網を突破し、爆撃し、帰還出来る機体が何パーセントあるのか、など考えるだけでも恐ろしい損害を出すことが予想されます。 細菌兵器の使用に関しては昭和19年から実行された米本土爆撃作戦 ふ号作戦 で計画されたものの作戦内容を知った天皇陛下によって細菌兵器の使用が禁止されたことがあるため、今回のケースでも実行されることはないと思います。 長文失礼しました。 当時の帝国海軍及び陸軍の致命的な欠点の一つとしてあげられるのが「補給の軽視」です。 そもそも海軍の対米戦略は「艦隊決戦による早期講和」でそのために艦隊の整備を行って来ました。 長大な航続距離と偵察機を装備した「イ号潜水艦」はその典型で「艦隊決戦を行う前に敵艦隊の戦力をすり減らすため」といった通商破壊を主とするWW2での各国の潜水艦戦略とは大きく異なった運用法からも見てわかるとおり、「潜水艦はあくまで補助戦力」といった考え方から抜け出せず、米軍の魚雷の劣悪な性能も相まって「輸送... A ベストアンサー 太平洋には3隻しか航空母艦がいませんでした。 これはドイツの海軍が大西洋で活動を激化させたのと、英国への武器援助法などのほうが重要だったので、大西洋に重点的に空母を配置したからです。 太平洋にいた空母ですが、サラトガは、サンディエゴで整備をしていました。 攻撃後、あわてて真珠湾に進出しましたが1月12日に真珠湾の近くで日本の潜水艦から魚雷を撃ち込まれて大損害をだし、またもや本土のブレマートンで修理する羽目となりました。 同じ型式のレキシントンは、ミッドウェイに飛行機運んでいました。 エンタープライズは、ウェーク島に飛行機を運んでいた帰りに母港の真珠湾が襲われたので、日本艦隊を1隻で探していましたが空振りであります。 6隻もいる空母機動部隊に一隻で立ち向かうのですから、温存どころか無謀に近い勇気があるものだと感心します。 航空母艦は英語でCarrier 単なるキャリアーです。 文字通り飛行機運びをしていたわけですね。 で、戦艦は大事に要塞地帯である真珠湾に温存されていました。 空母が温存、どころか、飛行機運びと修理していただけでです。 運んでいただけですから攻撃能力もありません。 空母しか残らなかったので、空母でしか初期の戦争行動ができなかったのが真相で、珊瑚海ではレキシントンまで沈められてしまうし、ミッドウェイでは1隻が半分こわれた状態で使われています。 情勢はガダルカナルが終わるまでアメリカにとって決して楽ではありません。 陰謀とか空母を温存しておいたというウソがこの時代になっても大手をふって出てくるということこそ、歴史を学ぶ上でひっかかってはいけないホラ、都市伝説でしかないことを、見抜けるようになってください。 その証拠に、陰謀を言い立てる人は、証拠を出すことができません。 ネタとしても、もう賞味期限切れでしょう。 太平洋には3隻しか航空母艦がいませんでした。 これはドイツの海軍が大西洋で活動を激化させたのと、英国への武器援助法などのほうが重要だったので、大西洋に重点的に空母を配置したからです。 太平洋にいた空母ですが、サラトガは、サンディエゴで整備をしていました。 攻撃後、あわてて真珠湾に進出しましたが1月12日に真珠湾の近くで日本の潜水艦から魚雷を撃ち込まれて大損害をだし、またもや本土のブレマートンで修理する羽目となりました。 同じ型式のレキシントンは、ミッドウェイに飛行機運んでいました... A ベストアンサー 負けは当然ではありません。 ただ単に大本営の作戦指導にミスがあっただけの事です。 勝ち目はありました。 最大の失策はアメリカ1番の弱点を攻めきれなかった事です。 今も昔もこれからもアメリカの1番の弱点は人種問題です。 当時は現在よりもさらに人種問題は深刻でした。 その人種問題を謀略を用いて攻めきれなかった事。 これが日本軍最大の失敗です。 当時の米国では黒人等の有色人種の権利は法的にも低いもので平然と差別が行われていました。 黒人等の有色人種はそれに不満をつのらせていました。 太平洋戦争が始まった時も黒人達は、対外戦争での勝利と、国内での人権向上の権利を得る戦いに勝つ、二つの勝利を目指す「2つのV」というスローガンを掲げていたぐらいです。 政府としては国内を平穏にしておくためと、不足する労働力を得る必要性から黒人への権利拡大に動きます。 その結果、それまで白人しか働けなかった職場に黒人が配置されたり、黒人がそれまで就けなかった地位に就くようになりました。 しかし、これに反発したのが白人労働者で「黒人と一緒に働くくらいならヒットラーやヒロヒトが勝ったほうがましだ! 」とストライキや暴動を起こしています。 軍需工場によっては白人労働者の9割が職場を放棄したり、2万人の労働者が職場放棄した造船所もありました。 1942年8月のライフには緊迫する軍需産業都市デトロイト 軍需物資の3割以上を生産していた都市 について「デトロイトでは人種対立が激化し、ヒットラーと戦う前に互いに憎しみをつのらせている。 モラルの低下は国内でも最悪の状況で、デトロイトはヒットラーを粉砕する前にアメリカを吹き飛ばしてしまう危険がある」という記事を載せています。 実際、翌年にはデトロイトでは大規模な黒人対白人の人種暴動が発生し34人が死亡し1000人が負傷し、軍が動員され暴動が鎮圧されています。 こうした暴動はデトロイトだけでなく全米各地で発生しており47都市で100を超える人種暴動が発生しており、軍需生産にもかなりの影響を与えています。 メキシコ系住民と白人との間にも暴動は発生しています。 人種対立は軍需産業における労働者だけではありません。 アメリカ軍内部でも発生しています。 白人兵による黒人兵への差別、暴力は多く、それが暴動にまで発生した事件もありました。 ルイジアナで起きた黒人兵の暴動では28人の黒人兵が射殺され3000人が逮捕されています。 3000人といえば丸々1個連隊に相当する人数です。 それが戦争に行く前に内部対立で失われているのです。 だから当時の黒人兵が回想で「我々が戦うべき相手はドイツ兵なのかアメリカの白人兵なのか」というような事を証言しています。 日本は白人と黒人、メキシコ系などの有色人種の対立を加熱させ利用するべきでした。 アメリカの国力は日本の10倍です。 しかし、その巨大な工業力も人がいなければ動きません。 工作員を多数確保し白人側には黒人の社会進出の不満を煽り、黒人などの有色人種には白人支配の不満を爆発させるようにして、白人側、有色人種の側、双方から煽り対立を激化させアメリカ国内を紛争状態にし、その工業力を発揮させないようにするのです。 有色人種が武器を持ち立ち上がり内乱状態にもっていければ最高です。 日本はスペイン人を利用して戦時中にアメリカ国内にスパイ組織を確保していますが、このように第三国を利用して工作員を多数確保するのもありでしょう。 できれば戦前から工作員を確保しておくべきです。 日露戦争の時に明石元二郎大佐がロシア国内の反政府勢力を援助してロシア軍の大部隊を国内に釘付けにさせる事に成功していますが、そのような成果を狙えれば、なお良いでしょう。 もしアメリカ最大の石油生産地帯である南部で大きな反乱が起こり、石油の流通に滞りがでればさらに良いでしょう。 日本も戦前からアメリカの弱点の一つとして黒人社会と接触していますが、その工作は規模が小さすぎ大きな力とはなっていないように見えます。 これは完全な日本軍の手落ちでしょう。 なお、前述したデトロイトの暴動は日本人工作員によって発生したらしいという話しもありますが、確実な証拠に乏しく詳しい事は判明していません。 アメリカの国力は大きいですが、それが軍需産業としてフル活動するには時間がかかります。 だから1942年10月には太平洋で無傷の大型空母は0隻になるという状況も発生しています。 エセックス空母の1番艦が実戦に出て来たのは1943年からですし、アメリカ軍の戦力が大きく増強されるのは1943年以降です。 それまでの間にアメリカ国内で人種対立を激化させ内乱状態にまで持っていければ、アメリカは国内問題を先に解決しなければならず、日本に有利な態勢で講和という事もありえるかもしれません。 要は敵の内部を撹乱するのは兵法の常道でもあるにも関わらず、それを怠った大本営の作戦ミスです。 後はミッドウェー作戦での空母戦力の分散でしょう。 アリューシャン作戦を行い空母を分散させました。 連合艦隊内部にもアリューシャン作戦は中止し、その空母を南雲機動部隊に合流させるべきだの意見がありましたが、採用されませんでした。 戦後、ニミッツ元帥もこの兵力分散を批判し、兵力を集中していれば日本が勝利していた可能性がある事を指摘しています。 ミッドウェー海戦では日本の暗号が解読されていた事を敗因に挙げる人もいますが、暗号を解読していたにもかかわらず空母ホーネットの爆撃隊は日本の空母を発見できず、20隻近いアメリカ潜水艦も空母を第1目標にするよう命令されていながら1隻も戦果を上げれなかった事からわかるように、必ずしも絶対的な要因ではありません。 もし、日本がミッドウェー作戦で空母を集中投入していれば勝利していた可能性はかなりあるかと思います。 そして、ミッドウェー海戦で勝利していれば、その後の展望も大きく違ってくるかと思います。 さらに日本潜水艦隊による通商破壊戦を全力で行う事でしょう。 アメリカは開戦時、Uボートの活躍で石油不足に陥っていますし、イギリスもUボートの活躍で海上交通路を攻撃され危機的状況にありました。 これに日本の潜水艦による通商破壊戦の戦果が加われば、両国は一層苦しめられた筈です。 しかし、日本は潜水艦を全力で通商破壊戦に投入する事はしませんでした。 潜水艦部隊から通商破壊戦実施の要望が出されてはいましたが採用されませんでした。 つまり・・・ 1 アメリカ本土での人種対立を激化させ国力を発揮させなくする。 2 ミッドウェー作戦では空母を集中投入する。 3 潜水艦による通商破壊作戦を全力で行う。 この三点だけでも成功すれば戦局は大きく動くでしょうし、日本の勝利の可能性もあるかと思います。 細かい事を言えば、まだまだありますが、多くの皆さんが言うように、日本の勝利が不可能だとは、少なくとも私は思っていません。 善戦どころか勝利する可能性もあったのに、日本の軍部の作戦ミスで敗北したと私は判断しています。 負けは当然ではありません。 ただ単に大本営の作戦指導にミスがあっただけの事です。 勝ち目はありました。 最大の失策はアメリカ1番の弱点を攻めきれなかった事です。 今も昔もこれからもアメリカの1番の弱点は人種問題です。 当時は現在よりもさらに人種問題は深刻でした。 その人種問題を謀略を用いて攻めきれなかった事。 これが日本軍最大の失敗です。 当時の米国では黒人等の有色人種の権利は法的にも低いもので平然と差別が行われていました。 黒人等の有色人種はそれに不満をつのらせていました。 太平洋... 日本の勝算は上がったでしょう。 真珠湾攻撃の時、太平洋にはアメリカの大型空母3隻がいました。 エンタープライズはオアフ島西約200浬に位置し、レキシントンはミッドウェー島南東約420浬に位置し、サラトガは本土のサンディエゴで整備中でした。 これが全て真珠湾で大破し 大破の状況にもよりますが・・・複数の魚雷を受け大きな損傷負って修理に手間取り戦線復帰に半年もかかるとか、そこまでの損傷ではなく2~3カ月で復帰するとか、色々考えられますが 、それと空母に所属する飛行隊も壊滅したと仮定しますが・・・ まず、最初の日本軍の真珠湾攻撃において空母を大破させたなら、日本軍は史実では行われなかった第二撃を行う可能性もあるかと。 第二次攻撃を行わなかった理由の一つが敵空母の所在不明です。 それが真珠湾で大破し、ましてや史実での戦果予測ではハワイの敵航空部隊も壊滅に追い込んでいる状況です。 特に日本側の水平爆撃隊は損失機0でもありました。 第二次攻撃を行いさらなる戦果を得たかもしれません。 それはともかく、当然、米国としては空母を大西洋から回すと考えます。 当時、大西洋には就役したばかりで訓練中のホーネット 1942年2月より任務開始 、レンジャー、ワスプ、ヨークタウンの4隻の大型空母がいました。 ただし、レンジャーは防御に問題のある艦であり、史実でも太平洋での戦闘は無理だと判断され主に大西洋で輸送、護衛、訓練、上陸支援などの任務につきました。 1942年10月の南太平洋海戦で米国は無傷の大型空母が0隻となる「アメリカ史上最悪の海軍記念日」と米国側が言うほどの最悪の状況だったにも関わらず、レンジャーが太平洋に投入される事はなかった事から、真珠湾で空母3隻が大破してもレンジャーだけは大西洋で任務につくかと考えます。 なお、ワスプは史実では1942年に太平洋艦隊に編入されるまでは、マルタ島への戦闘機輸送任務を数回従事するなどしており、日本との開戦後、すぐに太平洋に投入するとすれば、その分、マルタ島の航空戦力が低下し、地中海を通る北アフリカ戦線のドイツ軍への補給路への攻撃がその分、和らぎ、ドイツ軍に多少有利な状況になるかもしれません。 そんなわけで、おそらくワスプ、ホーネット、ヨークタウンが太平洋に回されると考えます。 そして、ミッドウェー海戦までは史実と同じような展開になるのではないかと考えます。 そして珊瑚海海戦でも史実と同じように米国空母1隻が撃沈され、1隻が中破となり、ミッドウェー海戦になるかと思いますが、ここで仮定の上に推測でしかありませんが、真珠湾で大破した空母が修理を完了し戦線復帰。 米国は無傷の空母1隻に復帰した3隻の計4隻の空母で日本艦隊を迎え撃ちますが、問題は空母の航空部隊です。 史実では、ミッドウェー海戦での米空母部隊は訓練が完了していないパイロットまで作戦に参加させるほど切迫した状況でした。 今回はハワイ攻撃時に3隻の空母の航空部隊は打撃を受けているので、なおさら酷い状況かと思います。 空母は戦線復帰しても技量の未熟なパイロットを多数使う事になり、この点において、日本側は非常に有利になるかと思います。 ただし戦争に絶対はありませんから、日本が史実通りミッドウェーで敗北する可能性も充分あります。 その場合は、やはり史実通りの展開となり敗戦の道を辿っていくかもしれません。 しかし、ミッドウェー海戦で勝利した場合は戦局が大きく動くかもしれません。 まず、ミッドウェーで米国側がパイロットの低い技量が災いして敗北し、空母が全滅したとして、日本軍が次に狙うのはハワイです。 これは史実でもミッドウェー海戦前に、9月以降を目処にしてハワイ攻略戦の準備命令が陸軍では既に出されています。 ですが、その前にインド洋が焦点になります。 史実では6月に北アフリカ要衝のトブルク要塞を陥落させたドイツ軍が勢いに乗っており、ドイツとイタリアからインド洋での通商破壊強化と有力な艦隊派遣の要請が来ていました。 この状況に日本もインド洋で潜水艦隊や水上艦部隊を派遣する命令を出し準備していましたが、ガダルカナルの戦いが生じ、インド洋での作戦は極少数の部隊に任される事になりました。 しかし、ミッドウェーで勝利すれば米国はハワイの防備強化と航空部隊、艦隊再建に忙しく、ガダルカナルへの反攻は行わないでしょうから、日本は史実で予定されていた通りか、それ以上の戦力をインド洋に投入して通商破壊戦を行うかと思います。 インド洋は連合軍にとって、北アフリカ戦線、ソ連へのレンドリース ソ連への軍事援助で全体の約3割がインド洋を通りました 、ビルマ戦線、中国戦線への補給路であるばかりか、インドからイギリスへ戦略物資を運ぶ海上交通路でもありました。 もし、この海上交通路が阻害されれば、各戦線は崩れるかもしれませんし、イギリスは戦争遂行に大きく響くでしょう。 特にイギリスは1942年にはドイツのUボートの通商破壊戦により、穀物などの輸入量が低下し消費量が輸入量を上回り備蓄で何とか凌いでいました。 また貯蔵していた商船の燃料も3ヶ月分を切っている危険な状況でした。 これにインド洋でさらに大きな被害を被ればイギリスは持ち堪える事ができないかもしれません。 元々日本には政府上層部の言う「通商破壊戦により英国の死命を制し米国の態度を変える」「英米連合軍の弱点は英国にあると考えられる。 海上交通を断ち英国を餓死せしめて英国を屈服せしむること最も捷径なり」「英国の屈服に際し之と直ちに講和する事なく英国をして米国を誘導せしめる」という、まず英国を叩き、それにより米国との講和へ持ち込もうと言う戦略がありました。 これが実際に成功するかどうかはともかく、英国の死命は海上交通路にあり、もしインド洋を日本が制すれば、前述した各戦線に致命的であり、英国にも大打撃だった事でしょう。 また、日本の潜水艦隊は開戦時に南方とハワイ方面に大きく二分され作戦しており、ミッドウェーで勝利した場合も当然、インド洋だけでなくハワイ~米本土、オーストラリア~米本土間で通商破壊戦に全力をあげる事になるかと思います。 史実では大戦初期は日本の潜水艦も遠く米本土沿岸で暴れ周りましたが、戦局の推移とともにそれもできなくなりました。 しかし、ミッドウェーで勝利し米国の大型戦闘艦艇も多くを沈めたとなれば太平洋で通商破壊戦に力を入れる事も可能になるかと思います。 そうなれば、米軍も大西洋にばかり護衛艦を投入するわけにもいかず、その分、大西洋のUボートが楽になり戦果を拡大し英国を一層苦しめる事になるかもしれません。 そして、太平洋ではハワイ攻略戦となりますが、日本の潜水艦の通商破壊戦がうまくいけば、ハワイの防備も思うようには進まないかもしれません。 攻略自体は制海権、制空権をとれれば可能かと思います。 あまり陸軍の大兵力を投入できないでしょうが制海権、制空権を握れば圧倒的有利になります。 フィリピン攻略戦やマレー攻略戦、ジャワ攻略戦でも日本軍は連合軍より兵力が少ないにも関わらず勝利したのは、そうした要素において勝っていたからです。 ハワイの失陥は米国にとり大きな衝撃となるでしょう。 そもそも開戦前の米国の新聞には「日本は我々を攻撃する事はできない。 軍事的にも不可能な事だ。 ハワイの基地にしろ日本艦隊の有効攻撃圏の外にある」と載っていたくらいです。 おそらく、ここで活気付くのが米国内の黒人などの有色人種です。 開戦時、米国は一つに纏まっていたかのように言われますが、実はそうでもありません。 第一次世界大戦で黒人は待遇改善、地位向上を目指し、戦争に積極的に協力しましたが終わってみれば何も実りはなく失望だけが残りました。 その経験から第二次世界大戦に米国が参戦した時も、有色人種の間では冷ややかに戦争を見ている部分がありました。 また、大戦を勝ち抜くため軍の増強と軍需産業での人員確保に黒人も組み込まれますが、黒人のこれまでの不満を和らげ、また人手不足を解消するために、これまで働けなかった職場や地位に黒人が就きました。 それに反発したのが白人労働者で職場放棄や暴動を起こしています。 黒人側も歴史的に差別されている事から当然不満と反発がありました。 1943年だけでも全米47都市で100以上もの人種暴動が発生しています。 これにより、軍需産業の生産にも影響が出ています。 デトロイトの暴動では黒人が軍の武器庫に突入しようとしました。 軍内部でも黒人対白人の暴動が発生しています。 暴動で逮捕された黒人指導者の中には「黒人は米国内の日本軍だ」「東条首相に日本の勝利を祈る」と言い放った人もいました。 日本の勝利がこうした米国内の不満分子である有色人種を刺激し、より一層、反政府運動を大きくするかもしれません。 もしそれが広がれば米国内は酷い紛争状態となり兵器や物資の生産は遅れ、生活用品の流通にも影響を及ぼし、市民の不満を更に募らせるかもしれません。 ただでさえ戦争で食肉やバター、ガソリンや暖房用燃料等色々な物が配給で不足気味なのです。 それが更に悪化したら・・・ そうなれば、米国は日本と戦うより先に国内問題を解決しなければならず、日本に有利な状況で講和という事になるかもしれません。 史実では、前述した1942年10月の「アメリカ史上最悪の海軍記念日」の後に、米国では上下両院議員選挙が行われましたがルーズベルトの民主党は51議席も減らしました。 ミッドウェーで負け、ハワイも攻略されたら民主党はもっと大敗し、ルーズベルト政権ももたないかもしれません。 日本の勝算は上がったでしょう。 真珠湾攻撃の時、太平洋にはアメリカの大型空母3隻がいました。 エンタープライズはオアフ島西約200浬に位置し、レキシントンはミッドウェー島南東約420浬に位置し、サラトガは本土のサンディエゴで整備中でした。 これが全て真珠湾で大破し 大破の状況にもよりますが・・・複数の魚雷を受け大きな損傷負って修理に手間取り戦線復帰に半年もかかるとか、そこまでの損傷ではなく2~3カ月で復帰するとか、色々考えられます... A ベストアンサー 戦争をしなかった、という選択肢は 無かったと思われます。 日本が例えハルノートを呑んでも、米国は 必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと 思われます。 あのイラク戦争のようにです。 フセインは、米国相手に戦争などしても 勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。 それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に 持ち込まれ、処刑されてしまいました。 米国とはああいう国なのです。 当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。 GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が 街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。 ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は さっぱりです。 それでどうしても戦争をやる必要があったのです。 戦争は最大の公共事業ですから。 その証拠に戦後、米国 経済は見事な復活を遂げています。 その現れがハルノートです。 これは私の偏見ではありません。 米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は 公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ 過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分 にされてしまいました。 31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に 引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。 彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。 米西戦争では、 1898年 2/15 ハバナ湾で、 米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しています。 これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、 ということになり戦争が始まっています。 ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。 1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の 哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した とされる事件です。 これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、 その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し 真実が明らかにされました。 湾岸戦争 1990年 では アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが イラクのクエート攻撃に対して 「介入するつもりはない」と発言しており これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、 米国軍等により撃退されています。 米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には 一切姿を見せなくなりました。 その他にも怪しいのはいくらでもあります。 以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。 戦争をしなかった、という選択肢は 無かったと思われます。 日本が例えハルノートを呑んでも、米国は 必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと 思われます。 あのイラク戦争のようにです。 フセインは、米国相手に戦争などしても 勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。 それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に 持ち込まれ、処刑されてしまいました。 米国とはああいう国なのです。 当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。 GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の... A ベストアンサー そもそもミッドウエイ海戦を仕掛けたのは米軍空母を撃滅する目的であったはずです。 この空母は本来なら真珠湾で撃沈されているはずが山本長官の海戦時の戦争目的であったのを彼が南雲にその事を伝えていないばかりで、戦艦ばかりの撃沈で目的完了と空母索敵もせず引き上げてきたのがその後の海戦に大きなミスの繰り返しに繋がっていきます。 まず最大のミスは人事であります。 何故機動部隊の指揮官を航空機の指揮の経験のある人物を起用しなかったのか、勿論機動部隊を概念は出来たばかりで高官には砲術科や水雷科の連中ばかりで航空科には高官がいなかったこともあるだろうが、航空機で戦艦を撃沈する戦法は新しい戦法であったのであるから人事でも旧来の人事に囚われずに新人を抜擢していれば真珠湾攻撃の時に米軍が今後反撃に転じた時に再建に多くの時間をついやさなければならないぐらいに軍事施設や燃料タンクを破壊し、近海で訓練しているだろう空母の探査して空母同士の海戦が行われ、当時太平洋で保有していたアメリカの空母は壊滅していた可能性があります。 この機会を逃したことを後悔して立案されたミッドウエイ海戦では 敵も警戒して準備している相手に挑むのであるから人事も作戦も思い切った方策を採るべき所を従来道理の考え方で機動部隊の指揮官を前の失敗にもこりず新しい人事にもせず機動部隊の運行も第一線に空母部隊を 配置して戦艦群を第二線に配置したばかりに空母部隊が航空攻撃の標的になり空母が壊滅的な損害を蒙ってしまう。 もしこの配置を逆の戦艦群 を第一線に配置しておれば航空攻撃を戦艦群が受けたなら撃沈される前 に第二線の空母群からの援軍により対等の海戦になっていただろう。 山本長官は世界を正確に観察いていたようではあるが、海軍内部では力が 発揮できず周りの従来の仕来りに飲み込まれてしまい自分の考えを部下にも充分伝達出来ずに戦死してしまった将軍であるようです。 日本人の 欠点は非常時に従来の方式を大きく変える事が出来ない民族らしいがこのような時には独裁者でもでないかぎり思い切ったことが出来ないものです。 そもそもミッドウエイ海戦を仕掛けたのは米軍空母を撃滅する目的であったはずです。 この空母は本来なら真珠湾で撃沈されているはずが山本長官の海戦時の戦争目的であったのを彼が南雲にその事を伝えていないばかりで、戦艦ばかりの撃沈で目的完了と空母索敵もせず引き上げてきたのがその後の海戦に大きなミスの繰り返しに繋がっていきます。 まず最大のミスは人事であります。 何故機動部隊の指揮官を航空機の指揮の経験のある人物を起用しなかったのか、勿論機動部隊を概念は出来たばかりで高官には砲術科や水雷科... A ベストアンサー まず、作戦の目的が軍事上の必要よりもむしろ東条がチャンドラ・ボースの自由インド政府構想に参ってしまいその政治拠点を作ろうと言う政治的要素が強かった事。 牟田口が盧溝橋事件の時の現場の隊長であったため、日中戦争以来のおとしまえをつけて自分が手柄を立てて戦争を終わらせるなどと言う個人的な動機により立案した事。 川辺がそれを許容した事。 英印軍を侮り、2週間分の食料しか携行していなかった事。 マラリアなど熱帯性の疾患が発生したときの備えが皆無だと言っていいほど貧弱だった事。 これにより戦病死者・餓死者が続出した。 日本軍の撤退路には餓死者、重病者が放置され白骨街道とまで言われた。 またこの白骨転々と転がる様が後続部隊の道しるべとなったとさえ言われる。 武器弾薬の補給が全く考慮されていなかった事。 牟田口はジンギスカン作戦と称して牛に荷物を運ばせ最後にはその牛を食えばいいなどと言うフザケタ運輸方針しか持っていなかったため、山脈越えやチンドウィン川を渡河するときに牛はどんどん損耗していった。 敵は飛行機などをフルに使って補給を行ったがそれに対して無策だった事。 日本軍は山越え行軍のため軽装備であったが敵は戦車や大砲を備えた円筒陣地で待ち構え、日本軍の切り込み攻撃を無力化した。 司令官の牟田口は前線に出る事もなく知る事もなく避暑地のメイミョウあたりで安楽にしていた事。 一説によればメイミョウでは遊郭まであったそうな。 現場の師団長3名の反対を押し切り牟田口が作戦を強行した事。 意見の違う師団長3名を作戦中に罷免し指揮が崩壊した事。 現場指揮官のそれぞれをみれば勇戦敢闘したケースも見られる(特に撤退時の宮崎繁三郎少将など)が、そもそもの作戦の土台自体が牟田口のアレなもので、成功する見込みははなからなかったと言える。 まず、作戦の目的が軍事上の必要よりもむしろ東条がチャンドラ・ボースの自由インド政府構想に参ってしまいその政治拠点を作ろうと言う政治的要素が強かった事。 牟田口が盧溝橋事件の時の現場の隊長であったため、日中戦争以来のおとしまえをつけて自分が手柄を立てて戦争を終わらせるなどと言う個人的な動機により立案した事。 川辺がそれを許容した事。 英印軍を侮り、2週間分の食料しか携行していなかった事。 マラリアなど熱帯性の疾患が発生したときの備えが皆無だと言っていいほど貧弱だった事。 これによ... A ベストアンサー 日本海軍は、甲標的艦を完成。 実戦に投入しました。 2人乗りの水中高速型の潜水艦の開発に成功していたのです。 この事実に米軍は驚愕しました。 時の水上機母艦は、甲標的艦母艦として即座に改装可能なように設計、建造されていました。 潜水艦に対し相当力を注ぎ込んでいたようです。 日本軍では潜水艦とは、 隠密行動を取り、単独で侵入し、敵艦船を攻撃する為の兵器でした。 (特攻に近い思想) 艦隊戦では、艦隊の前で哨戒に当たらせ、 平時は、敵の基地付近の哨戒任務に付かせました。 一方、米軍の潜水艦は日本軍のそれよりはるかに劣ります。 酸素魚雷の開発もまだでした。 米軍は、 潜水艦を3隻一組とする狼狽戦法で弱い輸送船団を襲う事に専念します。 彼らは、日本軍の海防艦が、殆ど使い物にならない木造船である事を知っていました。 日本軍は 駆逐艦を重雷装する事により重巡洋艦と匹敵する戦力としようとします。 重巡洋艦は、重雷装させ、戦艦と互角で戦える事を目標としました。 その結果、被弾に対しては極めて脆く火災、誘爆が多かったのです。 米軍は、無理な雷装や、無理な作戦より、 より効果的な運用方法を目指しました。 追い詰められ、 潜水艦に戦艦が沈められるようになると、 日本海軍も、もう終わりだな。 こう言う空気が流れます。 潜水艦に対する防御、発見方法、攻撃方法などが確定していないと言う、根本的な問題でした。 >とくに太平洋に飛び飛びにある島の防衛などは、潜水艦を配備していれば強化できたと思います。 潜水艦は、常に最前線に投入され、後方は無視されました。 >日本の潜水艦のことはあまり聞きませんが、 海軍は、どうして潜水艦の開発に力を注がなかったのでしょうか? 海を制したかったら潜水艦が不可欠ではないでしょうか? 上層部は、敵艦隊を攻撃する事しか頭にありませんでした。 後方、補給よりも、最前線でした。 援護の無い、単独攻撃は、犠牲も大きかったようです。 日本海軍は、甲標的艦を完成。 実戦に投入しました。 2人乗りの水中高速型の潜水艦の開発に成功していたのです。 この事実に米軍は驚愕しました。 時の水上機母艦は、甲標的艦母艦として即座に改装可能なように設計、建造されていました。 潜水艦に対し相当力を注ぎ込んでいたようです。 日本軍では潜水艦とは、 隠密行動を取り、単独で侵入し、敵艦船を攻撃する為の兵器でした。 (特攻に近い思想) 艦隊戦では、艦隊の前で哨戒に当たらせ、 平時は、敵の基地付近の哨戒任務に付かせました。 A ベストアンサー 戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。 近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。 自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・ 1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。 2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。 この次期、米艦隊は正規空母12隻、護衛空母17隻を含む大艦隊を出撃させてきており、このうちの正規空母12隻、護衛空母4隻が日本近海に現れ本土空襲を行っています。 これを狙います。 ちなみに、この当時の米艦隊の正規空母の数は14隻ですから全部撃沈できれば、後がかなり楽になります。 F2攻撃機、約80機を中心とする対艦ミサイル攻撃で、空母を撃破します。 現代の対艦ミサイルを当時の米軍艦艇がそれほど迎撃できるとは思えないので、うまくいけばかなりの空母を撃破できるのではないかと・・・ また、B29への迎撃にもF15を出撃させます。 最大で4発のミサイルを別々の目標に連続発射できるF15の戦闘力に、B29の部隊は大打撃を受けるのではないかと・・・ さらに海上自衛隊の潜水艦部隊によるハワイの真珠湾攻撃を行います。 ハープーン対艦ミサイルは対地攻撃にも転用可能とという事なので、ハープーンで真珠湾の燃料施設や艦艇補修設備などに攻撃を行い、打撃を加えます。 要は自衛隊の進んでいる兵器を一挙に出して大打撃を加えるとともに、米軍にショックを与えます。 これでうまくいけば、アメリカは空母艦隊とB29の部隊とハワイの後方施設に大打撃を受け、直ぐには大きな作戦をできなくなるのではないかと思います。 その後は、まずシーレーンの確保です。 九州から中国沿岸、そして台湾海峡を通ってシンガポールへの海上交通路の守備に海上自衛隊のP3C対潜哨戒機の部隊や、一部航空自衛隊の戦闘機部隊を派遣します。 輸送船団には海上自衛隊の護衛艦隊も付けます。 航空部隊の根拠地の設営は大変でしょうが、部隊が稼動すれば米潜水艦隊の脅威へ大きな力になると思います。 日本の輸送船の撃沈された半数は、米潜水艦隊の通商破壊戦によるものだそうですが、当時の旧式な潜水艦なら現代の対潜哨戒機と護衛艦でかなりの確率で防ぎ、逆に戦果をあげられるのではないかと思います。 日本本土の防空は航空自衛隊の戦闘機とPAC3ミサイル部隊と、陸上自衛隊の高射特科団 改良ホーク地対空ミサイル部隊 が守ります。 攻撃には海上自衛隊の16隻の潜水艦部隊を使います。 潜水艦隊で通商破壊戦を行います。 第二次大戦末期のドイツで建造されたUボート21型は連合軍の対戦哨戒部隊にも察知されにくかったそうです。 それよりさらに技術の発展している現代の潜水艦なら数は少なくとも大きな戦果を期待できると思います。 未だフィリピンの日本軍の抵抗は続いており、米陸軍20万人が投入されている時点で、米空母艦隊が大打撃を受け、さらに通商破壊戦を仕掛けられたら・・・米軍は楽勝とはいかなくなるでしょう。 米軍としてはこうした進んだ技術の兵器対策に苦慮する筈です。 簡単には有効な対抗策は出てこないのではないかと思います。 まずは打撃を受けた艦隊の再編と、戦略爆撃部隊の戦術の見直し、フィリピンへの海上補給路の守備を固め、真珠湾の設備の再建をしなければなりません。 建造中のエセックス級空母の建造を急いでも、半年以内に戦闘に参加させる事ができるのは5隻です。 大西洋から部隊を回す必要も出てくるかもしれません。 一方、自衛隊を除く日本の連合艦隊の状態はよくありません。 戦闘可能な空母は小型の鳳翔1隻ですし、戦艦は2隻、巡洋艦も数隻、駆逐艦も二十数隻というありさまです。 南方から資源が入ってきたら、まずは艦隊の増強が急務でしょう。 まずは空母で建造途中の伊吹、天城や損傷状態の龍鳳、準鷹、葛城を戦闘可能な状態にしなければなりません。 他にも損傷を受けている戦闘艦艇があるので、大至急修理が必要です。 また、輸送艦の建造も急務です。 1945年1月から終戦時までに約180隻の輸送船が建造されています。 しかし、同じ期間に実に700隻が沈められているのです。 まあ、自衛隊の参戦で、その数は減るでしょうが、しかし、1944年だけでも約970隻の輸送船が撃沈されています。 日本の造船所はとにかくフル稼働しなくてはならないでしょう。 また、航空機パイロットの育成や、戦闘機などの生産も必要でしょう。 時間は幾らあっても足りないくらいです。 こうした中で、日本の潜水艦隊がどれだけアメリカに打撃を加えられるかが重要だと思います。 そしてフィリピンの米軍を孤立させ、ハワイを孤立させる事ができれば、新たな展望が開けるかもしれません。 時間が立てば、連合艦隊の戦力もある程度は回復してきます。 そうなれば、新たな作戦を立てる事も可能となるでしょう。 なお、そのうち満州にソ連軍が侵攻してくるでしょうが、これについては航空自衛隊の支援を受け、東満山地で持久戦を行えば、かなりの機間、持ち堪える事ができるのではないかと思います。 戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。 近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。 自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・ 1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。 2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。 この次期、米艦隊は正規空母12隻、... A ベストアンサー こういうのでどうでしょうか? 1 世界は3つのグループがあった。 A)アメリカやイギリスなどお金持ちの強い国。 Cグループの弱い国を支配していた。 B)日本・ドイツなど貧しくて強くなりたかった国。 AグループからCの国を奪おうとして戦争を起こした。 C)AグループやBグループに支配されていじめられて いたので支配から逃れようと運動をおこしていた。 2 開戦 ・日本は朝鮮や台湾・中国の北部を支配していた。 中国全部を支配しようと戦争を始めていたが、アメリカ やイギリスが邪魔をしたのでそれら強国との大戦争に なった。 ・ドイツも同じく周りの国々を軍隊の力で支配し、 アメリカやイギリスと大戦争になった。 ・強国に支配されていた国々は日本やドイツのやりかた が酷かったので日本やドイツと戦いを始めた。 3 流れ ・日本とドイツの戦争のしかたは奇襲といって相手が 油断しているときに突然襲う戦い。 だから初めは 勝つけれど、より強いAグループが本気を出すと 日本・ドイツは負けていく。 そして支配の仕方が 酷いので支配された国の人から恨みをかい日本と ドイツは大敗する。 4 終戦 ・負けることがわかっても日本だけ戦いつづけた。 理由は天皇を守るためということだった。 戦いが続く中、アメリカは原爆という大きな爆弾を 日本の広島と長崎に落として日本は降参した。 5 状況 ・この大戦争は初めは強国どうしのよその国を奪い合う 喧嘩だった。 けれど日本やドイツが少人数の偉い人の 命令をみんなは文句を言わず聞け、一人一人の事より 国=偉い人のほうが大事なんだという考え方と、一人 一人の事を大切にする考え方に賛成する国々との戦い となり、最後は日本と80の国々との戦いとなった。 ごめんなさい。 やはり難しいですね。 でもこれを下敷きに もっとお話し的に変えたらどうでしょう? こういうのでどうでしょうか? 1 世界は3つのグループがあった。 A)アメリカやイギリスなどお金持ちの強い国。 Cグループの弱い国を支配していた。 B)日本・ドイツなど貧しくて強くなりたかった国。 AグループからCの国を奪おうとして戦争を起こした。 C)AグループやBグループに支配されていじめられて いたので支配から逃れようと運動をおこしていた。 2 開戦 ・日本は朝鮮や台湾・中国の北部を支配していた。 中国全部を支配しようと戦争を始めていたが、アメ...

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【ミッドウェー海戦】わかりやすく太平洋戦争の分岐点の戦いを解説

ミッドウェー 海戦 と は

【ミッドウェー海戦】そもそも目的って何? ミッドウェー海戦前の太平洋戦争の戦況 1941年12月8日の真珠湾攻撃に始まった太平洋戦争は序盤、日本軍は驚天動地の破竹の勢いだった。 真珠湾攻撃では米太平洋艦隊の8隻いた戦艦を撃沈3隻、大破2隻、中破1隻、小破2隻その他艦艇、航空機にも大打撃を与えた。 着底したものの修理され44年のレイテ沖海戦に参加した。 アメリカ軍だけでなくイギリス軍に対しても、マレー沖海戦、セイロン沖海戦で勝利し。 イギリス艦隊は太平洋からマダガスカル島まで撤退した。 アメリカ、イギリス軍に大勝し潜水艦部隊がアメリカ本土攻撃を行ったり、マレー半島に上陸した陸軍が55日で1,100km進軍しイギリスの太平洋の一大拠点シンガポールを陥落させるなど日本軍の勢いは抜山蓋世であった。 日本本土初空襲【ドーリットル空襲】 そんな日本に衝撃が走る。 1942年4月18日。 アメリカ軍は空母エンタープライズとホーネットを日本近海に派遣しホーネットから爆撃隊を発艦。 指揮官の名前からドーリットル空襲と呼ばれる日本本土への初の空襲を行う。 日本軍の侵攻を受けながら貴重な空母を2隻も日本本土に接近させるヤンキー魂恐ろしや。 ミッドウェー海戦の目的 上記のようにミッドウェー海戦は、 ・日本本土への空襲を防ぐ為にミッドウェー島を攻略し、米軍を後退させ防衛網を東へ進める。 ・ミッドウェー島を攻撃し、米機動部隊を誘き出し殲滅。 反撃の芽を摘み米国を講和のテーブルに座らせる。 の2つの目的があったのだが……これが後にトンデモナイ災いになる。 ちょっと顔怖いけどほんわかエピソードのある御方。 私が大日本帝国海軍で一番好きな提督。 ・机上演習を満足いくまでやり直す。 太平洋戦争開戦から空母部隊は真珠湾攻撃、オーストラリア本土空襲、インド洋セイロン沖海戦と戦い続け長期休暇もなく疲労が溜まっていた。 ・索敵が不十分。 偵察予定の潜水艦部隊は整備や遠方からの参加でミッドウェー周辺に到着が遅れる、暗号が解読され航空機の索敵が妨害されるなど十分な索敵ができなかった。 ・参加空母が6隻から4隻へ 南雲機動部隊は「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」の6隻の空母から成る部隊だったが、ミッドウェー海戦の1ヵ月前(42年5月4~8日)の珊瑚海海戦で 翔鶴が中破、瑞鶴も艦載機を多数失い参加できなかった。 ・山本長官痛恨の死亡フラグ。 この戦いが終わったら~~ と手紙に書いてしまう。 連戦連勝続きが仇になり疲れと慢心が充満していて、ドーリットル空襲により急遽準備不足で出撃……。 ろ過機が故障して水が不足しています。 上陸の際は水筒忘れないようにするんだお。 それにしても暗号化もしないで送るなんて米軍も迂闊なんだな。 暗号解読により日本軍の次の攻撃地点がミッドウェー島であることも見抜いていた。 日本軍が90日掛かると思った損傷は2日後にはドックの外に出られるまで修復された。 日本軍はヨークタウンが長期の戦線離脱と思っており、ミッドウェー海戦には正規空母はエンタープライズ、ホーネットの2隻、軽空母のワスプはいるかもしれないと、3隻目の正規空母がミッドウェー海戦へ参戦することは想定外の事だった。 他にもミッドウェー島の防衛戦力の増強。 島の要塞化、新型航空機の配備を行い、日本軍が陽動の為侵攻した アリューシャン列島(上の地図 の黄色 )への攻撃(AL作戦)へも最低限の援軍しか送らず、 ミッドウェーでの決戦に備えていた。 発想はいいんだけど色々詰めが甘い気がするんだ我々日本人って。

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ミッドウェー海戦 (日本機動部隊全滅)

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中の 1942年6月3~5日,による攻略およびアメリカ海軍反撃作戦に基づいて戦われた。 日本の大敗北となり,戦局のがアメリカ合衆国に移るという戦争の重大な転換点となった。 日本艦隊の索敵は錯誤のため,アメリカ空母部隊の発見が遅れ,ミッドウェー基地と空母の雷撃隊には多大な損害を与えたが,アメリカの急降下爆撃機によって空母 4隻が損傷し,南雲部隊の航空戦力は壊滅,空母の『』『』『』『』などと, 3500人,航空機 300機を失うという惨敗となった。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について の解説 太平洋戦争中、日米両機動部隊の間で戦われた海戦。 1942年(昭和17)4月の米機動部隊による本土空襲に衝撃を受けた日本海軍は、防衛ラインの拡張と米機動部隊への決戦の強要とを目的としてミッドウェー島攻略戦を決定し、連合艦隊の総力をあげて同島周辺海域に出撃、6月5日には同島への空爆を実施した。 しかし索敵活動を軽視したため反撃に出た米機動部隊の発見が遅れ、攻撃部隊の発進準備中に米急降下爆撃機のを受けて大損害を被った。 この海戦で日本側は赤城 あかぎ 、加賀、蒼龍 そうりゅう 、飛龍の四主力空母と重巡一隻が沈没し航空機約300機と多数の熟練パイロットを失ったのに対し、米軍の損害は空母一隻沈没、航空機150機喪失にとどまり、その結果、制空・制海権の確保に支えられた緒戦における日本軍の優位は崩壊し、以後太平洋戦争は連合軍の反攻という新しい局面に突入する。 [吉田 裕] 出典 小学館 日本大百科全書 ニッポニカ 日本大百科全書 ニッポニカ について の解説 …そして42年1月2日マニラ フィリピン進攻作戦 ,2月15日シンガポール マレー進攻作戦 ,3月8日ラングーンを占領し,3月9日ジャワ島のオランダ軍を降伏させるなど,日本軍は開戦後約半年のあいだに東はギルバート諸島とソロモン諸島から西はビルマに至る広大な地域を占領した。 一方,連合艦隊は5月7~8日の珊瑚海海戦では優勢勝ちを収めたが,6月5日ので4隻の主力空母を撃沈され,太平洋正面の制海権と制空権を失った。 2 1942年8月~43年2月 連合国軍の反撃と日本軍の戦略的持久の時期 8月7日連合国軍がガダルカナル島へ上陸し,以後約半年にわたり同島を含むソロモン諸島周辺で陸海空の大消耗戦が展開された ,第1~3次ソロモン海海戦,南太平洋海戦など。 出典| 株式会社平凡社 世界大百科事典 第2版について.

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