ホテル ニュー ジャパン 火災。 ホテルニュージャパン火災の原因!被害者や跡地・心霊や幽霊騒ぎを解説【写真あり】

ホテルニュージャパンの跡地 廃墟は14年間放置ってマジ!?都心のどまんなかに不気味なホテル

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スポンサードリンク 火災概要 火災は、1982年(昭和57年)2月8日の午前3時24分に発生。 主に火元の9階と10階を中心に同日12時半過ぎまで9時間に渡って燃え続けた。 炎は7階にまで達しており、延焼面積は約4,200平方メートルに達した。 ホテルの宿泊客を中心に死者33名(台湾人12、日本人11、韓国人8、アメリカ人1、イギリス人1)・負傷者34名を出す大惨事となった。 (引用:wiki) 原因 9階938号室に宿泊していたイギリス人の男性宿泊客の寝タバコが原因 また、ここまで大きな事故になった原因として防火設備の不備があげられています。 スプリンクラー設備などの消防設備を一切設置しなかったこと 火災報知機も故障したままの放置状態だったこと ホテル館内放送設備も故障のまま、また使用方法の誤り(非常放送用のテープを回そうとしたがベルトが切れて回らず、マイクもヒューズが切れていて放送できなかった)[4] 宿直ホテル従業員の少なさ、ホテル従業員の教育不足による初動対応の不備 客室内の防火環境不備(可燃材による内装、間仕切りの一部が木製だった、など) 防火扉が多数閉鎖しなかったこと(参考:wiki) ほかにも全室から外が見られるようにフラクタル構造の形をした建築で、迷路のようなつくりになっていたことも指摘されているようです。 実際どういうつくりかは以下の画像を見てください。 (引用:特異火災事例) まさに迷路ですね。 煙で見えなかったのが想像できますね。 先日自宅近くで1軒屋が全焼する火災があったのですが、すさまじい熱さでした。 たかだか30平米ほどの建物でそのくらいですから4,200平米だと相当でしょうね。 驚きの言動 今回は社長のあきれた言動も長い時間がたっても話題になる要因のひとつのようです。 ・「本日は早朝よりお集まりいただきありがとうございます」 ・「(被害が)9、10階で済んだのは不幸中の幸いでした」 ・「悪いのは火元となった宿泊客」 消化作業中に拡声器で報道陣に声明を出すなど、通常では考えられない行動をとったのです。 スポンサードリンク また、社員からの報告をうけ高級家具のみ運び出すよう指示したり、消防活動中の退院が火傷を負ったことを賄賂をおくろうとしたなどの行動もわかっています。 なんか、人間の本性というか欲にまみれた印象がぬぐえないですね。 人物像 wikiによると、貧しい農家の次男として生まれ、15歳で上京。 丁稚奉公をして2年後に独立。 戦後にGHQ出入りの商社となり、企業乗っ取りから実業へ。 という根っからの商人。 刑務所内では腰が低く、丁寧な対応の人物だったといわれているようです。 また、台湾人の遺族を慰霊のため毎年日本に招待していたという話もあります。 すでに1998年になくなっていますが、メディアにすればいい材料だったかもしれませんね。 (アイコン画像:).

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ホテルニュージャパン火災の原因|66名を救った消防士・高野甲子雄

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もくじ• ホテルニュージャパン火災と羽田沖墜落事故の概要 ホテルニュージャパン火災事故の概要 1982年の2月8日に 東京都千代田永田町のホテルニュージャパンで 起きた火災で死者33人の悲惨な事故です。 出火元は9階で宿泊していたイギリス人の 寝タバコ。 お酒で酔っ払っていたようです。 1本の煙草が死者33人と 大惨事になってしまった訳ですが、 それにはホテルニュージャパン側の対応がありました。 詳細は後述させて頂きますが、 結論から言いいますと この ホテルニュージャパンの当時の社長の 横井英樹氏は実刑判決を受けています。 また、 ホテルニュージャパンも 東京都から営業禁止処分を受けその後廃業して しまっています。 1本の寝タバコから 明るみになった企業側の悲惨な実態。 そこに人の欲が絡んでいたことは言うまでも ありません。 後述させて頂きます。 2019-09-19 07:04 スポンサードリンク 羽田沖墜落事故の概要 こちらの事故は 1982年の2月9日に起きています。 奇しくもホテルニュージャパンの火災事故の 翌日に発生しています。 しかも同じ東京で。 なので東京は連日の大事故で もうてんやわんやだったそうです。 消防車も警察も報道各社も対応に 必死だったと。 で、 この事故の概要というのがこちらです。 日本航空350便が福岡を出発して 東京に向かう途中で、 機長が上空で逆噴射をしてしまい羽田空港沖に墜落。 その結果、 乗客24名がお亡くなりになられました。 重軽傷者の数は乗客と乗員を合わせて149名。 凄惨な大事故となっています。 ちなみに 逆噴射と言うのは、 文字通り進行方向とは逆に噴射することで 急減速がかかるということですね。 この逆噴射によりスピードが急減速、 急降下するということですね。 なので この事故は日航逆噴射事故とも 呼ばれています。 考えるだけでも恐ろしいですね。。。 日本航空と言うと あの稲盛和夫さんが経営再建をされた ことで有名なJAL。 それが人災と言われている理由です。 詳細を後述させて頂きますね。 2019-09-19 06:57 スポンサードリンク ホテルニュージャパン火災と羽田沖墜落事故は人災と言われる理由 ホテルニュージャパンの火災が人災と言われる理由 この事件は上述させて頂いた通り イギリス人の客による寝タバコが原因です。 ただ、 火を消すスプリンクラーや防災時の対応が あまりにも杜撰であったために人災と言われて います。 具体的に言いますと、 火事の時のホテルをイメージして頂ければ と思いますが通常稼働しているあのスプリンクラー。 水を撒く天井についているあの機械ですね。 あれがついていなかったんだとか。 付いている部分もありましたが、 水道管が通っておらず見せかけのもの だったようです。 ホテル側の従業員は 消防署からスプリンクラーはもちろん 火災時の定期点検についても事前に言われていたので 上層部にかけあっていたそうですが、 コスト削減の為に却下されたと言われています。 その上層部というのが当時の社長の 横井英樹氏。 この社長が火災発生現場でこの事故は 宿泊客に責任転嫁するような発言を拡声器で 事故の当日に報道陣にしてしまったのも 火に油を注ぐ事態となりました。 その時の横井英樹社長の言葉がこちら。 wikipedia. なので、 そもそも事故の原因は宿泊客の寝タバコで あったが、 そういった 事故が起きた時に対応する準備を お金の問題で怠っていた。 なので人災だと言われています。 他にも従業員にも火災時の対応の教育が なされていなかったことなど 多々ホテル側の落ち度が指摘されています。 ラグビー日本代表が終始 口にしている、 この準備という言葉。 身につまされますね。 2019-08-10 13:03 スポンサードリンク 羽田沖墜落事故が人災と言われる理由 こちらの事故の原因は機長にあると 言われています。 というのも 機長は精神鑑定により妄想性精神分裂病と 診断されていたからです。 なので 機長は業務上過失致死罪により 逮捕されていましたが、この診断により 心身喪失の状態にあったとして検察により 不起訴処分になっています。 事故の1年後には日本航空を解雇されていますが。 で なぜこれが人災と企業の体質に関係が あるかと言いますと、 実はこちらの 機長はこの事故を起こす前から 問題行動を起こしていたそうですが放置されて いたそうです。 例えば、 旅客機としては異常な旋回も しており乗客からクレームも入っていたそうです。 ですが、この一件も 副操縦士が会社側に報告を怠っており 黙殺されたとか。 なぜ副操縦士は報告しなかったのか? それは機長が管理賞で副操縦士は評価される 立場であったため、 言いにくかったのでは ないかと考えられているそうです。 また、 事故発生時は機長は 乗客を先に助けるのが航空法で定められていますが 当の機長は乗客を助けることなく先に避難してしまった というのだから驚きです。。。 精神的に異常な状態であった機長も 不幸ですが、そのような機長を乗務させていた 日本航空の安全に対する姿勢が強く批判された ことは言うまでもありません。 事前の機長の心身の状態を見極めている ことが出来ていれば防げた事故であったため 人災と言われています。 2019-07-22 07:39 スポンサードリンク ホテルニュージャパン火災と羽田沖墜落事故は人災のまとめ ということで今回は、 ・ホテルニュージャパン火災と羽田沖墜落事故の概要 ・ホテルニュージャパン火災事故の概要 ・羽田沖墜落事故の概要 ・ホテルニュージャパン火災と羽田沖墜落事故は人災と言われる理由 ・ホテルニュージャパンの火災が人災と言われる理由 ・羽田沖墜落事故が人災と言われる理由 について調査させて頂きました。 企業は人なりとは知られて言葉ですが トップに立つ人間はもちろん、 現場の人間の正しい判断が大きな事故を 予防する。 そんな教訓を学ばせて頂くことが出来ました。 僕自身、安全第一で行きたいと思います。 NEW! カテゴリー• 136• 123• 27 アーカイブ•

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この火災事故で、株式会社ホテルニュージャパンの代表取締役と防火管理者の支配人が業務上過失致死傷罪で起訴され、同代表取締役が禁錮3年(実刑)、防火管理者である支配人が禁錮1年6月(執行猶予5年)の判決となった。 主 文 被告人Aを禁錮3年に処する。 被告人Bを禁錮1年6月に処する。 被告人Bに対し、この裁判確定の日から5年間右刑の執行を猶予する。 訴訟費用は、別紙訴訟費用目録記載の証人に支給した分について、これを四分し、その3を被告人Aの、その余を被告人Bの各負担とする。 理 由 (認定した事実) 第一 被告人両名の身上、経歴等(略) 第二 ホテル・ニュージャパンの概要等 一 沿 革 ホテル・ニュージャパンは、昭和33年11月15日D製糖の系列会社として設立(資本金3億円)され、昭和35年3月23日ホテル営業を開始し、同年4月増資して資本金を6億円とし、昭和36年3月株式会社S国際会館を吸収合併して資本金を7億2,000万円とし、さらに、昭和38年12月S観光株式会社(資本金100万円)に吸収合併されたが、同時に会社の商号を株式会社ホテル・ニュージャパン(資本金7億2,100万円)と変更した。 その後、昭和44年2月、当時D製糖の専務取締役であったF 1らが代表取締役となり、他の役員もN 1らF 1系で固めたが、親会社であるD製糖は、砂糖業界の不況の中で苦しい経営を続けていたところ、前記のとおり、被告人Aとの係争がきっかけで、ホテル・ニュージャパンの持株を処分することになり、被告人Aらがその株式を買い取って、昭和54年5月28日、同被告人が代表取締役社長に就任し、前記のとおりN 1を除いて役員はすべて交替し、ホテル・ニュージャパンはA体制へと移行していった。 二 ホテル建物の概要 ホテル・ニュージャパンの建物は、東京都C区N町2丁目13番8号に所在し、敷地面積約8,752平方メートル、鉄骨、鉄筋コンクリート造り陸屋根、地下2階、地上10階、塔屋4階建の建物(延床面積約4万5,876平方メートル)で、地下2階から地上3階までは宴会場、食堂、貸店舗、ボイラーその他の設備等が設けられ、地上4階から10階まではホテル客室、貸事務所等があり、本件当時におけるホテル客室は計約420室、宿泊定員は約782名、ホテル従業員は約134名(他にパート約40名)であった。 同建物は、都心で立地条件に恵まれていたため、多数の内外国人が宿泊等で利用するほか、各種の会議その他催事等にも利用されており、同建物の構造、設備及び本件当夜の宿泊客等の詳細は、後述のとおりである。 三 会社組織 被告人Aが代表取締役に就任した後のホテル・ニュージャパンの組織は、まず、役員構成として、代表取締役社長が被告人A、取締役副社長がY 1であるほか、専務取締役Y 2、同N 1の2名を含む取締役4名及び監査役2名がいたが、前記のとおり、N 1専務以外はすべて被告人Aの縁故者であり、また、常勤役員は被告人AのほかY 1とN 1の2名に過ぎず、さらに、昭和54年10月N 1が取締役を辞任したため、会社運営を実質的に担っていた役員は被告人AとY 1だけとなった。 部・課等の組織、機構は、従業員の減少に伴い何度か改正を重ねたが、昭和56年8月の改正以後本件火災に至るまでの間の組織は、前記役員の下に支配人がおり、支配人が総務(部長以下3名)、経理(部長以下4名)、資材(部長以下4名)、営業(副支配人以下113名)、セールス(部長以下8名)の5か部を統括し(括弧内はいずれも本件当時のもの。 )、各部には部長、次長等がおり、その下にそれぞれ課が置かれ、課長、課長代理、主任等が配置されていた。 そして、消防署との連絡、折衝や防災設備の維持管理等消防に関する事務は、被告人Aの社長就任時は総務部営繕課の所管であったが、昭和54年9月の組織改正で同課と用度課とが統合されて資材課となり、さらに、昭和55年5月の改正で新たに資材部が設けられると、同部資材課として消防関係の事務を処理することとなった。 四 運営状況 ホテル・ニュージャパンは、設立当初は年毎に業績を伸ばしていったが、昭和39年の東京オリンピックの際、都内に大規模なホテルが次々と開業したため、業績が次第に悪化し、被告人Aがこれを引き継ぐころには、約30億円の累積赤字があり、その後も毎年の売上高は漸減し、土地の売却益等で黒字を計上した年度もあったが、経営収支では赤字経営が続いていた。 会社の運営状況をみると、F 1社長時代は、予算編成や経営上の諸問題を検討するための部長以上で構成する常務会、部長から主任までが参加する営業会議、稟議制度等があり、あらかじめ編成された予算に基づいて、会社の運営がなされ、指揮命令系統も職務分掌にのっとっていたが、被告人Aの社長就任後は、同被告人のワンマン経営の様相を呈した。 すなわち、指揮命令系統を無視して、部課長を集め、あるいは、直接担当者に指示するなどしたため、常務会や営業会議等は間もなく立ち消えとなり、予算編成も行われず、支出の都度に稟議を上げるという場当たり的なものとなった。 また、その稟議についても、F 1社長時代は10万円以上の費用を伴うものなどについて稟議が必要とされ、稟議もほとんどそのまま承認されていたが、被告人Aは、1万円以上の支出を要するものについてすべて社長の決裁を要求したうえ、支出を極端に削減したりするため、日常の食料品の仕入れなどの支払いはもとより、消防設備の保守、点検の費用等の支出にもさしつかえるほどで、被告人Bらは、副社長Y 1の了解を取りつけて、被告人Aの決裁なしに、なんとか日常的な費用の処理や要急の支出等をまかなう有様であった。 また、被告人Aは、合理化対策の一環として、大幅な人員削減を目論み、ホテル・ニュージャパンの労働組合に対し、強硬な姿勢で臨んだため、労使紛争も絶えず、さらに、極端な配置転換や懲戒処分等を頻繁に行なったりしたため、嫌気のさした従業員が次々と退職(被告人Bも昭和56年6月に退職を申し出たが、同Aの反対でとりやめになった経緯がある。 )するなどして、被告人A社長就任時にパートを含め約410名(うち正規の従業員約320名)いた従業員は、本件火災時には180名足らず(うち正規の従業員134名)にまで激減し、別紙(略)遡及工事状況等一覧表(略)記載のとおり、都心の主要なホテルに比してかなり少ない状況となっていたうえ、従業員らの仕事に対する意欲も、仕事量の急激な増加、給料の遅配等からくる将来への不安などのため、著しく減退している状態であった。 第三 罪となるべき事実 被告人Aは、株式会社ホテル・ニュージャパンの代表取締役社長として、同会社が経営するホテル・ニュージャパンの経営、管理事務を統括するとともに、防火対象物である同ホテル建物について、消防法8条1項にいう「管理について権原を有」し、かつ、同法17条1項の「関係者」として、同ホテル建物における消防用設備等を設置、維持し、防火管理者をして消防計画を作成させ、これに基づく消防訓練の実施、防火用、消防用設備等の点検、維持管理等、防火管理上必要な措置を講じさせるなどの業務に従事していたものであり、被告人Bは、右会社の支配人兼総務部長として、ホテル業務全般にわたって、被告人A及び副社長Y 1の下で、従業員らの指揮、監督にあたるとともに、消防法上の防火管理者(同法施行令3条)として、同ホテル建物について、消防計画の作成、消防訓練の実施、防火用、消防用設備等の維持管理等の防火管理業務に従事していたものであるところ、同ホテルは、客室数約420室、宿泊定員782名を擁する建物で、その内部の天井、壁面の大部分にはベニヤ板に可燃性クロスを貼り、大半の客室等の出入口扉には木製のものを用い、客室壁面、パイプシャフトスペースなどの随所に間隙があるなど、いったん出火すれば火煙が伝走、拡大し易い状態であり、主として客室、貸事務所として利用されていた4階以上の部分は、中央ホールを中心として約120度の角度で3方向に棟が延び、その各棟が更に同様のY字三差型となっている複雑な構造であるうえ、5、6、8ないし10階にはスプリンクラー設備若しくはこれに替る防火区画(以下、代替防火区画という。 )は全く設置されていないなど、同ホテル内から火災が発生した場合には、急速に火煙が同ホテル建物内を伝走して火災が拡大し、適切な通報、避難誘導等を欠けば、多数の宿泊客らを安全に避難させることが困難な状態となって、その生命、身体に危険を及ぼすおそれのあることが十分予見されたのであるから、火災発生時における宿泊客らの生命、身体の安全を確保し、死傷者の発生を未然に防止するため 一 被告人Aは、同ホテル建物につき、消防法令上の設置基準に従い、スプリンクラー設備若しくは代替防火区画(客室階では、廊下を400平方メートル区画、客室等の部分を100平方メートル区画とするもの。 )を設置するとともに、防火管理者である被告人Bを指揮して、防火、消防上必要な諸設備等の点検、維持管理及び火災発生時における具体的対策その他同ホテルの防火管理に関し必要な事項を定めた消防計画を作成させて、従業員らに対しこれを周知徹底させ、これに基づく消火、通報及び避難訓練や右防火用、消防用設備等の点検、維持管理等を実施させるなどして、出火に際しては、早期にこれを消火し、火煙の伝走、拡大を阻止するとともに、宿泊客らを適切に誘導して安全な場所へ避難させることができるよう万全の防火管理体制を確立し、もって、火災発生時における宿泊客らの生命、身体の安全を確保すべき業務上の注意義務があるのに、いずれもこれを怠り、前記スプリンクラー設備若しくは代替防火区画を設置せず、かつ、被告人Bを指揮して、前記のような消防計画の作成、消火、通報及び避難訓練、防火戸等の防火用、消防用設備等の点検、維持管理等を行わせなかった過失 二 被告人Bは、前記のように同ホテルの実態に適合した消防計画を作成して、従業員らにこれを周知徹底させ、かつ、これに基づく適切な消火、通報及び避難訓練を実施するとともに、同ホテル内の防火戸等の防火用、消防用設備等が火災時正常に作動するように点検、維持管理するなどして、火災発生時における宿泊客らの生命、身体の安全を確保すべき業務上の注意義務があるのに、いずれもこれを怠り、右のような消防計画の作成、消火、通報、避難訓練、防火戸等の防火用、消防用設備等の点検、維持管理等を行わなかった過失 の競合により、昭和57年2月8日午前3時すぎころ、同ホテル9階938号室から出火した際、早期にこれを消火し、あるいはその延焼を防止することができず、同ホテル9、10階の大部分の範囲にわたり、廊下、天井裏、客室壁面やパイプシャフトスペースの間隙等を通じて、火煙を急速に伝走させて延焼を拡大させ、かつ、宿泊客らに対する適切な通報、避難誘導等をなさなかったため、9、10階の宿泊客ら多数の者を早期に安全な場所へ避難させることができず、激しい火炎や多量の煙を浴びないし吸引させ、窓等から階下へ転落若しくは飛び降り、または狭い窓台を伝って火煙に追われながら脱出するのやむなきに至らしめるなどし、よって、別紙死亡者一覧表(略)記載のとおり、M 2ほか31名をそれぞれ死亡させ、かつ、別紙負傷者一覧表(略)記載のとおり、S 1ほか23名にそれぞれ傷害を負わせたものである。 (証拠の標目)(略) (当裁判所の判断) 第一 弁護人の主張 被告人Aの弁護人は、同被告人には、ホテル・ニュージャパンのような近代的都市ホテルで火災が発生し、しかも、本件のように火煙がたやすく伝走、拡大し、多数の死傷者を出すに至ることを事前に予見することは不可能であったうえ、本件火災による死傷者発生の直接的、具体的な原因は、従業員、警備員の初期消火その他の活動時における重大な不手際によるものであるから、スプリンクラー設備または防火区画等の未設置と右死傷者発生との間の因果関係は中断されるものであること、消防法上要求されていたスプリンクラー設備等の設置工事の未完了は、前経営者F 1にその責任があり、被告人Aが、同ホテルの経営を引継いだ以降は、右工事を完了させるだけの十分な資金がなく、その調達も著しく困難な状況下にあったから、本件火災発生前にこれを完成させることは事実上不可能であり期待可能性を欠くこと、同被告人においては、被告人Bが防火管理者として、防火、消防について平素から適切な措置を講じ、また、消防当局も日頃、防災設備の保守点検等に関し、行政指導を十分に行ってくれているものと信頼していたことなどを挙げ、被告人Aは無罪である旨を主張し、また、被告人Bの弁護人は、本件火災による多数の死傷者の発生は、被告人Aが営利第一主義の経営方針のもとに、防火・防災を無視した極端な支出の抑制、大幅な人員削減等を行ったため、消防用設備等の保守点検等を十分に行うことができなかったばかりか、消防計画やこれに基づく消防訓練を行うことも事実上困難であったことに基因するものであり、被告人Bは、このような状況下で、防火管理者として可能な限りの努力を尽くしていたのであるから、同被告人に注意義務の懈怠はなく無罪である旨主張する。 そこで、当裁判所は、まず、右過失判断の前提となるホテル・ニュージャパンの建物、設備や防火管理体制等の問題点、本件火災の具体的状況等を、前記証拠の標目に挙示した各証拠により検討したうえ、被告人両名に対して過失責任を認めた理由を示す。 第二 ホテル・ニュージャパンの建物の概要 一 建物の位置、周辺の状況等 司法警察員作成の昭和57年3月6日付実況見分調書(281)等によれば、ホテル・ニュージャパン(以下、本件建物またはホテル建物ともいう。 )は、東京都心部の通称A地区の一角(国会議事堂の西方約470メートル、A交差点の南南東約330メートル。 )に位置し、通称S通り(幅員約28メートル)に面し、裏手は東京都立H高等学校に、北西側は幅員約6メートルの道路を隔ててSグランドビル(9階建)、M大使館等に、南側は元R(3階建)に、南東側は幅員約9. 4メートルの道路を隔ててH神社とそれぞれ接しているが、その周辺には、衆参両議院の各議長公邸があるほか、高層ビルが建ち並び、会社事務所、銀行、商店、ホテル、飲食店等が混在し、深夜まで自動車、歩行者等の通行が絶えない都心の大繁華街となっていたことが認められる(当時の周辺の状況は、別紙図面(略) 1 参照。 二 建物の構造等 前記実況見分調書のほか、司法警察員作成の同年5月25日付検証調書(282)、Y 3、M 1の検察官に対する各供述調書(657、659)その他関係証拠によれば、次の各事実が認められる。 1 本件建物は、前記のとおり、防火地域であるC区N町2丁目13番8号の約8,752平方メートルの敷地内に、その一部を庭園、駐車場等として利用するほか、ほぼ一杯に築造され(建築面積約5,287平方メートル、別紙図面(略) 2 参照。 )、鉄骨、鉄筋コンクリート造り、陸屋根、地下2階、地上10階、塔屋5棟(3階屋上に2階建1塔、屋上に4階建1塔、3階建3塔)建(延床面積約4万5,876平方メートル)である。 2 建物の基本的な形態は、いわゆるY字三差型であり、別紙図面(略) 3 のとおり、中心部からそれぞれ約120度の角度で3方向に棟が延び、各棟の先端が更に同様に分岐した形状のものに、正面側に3階建の建物、左右両側に2階建の建物がそれぞれ付設された形の複雑な構造となっており、その外観及び規模等の概要は、別紙図面(略) 4 ないし 9 のとおりである。 このため、建物内部は、地下2階から地上3階までは複雑な多角形状となり、4階から10階は前記のとおりY字三差型となっており、階段、エレベーター等はその各中心部(中央ホール、東、西、南ホール)に集中していた(別紙図面(略) 10 ないし 22 参照。 そして、右各階の床面積は、地下2階約3,706平方メートル、地下1階約3,158平方メートル、1階約4,438平方メートル、2階約4,711平方メートル、3階約3,816平方メートル、4、6ないし10階各約3,484平方メートル、5階約3,593平方メートルである。 本件建物の基本的な構造は、2階宴会場の改装等小改造を除き、本件火災に至るまで、ほとんど昭和35年3月の竣工時のままであり、建物中央ホールより正面側(南西側・S通り側)は本館(ホテル側)と、裏側(北東側・H高校側)は新館(アパート側)と、また、4階から10階については、中央ホールから北東側Y字型部分(新館)が東棟、北西側Y字型部分(本館北西側)が西棟、南側Y字型部分(本館南側)が南棟ともそれぞれ呼ばれていた。 3 建物の使用状況等の概要は別紙図面(略) 10 ないし 22 記載のとおりであり(なお防災設備については後述する。 )、その主なものとして、地下2階には、電気室、機械室(ボイラー、給排水等)、従業員用食堂、T電力S変電所等が、地下1階には、調理室、機械室(空調等)、資材課事務所、倉庫等のほか、北西部分には、ショッピングアーケード街として、飲食店、理容室等が貸店舗としてあり、また、1階には、S通りに面して正面玄関があり、フロント、ロビー、主食堂、喫茶室、厨房やホテル事務室(経理部、総務部、セールス部等)、会議室、郵便局等のほか、花屋、宝石店、バー等の貸店舗が、また、北西側には幅約4メートルの通路を隔ててホテル建物とは独立して警備室が設けられていた。 2階には、大小宴会場、厨房、結婚式場、役員室等のほか、バー(貸店舗)、貸事務所等が、3階には、小宴会場、食堂、厨房、ホテル客室3室のほか、結婚式場、貸事務所、マッサージ室等があり、4階から10階までは、ほぼ共通の構造で、ホテル客室及び貸事務所、貸倉庫等があり、主として、客室は本館側に、貸事務所は新館側に配置され、右各階中央ホール横にサービスステーションが設けられ、なお、9、10階には、個人として区分所有しているF 2事務所及びF 2邸があった。 また、屋上には、中央塔屋(4階建)と東、西、南の各塔屋(3階建)が設置され、塔屋は貯水槽、機械室、空調機室等とされているが、屋上自体は格別営業等には使用されていない。 4 以上のとおり、本件建物には、その4階以上を中心に客室計411室、貸事務所等計111室があり(もっとも、本件火災当時フロント課が管理していた宿泊可能な客室数は約420室、宿泊客の収容定員は約782名であった。 )、外国人の宿泊客や、宿泊以外の利用者も少なくなかった。 そして、前記のとおりの構造の複雑さと、建物の使用状況からみれば、本件建物では、火災等の緊急時に、高層階の利用者、特に宿泊客が、深夜に自力で迷うことなく速やかに避難することは困難な状況にあった。 三 構造、設備上の問題点 1 内装等(4ないし10階) 一 廊下等の状況 司法警察員作成の昭和57年5月25日付、同年8月17日付、同年10月12日付、同月13日付、同月28日付、同年11月6日付及び同月10日付各検証調書(282、284、292、307、315、316、319)等によれば、幅員約2メートル、高さ約2. 2メートルの廊下が中央ホールを中心に各棟に延び、各棟のホールから更に約120度の角度でその先に延びている(別紙図面(略) 15 等参照。 そして、廊下及びホールの床面は、コンクリート上にフエルトを敷き、その上に可燃性のじゅうたんが敷かれていた。 西棟、南棟及び中央ホール(本館)の壁面は、コンクリートまたはブロック造りで、これに角材(数センチメートル角)を縦横直角に組んで打ちつけた上に、ベニヤ板(9階では厚さ約6ミリメートル)を張りつけ吹付塗装されている。 東棟(新館)廊下の壁面は、コンクリート壁に、寒冷紗を貼りつけ、あるいは直接、塗装したもの(ただし、9階中央ホールと東ホールの間は本館同様のベニヤ板張り。 )であり、東ホールは、コンクリート壁にビニール様クロス(10階は一部布製クロス貼り、4ないし7階は直接塗装。 )となっており、4、7階のみ、準不燃化(防火薬液塗料使用)されている。 廊下上方の天井は、コンクリートまたはコンクリート縦梁、横梁に吊り木が取りつけられ、これに角材(数センチメートル角)を縦横直角に組み、さらに石膏ボードを取りつけクロスを貼ったものとなっていた(4、7階のみ準不燃材のビニールクロス貼り。 )ことが認められる。 二 客室等の状況 司法警察員作成の実況見分調書(昭和57年3月6日付、同年8月11日付・281、283)及び検証調書(同年5月25日付、同年8月13日付、同月17日付、同年9月20日付、同年10月9日付、同月10日付、同月26日付、同月28日付、同年11月1日付(2通)、同月6日付・282、284、293、298、300、309、315~318、320)、警察庁科学捜査研究所主事作成の鑑定書4通(400~403)等によれば、各階の客室、貸事務所は、約20ないし80平方メートルの床面積で、その大半は奥に長い長方形をなし、その廊下側に出入口ドアが、その反対側に窓がある造りとなっていた。 そして、床面は、和室に畳敷きの部分があることなどを除けば、前記廊下と同様に可燃性のフエルト、じゅうたんがコンクリート床上に敷かれており、壁面は、コンクリートブロック、モルタル造りの間仕切り壁に一定間隔で木煉瓦、タル栓をはめ込み、これに角材(数センチメートル角)を縦横直角に組んで打ちつけ、その上にベニヤ板(厚さ約6ミリメートル)が取りつけられてクロスが貼られていた(右ベニヤ板の上に石綿板若しくは保温材とベニヤ板等が取りつけられ、その上に可燃性のクロスで仕上げられている部分もあった。 また、天井は、前記廊下と同様に、天井コンクリートからの吊り木、角材に、約2. 2メートルの高さの位置で石膏ボードを取りつけ、これにクロスを貼ってあった。 出入口は、片開きドアで、東棟(ただし、9階の8室は木製。 )と4、7階が鉄製ドアであるほかは、木製太鼓張りのドア(芯材に厚さ約6ミリメートルのベニヤ板を両面から張り合わせたもの。 )で、厚さ約4センチメートル、高さ約2メートル、幅約0. 9メートルのものとなっていた。 窓部は、床上約0. 7メートルの高さからの腰高窓(縦約1. 24メートル)となり、外側に鉄製枠のガラス引戸があり、また、大半の室内には、その内側に木製枠のガラス引戸があって、二重窓(普通ガラス入り)となっており、窓の外側には幅約24ないし25. 5センチメートルの窓台が各窓の下側にそって横にのびており(別紙図面(略) 24 参照。 )、窓の室内側には、木製板(約0. 3ないし0. 4メートル幅)が窓の下辺にそって水平に取り付けられ、その下は地袋等となっており、天井部には木製のカーテンボックスがあり、可燃性のカーテンが二重に取りつけられていた。 また、室内の廊下側に浴室兼便所があり、窓側が寝室、居間となっており、大半の客室には、木製クローゼット(洋服ダンス)、ベッド、木製ヘッドステット(上方には電話器、魔法ビン等が置かれ、中にはラジオ共聴子機がはめ込まれている。 )、木製の椅子、テーブル、ライティングデスクなどが置かれていた。 なお、本件火災の出火室となった938号室は、間口約2. 25メートル、奥行き約8. 1メートルで、同室内の状況は別紙図面(略) 23 とほぼ同様であったことが認められる。 以上のとおり、内装面については、4、7階廊下の天井及び壁面が準不燃化されているほかは、可燃性のものとなっているうえ、各客室等には、可燃性の調度、備品等が多数収納されており、容易に着火、炎上する状態であった。 2 客室の区画等(5、6、8ないし10階) 前掲検証調書(284、300、316~318、320)等によれば、客室内には、前記のように浴室等があり、天井までタイル張りの壁で一応区切られているものの、天井裏には間仕切り等はなく、客室内の天井裏は連続した空間となっていた。 隣室とは、前記のような間仕切り壁により区画されていたが、その窓側部分(縦約1. 4メートル、横約0. 3メートル)は木製板等で仕切られていたうえ、ブロック、モルタルの間仕切り壁自体にブロック積みの不完全な部分や、配管のためにあけた穴で埋戻しのされていない部分等大小多数の貫通孔があり、前記の木煉瓦、タル栓の部分も、その埋め込みが不十分のため、ブロックの穴が貫通しているものもあった。 廊下との区画についてみると、4、7階を除く各室の出入口ドア上部と天井(石膏ボード)との間には木製板(厚さ約4. 5センチメートル、縦約26. 5センチメートル、横約85センチメートル)が取り付けられているが、右板と上部のコンクリート梁との間(約18. 5センチメートル)には空調配管が通り、その周囲の埋戻しが不完全で空隙となっているため、廊下と客室の天井裏が素通しの状態になっていた。 また、ドアの上下にも空隙があり、廊下と室内との空気が流通する状態であったことが認められる。 3 廊下等の区画状況 前掲検証調書(292、307、316)及び司法警察員作成の昭和57年9月10日付検証調書 299 等によれば、廊下、ホールの天井裏には、ほぼ2、3室に1か所の割合でコンクリート製横梁がもうけられ、これをくり抜いて空調等の配管が通っており、廊下天井裏は右横梁によってほぼ仕切られた形となっていたが、前記のとおり、この梁の下面に角材が組まれ、その下側に石膏ボードが張られていたため、右角材の周囲には高さ数センチメートルの空隙ができていた。 また、客室出入口上方の壁面と天井(石膏ボード)とは密着しておらず、クロスで覆われているだけであったことが認められる。 4 防火区画 前掲検証調書(282、299、300)のほか、司法警察員作成の昭和57年7月16日付、同年9月3日付、同月7日付、同月25日付、同年10月4日付、同月5日付、同月22日付、同年11月1日付、同月26日付各検証調書(305、306、321、357、361~363、370)、O 1、H 1の司法警察員に対する各供述調書、Y 3の検察官に対する供述調書(615、616、657)、警視庁科学捜査研究所主事作成の鑑定書 625 等によれば、次の各事実が認められる。 一 5、6、8ないし10階の状況 各階とも、中央ホールから3方向に通じる廊下との境界部分に設置されている2か所の防火戸を閉鎖することにより、建築基準法上の1,500平方メートルの防火区画(同法施行令112条1項参照。 )となるような構造になっており、また、各階とも、階段室、エレベータースペース、パイプシャフトスペース(空調、電気、給湯、給排水等の各縦配管等。 )等は他の部分と区画(堅穴区画)されていた。 しかしながら、これらの区画には、それぞれ次のような欠陥があり、十分には機能し得ない状況にあった。 1 1,500平方メートル区画 各階とも中央ホールから北東側と南側に通じる各廊下との境界部分にそれぞれ防火戸が設けられ(別紙図面(略) 20 参照。 )、これが閉鎖することにより、これに接続するコンクリートまたはブロックの耐火壁と一体化して防火区画が形成され、中央ホールと西棟の部分、南棟の部分、東棟の部分の3つの区域に各階が区分され(1区画約910平方メートルから約1,407平方メートル。 )、延焼拡大等を防止する仕組みとなっていた。 ア 耐火壁 本件建物では、防火戸が閉鎖しても(9、10階については後記のとおり本件火災時不閉鎖。 )、9階では南棟と中央ホールとの境の壁(防火戸上部コンクリート梁上端西側の配管を貫通させた部分。 )に埋戻しがなく、10階でもほぼ同様の部位に、配管のない穴と配管の周囲の埋戻しのない穴が貫通し、空隙を生じており、4ないし8階についてもほぼ同様の空隙が生じていた。 イ 防火戸 前記の防火戸は、2枚の鉄扉(厚さ約1. 6ミリメートルの鋼板を太鼓張りにしたもので、厚さ約4センチメートル、縦約2. 1メートル、横約1メートル。 )をコンクリート壁に取り付け、温度ヒューズ装置(約70度で溶融)とフロアヒンジ(床面に埋め込んだスプリングによる閉鎖装置。 )等を組み合わせたもの(ただし、4ないし8階中央ホール北東側はドアチェック付。 )で、火災時には、温度ヒューズが溶融し、ドアを開放状態に維持している装置が働かなくなり、フロアヒンジ等によって右両扉が双方から自動的に閉鎖する仕組みになっていたが、本件火災当時には、温度ヒューズ装置の調整不良やフロアヒンジの機能低下に加えて、床面のじゅうたんが防火戸下部に当たり、閉鎖の妨げとなっていたことなどから、9、10階の計4か所の防火戸は、いずれも正常には作動せず、閉鎖しなかった。 また、8階以下の各階の中央ホールの防火戸も、同様に調整不良やじゅうたん、天井材との接触等で、正常に閉鎖しないものが多数あった。 2 堅穴区画(パイプシャフトスペース等) 空調、給排水等のパイプが上下階を貫通して各室まで配管されているため、その縦管設置場所は、コンクリートブロック、モルタルにより縦直方体に区画(パイプシャフトスペース)されているが、本件建物では各室前廊下側と各ホール脇等に設置されており、各室前廊下側のものはおおむね2部屋共用として設けられ、上下に通じる幅約3メートル、奥行約60センチメートルほどの空間の中に数本のパイプが設置され、廊下側に約50センチメートル四方の鉄製扉付点検口がある。 また、各ホール脇には、ほぼ台形状の断面(約1. 6メートル)の大型のパイプシャフトスペースがあり、十数本の大小各配管が設置されて上下に通じていたが、この大型パイプシャフトスペースの廊下側壁面に、9、10階(西ホール、中央ホール)ともに大きな穴が開いていたのをはじめ、各廊下側点検口付近等に大小多数の穴があり、また、907、1007号室をはじめ各室への引込み配管の部分にも、大小の空隙が多数存在していた。 これらの部分は、前記のとおり、ベニヤ板等の可燃性の内装材(4、7階のみ一部準不燃化。 )で覆われ、あるいは天井裏に通じるなどしており、このため、火災が発生すれば、その火煙が右区画内に及び、同所内の配管や周囲の空間を伝走して、上下階まで火災が拡大する危険性が高かった。 そのほか、階段室はドアチェック付の常時閉鎖防火戸(片開き鉄扉)で区画されていたが、エレベータースペースはその乗降扉周囲の鉄製枠上部と壁の間の埋戻しが不充分で空隙が生じていた。 二 4、7階の状況 両階の廊下、ホール等については、前記のとおり、内装等を準不燃化したうえ、各室扉を鉄製防火戸とし、また、中央ホールの鉄製防火戸により廊下部分が400平方メートル以内に防火区画され、各棟客室等の部分も100平方メートル以内の区画とされていたが、一部100平方メートルを超える部分もあるうえ、東棟の各室の扉等には自動閉鎖装置が設置されておらず、扉が開放状態のままとなるおそれがあり、また、中央ホールの2か所の防火戸が温度ヒューズ式のままで、煙感知器と連動して閉鎖するものに改造されておらず、また、西ホール脇にある大型パイプシャフトスペースの壁面に空隙があり、東棟空調機室(ファンルーム)扉が木製であるなど不十分な点も残っていた。 5 空気調整設備等 司法警察員作成の昭和57年9月17日付、同年10月30日付、同年11月5日付各検証調書(371、373、374)、M 3、Y 3、M 1、N 2、N 3、I 1(2通)の検察官に対する各供述調書(575、657、659、671、740、756、757)等によれば、次の各事実が認められる。 一 空気調整設備の概要等 客室等に温、冷風を送るため、各棟塔屋に外気取入口が設けられ、外気処理空気調整機各1基、各棟4階(東棟は3階)から10階の各階ホール脇の空調機室に空気調整機各1基がそれぞれ設置され、空調は全外気方式、すなわち、各室等への給気は、右外気処理機から取入れた空気を、同機で除塵、加温、冷却、加湿(水を噴霧)などしたうえ、送風機で各棟ホール脇のパイプシャフトスペースを経て各階の空調機に送り、そこで更に加温ないし冷却し、各階各棟の廊下、ホールの天井裏のダクトを経て、各室内の吹出口から適温、適湿の状態で供給する方式がとられていた。 ところが、東棟については、4、7階を除いて、各階ホール空調機室扉に廊下からの空気取入口(吸気口)を設け、前記外気処理機からの送風取入口に設けられたダンパーをほとんど閉鎖して、同ホールの空調機を運転するという変則的な内気循環方式に改造されていた。 そして、右設備の運転状況をみると、東棟については右改造に伴い外気処理空調機が停止され、西、南棟についても同空調機が停止されることが多かった。 このため、本件建物内には、加湿されない外気や内気が循環することとなり、これによって異常な乾燥状態が生じ、同建物内の可燃物は着火、炎上し易く、かつ、いったん着火すれば、急速に燃え広がり易い状態となっていた。 また、内気循環のための吸気口や前記パイプシャフトスペース壁面に空隙があったため、火災発生時には、発生した煙等がダクトなどを伝走して、他室、他階へ及ぶ危険性もあった。 二 排気(換気)設備 4階以上の客室には、浴室兼便所の天井部に排気口が設けられ(東棟の3階以上の客室及び貸事務所には、各室厨房の天井にも設置。 )、各室内からの排気は、10階まで垂直に貫通しているパイプシャフトスペース内の排気ダクトを経て、各塔屋の排風機で外部へ放出される仕組となっていた。 このため、各室は排気ダクトを通じて上下階と接続しているのに、防火ダンパー(熱、煙を感知して当該ダクトを閉鎖するもの。 )は、客室、貸事務所については4、7階だけにしか設置されておらず、火災時にはこのダクトを通じて火煙が伝走し、延焼拡大するおそれもあった。 四 消防用設備等 1 消火設備 一 屋内消火栓 司法警察員作成の昭和57年9月25日付検証調書(323)等によれば、本件建物には、合計70か所に消火栓付総合盤(消火栓箱)が設置されており、うち4ないし10階は、各棟ホールと中央ホールの脇、東棟廊下北側突当たりの計5か所の壁面にそれぞれ設置され、右消火栓箱内には、金属製ノズルの付いた消火用ホース(長さ約15メートル、直径約4センチメートルのものを2本継いだもの。 )が放水口に接続されたまま折畳まれて収納され、上部に消火栓起動ボタンがあり、同箱扉裏には使用法の簡単な説明書が貼付されていた。 右消火栓への送水は、屋上中央塔屋高架水槽と地下2階床下の貯水槽から行われ、後者は、右起動ボタン操作により消火栓ポンプが作動し、加圧水として送られてくる仕組になっていたことが認められる。 二 消火器 司法警察員作成の同月23日付検証調書(322)等によれば、本件建物内に合計201本の消火器(ABC粉末10型196本、大型車載式5本)が設置され、うち4ないし8階には、右10型(薬剤重量3ないし3. 5キログラム)が、各廊下突当たり付近、中央ホール、東ホール等に計8ないし9本設置されていた。 9階には、右10型が、各棟廊下突当たり付近(917、927、947、955、962、981号各室前)と東ホール消火栓脇、965号室前、貸倉庫内に各1本、中央ホールサービスステーション側と同ステーション内に各2本、東ホール階段室内に3本(合計16本)設置されていた。 10階には、右10型が西、南各棟廊下突当たり付近(1017、1018、1023、1025、1026、1047、1053、1060号各室前)、1043号室前、西ホール階段横、東ホール消火栓脇、1062号室前に各1本、中央ホールサービスステーション側に2本(合計14本)設置されていたことが認められる。 三 スプリンクラー設備 司法警察員作成の同年10月28日付、同月30日付各検証調書(324、325)等によれば、本件建物におけるスプリンクラー設備は、水源として地下2階床下部分にある貯水槽とホテル正面側屋上塔屋にある高架水槽、加圧送水装置として加圧ポンプ等(地下2階)があって、主配管(3階までの縦管)で接続されていたが、スプリンクラーヘッド(閉鎖型・温度ヒューズの溶融により自動的に圧力水の散水を開始するもの。 )は、1階のクラブ・ファイブレース等4店舗と2階中央ホール南側廊下、同エクセレントクラブにしか設置されていなかったうえ、1階のものは、前記の主配管と接続されておらず、散水不能の状態にあった。 また、その起動装置電源についても、非常電源設備は設置されていなかったことが認められる。 四 その他 前掲各検証調書等(322、322の2、323)によれば、前記消火栓箱のうち52か所には連結送水管が併設され、地下2階ボイラー室等には二酸化炭素消火設備が設置されていたことが認められる。 2 警報設備 一 自動火災報知設備 司法警察員作成の実況見分調書(昭和57年3月2日付、同月8日付・336、337)、検証調書(同年5月1日付、同月20日付、同年6月23日付、同年8月27日付・2通、同年9月17日付・2通、同月18日付、同月20日付・339、340、341、344~349)、同年7月26日付写真撮影報告書(340の2)、警視庁科学捜査研究所主事作成の鑑定書(626)等によれば、本件建物には、感知器及び受信機、副受信機等で構成された自動火災報知設備があり、次のような構造、配置となっていたことが認められる。 1 感知器の構造、設置場所等 本件建物には次の種類の感知器が設置され、火災信号を受信機へ送る(発報)仕組となっていた。 ア 差動式分布型感知器(空気管式感知器) 空気管を室内の天井に張りめぐらし、空気管の端末(銅管端子)を検出器に取りつけ、火災による急激な温度上昇で空気管内の空気が膨張するのを利用して、圧力スイッチを作動させて発報させるもので、空気管(内径約1. 5ミリメートル、外径約2. 1ミリメートルの銅管。 )は、客室等の天井に張られ、5ないし12室を1区域として、その各区域の銅管端子が、前記消火栓箱内に設置されている検出器(各盤に2個ないし3個設置)に接続される仕組みになっていた。 空気管の配管場所は、3ないし10階の客室、貸事務所のほか、食堂、2、3階の厨房、倉庫、役員室、ホテル事務所等であった。 イ 差動式スポット型感知器 同じく温度上昇率によるが、同所的熱効果によって感知するもので、合計317個設置され、その設置箇所は、4ないし10階の空調機室(ファンルーム)、サービスステーションのほか、大小宴会場、屋内駐車場、喫茶ルーム、空調室等であった。 ウ イオン式感知器 煙を感知して発報する機能を有しているもので、各階廊下、ホールのほか、階段室、大小宴会場、結婚式場、ロビー、貸店舗、高圧ガス製造室等に計317個設置されていた。 エ 定温式スポット型感知器 設定された温度以上になると発報するもので、ボイラー室、厨房、調理室等に計109個(防水型73個、防爆型10個、普通型26個)が設置されていた。 オ 押ボタン式発信機 手動操作により発報するものであり、前記消火栓起動ボタン(計70個)がこれを兼ねていたほか、2階エクセレントクラブや1階屋内駐車場等に計4か所設置されていた。 2 感知器の調整不良等 右 イ ないし オ については本件当時正常に作動しうる状態にあったものと認められるが、 ア の空気管式感知器については、次のような不備があった。 まず、482、932、1043号各室前の消火栓箱内の検出器(各1個)に接続されるべき銅管端子が外れていた。 861号室の空気管には端末がなく、検出部に通じておらず、また、1045号室と1046号室との間の空気管の両端が接続されていなかった。 さらに、414、643、743号各室前の同検出器(各1個)の調整ダイヤルが発報しない位置に設定されていた。 このため、938号室(932号室と同一区域)を含む前記8か所の感知区域の客室等については、右感知器は発報しない状態となっていた。 3 受信機の構造等 本件建物においては、1階北側屋内駐車場脇にある警備室に受信機が、1階フロント事務所裏防災センターに副受信機がそれぞれ設置されていた。 右受信機は、P型1級火災報知機受信機(200回線、非常電源自動切換装置装備、高さ約1. 8メートル、幅約1. 2メートル、奥行約0. 3メートルの鉄製箱型据置式)で、前面(観音開扉)上部に火災表示灯、種別表示灯、地区表示灯(200区域)、その左下側に操作盤、その下に主音響装置(主ベル)の音響孔があり、前面右下側には送受話器が備付けられており、前記各感知器の発報を受けると、地区表示灯、火災表示灯が点灯し、同時に主ベルが鳴動する仕組となっていた。 しかし、この型の本来の回路にあった出火階及びその直上階の地区音響装置(地区ベル・各階の前記消火栓箱内に設置。 )の機構が改造されていたため、各階の地区ベルを鳴動させるには、前面の扉を開けたうえ、同機内左側中央部に設置された階別警報電鍵(地下2階から屋上塔屋までの13個。 )の該当階のものを鳴動位置に操作し、保持する(右電鍵が自動復帰装置付のため。 )必要があり、また、全館の地区ベルを一斉に鳴動させるには、前記前面の操作盤に設置された操作電鍵(警報停止警報スイッチ)を「警報」の位置に操作し、保持する(前同)必要がある仕組となっていた。 副受信機の大きさ及び構造は、右操作盤がない点以外はほぼ受信機と同様であり、受信機からの配線により、受信機の前記各表示灯点灯、主ベル鳴動と同時に副受信機の音響装置(副ベル)も鳴動し、受信機と同箇所の表示灯が点灯する仕組となっており、また双互に設置された送受話器を用いて交信することが可能となっていた。 ところが、本件火災当時には、受信機の副ベル用端子が誤接続されていたため、主ベルが鳴動しても副ベルは全く鳴動せず、また、地区表示灯のうち受信機の地階1地区及び副受信機の2階以下の2地区のものは、球切れ、接続不良等により点灯しない状態であった。 このため、前記各感知器の発報あるいは押しボタン発信機が操作されても、受信機の前記各電鍵を適確に操作しない限り、館内の地区ベルは鳴動しない状態にあった。 二 非常放送設備 司法警察員作成の実況見分調書(昭和57年3月2日付、同年8月11日付・283、336)、検証調書(同年6月21日付、同年8月25日付、同年9月22日付、同月24日付、同月27日付、同年10月1日付、同月18日付、同月29日付・308、326、327、329~332、334)、同年3月29日付、同年4月26日付各写真撮影報告書(326の2~4)、同年9月9日付捜査報告書(630)、S 2の検察官に対する供述調書(631)及び警視庁科学捜査研究所主事作成の鑑定書(640)等によれば、本件建物には、3階南ホール北西側の放送室に、防災放送設備の操作盤(調整卓)、ラジオ受信機架、電力増幅器架等が設置されているほか、1階フロント事務所裏防災センター内に、右調整卓を遠隔操作して防災放送ができる防災放送盤が設置され(同センター内に取扱説明書備付。 )、また、館内各客室等にラジオ共聴子機があるほか、館内各所に各種のスピーカーが設備されていたことがそれぞれ認められる。 1 スピーカーの設置状況 3階のホテル客室に壁掛型スピーカーが設置されているほかは、9、10階を含めてほぼ全客室にラジオ共聴子機がヘッドステット内等に設置され、また、3ないし10階の貸事務所のほぼ全室に壁掛型スピーカーが設置されていた。 廊下、ホール、地下2階から10階の廊下に埋込み型スピーカーが設置されていたほか、9階の各ホールと966号室、985号室前廊下に各1個、10階の各ホールと1085号室前廊下に各1個設置されていた。 その他、貸店舗、大小宴会場、食堂、喫茶室、従業員仮眠室、電話交換機室、ロビー等に埋込み型スピーカー、調理室、厨房、ボイラー室等にトランペット型スピーカーがそれぞれ設置されており、3階以上の各東ホール、中央ホールにはトークバック放送用スピーカー各3個が設置されていた。 2 放送室からの非常放送 非常放送の方法は、前記放送室内にある調整卓の防災起動ボタンをまず押し、次いでホテル西、南棟の地下2階から10階、東棟の1階から10階の各階別あるいは右全階一斉スイッチのいずれかにより、放送場所を選定したうえ、サイレンボタンによるサイレンの鳴動、エンドレステープによる非常放送、非常用マイクによる肉声放送が、前記の客室ラジオ共聴子機、廊下スピーカー等を通じて行える仕組となっていた。 3 防災センターからの非常放送 1階フロント裏防災センターでは、防災放送盤(前記副受信機左隣に設置。 )により右調整卓の遠隔操作ができ、ほぼ同様の手順で非常放送ができるほか、右放送盤の下側に設置された非常トークバック盤の各階別スイッチと非常用マイクを操作すれば、館内の3ないし10階の全階一斉、あるいは各階別等に防災センターから前記トークバック放送用スピーカーを通じて放送ができ、同時に各階ホールからの音声も同スピーカーを通じて聴取でき、相互に通話する形での非常放送が可能な仕組となっていた。 4 本件当時の状況 3階放送室内の放送装置(調整卓下部)には、メインヒューズに5アンペアのものが用いられ、ラジオ共聴子機等の端末がショートしても、その回路のヒューズが溶断するにとどまり、廊下等のスピーカーを通じての非常放送は可能な機構となっていたが、本件当時には、これが4アンペアのヒューズと取り替えられていたため、火災時に右共聴子機、コード等が焼けついてショートするとメインヒューズも溶断し、非常トークバック放送以外の非常放送は不能の状況にあった。 また、本件当時、廊下スピーカー(トークバック放送用を除く。 )に接続されたパワーアンプがコンデンサーの劣化により故障しており、1ないし10階の廊下放送は不可能な状況にあった(もっとも、右放送室には予備のアンプが備付けられており、これを接続すれば放送は可能であった。 そして、防災放送用のエンドレステープには、サイレン音と火災発生、係員の指示による避難等を告げる日、英2か国語の放送内容が録音され、前記のとおり、エンドレステープスイッチにより放送できる仕組となっていたが、本件当時は、2台あったエンドレステープ再生機のうち1台にしかテープが装填されておらず、しかも、その1台も伝達ベルトの破損等で故障していたため、エンドレステープによる放送は不能の状態であった。 三 その他の警報設備等 司法警察員作成の検証調書(昭和57年9月17日付、同月23日付、同月25日付、同年10月28日付、同月30日付・322、323~325、345)、同年9月9日付写真撮影報告書(322の2)、K 1(同月17日付)、I 1(同年10月12日付)の検察官に対する各供述調書(751、753)等によれば、前記各消火栓箱内に、送受話器(非常電話)が備えつけられており、前記の押しボタン発信機による発報と合わせて、出火場所、出火状況等を前記警備室の受信機と交信して通報することができるようになっていた。 また、前記スプリンクラー設備にも、地下2階から3階までに警報ベルの装置があり、警備室に主受信機、地下2階中央監視室に副受信機が設置されていたが、これは4階以上には設置されておらず、しかも、右スプリンクラー設備は、前記第二、四、1、 三 のとおり、主配管が一部にしか接続されておらず、所定の機能を発揮しえない状況にあった。 このほか、前記二酸化炭素消火設備にも警報設備は設置されていたが、地下2階の消火用のものであったことが認められる。 四 主要な警報設備の音量 司法警察員作成の昭和57年9月29日付検証調書(388)、警視庁科学捜査研究所主事作成の鑑定書(643)等によれば、前記地区ベルと防災放送のサイレン音(廊下スピーカー)は、装置の中心から1メートルの位置で、ほぼ90ホン以上あり、おおむね、消防法上の基準を満たしていた。 その廊下での平均音量は、サイレンが約80ホン、同地区ベルが約70ホンであり、双方同時に鳴動した場合の平均音量は約80ホンであった(6階廊下4か所での測定結果。 また、ドアを閉めた室内での各平均音量は、サイレンが約46ホン、地区ベルが約44ホン、双方同時鳴動が約48ホンであった(6階の10室での測定結果。 客室内共聴子機による防災放送のサイレンの音量は、同機から1メートルの距離で平均約74ホンであった(5階2室での測定結果。 )ことが認められる。 3 避難設備等 本件建物には、次のような避難設備が設置されていた。 一 屋内避難階段(非常階段) 司法警察員作成の昭和57年5月25日付、同年10月5日付各検証調書(282、352)等によれば、西、南、東各ホールに屋上塔屋から地下2階まで通じるものが各1か所、東棟廊下北端に屋上から2階まで通じるものが1か所、それぞれ設けられていた。 各階避難階段入口は、いずれも鉄製片開き自動閉鎖式扉(高さ約2メートル、幅約0. 87メートル、厚さ約4センチメートル。 )で廊下等と区画され、各階扉の廊下側には「非常口」「FIRE EXIT」の表示があり、その上部壁面には、緑地に白字で「非常口 EXIT」と表示した避難口誘導灯が取付けられていた。 右各階段室内部はコンクリート造りで、前記各鉄扉により廊下等と区画されており、入口から入ると階段室ホールとなっており、階段の幅は約1. 2メートルで、屋上から2階までは各階中間の踊り場で180度折返す形となっていた。 右各階階段室ホール壁面には階数表示灯、階段室誘導灯(20ないし40ワット)が、各階踊り場壁面には同様の誘導灯が、それぞれ1個設置されていた。 右各階段からの出口の状況は、東棟北側階段は2階で終り、そこの出口から駐車場を経て道路に至る。 東棟階段からは、2階から右北側出口へ、あるいは1階非常口から東ホール、ホテル事務所脇を通って、西非常出口から1階屋内駐車場に至る。 西棟階段からは1階非常口から西ホールへ下り、ブライダルサロンとK宝石店の間を抜けフロントロビーへ至る。 南棟階段からは、3階及び2階の非常口から、中央階段を経てフロントロビーへ至り、2階非常口から宴会場階段を経て宴会場出入口へ、あるいは、1階非常口から南ホールを経てフロントロビーへ至ることのできたことがそれぞれ認められる。 二 避難所及び避難はしご 前掲各検証調書(282、352)及び司法警察員作成の昭和57年9月27日付検証調書(356)等によれば、次の各事実が認められる。 1 4ないし10階の各階西棟北側廊下突当たりと、3ないし10階の各階南棟東南東側廊下突当たりに避難所が設けられており、広さは間口約2メートル、奥行約1. 92メートル、床面、天井、左右の側面はコンクリートで、館内の廊下とは、避難所側に開く鉄製観音開扉(高さ約2. 15メートル、幅約1メートル)で区画され、各避難所の床面(西棟4階、南棟3階を除く。 15メートル)に、鉄製固定式はしごが10階から4階(西棟)あるいは3階(南棟)まで垂直に、各階の右避難口を貫通し、連続して取付けられており、右蓋を開けばその上下階を昇降できるようになっている。 そして、右扉の廊下側には「非常口」「FIRE EXIT」と記載があるほか、扉の上方には緑地に白字で「避難タラップEXIT」と表示された避難口誘導灯が取付けられていた。 2 南棟3階の避難所には、下へ降りる避難口はないが、赤色鉄製箱内に鉄製つり下げ式避難はしご(チェーン式)が収納されており、これを利用して同所直下の2階梅の間ベランダへ下り、更に同ベランダに設置されている鉄製の避難橋で地上へ下りることができる(別紙図面(略) 9 、 13 参照。 したがって、上階から同避難所まで至った場合には、右の方法によるか、3階廊下へ出て、南棟非常階段を下りて地上へ避難することになる。 この他に地下1、2階にも避難はしご等が設置されていた。 西棟4階避難所にも床面に避難口はなく、上階から同所へ下りた者は、4階廊下へ出て西棟非常階段で避難するか、同避難所に設置された救助袋(後記)によって避難することになる。 各避難所天井中央付近には、はめ込み式照明灯(20ワット1個、2CP・約5ワット1個)があり、停電時には2CP1個のみが点灯する。 3 右の設置状況からみると、各避難所は、狭い避難口に長い垂直はしご(地上までは至らない。 )というもので、しかも照明も暗いため迅速に多数人が避難することは困難であり、さらに、その扉には自動閉鎖装置がないため、戸を閉めないと避難者が館内の火煙から守られないだけでなく、大きな通気口となり、延焼拡大の一因ともなりうる危険性があった。 三 救助袋 司法警察員作成の昭和57年9月30日付、同年10月5日付各検証調書(352~355)等によれば、前記4ないし10階の西棟の各避難所及び各東ホール北東にある貸倉庫内には、各1基の救助袋が置かれていた。 右各救助袋は、布製で人口金具(縦約63センチメートル、横約62センチメートル)が上端部に、把持用取手12個、砂袋付誘導綱が下端部にそれぞれ取付けられている斜降式救助袋である。 西棟各避難所においては、その床面西南隅の鉄製格納箱(高さ約1. 3メートル、幅約0. 85メートル、奥行約0. 6メートル)の中に折畳んで収納され、前記各貸倉庫内では、窓際に2本の鉄棒を立て、フックを付けた救助袋固定設備に、折畳まれて取付けられている。 右各救助袋を投下すると、右各避難所のものは、ホテル建物2階部分に相当する2階駐車場(別紙図面(略) 8 参照。 )コンクリート床面に落下し、右各貸倉庫内設置のものは、東側(H高校側)駐車場奥(別紙図面(略) 2 参照。 )コンクリート床面に落下するが、右の各床面には救助袋固定用のフック等の設備(下部支持装置)はいずれも設置されていない。 右各救助袋は投下するのに大人約3人、投下された救助袋を地上で支持するのに数人を要するものであり、また、右各貸倉庫に設置されたもののうち、9階のものは、穴があくなど損傷して取りはずされていた。 以上のとおり、右救助袋は、使用可能なものでも、少なくとも10名程度の者が、地上と投下場所とで適切に連係し、組織的に活動しなければ有効に利用し得ない状況であったことが認められる。 四 誘導灯等 前掲検証調書(352、356)等によれば、本件建物には、非常電源設備(地下2階の蓄電池または各灯内蔵充電池。 )により、停電時にも点灯する誘導灯、非常灯があり、4階以上のホテル客室、貸事務所のほぼ各室の窓寄りの天井に、約20ワットのダウンライト(直流電源付)の非常灯が取付けられていた。 また、4ないし10階の前記各避難階段入口、避難所扉廊下側、東棟貸倉庫前の各廊下天井には、それぞれ横長箱型の避難口誘導灯(20ないし25ワットの照明、階段入口のものは長さ約60センチメートルの大型で充電池付。 )が各1個取付けられており、前記のとおりそれぞれ日、英2か国語で、「非常口」、「避難タラップ」、「救助袋」、「EXIT」等と表示されていた。 各ホール天井には、前同様のダウンライトと横長箱型の通路誘導灯(10ワット蛍光灯、充電池付)が非常口の方向を表示するように取付けられており、中央ホールから直接延びる3方向の廊下及び東棟北側廊下のほぼ中間部の片側壁面上部にも、前同様の通路誘導灯各1個が取付けられ、ほぼ数部屋ごとに廊下中央部の天井に前同様のダウンライトが各1灯取付けられていたことが認められる。 五 まとめ 以上認定の各事実によれば、本件建物は、これまでみたとおり、外観上は近代的な都市型ホテルで、防災諸設備も一応設置されていたものの、スプリンクラー設備やこれに代る防火区画は一部分にしかも不完全な形でしか備えられていなかったうえ、建物の構造の複雑さ、利用状況の多様性、特に多数の内外国人の高層階の宿泊利用、内装材、家具等可燃物が多く、これに館内の異常乾燥、客室、廊下、パイプシャフトスペース等の区画の不十分さ、既設の防火区画、消防用諸設備の機能、管理上の欠陥等々が相俟って、出火の危険性を高めているだけでなく、着火炎上した場合、火勢が急速に拡大し、その火煙によって宿泊客ら多数の人身に重大な危険を生ぜしめる可能性が高かったものと認められる。 第三 ホテル・ニュージャパンの防火管理体制等 一 関係消防法令による規制 1 消防用設備等の設置・維持義務 本件建物は、前記のとおり、多数の収容人員を有する大規模な高層ホテルであるため、従前から、政令で定める防火対象物として、所有者、管理者等の関係者は、消防用設備等を設置、維持する義務が課されていた(消防法2条4項、17条1項、同法施行令6条等)。 そして、右の消防用設備等のうち、屋内消火栓、消火器、自動火災報知設備、非常放送設備、避難はしご等の避難用設備等の設置状況は、前記のとおりであり、おおむね消防法令に合致して設置されていた。 しかし、昭和49年の消防法の一部改正によって、スプリンクラー設備、屋内消火栓の非常電源等の設置が新たに義務付けられ、この設置義務は、既存建物であるホテル等についても、昭和54年4月1日から遡及適用されることとなった(同法17条の2、2項4号、同改正法附則1項4号等)。 一 スプリンクラー設備及び代替防火区画の設置義務 右改正により、ホテル・ニュージャパンにおいても、地下2階電気室等を除くほぼ全館に、前記スプリンクラー設備等を昭和54年3月末日までに設置しなければならなかったが(同法施行令12条1項3号、2項1号等)、次のような代替防火区画を設けることによって、右スプリンクラー設備設置義務の規定は、その適用を免れることとされていた(同法施行令32条、昭和50年7月10日消防安第77号消防庁安全救急課長通達・以下、77号通達という。 1 本件ホテルの客室、貸事務所及びこれらに面した廊下の部分(ほぼ4ないし10階の部分が該当する。 )については、後記 ア ないし オ の各要件を満たし、その区画面積を400平方メートル以内としたもの(400平方メートル区画)、または、同 ア 、 ウ 、 エ 、 オ の各要件を満たし、その区画面積を100平方メートル以内としたもの(100平方メートル区画)が代替防火区画とされていた(77号通達第一、1、 2 等)。 ア 耐火構造の床、壁または防火戸で区画すること イ 壁及び天井の室内に面する部分は、準不燃材料等で仕上げられていること ウ 右区画の開口部は、原則として合計8平方メートル以下(1開口部4平方メートル以下)とすること エ 右開口部には、自動閉鎖式甲種防火戸(常閉部分、客室扉等)、または、煙感知器連動式甲種防火戸(常開部分、廊下等)が原則として取りつけられていること オ 階段、エレベーター、パイプシャフトスペース(ダクトスペース)等を竪穴区画とし、前記防火区画の壁等を貫通する給排水管等と壁等のすき間は不燃材料で埋戻しされていること 2 本件建物の宴会場、ロビー、食堂(厨房、配膳室等を除く。 )及びこれらに面した廊下の部分(ほぼ1ないし3階の部分が該当する。 )については、前記 1 、 ア 、 イ 、 エ 、 オ に該当するほか、2方向避難が確保され、感知器は煙感知器とされ、カーテン等に防炎処理がなされ、夜間の見回りなどの防火管理を徹底したうえ、区画面積を1,500平方メートル以内としたものが代替防火区画(広間等区画)とされていた(77号通達第一、1、 3 、建築基準法施行令112条1項)。 結局、本件建物については、昭和54年3月31日までに、前記消防法令にのっとってスプリンクラー設備、または代替防火区画等を設置しなければならなかったものである(右改正法による消防用設備等の設置工事を、以下、遡及工事という。 二 消防用設備等の点検報告義務及び消防署長の措置命令権 本件建物の既設の消防用設備等については、おおむね年2回以上外観・機能点検を、年1回以上総合点検を、それぞれ消防設備士又は消防設備点検資格者により実施し、右点検結果を年1回消防署長に報告しなければならないものとされ、右報告をしない場合には罰則が適用されることとされていた(消防法17条の3の3、44条、同法施行規則31条の4等)。 そして、消防署長は、本件建物の関係者で権原を有する者に対して、消防用設備等が法令で定めた技術基準に従って設置、維持されていないと認めるときは、右基準に従って設置すべきこと、または、その維持のため必要な措置をなすことを命ずることができ、これに従わない場合にも、罰則が適用されることとされていた(消防法17条の4、42条7号、44条8号等)。 2 防火管理等 本件建物は、政令で定める多数の者が出入りする防火対象物として、その管理について権原を有する被告人A(管理権原者)によって、被告人Bが防火管理者(防火管理者資格講習修了者)に選任されていたが、右管理権原者及び防火管理者には、消防法上次のような義務が定められていた。 一 管理権原者の一般的責務 管理権原者は、防火管理者を指揮して、当該防火対象物について、後記のような消防計画を作成させるとともに、同計画に基づいて、消火、通報、避難訓練の実施、消防用設備等の点検、整備、避難及び防火上必要な構造、設備の維持管理、収容人員の管理等防火管理上必要な業務を行わせなければならないものとされていた(消防法8条1項)。 二 防火管理者の一般的責務 防火管理者は、必要に応じて、管理権原者の指示を求め、防火管理の業務に従事する者に必要な指示を与えるなどして、誠実にその職務を遂行し、かつ、その防火管理業務の大綱となる次のような消防計画を作成し、後記の訓練を実施しなければならないものとされていた(同法施行令4条)。 三 消防計画 右消防計画は、自衛消防の組織、防火対象物の自主検査、消防用設備等の点検、整備、避難通路、避難口等の避難施設の維持、管理及びその案内、防火壁、内装その他の防火上の構造の維持、管理、消火、通報及び避難訓練の実施、火災等の災害が発生した場合における消火活動、通報連絡及び避難誘導、その他防火管理等に関する必要な事項等についてこれを作成し、消防署長に届け出なければならないものとされていた(消防法施行規則3条1項)。 四 自衛消防隊 防火対象物の管理権原者は、火災発生の際に、初期消火及び避難誘導等の活動を効果的に行うために必要な人員(本件建物では22名以上。 )及び装備(防火衣、消防用ヘルメット、携帯照明具、消火器、携帯用拡声器等。 )を有する自衛消防隊を編成し、その訓練を行うとともに、その隊長及び隊員に、消防技術についての後記の講習(消防長が定めるもの)を受けさせなければならないものとされていた(東京都火災予防条例55条の4、同条の5、同条例施行規則11条の5、同条の6)。 五 消火、通報及び避難訓練 防火対象物の管理権原者は、前記の自衛消防隊を組織し、消火、避難、消防隊との連絡等について、訓練を行うよう努めなければならないものとされ(同条例55条の4、同条の5)、また、防火管理者は、前記消防計画に基づき、右訓練を定期的に実施しなければならず、特に、避難訓練については、その実施を消防署に事前に通報したうえ、年2回以上実施しなければならないものとされていた(消防法施行規則3条4項、5項)。 二 消防当局の指導等の状況 1 遡及工事等 被告人Bの検察官に対する昭和57年12月3日付、同月6日付、同月7日付、同月8日付各供述調書(乙24、26、27、31)、M 4、M 5、K 1、I 1・3通の検察官に対する各供述調書(672、673、752、754~756)、T 1、H 2、O 2、H 3、S 3、T 2、O 3、S 4及びK 2の各証言、押収してある命令書1通、消防関係綴1綴、立入検査結果通知書1綴、防火対象物関係資料綴4綴(前同押号の4、6~11)等によれば、ホテル・ニュージャパンに対しては、その所轄署であるK消防署が中心となって、前記消防法改正後の昭和50年3月に右法改正の説明会を開催し、同年12月17日遡及適用となる設備、法解釈等について、同ホテルに出向いて指導したのをはじめとして、次のような指導を行って遡及工事の促進を図っていたことが認められる。 一 改正消防法遡及適用前(被告人A社長就任前) 昭和51年6月28日、昭和52年7月5日、昭和53年6月2日にそれぞれホテル・ニュージャパンへの立入検査を実施し、既存設備の問題点や要改善箇所を指摘して改善を求めるとともに、遡及工事の対象となる未設置部分を指摘して、昭和54年3月31日までに、スプリンクラー設備等の遡及工事を完了するように指導した。 昭和52年3月初め、指導書(同年2月28日付)を交付して、法改正の趣旨、改修期限、代替防火区画等を説明し、同年4月19日同ホテルに赴いて、遡及工事についての具体的な工事内容等の指導を行い、昭和53年2月17日遡及工事の進捗状況を、防火管理者のN 1、総務部長の被告人Bらから聴取したうえ、同年4月25日には、同被告人らに、期限までに工事完了できないならば用途変更すること(ホテルの廃業)も示唆するなどして、強力に遡及工事の推進を指導したが、結局、スプリンクラー設備等の設置は、後記のとおり一部しか行われず、そのため、昭和54年3月31日付指導書で、改正消防法遡及適用(昭和54年4月1日)後は消防法17条1項違反の状態となるので、早期に遡及工事を完了するとともに、継続工事期間中の防火管理を後記のように特に強化するよう指導した。 二 改正消防法遡及適用後(被告人A社長就任後) 1 立入検査等 消防当局としては、昭和54年5月22日、昭和55年6月23日、同年12月9日、昭和56年5月7日、同年8月28日にそれぞれ同ホテルへの立入検査を実施し、各査察後の講評で、遡及工事の未了部分を含めた違反箇所(防火戸機能不良、パイプシャフトや防火区画の配管貫通部周囲の埋戻し不完全、感知器の感知障害等。 )等を指摘したうえ、当該立入検査からおおむね数日以内にその結果通知書を同ホテルに交付し、各違反箇所の改修状況及び改修計画について、報告を求める指導を実施した。 右各立入検査の際などに遡及工事の促進を指導していたほか、同ホテルに赴き、あるいは消防署に出頭を求めるなどして、ホテル側に対し、昭和54年7月以降、毎月のように遡及工事の具体的な施行方法や工事の早期実施、促進を指導し、特に、昭和56年に入ってからは、同年9月に後記命令書を交付するまでの間だけでも、十数回同様の指導を繰り返し、被告人Bらに遡及工事の促進方を督励していた。 2 消防署長と被告人Aとの面談等 消防当局としては、遡及工事未了のまま経営者が交代したので、被告人Aに対し、既に消防法違反の防火対象物となっている本件ホテルの遡及工事を、早急に完了させるよう要請するため、昭和54年6月初めから、K町消防署長との面談を再三にわたり申し入れていたが、被告人Aがこれに応じなかったため実現の機会がなく、昭和55年2月14日ようやく副社長のY 1と同署予防係長らが面会して、遡及工事の進捗状況を聴取するとともに、同工事の早期完了を指導したほか、その直後及び同年8月の2度にわたり、防災改修工事の促進等を求める指導書をホテル側に交付し、昭和56年7月には同署予防課長らが、再度、同副社長と面会し、遡及工事の促進を指導するとともに、被告人Aとの面談を強く求め、ようやく、同年8月20日同署長と被告人Aとの面談が実現した。 右面談の際、同署長において、既に改正消防法施行後2年5か月近く経過しており、本件ホテルが同署管内の大規模事業所として、唯一遡及工事未完了の防火対象物であり、表示公表制度施行により、公表されることにもなることなどを指摘して、強く遡及工事の早期完了を求めたが、被告人Aにおいて、具体的な着工、完了日時を明示するなど積極的な姿勢がみられなかったため、前記措置命令を発することとなり、同年9月11日、東京消防長K町署長名で同日付の命令書(スプリンクラー設備を未設置部分に昭和57年9月11日までに設置することを命ずるもの。 )が交付された。 右命令書交付後も、消防当局としては、本件ホテルの担当者に、それ以前よりも一層頻繁に連絡をとり、Y 1副社長との面談も求めるなどして、遡及工事の早期着工、完了をより促進させるよう指導していた。 2 防火管理等 被告人Bの検察官に対する前掲各供述調書(乙24、31)、Y 4、H 4の検察官に対する各供述調書(689、691)、Y 4、K 3の各証言、前掲立入検査結果通知書1綴等によれば、次の各事実が認められる。 一 消防当局は、平素から防火管理等について、次のような指導、要請を行っていた。 防火管理者資格講習において、消防計画の作成にあたって、ホテル側としては、客の人命安全を最重点とした避難誘導体制を確立すること、特に営業時間が終夜に及び、宿泊客を多数収容しているため、自衛消防隊も夜間の活動に重点をおいて編成すべきであること、宿泊客が就寝し、客室が細分化されているため、出火しても発見、通報が遅れやすいため、消防用設備等(特に自動火災報知設備、放送設備等)の維持管理、点検整備を徹底する必要があること、災害時の従業員各自の任務を明確化し、火災予防のための組織を充実することなどを重点とし、消防計画案が作成されたら、これに基づき実際に消防訓練を実施して改善すべき点を改め、実情に即したより具体的で妥当な消防計画を作成するように指導していた。 また、自衛消防隊の隊員(隊長)講習において、自衛消防活動としては、人命救助を第一とし、十分可能であれば初期消火を実施し、困難であれば、直ちに防火区画を有効利用し、119番通報、避難誘導を実施すること、有効な避難誘導を実施するには、事前に行動内容を定め、任務分担等を隊員に周知徹底することが必要であること、そのためには、実態に即した消防計画を樹立し、消防訓練を実施することが肝要であること、消防訓練には建物配置図等で各自の任務を確認させる図上訓練、各隊員に担当任務のための必要行動をとらせる配置訓練、屋内消火栓操作等の基礎動作を習熟させる基礎訓練、消火、通報、避難等を個別に実施する部分訓練と部分訓練を連携して実施する総合訓練があり、法令上は避難訓練を年2回以上実施する義務があるが、ホテルにおいては総合訓練を年3回以上、部分訓練を年6回以上、基礎、配置、図上訓練は随時実施するように指導していた。 また、右講習においては、実技として、自動火災報知設備、屋内消火栓等の一般的な構造、操作方法、救助袋等の避難器具の使用方法等の指導のほか、隊長に対しては、これらに加えて各地の火災例を挙げ、実際の火災時の指揮方法等も指導していた。 そして、前記1の各立入検査時に、ほとんど毎回、消防計画の未修正、自衛消防隊編成の現状不適合、消火、通報、避難訓練の不十分ないし不実施、従業員への教育訓練不適等を指摘し、立入検査結果通知書で改修報告を求めていた。 二 また、消防当局は、昭和54年3月31日付指導書において、遡及工事未了のため、同年4月1日以降消防法違反となるので、継続工事中、未改修設備の補完となるように、大略次のとおり、防火管理等の強化を指導した。 1 出火防止のため、各階等に火元責任者を置くほか、巡視の回数を増加して監視体制を強化し、また、人命安全確保のため、通報連絡、避難誘導、初期消火等の具体的かつ実効ある体制を確立する。 2 延焼拡大防止のため、1,500平方メートル区画の機能保持、出火時における防火扉の確実な閉鎖、出火時における空調設備の停止等を確実に行えるようにする。 3 工事期間中における防火管理をより一層充実強化するため、新たな消防計画を作成し届出るとともに、自衛消防隊員及び全従業員に対する消防教育訓練等を実施する。 4 消防用設備の保守、点検、整備の徹底を図るため、自主点検を毎週実施して機能保持を確保し、消防用設備等の補充強化として消火器等を増設する。 三 ホテル・ニュージャパンの対応 1 遡及工事等 一 被告人A社長就任前 被告人Bの検察官に対する昭和57年12月3日付、同月4日付各供述調書(乙24、25)、Y 3、M 1、M 5、K 1の検察官に対する各供述調書(657、659、673、748)、H 5の司法警察員に対する供述調書(801)、司法警察員作成の同年11月15日付捜査報告書(796)、H 3の証言等によれば、次の各事実が認められる。 1 遡及工事案の検討 ホテル・ニュージャパンにおいては、前記のように消防法改正に伴い、昭和50年ころから、総務部(部長被告人B)営膳課が中心となって、遡及工事について検討を始め、本件建物の施工業者であるT建設株式会社(建築関係)、M電機株式会社(設備関係)にも検討を依頼し、消防当局の指導も仰いだうえ、昭和52年5月に次の3案が作成された。 A案(概算見積額約6億円) スプリンクラー設備を地下階(機械室を除く。 )及び1ないし3階のフロントロビー、店舗、厨房、配膳室等に設置し、1ないし3階の残りの部分は400平方メートル区画等とし、4ないし10階の客室、貸事務所等の部分は100平方メートル区画、その各廊下部分は400平方メートル区画とするもの。 B案(右同約13億円) 必要箇所に全額スプリンクラー設備を設置するもの。 C案(右同約8億円) 3階以下はスプリンクラー設備を設置し、4階ないし10階はA案と同様の代替防火区画とするもの。 2 遡及工事の施行 ホテル・ニュージャパンでは、右3案を役員会において検討した結果、A案に基づいて施行することとなり、昭和52年5月27日、その旨の改善報告書をK町消防署長宛に提出した。 同報告書によれば、昭和53年2月着工、昭和54年3月末には工事完了の予定となっていたが、資金不足等のため、現実には次の程度の施行となった。 代替防火区画工事については、4階が昭和53年8月17日、7階が同年11月20日にそれぞれ着工され、4階は同年9月22日、7階は同年12月19日一応完了した(消防当局からは、少なくとも4階層分ずつ同時着工するように指導されていたうえ、右2階層部分についても前記のとおり一部不備が残っていた。 スプリンクラー設備については、右3案検討中1階貸店舗の改装があったため、昭和51年3月までにその店舗(本件当時は「S」、「E1」)にスプリンクラーヘッドと枝管を設置したほか、昭和54年3月地下2階から地上3階までのスプリンクラー用主管(縦管)とスプリンクラー用ポンプ等の設置工事に着工した(K町消防署長には、同年3月16日付で3階以下のスプリンクラー設備工事全部を行う旨の工事実施計画書を提出した。 右工事の際に、併せて1階貸店舗(宝石店「K」)のスプリンクラーヘッドと枝管も設置した。 3 継続工事等 ホテル・ニュージャパンでは、改正消防法の遡及適用(昭和54年4月1日)までには、以上の程度の工事しか実施しなかったため、同年3月28日に、「消防法遡及改修工事の継続工事願い」と題する書面をK町消防署長宛に提出した。 同書面によれば、累積赤字が多く資金不足のため、昭和56年3月末までに、残余の遡及工事を前記A案のとおり完了させるとしていた(当時資金予定としては、S通り側敷地の一部が東京都の道路用地として、後記のとおり買収が見込まれていたため、その買収金を充てるものとしていた。 そこで、K町消防署においては、右継続工事願い書について、現にスプリンクラー設備の工事中であり、その管理権原者が、その後も工事を継続して2年以内に完了させる旨約束している文書として、これを受理したうえ、遡及工事の促進を図ることとし、前記指導書(同年3月31日付)を交付して、同年4月1日以降消防法違反の防火対象物となることを指摘するとともに、消防用設備等の未設置を補完するために、防火管理を特に強化するように指導した。 二 被告人A社長就任後 被告人Bの前掲検察官に対する各供述調書(乙26、27)、G 1、H 6、S 5、U、H 7、Y 3、Y 1・3通、N 3・2通の検察官に対する各供述調書(644、646、647、649、653、657、727~729、737、738)、Y 5の証言等によれば、次の各事実が認められる。 すなわち、前記スプリンクラー設備の主管等の工事は、被告人Aの社長就任直後の昭和54年6月末ころ完了したが、その後1階のF(昭和55年3月)及び2階のE 2クラブ(同年10月)が店内を改装した際、各店の自費でスプリンクラーヘッドと枝管(E 2クラブは主管と接続)を設置したのみで、前記の「遡及改修工事継続工事願い」書で申し出た昭和56年3月に至ったため、同月20日被告人Bが、「再延期願い」書をK町消防署に届けたものの受理されず、また、同年5月30日付の「スプリンクラー設備工事延期願い」と題する書面を同年6月2日提出したが、完成予定期限が昭和59年3月となっていたため、これも受理されず、結局、昭和57年3月末を完了期限とする工事工程表(9階は昭和56年8月初旬着工、同年10月初旬完了。 )を付した防災工事の現状報告の形にして、昭和56年6月4日ようやく受理された。 その間、昭和54年5月ころから、Y 1を中心として、消防用設備等をも含めた同ホテルの後記第三、四、1、 一 、 3 の大改装計画が検討され、同年9月に総額約168億円の概算見積りが出されたが、その後右計画は進展せず、また、昭和55年1月ころから、Y消火器販売商事株式会社に遡及工事の見積りを依頼し、同年7月ころ全体の見積書が提出されたものの、これに基づく工事の発注は行われなかった。 ホテル・ニュージャパンは、その後も前記のような消防当局の指導を受けながら、スプリンクラー設備等の遡及工事を再開せず、昭和56年10月のY 1副社長の婚礼に間に合わせるため、同年8月から同年9月末ころまでの間に、約2億円の費用をかけて、2階大宴会場の改装工事を実施し、同宴会場の内装を不燃化し、壁を補修するなどしたほか、右工事に引続いて同宴会場前の中央ホール南側廊下等にスプリンクラーヘッドと枝管を設置し、これを主管と接続する工事を実施したのみであった。 昭和56年8月20日、前記のとおり被告人AがK町消防署長らと面談し、同年9月11日には前記命令書が交付されたが、同年8月下旬N防災工業株式会社に地下1階部分のスプリンクラー設備等の防災工事の見積りを依頼し、同年10月初めにその見積書(総額約5,000万円)が提出されたものの、結局、発注せず、また、T建装株式会社には、右命令書受領後の同年9月中旬ころ、同様の防災工事の見積りを依頼し、同年10月末ころその見積書(見積額6,000万円)が提出された。 そして、早期着工を督促する消防当局の指導もあって、昭和57年1月9日一応契約書を作成したが、被告人Aが代金額を3,500万円に値切ったため、工事代金額、支払方法等の合意ができず、同年2月6日、前渡金1,500万円を支払うことで、ようやく同社において着工準備にかかったものの、着工するまでには至らず、また、その他の階については、N 3資材部長が昭和56年12月11日ころ、5、6、8ないし10階の代替防火区画工事の見積りをT建設に依頼し、昭和57年2月12日にその打合せをする予定が組まれたのみで、結局、本件火災が発生するに至った。 2 既存設備の改修及び保守、点検等 一 防火戸等 被告人Bの検察官に対する昭和57年12月8日付供述調書(乙31)、S 6、F 3、T 3、N 3・3通、K 1・2通、I 1・2通の検察官に対する各供述調書(617、620、621、734、739、742、747、748、756、757)、M 6の司法警察員に対する供述調書(623)、警視庁科学捜査研究所主事作成の鑑定書(625)等によれば、前記のとおり、防火戸、防火シャッター等は、消防当局による立入検査の都度、その機能不良(閉鎖不全)等が指摘されていたものの、本件ホテル建設当初に設置されて以来、3階以下に追加工事等がなされたほか、格別改造、改修等はなされず、本来の機能保持のために必要な専門業者による定期点検、整備(外観点検3月に1回以上、機能点検1年に1回以上、精密点検3年に1回以上)も、次のとおり甚だ不十分な状況であったことが認められる。 すなわち、3階以下は、防火戸、防火シャッター等の定期点検が昭和50年4月から実施されていたものの、被告人Aの支出削減の方針によって、その点検費用支出の決裁が下りないおそれが生じたことなどから、右定期点検は、昭和55年5月を最後に、以後実施されなくなってしまった。 また、4階以上の防火戸については、専門業者による定期点検を全く行っておらず、各階中央ホールの防火戸と、立入検査で指摘された防火戸等について、一度だけ専門業者に点検、整備させたが、その際、10階中央ホール南棟側防火戸のフロアヒンジの出力不足など部品交換を要するものや、天井、じゅうたんなどが当たって防火戸の閉鎖しないものについて改修せず、さらに、防火戸の閉鎖障害となる9、10階廊下のじゅうたん敷替え工事(昭和56年7月)の際にも、十分な監督、点検を行わず、じゅうたんに防火戸が当たる部分の補修等も行わせなかった。 二 自動火災報知設備 H 8、M 1、I 1の検察官に対する各供述調書(627、659、753)、S 7の司法警察員に対する供述調書(629)等によれば、昭和46年9月に設置された自動火災報知設備は、館内地区ベルの自動鳴動の機構のままでは、パニックを起すおそれがあるとして、その後各階別の警報電鍵を付けるように改造されたが、受信機の表側には取付ける余地がなかったため、扉内部に右階別警報電鍵を取付け、前記(第二、四、2、 一 、 3 )のような形となっていた。 この保守点検については、社団法人T保守協会と契約して、同協会派遣業者によって、毎年ほぼ1、4、7月に外観、機能点検を、10月に総合点検を実施しており(この点検費用の支払いも昭和55年10月以降滞り、本件火災直前右契約は解約されている。 )、昭和57年1月12、13日にも外観、機能点検が実施され、形式的には消防法上の要請を満していたが、前記のとおり、銅管端子の外れなどの感知器の調整不良や副ベルの誤配線(昭和54年8月ころの検査時誤接続)等は看過され、改修されないままとなっていたことが認められる。 三 非常放送設備 O 4、T 4及びS 8の検察官に対する各供述調書(633、635、636)等によれば、昭和46年6月ころ、前記(第二、四、2、 二 )のとおりの非常放送設備が設置され、昭和49年から昭和54年7月ころまで、専門業者による定期点検を実施していたが、その後は点検費用を被告人Aが大幅に削減するなど、同費用を支払える見込みがなくなったため、専門業者による点検は実施されず、このため、本件当時には前記のとおり(同2、 二 、 4 )メインヒューズが取替えられ(昭和56年1月30日に応急的に替えられたもの。 )、パワーアンプ等が故障したまま放置されていたことが認められる。 四 防火区画等 被告人Bの前掲検察官に対する供述調書(乙31)、K 1、I 1の検察官に対する各供述調書(752、756)、前掲立入検査結果通知書1綴等によれば、パイプシャフト周囲の埋戻し不完全、防火ダンパー未設置については、遡及工事の際に併せて改修することとされていたため、4階、7階については前記(第三、三、1、 一 、 2 )のとおりほぼ改修されたものの、9、10階を含むその余の部分については、前記立入検査での指摘箇所も含めて、ほとんど改修されていなかった。 ただ、消火器、避難器具等については、費用が少額であったため、専門業者による点検が実施されていたことが認められる。 五 点検結果報告 I 1の検察官に対する供述調書(756)等によれば、前記(第三、一、1、 二 )のとおり、改正消防法の施行により、昭和50年4月1日から、消防用設備等の点検報告義務が課されていたが、ホテル・ニュージャパンでは、昭和55年7月に昭和54年度分の報告をしたのを最後に、その後報告は実施していなかったことが認められる。 3 消防計画の作成、消防訓練の実施等 被告人Bの前掲検察官に対する供述調書(乙31)、K 1、I 1の検察官に対する供述調書各2通(750、751、756、757)等によれば、次の各事実が認められる。 一 消防計画 ホテル・ニュージャパンでは、昭和38年4月に消防計画書を作成して消防当局に提出し、内部的には23条からなる防火管理規程において、防火管理組織、自衛消防組織、消防用設備点検、防火教育、消防訓練等の事項が定められており、昭和48年一部変更された以後、本件当時まで変更されていなかった。 右規程では、ホテル・ニュージャパンへの出入請負業者、館内に事業所をおく団体、会社にも適用することとされ、警備会社、本件建物の保守管理業者等にも伝えて、夜間の自衛消防隊編成にその従業員らを組み込み、消防訓練にも参加させることとされていた。 二 自衛消防隊 当初編成された自衛消防隊は、従業員の変動に伴って変更したうえ、K町消防署に届出、内部的には各課に改正した編成表写をその都度配付していた。 しかし、昭和51年10月に自衛消防隊の編成替えが行われたのを最後に、昭和55年6月以降は、前記立入検査でほとんど毎回指摘されていながら、その再編成は全く行われなかった。 最後に組織された自衛消防隊においては、昼間は、警備員、保守管理会社従業員、テナント従業員をも組み込み、宿泊部長を隊長、料飲部長を副隊長とし、前記講習受講隊員41名を中核とする総員139名で編成され、夜間は、専任のナイトマネージャーを隊長とし、警備員(4名)、保守管理会社従業員(14名)を加えた夜間勤務者全員約45名(フロント10名)で編成されていた。 夜間の右編成内容は、その編成表において、宿泊客全員の安全確保を第1目標とする基本方針の下に、消火活動、各方面への連絡、通報、宿泊客等の避難誘導、救護活動その他の任務分担が細かく定められていたほか、ヘルメット、懐中電灯等ほぼ前記火災予防条例で定めるものが各課に配備されていた。 三 消防訓練 昭和44年ころから昭和54年3月までは、年間訓練計画表を総務部営繕課で毎年作成し、警備会社、保守管理会社の従業員らも含め、30名ないし50名程度参加して、総合訓練または部分訓練を年に3、4回実施し、その際、点検業者も立会い、自動火災報知設備、非常放送設備の点検も併せて実施していた。 そして、右総合訓練では、訓練参加者が第1発見者、消火班、避難誘導班等に分かれ、火災発生時を想定して、通報、消火、避難等に関する具体的訓練を総合的、統一的に行い、右部分訓練は、右のうち一部を個別的に行うものであった。 被告人Aが社長に就任した後は、年間訓練計画の作成も実際の訓練も全く行われていなかったが、前記のように立入検査等で毎回指摘され、厳しく指導を受けたため、昭和56年10月20日被告人Bの指示で通報、避難訓練を実施したが、前提となる自衛消防隊の再編、消防計画の修正が行われていなかったばかりか、営利に直結しないこの種の行事に消極的な被告人Aにはこれを知らせず、実施の際にも同被告人の叱責を気にかけながら、参加人員も20名程度でこれを行い、後記のように警備員はほとんど参加せず、非常電話を使用した以外は、地区ベルはもちろん、主ベル、副ベルも鳴らさず、非常放送も行わず、参加者も真剣味に欠けるといった誠に形式的なものであった。 そのため、立会った消防係官から非常ベルや非常放送を用いて実効性のある訓練を実施するように指摘されたほどであり、その後も本件火災に至るまで全く消防訓練は実施されなかった。 四 被告人Aの社長就任後の問題点 1 被告人Aの遡及工事への対応 一 遡及工事促進の進言等 被告人Aの検察官に対する昭和57年12月4日付・2通、同月5日付、同月8日付、同月9日付各供述調書(乙4~7、9)、同Bの前掲検察官に対する各供述調書(乙25、26、31)、O 5、G 1、U、K 4、Y 1、N 3、I 1、K 5、I 2の検察官に対する各供述調書(565、645、649、714、727、737、755、785、791)、Y 6、N 1、Y 5の各証言等によれば、被告人Aに対しては、消防当局から前記のような働きかけがあったほか、ホテル・ニュージャパンの関係者らからも、次のような進言等がなされていたことが認められる。 1 昭和54年4月25日、ホテル・ニュージャパンの労働組合執行委員長が、社長就任予定の同被告人と話合った際、スプリンクラー設備等を設置してほしい旨の要望を出し、同席していたN 1専務からも遡及工事の施工が一部のみで、法定期限が昭和54年3月末に切れている旨説明を受け、同被告人は空調関係等他の工事と総合的に検討する旨回答した。 2 同被告人は、昭和54年5月28日社長に選任された当日、N 1専務の案内で館内を巡視した際、同専務から、4、7階の防火区画工事とスプリンクラー主管工事がなされただけで、遡及工事の期限を徒過している旨の説明を受け、また、そのころ、部長以上の者を集め、各部門の報告をさせた際にも、被告人Bからスプリンクラー設備の工事を促進してほしい旨の説明を受けているほか、提出させた同ホテル改造のための懸案工事実施計画(案)(第1項に消防法改正遡及工事3億9,700万円、現状・既存設備の大半が消防法による不適、改修案・3階以下スプリンクラー設備と400平方メートル区画、客室階100平方メートル区画のうち4、7階完了、3階までのスプリンクラー用縦管配管工事着工、他は未着工という旨の記載のあるもの。 )にも目を通している。 3 被告人Aは、社長就任直後から、ホテル・ニュージャパンの増収を図るため、同ホテルの大改装を計画(3階までをショッピング・レストラン街とし、Aホテル前の高架歩道を延長して接続させ、4階以上をホテルとするなどというもの。 )し、Y 1副社長を中心として検討させていた際、同年6月中旬ころ、右Y 1から、消防署に遡及工事を督促されており、改装するには全館にスプリンクラー設備設置の必要があることをきかされ、右改装計画の検討を依頼した設計業者からも、同年8月ころに、消防署からの本件建物の改善猶予期間は2年であり、同計画実現には概算総額約168億円を要すること、ホテル建物が老朽化しているため、給排水、電気関係等の全面的な改修のほか、設置期限が3月末に切れているスプリンクラー設備、代替防火区画の設置が必要である旨説明され、被告人Aも消防署の遡及工事の督促に対しては、大改装計画の中で検討して一括して実施する旨回答するようY 1に指示していた。 4 O銀行からホテル・ニュージャパンの経理部次長として出向してきていたK 5からも、同年8月以降、法令上防災設備設置義務があり、客の安全を保障するためには財産処分等を検討する必要がある旨たびたび進言されていたほか、同年暮には、Y消火器販売商事株式会社社長Y 5からも、同ホテルのスプリンクラー設備、代替防火区画の設置期限が同年3月末で切れている旨説明を受けていた。 また、N 1専務や被告人Bからも、遡及工事を早期に実施するようつねづね進言されていたほか、昭和55年6月以降は、前記立入検査結果通知書、指導書等が同ホテルに交付される都度、その写しを被告人Bから手渡されていたうえ、その内容の要旨の説明とともに、遡及工事の早期実施の上申を受けていたが、被告人Aは、スプリンクラー設備設置義務違反で消防当局から告発されながら裁判でこれを争っていたS会館の事例を持ち出し、既存建物に改正後の設備義務を遡及適用する改正消防法の批判を繰り返すなど、右進言や上申に耳を傾けようとしなかった。 5 昭和55年11月末ころ、被告人Bから川治プリンスホテル火災に関連して、万一の出火に備え、スプリンクラー設備等の工事を早期に実施するよう進言されたのに対しても、既に法定基準に見合う数だけ備え付けられている消火器を更に買い増すよう指示したのみでこれに応じようとはせず、また、昭和56年8月ころ、前記大宴会場改装工事を請負ったT建装株式会社社長Uからも、間仕切り壁が不完全なうえ、破損箇所や配管穴の埋戻し不完全箇所等があることを指摘されていた。 二 遡及工事の金額、工期等 Y 3、I 1の検察官に対する各供述調書(658、756)その他関係証拠によれば、T建設、M電機は、被告人Aが社長就任前、既に前記A案に従って遡及工事を一部施工しており、この残工事の見積額は合計約5億円、工事期間は、ホテル営業を継続し2階層ずつ施工する方式で約1年6か月、全館休業して施行すれば約9か月あれば足りるものであった。 なお、東京都内における同規模のホテルが行った遡及工事の施工内容、工事期間、完了時期等は、別紙遡及工事状況等一覧表(略)記載のとおりであることが認められる。 三 遡及工事の資金等 被告人Aの検察官に対する昭和57年12月5日付供述調書(乙11)、H 9、K 5・2通、I 2・4通、O 6、T 5、N 4の検察官に対する各供述調書(784、785、789、790、793、808~810、833、835)、H 5、K 6、N 5、N 6の司法警察員に対する各供述調書(801~804)、司法警察員作成の同年11月13日付、同月15日付各捜査報告書(796、797)その他関係証拠によれば、次の各事実が認められる。 1 T郵船からの長期借入金の繰上げ返済(略) 2 東京都の買収予定地についての対応(略) 3 私道部分の売却代金(略) 4 N銀行への融資申込み(略) 四 その他の工事等 G 1、Y 3、N 3・2通の検察官に対する各供述調書(644、657、738、742)等によれば、被告人Aは、前記のように、スプリンクラー設備等消防当局から督促されていたものについては、いっこうに着工しなかったが、昭和56年8月からの前記大宴会場改装工事や、ロビーにシャンデリアを取りつけるなどの営業に直結する内装工事等は積極的に実施しており、また、同年初めから新館裏側に立体駐車場の建設を計画し、N 3資材部長を督励してI重工業から工事見積り(3基90台で約1億円)をとらせ、T建設には前記消防署長の命令後の同年10月20日に、同様の工事設計依頼をさせるなどしていたことが認められる。 五 系列ホテルの遡及工事状況 U、M 7の検察官に対する各供述調書(650、652)、I 3、I 4、E 3、W 1の司法警察員に対する各供述調書(844~847)、司法警察員作成の昭和57年7月1日付、同年9月4日付各捜査報告書(839、840)、C市消防本部消防長、T地区消防本部消防長各作成の各捜査関係事項照会回答書(842、843)等によれば、前記のように、被告人Aは、Fホテル、Pホテルについても、その実質的な社主となっていたが、前記の改正消防法により、右両ホテルもホテル・ニュージャパンと同様にスプリンクラー設備等の遡及工事が義務づけられ、消防当局から指導を受けていながら、これを実施していなかったところ、本件火災が発生するや、次のとおり、極めて短期間にいずれもその設備工事等を完了させていたことが認められる。 1 Fホテルについては、改正消防法による遡及改修工事の期限は昭和54年3月末であり、所轄のT地区消防本部から昭和54年4月以降再三にわたり勧告書、召喚状、警告書等の交付を受けるなど遡及工事(スプリンクラー設備設置、一部代替防火区画)の早期着工、促進等をたびたび指導されながら、右遡及工事に全く着工しなかったのみならず、既設の1,500平方メートル区画等も不完全なうえ、消火器、誘導灯、自動火災報知設備等にも不備があり、その点検結果報告すらなされていないという状況であった。 ところが、本件火災発生直後、被告人Aは、建設業者に直接遡及工事を依頼し、工事代金総額6,500万円で昭和57年5月上旬から突貫工事を行い、同年6月末には遡及工事としてスプリンクラー設備(一部代替防火区画)の設置を完了したほか、自動火災報知設備等他の法令上要求されている消防用設備等をも完備させた。 2 また、Pホテルについては、改正消防法の遡及改修期限は昭和52年3月末日(複合用途防火対象物)までであり、所轄消防署から立入り検査時等にたびたび指導を受けたほか、昭和55年11月以降勧告書、警告書等を交付されるなどの指導を再三受けながら、スプリンクラー設備、代替防火区画等の工事は全く行わず、自動火災報知設備、非常放送設備、屋内消火栓等にも不備な点があり、また、消防訓練もほとんど実施されておらず、消防計画も昭和56年9月にようやく一応作成提出されたという状態であった。 ところが、本件火災直後、被告人Aは、業者に遡及工事の見積りを直接依頼して、総額2億5,000万円で契約し、同年7月末、追加工事(代金約5,000万円)を含めて遡及工事(全館にスプリンクラー設備設置)を完了し、他の消防用設備等も完備させた。 2 被告人Aの営業政策等と防火管理への影響 同被告人は、社長就任後累積赤字の解消を目指して従前の経営方針を転換し、強力に独自の政策を推進してきたが、その結果、防火管理面にも次のような問題点を生じさせた。 一 支出の抑制 被告人Bの検察官に対する昭和57年11月29日付供述調書(乙20)、F 4、H 10、N 3・2通の検察官に対する各供述調書(535、549、733、734)、Y 6の証言等によれば、前経営者F 1社長時代に行われていた年間予算を編成して支出する制度を、少額のもの以外ほとんど被告人Aの決裁により支出する方式(特に昭和55年12月以降は1万円以上の支出を伴うもの全件)に変更し、その決裁に当たっても、大幅にその金額を削減することが多かったため、消防用設備等の保守、点検費用等についても、それまで年間予算によって確保されていたものが支出できなくなるなどして、前記のように、専門業者に保守点検等を委託することができなくなるものが生じた。 また、出入り業者に対する支払代金の減額や、支払いをホテル利用券で行うことを従業員に交渉させるなどしたため、業者とのトラブルが生じ、消防関係事務とともに仕入業務等を担当していた資材課に負担増を強いる結果となり、また、従業員の賞与、給与等の支払についても、これを遅らせたり、手形で支払うなどしたこともあったため、生活不安等から従業員の士気を低下させ、防火管理業務に関しての意欲をも減退させる一因となっていたことが認められる。 二 過度の配置転換等と大幅な人員削減 被告人両名の当公判廷における各供述、被告人Bの前掲検察官に対する各供述調書(乙28~30)、F 4・2通、H 10、K 7、N 7、S 9、K 4、M 8、N 3(2通)、K 1(2通)の検察官に対する各供述調書(534、535、549、551、561、567、713、715、733、734、746、750)、Y 6の証言その他関係証拠によれば、次の各事実が認められる。 1 被告人Aは、前記のように合理化対策の一環として配置転換を頻繁に行い、昭和54年9月から昭和57年1月までの間に16回延べ174名が配置転換され(平均して2月に1回)、その内容も17、8年もフロントに勤務していた者を新入社員のやるルームサービスに、15年客室関係の仕事をしていた者を宴会事務所に、16年間宴会関係の仕事をしていた者を宿泊ページ係に、8年間宿泊関係の仕事をしていた労働組合幹部を食堂のウエイターに出すなどというもので、資材課においても、永年営繕関係を担当し消防設備士等の資格をもっていたK 1を宿泊部客室課へ回すなどという各従業員の勤労意欲を著しく減退させるような無差別、無方針のものが多かった。 2 また、管理職に対しては、昭和56年1月27日からは1日おきにホテルに泊り込み勤務を命じ、同年春からはこれを週5日に増やし、同年9月1日からは社長の許可を得た場合を除いて、休日も2か月に1回とする旨命じたり、被告人Aの命に反して使用したパート従業員の給与分を支配人(被告人B)以下数名の管理職に支払わせたりしたほか、被告人Aの泊り込みの命に反した管理職を即刻解雇するなど、命令違反には厳しい制裁を課した。 従業員に対しても、些細なことでも命に従わない者等には、減給等の厳しい処分を行うよう命じ、被告人Aのやり方に反対する労働組合に対しては、昭和54年11月に、N同盟(右翼団体)の構成員数名を、社長室勤務として駐在させてその対応に当たらせるなど、強硬な姿勢で臨んだため、労使紛争が激化し、昭和56年5月26日には、東京都地方労働委員会から救済命令を受けるなどしていた。 3 右のような被告人Aの経営政策、労務対策等に嫌気がさすなどして退職者が相次ぎ、同被告人の社長就任時でも開業当初(約700名)に比し半減していた約320名(他にパート約90名)の従業員数が、毎月平均約6名(計197名)も退職しながら、ほとんど補充されなかったため、本件火災当時には約134名(他にパート約40名)となり、都内の主要な同規模のホテル(各人員は別紙遡及工事状況等一覧表(略)参照。 )と比較しても、かなり少ないところまで激減し(その内、F 1社長時代から部長以上だった者は、被告人B以外すべて退職。 )、残った従業員らも、労働量の増加と先き行きの不安等から士気が低下するとともに、被告人Aの厳しい叱責や処分をおそれて畏縮するなどして、本来の業務に対する熱意も防火管理に対する意欲もともに減退していった。 4 右配置転換、人員削減等が行われたため、消防関係事務を担当していた資材部においてもその影響を免れず、被告人Aの社長就任時(当時は総務部営繕課)においては、N 3営繕課長(用度課長兼務)の下に、T 6、I 1、K 1といった建築、電気、消防設備等の専門知識のあるものなど計6名が配置されていたが、昭和54年9月営繕課が用度課と統合されて資材課となっても人員は増えず、同年12月には、前記のとおり消防設備士の資格もあるK 1が宿泊部客室課へ転出させられ、その後退職者の補充もされず、昭和55年5月には、資材部(N 3部長)として独立するとともに、警備会社の監督業務が付加されたものの人員増はなく、昭和55年8月にT 6課長、昭和56年12月にI 1課長代理がそれぞれ退職し、その後は、N 3部長の下にT 3主任、K 1(同年11月に復帰)と事務員の4名だけとなり、消防関係事務の知識があるのはK 1のみであったが、同人も仕入れ等の日常業務の担当とされ、消防関係事務を担当する同課従業員は皆無となり、やむなく下請業者の後記S産業のN 2社長に、ホテル・ニュージャパン設備保守所長の名称を用いさせて、消防当局との連絡窓口とする有様であった。 また、自衛消防隊の中核となるべきフロント課においても、右配置転換、人員削減の影響は深刻で、被告人A社長就任時には約33名いた課員が、本件火災当時には約16名に激減し、これに伴い、フロントの夜勤者も6名から3名に半減したうえ、フロント業務のベテランも減り、さらに、他部門のサービス低下による苦情が集中するため、その関係の事務量も増加し、しかも、フロントと共に夜勤をするページ(ベルボーイ)やルームサービス係等もほとんど半減している状態であった。 三 警備業務への影響 被告人Bの前掲検察官に対する供述調書(乙31)、J 1、S 10、C 1、V 1、L、N 3の検察官に対する各供述調書(661~665、741)、Y 7、V 1の各証言等によれば、被告人Aは、増収策の一環として、それまで行われていなかった駐車料金徴収を行うこととし、その業務を警備員に行わせることとなり、本来の警備業務に次のような影響を与えていたことが認められる。 1 本来の警備業務としては、防火、防犯等のため、巡回業務が重要とされており、ホテル・ニュージャパンにおいても、F 1社長時代から契約を継続していたN警備保障株式会社がこれに当たり、派遣警備員は、午後11時ころと午前3時30分ころから各刻時巡回(全館40箇所以上を巡回するもの。 )を行い、その他午後9時30分ころ、午前1時過ぎころ、同6時過ぎころにも補足的に灯火や火気等の点検巡回を実施して警備していたが、昭和55年夏ころ、ホテル側から駐車料金徴収を依頼され、当初は難色を示していたものの、同年11月ころ、被告人Aが直接派遣隊員にこれを申入れるなどしたため、午前8時30分から午後9時30分ころまでの間、4名の派遣隊員の内ほぼ2名をさいて、これに当たらせたところ、昭和56年2月になって、さらに深夜巡回や警備室待機をはずしても、駐車料金徴収を午前零時まで延長するよう再三申入れを受けた。 そこで、右警備会社が、責任ある警備業務を遂行するための増員を求めたところ、これを不満とした被告人Aは、同社との契約を同年5月末日で解約した。 2 昭和56年6月1日からC警備保障株式会社が代って警備業務を引き継ぐことになり、警備実施要領書も作成されたが、実情は、その記載内容とは異なり、主として駐車料金徴収を行うとの合意の下に業務が実施されたため、業務の引継ぎも駐車場管理が中心であった。 そして、夜間の刻時巡回も、当初は午前1時から1回実施していたものの、同年8月ころからは、深夜の料金徴収を優先させるため、右刻時巡回も廃止され、一応4階ないし10階の巡回だけは実施することにしたが、同年10月からは、午前3時ころまで駐車料金徴収を行うようになったため、深夜巡回はほとんど行われなくなってしまった。 また、アパート側駐車場の料金徴収を図るため、同年9月からは、アパート側駐車場管理のために、午後8時まで1名増員もしたが、結局、実質的な館内の巡回はほとんど行われず、警備員の中には館内の構造等についてすら熟知していない者がおり、前記自動火災報知設備の受信機の階別警報電鍵操作等の説明も十分にはなされていない状況であった。 また、火災予防対策として、ホテル側の定めた「防災計画」に基づく措置や、「自衛消防隊との合同消防訓練」への参加、火災発生の場合における緊急連絡の実施や、「消防計画」に基づく被害拡大防止活動等についても、昭和56年10月の合同消防訓練の際、警備室で待機し電話で出火地点の連絡を受け、インターホンでフロントへ通報する役割に参加しただけで、ほかには全く実施されず、結局、ホテル側から、警備員の火災発生時の役割分担、対処方法等については、何ら実効的な指示はなされていない状態にあった。 四 ビル管理会社等への対応 M 3、Q 1、I 5、N 2、M 8、N 3の検察官に対する各供述調書(575、669、671、715、743)等によれば、次の各事実が認められる。 1 ホテル・ニュージャパンのビル管理のうち、電気設備、冷暖房空調衛生設備、弱電設備等の保守管理については、Cビルサービス株式会社と契約して実施させていたが、被告人A社長の就任後、管理料支払の遅滞等から、昭和56年6月右契約は解約され、その後はビル清掃等を行っていたS工営株式会社がこれを請負い、その下請としてS産業株式会社に右保守管理を実施させることとなった。 2 右S産業には、Cビルサービスと異なり、弱電関係の技術者や消防設備士等がいないため、放送設備の保守管理も防火戸等の点検も有効には実施できない状態であった。 また、同社においては、被告人Aの徹底した経費削減策に対応するため、昭和57年1月末ころ、前記のように、東棟の空調設備を循環方式に改造し、また、他棟においても外気処理装置を停止するなどした結果、本件火災当時のホテル館内の空気は異常な乾燥状態となっていた。 3 前記のように、F 1社長時代には、Cビルサービス等の管理会社の従業員をホテル側の自衛消防隊に組み入れて編成し、消防訓練に参加させていたが、下請会社交替後は、ホテル側従業員を含めて自衛消防隊の編成や訓練実施がなされていなかっただけでなく、火災発生時の対応等についても、下請従業員らに対し全く指示等はなされていなかった。 五 まとめ 以上のとおり、被告人A及び同Bは、ホテル・ニュージャパンの管理権原者ないし防火管理者として、関係消防法令等により、スプリンクラー設備若しくは代替防火区画の設置、消防用設備等の点検、報告及び消防計画の作成とこれに基づく消火、通報、避難訓練等の実施が義務づけられており、消防当局から立入検査の結果等をふまえ、これらの履行について、何回となく指導、督促を受け、昭和56年9月には所轄消防署長から措置命令が発せられるまでに至っていた。 そして、被告人Aは、捜査段階においておおむね認めているとおり、同ホテルには消防法令上義務づけられているスプリンクラー設備等が設置されておらず、その遡及工事の早期実施が懸案事項となっていたことのほか、同ホテルの構造等からも、火災発生による宿泊客の生命等への危険性があり、その安全確保のため、前記スプリンクラー設備等の設置、充実の必要性があることを、社長就任当初から十分認識しており、しかも右設備等を本件火災発生前に設置、完備させることは、同被告人が決意し、熱意をもって努力しさえすれば、その実現は可能であったものということができる。 しかるに、同被告人は、営利の追及を重視するあまり、消防当局のたび重なる右指導、督促等にもかかわらず、営業利益に直結する設備やT郵船グループの利益等を優先させ、防火管理等には消極的な姿勢に終始した結果、懸案事項として専門業者により検討、立案され、その実施が十分可能であったと認められる遡及工事を履行しなかったばかりか、既設消防用設備等の保守管理状態を悪化させ、さらに、人的組織の面においても、人員の大幅な減少、残留従業員の業務知識の不足、士気の低下等を招くに至っていた。 また、被告人Bは、このような防火管理状況を十分認識していながら、実情に即した消防計画の作成やこれに基づく消防訓練を実施せず、単に形式的な訓練を一度行ったに過ぎなかったほか、遡及工事の実施について、被告人Aに進言はしていたものの、フロント課や資材部等の充実、保守点検費用の支出等に関する上申は被告人AはおろかY 1副社長に対しても行わず、実施可能であった防火戸等の点検も指示していなかった。 このように、本件火災直前におけるホテル・ニュージャパンは、関係消防法令に照らしてみた場合、人的物的いずれの面においてもその基準に程遠く、同ホテルの防火管理体制はまさに危殆に瀕していたといっても過言ではない状況であった。 第四 本件火災の状況 一 本件当時の在館者らの状況 F 4・2通、H 10、K 7、N 7、M 9、K 8、O 5、T 7、M 3、N 3の検察官に対する各供述調書(535、537、548、551、561、563~565、572、575、744)、司法警察員作成の昭和57年11月9日付、同月16日付各捜査報告書(423、533)その他関係証拠によれば、次の各事実が認められる。 1 宿泊客ら 前記のとおり、ホテル・ニュージャパンの本件当時のフロント管理の客室数は約420室(収容人員約782名)、利用中の貸事務所等は約100室であり、本件火災当夜には、宿泊客355名(日本人163名・内6名外出中、外国人192名)、居住者及び貸事務所等の利用者19名が宿泊しており、その内訳は、別紙在館者一覧表(略)記載のとおりであるが、9階には、日本人宿泊客19名、外国人宿泊客57名のほかに、貸事務所利用者1名、従業員1名(臨時宿泊者)がおり、10階には、日本人宿泊客12名、外国人宿泊客17名のほかに、居住者4名が在館し、8階以下の宿泊客等は、8階71名、7階69名、6階69名、5階21名、4階27名であった。 2 宿直従業員ら 本件出火当時、同ホテルには、従業員22名(資材部長N 3以下14名の宿直者、8名の臨時宿泊者)、下請会社従業員13名(警備員5名、機械等担当者5名、清掃担当者3名)が別紙宿直従業員等一覧表(略)記載のとおり在館していたほか、フロント課長R 1が私用で5階521号室に宿泊していた。 そして、夜間勤務の宿直従業員等は、前記(第三、三、3、 二 )のように、ナイトマネージャーの下に、自衛消防隊として組織されていることに建前上はなっていたものの、実態に即した再編成はなされておらず、訓練等もほとんど行われていなかったうえ、ナイトマネージャーも従前は専任の担当者がいたが、昭和56年初めころからは、被告人Aの管理職泊り込みの命を受けて、数名の管理職が輪番制で泊り込んでナイトマネージャーに当てられたため、本件当夜も、前記のようにN 3資材部長、N 7フロント課長、M 9宴会課長代理が一応ナイトマネージャーとして宿直していたものの、その職務内容、任務分担、火災時の対応等については、右交代制となった後もほとんど指示されていなかった。 本件当夜も、右N 3が当日の宿泊者数、宿直従業員数等の報告を受けてはいたものの、宿直従業員の仮眠場所すら十分には把握しておらず、N 7も当夜初めてのナイトマネージャー勤務で宿泊者数も知らなかったほか、M 9に至っては自らの仮眠場所すらフロント等に連絡していない有様であった。 また、前記のように、右3名も含めた宿直従業員等は、いずれも火災発生時の任務分担、対応措置等について全く指示を受けておらず、M 9が前記昭和56年10月の訓練に参加し、F 4が同年3月に自衛消防隊員講習を受けたほかは、H 10(昭和53年ころ消火器使用)、K 8が消火訓練を、K 7(同年ころ、救助袋使用)、O 5が避難訓練を、いずれもF 1社長時代に受けたのみで、消火栓、消火器の所在すら正確には知らず、フロント課員でさえ緊急時の通報、連絡の要領や非常放送設備の操作法等を習得していない状況であった。 下請従業員等も前記のように訓練に参加しておらず、火災時の対応措置について、ホテル側から協議、指導等一切なく、警備員でさえ通報要領や非常ベルの鳴らし方も含めて、自動火災報知設備の操作方法等もホテル側からほとんど説明されておらず、これらを習得してはいなかった。 3 物的設備等の状況 前記(第二、三、四)のように、9、10階にはスプリンクラー設備も代替防火区画も全く設備されていなかったうえ、1,500平方メートル区画も不完全で、防火戸にも問題があり、自動火災報知設備、非常放送設備にも欠陥があったほか、前記の空調設備の改造、運転状況の結果、エレベーターボタンを押す際や、ドアノブに触れる際はもちろん、硬貨の受渡しの際にすら静電気に悩まされるなど、館内は異常な乾燥状態にあった。 なお、本件火災時の気象状況は、晴天であり、強風その他格別異常な気象状況にはなかった。 二 出火状況等 司法警察員作成の昭和57年8月12日付、同月18日付各検証調書(286、287)、検察官作成の捜査報告書(404)、司法警察員作成の同年11月9日付、同月17日付各捜査報告書(422、533)、K 9、O 7の司法警察員に対する各供述調書(413、414)、H 10の検察官に対する供述調書(550)、X作成の鑑定書(614)その他関係証拠によれば、次の各事実が認められる。 1 出火場所 本件火災の出火場所は9階938号室であり、同室は、前記(第二、三、1、 二 )のとおり、西棟中央ホール寄りの北側にあるシングルルームで、他の部屋同様に出入口ドア及びその上部は木製、壁面及び天井面は可燃性クロス貼り、両隣りの936号室、940号室との間仕切りは、窓側の一部が木製板、その他はコンクリート・ブロック壁に木錬瓦が埋込まれ、配管周辺の埋戻されていない穴が936号室側の天井付近にあいており、同室内には、その中央部に936号室側壁面にほぼ接するようにベッドが置かれていた(別紙図面(略) 23 参照。 2 出火の原因及び状況 938号室には、商用(ステッカー等のセールス)で来日した英国人D 1(当時24歳・男。 以下、D 1という。 )が、昭和57年2月5日から宿泊していた。 同人は、同月8日午前1時40分ころ、外出先から酩酊して帰館し、938号室に入り喫煙したが、火の付いたタバコをベッドの枕元付近に放置したまま寝入るなどしたため、右タバコの火がベッドに移り、次第にその内部を燻焼し、やがてベッドの表面部分から小炎を発し、その燃焼による白煙が次第に同室出入口ドアの隙間から廊下に漏れ、同日午前3時15、6分ころ(後記F 4発見時、以下、この時点を煙発見時刻という。 )には、同室前廊下出入口ドア上部付近に薄い煙が層をなし、3時16、7分(以下、同日午前の記載は省略する。 )ころには、同ベッド上の小炎が明らかに視認可能な程度に発炎していた(以下、この時点を出火時刻という。 3 再着火の状況 右炎は、3時19ないし20分ころ(煙発見時刻の約4分後)には、ほぼ天井をなめる程度にまで発達していたが、後記H 10の消火器噴射により、ベッド表層ではいったん火炎が消失したものの、ベッド内部に火が残っていたため、約1分後(3時20ないし21分ころ)には再燃し、壁面、天井等に燃え広がり、後記のように、同室のドアが開放されたままとなっていたため、廊下からの給気により火勢が拡大して、3時24ないし26分ころ(煙発見時刻から約9、10分後)には、同室及びその前面廊下でフラッシュオーバー(火災の発生に伴い発生した未燃ガスを含む熱気層が一定空間に滞留し、その熱気層に炎が入り、十分な空気の補給と相まって爆発的に燃え上がる現象。 )を起した。 三 火災の拡大状況 司法警察員作成の検証調書(昭和57年6月22日付、同年9月15日付、同月22日付・314、343、390)及び捜査報告書(同年7月26日付、同年10月25日付、同月28日付、同年11月11日付、同月17日付・422、424、425、426、877)、X作成の鑑定書(614)、同人の証言その他関係証拠によれば、本件火災が出火場所の938号室(以下、出火室ともいう。 )から館内に拡大延焼した状況は、大略次のとおりであることが認められる。 1 火炎の伝播状況 一 9階の延焼状況 1 西棟南東側(出火室周辺)の状況 938号室の前記フラッシュオーバー(第1次フラッシュオーバー)により、同室出入口から廊下へ炎が噴出し、異常に乾燥していた廊下天井表面(クロス貼り)に着火してその炎が走り、西棟廊下ほぼ全域と中央ホールから東棟、南棟の各中央ホール寄り廊下中程までに至り、それ自体は第1次フラッシュオーバーの終束とともに立ち消えたものの、938号室ドア上部とその上方の木製板、同ドア前部廊下天井付近の炎は燃え続け、また、第1次フラッシュオーバーの炎と輻射熱により935号室の出入口ドア(木製)とその上部の木製板が加熱されて着火炎上し、天井板(石膏ボード)が焼損脱落した。 そして、3時26ないし29分ころ(第1次フラッシュオーバーの約2、3分後)、9階西棟北側避難所の鉄扉開口部からの外気の供給によって、938号室と同室前廊下で本格的なフラッシュオーバー(第2次フラッシュオーバー)が起り、右第1次フラッシュオーバーの約4分後(3時28ないし30分ころ)に935号室のドアが燃え抜け、炎が右ドア部と天井裏から同室内に侵入し、同室窓の開口部からの外気の供給により、その約1、2分後(3時29ないし32分ころ)、同室にフラッシュオーバーが起り、炎が激しく外部へ噴出した。 右935号室ドアに続いて937号室ドア部(ドアは開)、935、933号室間の廊下壁面(ベニア板等)が燃え抜けて炎上し、これらの炎の輻射熱により936、938号室間の同壁面、940号室ドア部を炎上させ、その輻射熱等が937、939号室間の同壁面を炎上させ、さらにその輻射熱等により940、942号室間の同壁面が炎上し、935号室ドア、933、935号室間の同壁面、937号室ドア部等からの輻射熱が934号室ドアを炎上させるというように、廊下を隔てて対向するドア、壁面等が交互に着火炎上し、ドアの燃え抜けた各室に炎が侵入していった。 そして、延焼拡大は、後記のとおり、西ホール側が遅れ、中央ホール、南棟が先行したが、西棟南西側廊下突当たりに位置し、ドア、窓の開いていた957号室には、第2次フラッシュオーバー、935号室フラッシュオーバーの際の高熱気流が、黒煙を含んで直接侵入し、また、天井裏の高熱気流は、横梁と天井板取付用の角材の間隙を縫って957号室天井裏へ流入した。 また、第2次フラッシュオーバーの際、東棟、南棟各中央ホール寄り廊下、西棟北側、西南側各廊下の天井表面クロス上を炎が走り、中央ホール以遠では、そのクロス貼りを燃やしたのみで炎は立ち消えたが、西棟では南東側廊下(出火室前)、西ホール、北側廊下と南西側廊下西ホール入口付近に炎が残り、938、935号各室の炎上か所とともに、前記避難所開口部と935号室窓開口部からの外気の供給により、その燃焼が継続され、西棟南東側廊下内装材の炎上から天井石膏ボードの焼損欠落、壁面ベニヤ板裏面燃え抜けによる炎上等が進み、同廊下に沿って中央ホール、西ホール方向へ炎が伝播していった。 2 中央ホールへの延焼 出火室ドア前の天井欠落部から天井に流入した高熱気流は、天井裏の角材、空調配管等のパイプの保温材を加熱して炎上させ、その炎や高熱気流が前記天井裏横梁と天井板取付用角材との間隙を通って、その角材等を焦がしながら伝播して行き、やがて、中央ホール天井裏を経て東棟南西側廊下、南棟北側廊下の各天井裏に達した。 中央ホール天井裏にはそれまでの燃焼等による未燃性の分解ガス等が充満していたが、前記のように934号室のドアが燃え抜けて炎が侵入し、第1次フラッシュオーバーの約11ないし12分後(3時35ないし38分ころ)、同室にフラッシュオーバーを起こし、その炎が欠落していた天井部分を通って廊下天井裏に噴出し、さらに中央ホール西棟側横梁下の角材の間隙(第2次フラッシュオーバーの焼損で拡大)を通って中央ホール天井裏へ侵入し、その下側の天井表面を伝播してきた火炎とともに同ホール天井の一部を脱落させ、右934号室フラッシュオーバーに引続いて、その約1分後(3時36ないし39分ころ)中央ホールがフラッシュオーバーを起こし、同ホール天井の全面的な脱落と同ホール壁面の炎上を生じさせた。 3 南棟への延焼 中央ホールにおけるフラッシュオーバーの際の炎と高熱気流は、同ホールから南棟北側廊下、東棟南西側廊下等に噴出し、窓、ドアともに開放されていた908号室にその炎が侵入して、同室内に約1、2分後(3時37ないし41分ころ)軽度のフラッシュオーバーを起こし、この炎が窓、廊下に噴出して、廊下を隔てた909号室や907号室のドア、その上部の板、ドア内側の同室内天井等を炎上させて、右ドア前の天井石膏ボードを欠落させた後、3時39ないし43分ころ、908号室が再度フラッシュオーバーを起こし、その炎と高熱気流のため、907号室で約2分後(3時41ないし45分ころ)に軽いフラッシュオーバーを起こし、その炎及び高熱気流が同室入口脇のパイプシャフトスペース上部の埋戻しのなされていなかった間隙を通って同スペース内に入り、パイプ保温材の被覆に着火しながら、その真上の1007号室脇のパイプシャフトスペース上部の埋戻し不良箇所から同室天井裏に噴出し、これが後記のように10階への延焼の主経路となった。 908号室における再度のフラッシュオーバーの炎が天井裏に入り、縦梁直下の乾燥し切っていた角材を燃やしながら、906号室天井裏に侵入し、窓に開口部のあった同室に、3時43ないし48分ころフラッシュオーバーを起こさせ、また、904、902、903、905号各室も、3時47分ころから4時13分ころにかけて、その炎と高熱気流等のため順次フラッシュオーバーを起こして炎上し、901号室も前記902号室のフラッシュオーバー後炎上した。 他方、南棟の南東側、南西側、各客室(913ないし928号室)は、いずれもドアが閉鎖され酸素の供給が不十分であったこと、同棟北側廊下が独立の対流を起こして高熱気流が同廊下内で循環していたことなどから延焼が遅れ、その各室前廊下壁面、天井を焼損したのみで、炎の侵入を免れた。 4 東棟への延焼 前記中央ホールのフラッシュオーバーの際の炎、高熱気流の輻射が、東棟南西側廊下壁面や木製ドアに着火、炎上させるなどして、3時40ないし43分ころ、968号室に炎が入ったのを初めとして、同廊下南側各室は、その木製ドアの燃え抜けや隣室等の天井裏からの炎の侵入等により、3時51ないし54分ころ、いずれも炎上したほか、同廊下壁面の炎上により天井石膏ボードが欠落するなどして、3時48ないし51分ころ、東ホールでもフラッシュオーバーを起こした。 このフラッシュオーバーの炎で961ないし963号室の各ドアが着火して燃え抜け、3時52ないし56分ころ右各室内が燃焼した。 しかし、970ないし987号各室は、出入口ドアが鉄製であったため、ドアの開いていた970号室を除いて、炎の侵入が阻まれ、また、東棟北側廊下、東ホールは壁面がベニア板張りでなかったため、廊下天井等を除いてほぼ延焼を免れた。 5 西棟南西側、北側への延焼 前記のように第2次フラッシュオーバーによる炎が西棟北側避難所廊下側壁面上部に着火し、同所扉開口部からの外気の流入等により炎上し、947号室脇壁面(ベニヤ板等)と同室ドアに燃え移り、その輻射熱により対向する壁面や948号室ドアが着火炎上し、945、946号室各ドア、廊下壁面、943号室ドアを交互に順次炎上させたうえ、944号室ドアを燃え抜けさせて、窓の開いていた同室に3時44ないし46分ころフラッシュオーバーを起こし、その噴出した炎が、天井裏横梁下の角材を燃やして、周辺の天井石膏ボードを欠落させるなどして、西ホール天井裏に侵入し、前記西棟南東側廊下(出火室側)からの高熱気流により、天井欠落部のあった西ホールに3時45ないし47分ころフラッシュオーバーを起した。 そして、その炎の輻射等により、942号室や939号室も順次ドアが燃え抜けるなどして火が入った。 西ホールのフラッシュオーバーの際の炎と高熱気流は、天井石膏ボードの欠落を起こし、天井表面と天井裏の両側から西棟南西側廊下へ噴出し、その天井下のものは、同廊下壁面に着火して炎上させるとともに、窓、ドアいずれもが開いていたため、前記のように既に熱気の流入していた957号室にドア部から流入し、同室天井と壁面上部を炎上させ、また、同廊下天井裏の炎と高熱気流は、横梁周辺の天井石膏ボードを欠落させて957、958号両室の天井裏に入り、空調吹出口やその周囲のベニヤ板を燃え抜いて室内に噴出して各天井に着火し、窓の開いていた右両室に、3時51ないし53分ころ、フラッシュオーバーを起こした。 953号室のドアも周囲で炎上している壁面等の輻射により着火して燃え抜け、3時55ないし57分ころ、同室もフラッシュオーバーを起こし、954号室も4時3ないし5分ころにはフラッシュオーバーを起こすなどして、西棟のほぼ全域が炎上するに至った。 二 10階の延焼状況 1 南棟の火災拡大状況 前記のように、907号室のフラッシュオーバーにより、パイプシャフトスペースの間隙を通って、10階1007号室天井裏に炎が噴出し、同室の空調吹出口周囲のベニヤ板を燃え抜き、その周囲の天井クロス貼りと壁面上部に着火し、乾燥し切っていたクロス貼り上部を伝播し、出入口ドアと窓が開いていた同室及びその前面廊下天井にかけて、3時46ないし50分ころフラッシュオーバーを起こし、その炎が対面する1006号室ドアを燃え抜いて同室内に流入した。 また、既に炎上していた906、908号室の各パイプシャフトスペース等の間隙から直上の1006、1008号各室天井裏を経て、1007号室前廊下天井裏に流入してきた熱気と、935号室脇パイプシャフトスペースの間隙から1035号室の間隙を通じて噴出し、10階西棟廊下天井裏から中央ホールを経て、南棟廊下天井裏に充満していた熱気とが、1010及び1011号室(いずれも窓、ドア開)等からの外気の流入と相まって、3時48ないし53分ころ、同所廊下中央部(1006ないし1009号室前)で同各室ともども、激しいフラッシュオーバーを起こした。 このフラッシュオーバーの炎は、窓、ドアの開いていた1011号室に流入し、その約1、2分後(3時49ないし55分ころ)に同室にもフラッシュオーバーを起こし、窓からその炎が噴出した。 また、1010号室にも同様に炎が入り、天井、壁面のクロス貼りに瞬時に着火して火が回ったほか、1008号室も、前記のように908号室からの熱気がパイプシャフトスペースの間隙等から流入して蓄積され、激しく燃えるなどして窓ガラスを破壊し、その開口部からの外気の流入と相まってフラッシュオーバーを起こした。 前記廊下中央部のフラッシュオーバーの炎及び高熱気流は、廊下天井クロス貼り上を早い速度で伝播し、窓、ドアの開いていた1005号室にも流入し、天井、壁面上部のクロス貼りに着火して炎上させ、約1、2分後(3時49ないし55分ころ)に、同室のフラッシュオーバーを起こすとともに、同室前廊下天井の欠落を起こし、天井裏に充満していた熱気が同廊下の空気と混合するなどして、3時51ないし57分ころ、1001ないし1004号室前廊下のフラッシュオーバーをも惹起した。 右廊下のフラッシュオーバーの際の炎と高熱気流は、1001号室に流入し、天井、壁面上部のクロス貼りに着火して炎上させ、窓の開いていた同室に、その約1、2分後(3時52ないし59分ころ)フラッシュオーバーを起こさせ、その火炎がF 2邸側にも噴出した。 2 10階南ホール、中央ホールへの延焼状況 1010号室は、右廊下部のフラッシュオーバーにより延焼していたが、1011号室のドア、窓が開放された後にフラッシュオーバーを起こし、その炎が約2分後南ホール入口横梁付近の天井を欠落させ、前記のように既に同ホール天井裏に充満していた前記935号室からの熱気と、天井下にそれまでの燃焼で蓄えられていた熱気とが混合して、1010号室からの給気と相まって、同ホールを中心にフラッシュオーバーを起こした。 その際の炎が約4分後に1013、1015号両室のドアをそれぞれ燃え抜き、両室にフラッシュオーバーを起こさせ、1011、1013、1015号各室の窓から激しく炎が噴出する一方、1010号室は、その給気口となって南ホール、南棟各廊下に外気を供給し、その延焼を拡大させた。 しかし、1021ないし1030号室は、すべて窓が閉っていたため、ドアの燃え抜け等による延焼は生じたものの、十分な外気が供給されず、フラッシュオーバーには至らなかった。 中央ホールは、1001号室のフラッシュオーバーの炎により天井が欠落し、その約2分後(3時53ないし59分ころ)フラッシュオーバーを起こした。 3 東棟への延焼状況 中央ホールのフラッシュオーバーの際の炎は、同ホール北東側防火扉の閉鎖していなかった部分(片側半開き)を通ってF 2邸に侵入し、同邸内を全焼させたが、東ホールへの火炎の侵入は、同邸の東ホール側鉄扉が閉められていたため阻止され、同扉上部の空隙から炎が東ホールに噴出し、同ホールの照明灯を燃やすなどはしたものの、同ホールがコンクリート壁であったこと、各室ドアが鉄製のうえ閉められていたことなどから、同棟各室や北側廊下の奥までは延焼が進まなかった。 4 西棟への延焼状況 前記中央ホールのフラッシュオーバーの炎は、西棟南東側廊下天井を欠落させ、前記のように既にその天井裏に滞留充満していた935号室等からの熱気に引火して、軽度のフラッシュオーバーを起こさせ、合板壁の上部を燃やしながら西ホール、西棟北側、同南西側へ廊下沿いに拡大していったが、同棟南東側の各室は、1033、1038号室(各窓閉)を除いては、ドアが閉まっていたため、フラッシュオーバーには至らず、また、同棟南西側、同北側の各室も1051号室(ドアは閉)を除いて窓が閉まっていたため、外気の流入が乏しく、廊下合板壁の燃え下りなどによって緩やかに延焼が進行したため、右各室のフラッシュオーバーには至らなかった。 また、935号室のパイプシャフトスペースの間隙から、直上の1035号室の同スペースの間隙への炎の噴出、同室前点検口上部からの炎の噴出、954号室のパイプシャフトから1054号室への同様の炎の噴出による延焼も起こったが、1035、1054号両室は、窓、ドアがいずれも閉まっていたために、右噴出によるフラッシュオーバーには至らなかった。 1060号室は、3時51ないし57分ころ、9階957、958号室窓から吹き上げる炎によって、その窓付近に着火して炎上するに至った。 三 他階への延焼 9、10階の前記のような各フラッシュオーバーにより、炎や高温濃煙がパイプシャフトスペース内に侵入し、その中の可燃物を焼燬させて燃え下り、その炎がパイプシャフトスペースの間隙を通じて下階の廊下、客室等をも延焼させた。 その主たる経路は西ホール脇の大型パイプシャフトスペースであり、主要な焼損箇所は、8階から5階までの各西ホール壁面の一部、8階同ホール天井の一部のほか、7階では743号室壁面の貫通孔から同室内に火が入り、その一部を焼損した。 また、パイプシャフトスペースから中央塔屋にも延焼し、その1階約85平方メートルをほぼ全焼したほか、配線の中継端子盤、配線束、同塔屋階段部分等をも焼損した。 2 煙の伝播状況 本件出火後、火炎の拡大、延焼に際し、これに先行して煙が広範囲に伝播したが、その状況は大略次のとおりである。 一 9階の状況 出火室からの煙は、ベッド内での燻焼時から白煙として廊下へ流出したが、第1次フラッシュオーバーまでは、東棟北側、同棟南東側、南棟南西側、同棟南東側廊下にはほとんど達せず、西棟廊下、東棟、南棟各中央ホール寄り廊下の中程にあった煙も、出火室前の高濃度の煙を除き、いずれも薄い白煙の層で、廊下の通行の妨げとなるほどのものではなかった。 第1次フラッシュオーバー以降、黒煙が廊下を主経路として急速に伝播し、前記各フラッシュオーバーの発生に伴い、各廊下末端までの伝播とその折返しを繰り返し、西棟南東側(出火室前)から、同棟南西側、同北側、南棟北側、東棟南西側、南棟南東側、同南西側、東棟北側、同南東側という順で各廊下に充満し、各室のドア上部、ドア下端と床面との隙間等から各室内へ煙が侵入し、前記第1次フラッシュオーバーの約5分後(3時29ないし31分ころ)には、その濃度と厚さを増し、ほとんどの客室内に煙が侵入するに至ったものと認められる。 二 10階の状況 10階への煙の伝播は、炎の場合と異なり、主として935号室脇のパイプシャフトスペースの間隙から、その直上にある1035号室脇のパイプシャフトスペースの間隙へ通じる経路をたどった。 935号室の前記フラッシュオーバー(3時29ないし32分ころ)以後、煙を含む熱気が1035号室天井裏に充満し、その廊下側の縦梁と角材の間隙を経って10階西棟南東側廊下天井裏へ入り、横梁と天井板取付用角材との間隙等を通って、中央ホール、西、南棟の各天井裏を順次伝播し、これらの天井裏全体を充満させた後、天井等の小間隙から廊下、客室内にもれ出して拡散し、第2次フラッシュオーバー以降西棟南東側廊下では、他のパイプシャフトスペース等の間隙からも煙が運ばれ、右1035号室前の点検口上辺の間隙から噴出した煙も加わって、3時41ないし45分過ぎごろには、視程5ないし7メートルくらいの煙濃度となっていた。 また、前記907号室のフラッシュオーバー以降(3時41ないし45分ころ)は、そのパイプシャフトスペースの間隙から1007号室の同スペース間隙を通る経路、前記9階西ホールフラッシュオーバー以後(3時45ないし47分ころ)は、西ホール大型パイプシャフトスペースの9、10階間隙部を通じる経路等からも、10階の廊下、客室へ、いずれも炎に先行して煙が噴出し、3時54ないし4時1分ころには、東棟客室以外の部分はほぼ全域に煙が立ちこめる状況となった。 三 他階への拡散 9、10階の煙は、パイプシャフトスペースの間隙、各室の空調配管等を通じて下階にも伝播した。 その煙は、8階の各ホール、廊下ほぼ全域と二十数室、7階の各ホール、廊下全域と十数室、6階の南棟、西棟各ホール、廊下のほぼ全域、東棟北側廊下の一部と約十数室、5階の中央ホール及びその付近の南、西棟廊下と数室、4階の南棟廊下一部と数室等に及び、前記第1次フラッシュオーバー以後拡散してきたが、8階南棟の一部を除いて薄い煙にとどまったため、宿泊客の避難等に格別支障をきたすことはなかった。 3 9、10階の避難可能時間 前記のとおり、本件ホテルの9、10階には、それぞれ4か所に非常階段があり、火災発生の場合、避難方法としては、通常、右非常階段が利用されるものと認められるところ、本件火災時、右非常階段内には、ほとんど火煙は侵入していなかったから、宿泊客らが各室から廊下、ホール等を通って右階段内に至れば、あとは安全に避難することが可能であったものとみることができる。 そして、前記のような火煙の伝播、拡大状況からみると、宿泊客らが、右非常階段内に避難するため、廊下等を通行することができた時間(通行可能時間)、及び各室内で異常発生を覚知し、最寄りの各非常階段内へ避難するまでに要する時間(避難所要時間)は、次のとおりと認められる。 一 9、10階廊下等の通行可能時間 1 9階 従業員等による避難誘導がない場合でも、前記煙発見時刻から約9分後(前記第1次フラッシュオーバーが3時24ないし26分ころ起こるまでの間)までは、出火室のある西棟を含め9階全域で、中央ホールでは右時間の約2分半後まで、南ホール、東ホールでは同約3分後、南棟、東棟の各中央ホール側が同約3分半後、その余の南棟、東棟部分では、同約4分後まで、宿泊客は更に廊下等を通行することが可能であった。 また、同階で、従業員等による避難誘導が適切になされれば(宿泊客らが避難階段内に素早く到着できるので、火煙の強さ、濃さが若干増しても避難が可能である。 )、出火室のある西棟南東側を除いて、右各時間より更に、西棟で約1分半、中央ホール、南棟、東棟部分で約30秒ないし約1分それぞれ通行可能時間が延びる。 2 10階 煙発見時刻から少なくとも約二十数分後(前記908号室のフラッシュオーバーが起こり、10階廊下等に煙が噴出するまでの間。 )までは、同階全域で宿泊客らの廊下等の通行が可能であり、従業員等による適切な避難誘導がなされれば、更に2ないし3分右時間が延長される。 二 宿泊客の避難所要時間 9、10階各室の宿泊客等が各室から廊下等を通って最寄りの非常階段まで到達するのに要する時間は、最大限で20秒もあれば十分であるが、就寝中の者が、大半であるため、覚せい、火災発生覚知に要する時間や右覚知後身支度して非常階段に至るまでの時間を総計すると、ドア叩きによる火事ぶれ、非常放送及び誘導が適切になされた場合には、覚せいに要する時間を含めて、約2分強で3分を超えることはなく、右の情報伝達の仕方が不十分な場合でも約3分程度あれば足り、また、火事触れや非常放送等を欠き、自ら異常覚知した場合には、右覚知してから非常階段に到達するまで3、4分ぐらいを要するものと認められる。 四 宿直従業員らの対応 1 フロント係員らの対応状況 司法警察員作成の昭和57年10月7日付、同月15日付、同月30日付各検証調書(377~379)、同年11月9日付捜査報告書(533)、T 8、F 4・3通、K 7、P・2通、K 8の検察官に対する各供述調書(449、537、538、541、552、557、558、564)、K 10の司法警察員に対する供述調書(581)、X作成の鑑定書(614)その他関係証拠によれば、次の各事実が認められる。 一 出火発見状況等 前記のように、当日夜勤のフロント係F 4(昭和45年入社、当時33歳)が仮眠するため、3時少し過ぎころ、フロントを出てエレベーターで9階968号室へ向い、9階でエレベーターホールに出た際、きな臭さに気付き、中央ホールの灰皿を確認した後、3時15、6分ころ、西棟廊下奥右側938号室前ドア上部付近に、同室から流出していた白煙が少しよどんでいるのを発見した。 同人は、様子を確めるべく、同室に向おうとしたものの、前記のように火災発見時の具体的な対応措置等が身についていなかったため、1人で対処することに不安を感じ、フロント等に電話連絡をすることすら思い浮ばぬまま、中央ホールエレベーターで1階に降りてフロントへかけ戻り、その場に居合わせた者に対し、3時16、7分ころ、9階30番台の客室から煙が出ている旨を告げた。 二 その後の対応状況 右F 4が戻った際、フロントには、フロント係P(昭和54年4月入社、当時26歳)、ページ係K 7(昭和53年4月入社、当時27歳)、ルームサービス係H 10(昭和52年入社、当時28歳)が居たが、Pらのその後の対応状況は次のとおりである。 1 右H 10は、直ちに1階中央ホールエレベーターで9階に向い、同階西棟へかけつけ、938号室ドア上部付近から白煙が出ているのを認め、同室ドアをノックしながら声をかけると、ドアは開かなかったものの、D 1の「ファイアー、ヘルプミー」という叫び声がきこえたため、火事と気づいて中央ホールから消火器を持参し、K 7がマスターキーで同室ドアを開けると、D 1が裸で同室内からよろけるように出てきて、出入口のところにうつ伏せに倒れた。 H 10は、煙の立ちこめていた同室内に腰をかがめるようにして入り、3時19ないし20分ころ、頭髪を焦がしながらも、ベッドの手前から燃え上っている炎の方向に消火器を噴射し、一応火炎を消しとめた。 ところが3時20ないし21分ころ、再び燃え上ったため、急きょ他の消火器をとりに行こうとしたけれども、その正確な所在を知らなかったため、南棟ホールの方へ行くなどした後、中央ホール脇サービスステーションに入り、従業員用エレベーターで8階に降り、同階サービスステーション前の消火器を持って、同エレベーターで9階サービスステーションへ戻った。 そして、938号室へ再び向おうとしてドアを開けたところ、同ステーション前の廊下上方を煙が南ホールの方に流れ、中央ホールの方向から灰色の煙が天井をはって押し寄せてくる様子であり、後記のように、F 4に制止されるなどしたため、同ステーションのドアを閉め、従業員用エレベータで、F 4とともに4階へ降りてしまった。 その後、H 10は、4階のサービスステーションでガス栓を閉めるなどしたのち、3時29分ころ、467号室で仮眠中のK 8に電話で火事を知らせ、また、9階サービスステーションのメイド控室でW 2が仮眠中であるのを思い出して、3時31分ころ、同人を起こしに行き、既に火災に気づいていた同人を伴って同所の従業員用エレベーターで4階に降り、同人とともに4階南棟客室のドアをノックした後、非常階段で1階へ降り、その後5階西棟の客室のドアをノックして火事ぶれをして、顔見知りの客2名を西棟非常階段から1階へ誘導したが、1043号室の顔見知りの宿泊客が避難していないことに気づき、西棟非常階段で10階へ上り、4時過ぎころ非常階段出入口から大声で呼び、懐中電灯で合図して、猛煙の中から西ホール北側の同室の宿泊客2名を同階段へ誘導し、同階段で1階まで避難させた。 2 前記K 7は、9階客室のマスターキーを持参し、H 10より少し遅れて9階へ向い、前記のように938号室のドアを開けた後、火災発生を宿泊客に知らせるべく、938号室周辺の各室に火事ぶれをして回ったが、大事に至らなかった場合、大騒ぎを起したとして、被告人Aから事後に叱責されることなどをおそれ、ドアを軽くノックして声をかけただけで大声も出さなかったため、右各室の宿泊客にも火事ぶれとしては覚知されなかった。 その際、付近の廊下に出てきた937号室宿泊客T 9等に避難するように声をかけ、932号室前の消火栓のところにF 4がいるのを見かけたが、声もかけずに、フロントのPと仮眠中のO 5に火災を知らせようと考えて、中央ホールのエレベーターで1階へ降りてしまった。 そして、K 7は、直ちにフロントへ行き、3時24分ころ、電話中のPに119番通報と仮眠中の在館従業員を起こすように依頼したが、Pが右通報等を実行するかどうかは確認しないまま、仮眠中のO 5に火災発生の電話をした後、南棟非常階段を上り、9階出入口の扉を少し開いたところ、廊下に煙が充満していたため、同階へ出ることを断念し、そのまま8階へ下り、同階客室のドアを叩くなどして大声で火事ぶれをし、7階、5階でも同様に火事ぶれをした後1階へ下り、3時30分ころ、同階食堂事務所で仮眠中のK 10に火事を知らせて起こし、消防隊到着後は、同隊員の求めに応じて案内や手伝いをするなどした。 3 F 4は、前記のように、煙発見後フロントに戻り、Pに警備員への連絡を指示し、カウンターに入って936、938号室の各宿泊者の有無、氏名を確認するなどしたものの、その後の対応策が思い浮ばず、Pに適切な指示もできないまま、再び中央ホールエレベーターで9階へ上り、3時20ないし21分ころ938号室へかけつけたところ、同室出入口のところにD 1が倒れており、同室内に炎が上っているのを視認した。 そこでF 4は、932号室横にあった消火栓箱からホースを取り出そうとしたが、不慣れのためこれに手間どったうえ、水圧で持っていたノズルを取り落し、これを拾おうとしてかがんだ際に煙を吸いこんでめまいを感じ、急ぎ同階サービスステーションへ行き、濡れタオルで口元を覆うなどしたうえ、出火室へ向おうとしてドアを少し開いたところ、黒煙が流入してきたため、廊下全体の煙の状況もよく確認しないまま、ドアを閉めてしまった。 その後、前記のように消火器をもって同ステーション内に戻ったH 10が消火に向おうとするのを危険だとして制止し、そのまま同人と同所にある従業員用エレベーターで4階へ降り、1階フロントへ戻ってしまった。 F 4は、3時27分ころフロントに戻って、Pに119番通報を指示するとともに、9階客室へ電話で火災発生を通報しようとしたが、手がふるえてうまくダイヤルを回せず1室も通報できない状態だったが、次第に落ち付きを取り戻して、防災放送をしようと思い至り、フロント事務所裏防災センターへ行き、前記防災放送盤を操作しようとしたが、取扱い経験がなく、使用説明書を捜すなどした後、3時34分ころになって、ようやくPとともに説明書どおり右放送盤を操作してみたが、既に、9階の火災によりその配線が焼燬、短絡するなどしていたため、防災放送は行なうことができず、また、使用可能であった非常トークバック放送については思い至らず全く操作しなかった。 その後もフロントから電話で客室への連絡を試みるなどしたが、結局、奏功しないまま、フロントで従業員からの問合せに応じた程度で、消防隊到着後は、整理されていなかった宿泊者名簿の作成等に当たった。 4 Pは、前記のように、F 4の指示を受けて、3時17分ころ警備室に電話し、9階客室から煙がでているので様子をみてくるよう警備員C 2に連絡した。 しかし、副受信機の副ベルも鳴らぬため、真実火災が発生したか否か半信半疑であったうえ、火災発生時の対応措置について、訓練はもとより指示等もほとんど受けたことがなく、空騒ぎとなった場合の叱責をおそれて、ナイトマネージャー等には連絡せず、9階へ赴いたF 4らからの連絡を漫然と待っていた。 その後、9階から避難してきた前記T 9らに異常を告げられるなどして、3時24分ころになって、ようやく仮眠中のフロント課主任S 9に電話で火災発生の事実を連絡し、順次N 3らに電話連絡をとろうとしたが、気が動てんして、前記K 7やF 4、更には外部の目撃者や宿泊客等からも119番通報を指示されながら、これに対応できず、F 4の防災放送盤操作を前記のように手伝った後、3時39分になって、ようやく同ホテルから初めての119番通報をするに至った。 その後、何とか宿泊客を避難させようと思い、非常階段で9階へ赴いたが、H 10らに制止されて同階へ出るのをあきらめ、10階へ行くことは思いつかぬまま、1階フロントへ引き返し、6階のマスターキーを持ち出して非常階段で上り、6階各室のドアをノックしあるいはマスターキーで開けるなどして火事ぶれをし、廊下や客室内にいた宿泊客らを非常階段へ誘導した後、到着した消防隊員の求めに応じて、館内を案内したり、8、9階のマスターキーを届けるなどした。 2 警備員の対応状況 司法警察員作成の昭和57年8月18日付、同月31日付各検証調書(380、381)、同年11月9日付捜査報告書(533)、C 2・3通、Lの検察官に対する各供述調書(606、607、665、668)、L、Y 7、C 3、V 2、D 2、I 6の各証言等によれば、次のような各事実が認められる。 前記のように、本件出火当時、警備室で、C 2(当時52歳、昭和56年4月中央警備入社、同年7月から同ホテル派遣)が勤務中であったほか、Y 7(当時19歳、昭和57年1月31日同社にアルバイト入社)が仮眠しており、隣の休憩室で、L派遣隊長(当時47歳、昭和55年1月同社入社、昭和56年10月同ホテル派遣、昭和57年1月16日から同隊長)、V 2(当時40歳、昭和57年1月15日同社アルバイト入社、同月21日同ホテル派遣)、C 3(当時51歳、昭和57年1月5日同社入社、同月16日から同ホテル派遣)が仮眠していたところ、3時17分ころ、Pから前記のように通報が入った。 一 C 2の対応 C 2は、右Pから電話で前記のような通報を受けたものの、十分に事態の把握ができず、隣で仮眠していたY 7に9階の様子をみてくる旨告げたのみで、3時18分ころ東ホールのエレベーターで9階に上った。 そして、938号室付近に至ったところ、同室出入口にD 1が倒れており、付近にいたF 4が「火事だ。 」と言ったため、ようやく火災の発生に気づき、F 4が消火栓箱からホースを取り出し、938号室の方に行くのを見て、C 2も、消火栓の給水バルブを開いたが、それ以上に同人の消火活動を手伝うこともせず、そのまま9階サービスステーションに入り、3時22、3分ころ警備室のY 7に、9階で火災が発生したため仮眠者全員に連絡するよう電話し、同室から廊下に出た。 その頃になると、938号室から漂ってくる煙の量も増え、その奥の方はよく見えないようになってきたうえ、F 4の姿も見当たらず、火災に際しての役割分担、対応措置等の指示、訓練も受けていなかったこともあって、1人で対応するのに不安を覚え、火事ぶれもせず、防火戸については存在すら知らなかったため、閉鎖することなど思いも及ばず、とにかく警備室に戻って他の警備員とともに対応しようと考え、9階東ホールエレベーターで8階に降り、8階からは非常階段を経由して、3時27分ころ、警備室へ戻った。 しかし、C 2は、同室付近に居合せたLらに、前記の火災状況等を報告することもせず、3時39分ころになって、ようやく警備会社の本部に本件火災の発生を電話連絡して応援派遣を要請し、ホテル内から警備室側に出てくる宿泊客等を誘導した後、3時40分ころ、再びホテル館内に入り、東棟非常階段から8階へ上り、消火栓操作を試みたり、火事ぶれをするなどし、同階廊下にいた宿泊客らを1階まで誘導したり、到着した消防隊員らの求めに応じて9階まで案内するなどして警備室へ戻った。 二 他の警備員の対応 1 Y 7は、前記のようにC 2に仮眠中起こされたものの、事態をのみこめないまままた眠ってしまい、3時22、3分ころ、受信機の主ベルが鳴り出して目覚めたところ、同機の地区表示灯が点灯しており、その直後、前記C 2からの電話が入り、9階で火災が発生したことを知り、C 2の指示どおり、休憩室で仮眠中のL、V 2、C 3に9階で火災が発生した旨告げて、同人らを起こした。 2 Lは、3時22、3分ころ前記主ベルの鳴動で目覚めたところ、右のようにY 7から告げられて警備室へ行き、受信機の地区表示灯の9階の辺りが点灯していること、Y 7が復旧ボタンを操作しても主ベルが鳴りやまないこと、9階へ行ったC 2から9階で火災発生の電話連絡があったことなどを確認した。 そこで、Lは、同室前駐車場に出たところ、938号室辺りの窓から煙が出ているのを現認したため、慌てて警備室前に戻り、Y 7らに119番通報と警備会社本部への電話連絡を指示し、再びSグラウンドビル側の道路をかけ上って、938号室窓から黒煙が噴出し、窓全体が赤くなっている状況を確認した後、警備室へ戻ろうとした際、上階からの客の悲鳴を聞いて気が動てんし、非常階段で9階へ向ったものの、6階で避難客を発見したため、これを屋内駐車場まで誘導した。 そして、同人は、付近にいたY 7とともに再び非常階段で9階まで行ったが、消防士に制止されたため、8階へ下り、居合わせたC 2と屋内消火栓による消火を試みたがうまくいかず、8階各室のドアをノックし、声をかけて火事ぶれをし、7階、6階でも同様の火事ぶれを行うなどした。 3 Y 7は、前記のようにLから、119番通報と本社への連絡を指示されたにもかかわらず、C 3、V 2にこれを依頼しただけで自らは行わず、9階へ向かおうとしたが、ホテル事務所出入口の錠を開けるのに手間どり、3時40分ころ、V 2とともに同出入口からホテル館内に入り、非常階段を上って6階出入口の扉を開け、廊下にいた宿泊客らを同出入口へ誘導したほか、7階、8階でも宿泊客らを非常階段まで誘導したりした。 その後、Y 7らは、9階へも出ようとしたが、非常口扉に熱気を感じて入るのをあきらめ、10階東棟非常口付近で、煙が立ちこめる中をV 2とともに大声で火事ぶれをし、廊下付近にいた2、3名の者を同階段まで誘導して8階に下り、同階廊下の宿泊客等を非常階段まで誘導するなどし、その後消防隊員の求めに応じて消火器を捜したり、8階以下で宿泊客を誘導するなどした。 4 C 3は、前記のようにY 7に起こされたものの、すぐには目覚めず、もう一度Y 7に起こされて3時28分ころ警備室へ行き、受信機の表示灯をみたり、同室前から9階の炎を確認するなどした後、仮眠の際に脱いでいた制服を着たが、ホテル内の様子もよく知らず、1人残されたため警備室に残り、駐車場側へ出てきた宿泊客らを誘導したり、到着した消防隊を事務所入口へ案内するなどした。 三 まとめ 以上のように、警備員らは、いずれも自動火災報知設備の受信機の地区ベル(非常ベル)の鳴らし方を知らなかったため、これを鳴動させることができず、また、前記のように通報要領や火災発生時の対応措置、任務分担等についてホテル側からの指示、訓練等がなかったうえ、駐車場管理が主業務とされるような状況であったこともあって、全く組織的な対応ができなかったばかりか、119番通報すら行えず、本社への連絡も大幅に遅れたため、4時過ぎになってようやく応援隊員らが到着するという状況であった。 3 他の従業員らの対応 司法警察員作成の前掲捜査報告書(533)、N 7、C 4、M 9、K 8、O 5・2通、S 9、O 8、O 9、T 10、O 10、T 7、W 2、C 5、M 3、W 3、D 3、F 5、N 3の検察官に対する各供述調書(561~578、744)、E 4、K 10・3通、F 6・3通、C 6、V 3、R 1・2通、G 2・2通、J 2・3通、Y 8・2通、Q 2、R 2の司法警察員に対する各供述調書(579~598)等によれば、次の各事実が認められる。 一 宿直責任者ら 1 N 3は、当夜の宿直責任者で、4階421号室に仮眠していたが、K 8のドアノックと火事ぶれによって3時40分ころ目覚め、急いで着替えてフロントに直行し、居合せたPに119番通報の有無等を確認した後、地下1階の資材部事務室へ赴き、被告人B、同Aに電話で火災発生を知らせ、フロントに管理職へ電話すること、交換手のS 9、O 8に客室へ電話連絡すること、地下2階の機械室へ行き下請従業員らに上階へ手伝いに行くことなどをそれぞれ指示したほか、自らは、非常階段から下りてきた宿泊客等を誘導するなどしたものの、宿直従業員等の活動状況もほとんど把握できない状態で、それ以上の指示はできなかった。 2 フロント課長のN 7は、ナイトマネージャーとして当夜6階647号室に仮眠していたが、Pから電話をかけられたものの、出るのが遅く切れてしまい、そのまま眠っていたが、廊下の騒音、人声で目覚め、同階廊下の煙をみて火災発生を直感し、非常階段を下りてフロントへ行き、F 4に9階での火災発生を確認した後、非常放送を試みたが、前記のとおり、既に実施不能となっていたため、ロビーの避難客の案内等をしただけで、自ら上階へ行かなかったばかりか、従業員らに何の指示も与えなかった。 3 宴会課長代理のM 9は、当夜のナイトマネージャーとして、3階キャプテン室に仮眠していたが、仮眠場所を知らせていなかったこともあって、消防車のサイレンでようやく目覚め、騒々しいためロビーへ下りて初めて火災発生を知り、サービスステーションの従業員用エレベーターで7階へ上り、消防隊の怪我人運搬を手伝い、その後ロビーの避難客の世話をしただけで、フロント従業員の名前も知らず、平素から火災時の対応、役割分担等について指示を受けていなかったため、他の従業員への指示、対応等は全くできなかった。 二 他の宿直従業員ら 1 宿直従業員 フロント課主任C 4は、仮眠中Pに電話で起こされ、6階の宿泊客を誘導してロビーへ行き、防災放送を試みたが、既に実施不能となっていたので、ロビーの避難客の整理等に当たったが、上階へは行かなかった。 ルームサービス係K 8は、前記のようにH 10に起こされ、4階で同人と火事ぶれをしてN 3を起こすなどし、その後Pとともに5、7階のマスターキーを持って客の避難誘導等に努めたが、10階の避難誘導等は思い浮ばなかった。 アルバイトでルームサービス係をしていたW 2も、同様に、H 10に起こされ、4階客室のドアノックをしただけでそのまま避難した。 ページ係O 8は、K 7に電話で起こされたが、冗談と思ってすぐには起きず、3時37分ころ、騒音、煙臭、悲鳴等で火災を覚知し、着替えをしてフロントへ行き、9階出火を確認し、臨時宿泊者を起こし、非常階段を上って8階以下の宿泊客等の誘導や消防隊の案内等を行うなどした。 仮眠中の交換台係S 9は、3時35分ころ、騒音や悲鳴、Sグランドビルの窓に映った炎で火災発生に気付き、交換台業務をしていたO 8に知らせた後、3時42分ころ119番通報し、その足でフロントに行き、在宅の管理職に電話連絡をしてから、再び交換台へ戻り、各客室に2人で電話連絡を試み、885号室の宿泊客を起こして火事を知らせ、避難するよう伝えるなどしたが、フロントやナイトマネージャー等からの連絡、指示はなく、早期の通報や宿泊客からの問合せに対する適切な対応はできなかった。 セレースの調理係K 10は、3時30分ころ、K 7に起こされて火事を知ったが、同係のF 6に伝えただけで何らの指示もなかったため、両名で駐車場側へ出てしまい、館内での活動は全く行わなかった。 2 その他の従業員 臨時宿泊客は、自らあるいは前記従業員らの火事ぶれで火災に気付いた後、各自の判断で8階以下の火事ぶれを行ったり、消防隊に協力したり、ロビーの避難客の世話をするなどしたが、ナイトマネージャーの指示連絡等はなく、早期に火災に気付いた者のうち、9、10階の避難誘導に赴いた者はほとんどなかった。 その他の下請従業員等は、地下2階で夜勤または仮眠、休憩していたが、3時30分ころ、宿泊客が避難の途中地下2階へ迷い込んできたため、火災発生を知り、同客らを1階まで誘導したほか、仮眠者を起こし、自主的に空調停止等の機械設備の保安措置をとったりしたが、前記のようにN 3に指示されて数名が上階へ行き、消防隊の活動等を手伝うなどしたものの、役割分担も不明で十分な活動はできなかった。 4 まとめ 以上のように、本件火災は早期に発見されており、しかも、当時のホテル館内には、相当数の活動可能な従業員等が在館していながら、自衛消防組織として編成されていなかったうえ、責任者も含めて、火災発生時の心構えや対応措置をほとんど身につけておらなかったため、組織的な活動が行われなかったばかりか、各個人の対応としても、初期消火活動や出火階、直上階での火事ぶれ、避難誘導等もほとんど行えず、地区ベルの鳴動操作、防火戸の閉鎖に至っては全く思いつく者もなく、119番通報や関係者への通報連絡も極めて遅れるなど、従業員等の活動は、本件火災の拡大防止、被災者の救出にはほとんど有効に機能し得なかった。 五 宿泊客らの火災覚知、避難状況 司法警察員作成の昭和57年11月1日付検証調書(298)、同年10月25日付、同月28日付、同年11月16日付・2通、同月17日付各捜査報告書(162、422~425)その他関係証拠によれば、次の各事実が認められる。 1 9階の宿泊者ら 一 火災覚知状況 9階には、別紙在館者一覧表(略)記載のように、全館内で最多の77名(外国人も最多の57名)の宿泊客等が在館し、そのほとんどが就寝していたが、従業員の火事ぶれで火災を覚知した者はなく、人の騒ぐ声や悲鳴、ガラスの割れる音、煙やその臭いなどで火災に気付き、あるいは気付いた同室者から知らされるなどして、はじめて火災の発生を知った者が大半であった。 そのため、覚知時刻はほとんどが第1次フラッシュオーバー(938号室)以降であり、しかも、非常口の正確な位置等も知らなかったため、廊下から自力だけで避難できた者はわずか4名に過ぎず、死傷を免れた者もそのほとんどが窓からの脱出を余儀なくされた(以下死傷者のみ氏名を掲げる。 二 避難、脱出状況 1 廊下からの避難 936、937、911号室の各1人が、出火室と近いことなどから早期に覚知して中央エレベーターで、また、982号室のテナント宿泊者1名が非常階段で、それぞれ自力により避難したほか、東棟984ないし986号室の6名の宿泊客が、消防隊の誘導により非常階段で避難した。 2 窓からの脱出 本件ホテル建物は、別紙図面(略) 24 のとおり、窓の外側に幅約25センチメートルのやや下向きに傾斜したタイル張り窓台が各窓の下側にそって横にのびていたため、逃げ場を失った宿泊客らは、その窓台の上を外壁伝いに歩き、各棟外壁の屈曲部等の窓際に窓を仕切るように垂直に設置されている防火壁(別紙図面(略) 24 参照。 )や下階に通じる配管、各室内のシーツ類を結び合わせたものなどを伝って8階以下に下りるなどして脱出を図り、あるいは消防隊に救出されるなどした。 その各棟の状況は次のとおりである。 東棟では、980号室のR 3、979号室のZ、R 4がはしご車で、971、972号室の各2名、974号室の1名が右窓台を伝って窓から976号室へ逃げ込み、同室の2名とともに消防隊の救助ロープにより屋上あるいは8階へ脱出した。 西棟では、932号室のG 3、934号室のD 4、953号室のR 5、Z 2、954号室のR 6ほか1名、958号室のE 5がいずれもシーツ等で8階へ脱出し、944号室のQ 3はカーテンで8階、更に7階へと下り、窓枠につかまっているところをはしご車で救出され、943号室のW 4と952号室の1名は、窓台を伝って956号室外壁の角に至ったところを同様に救出され、939号室の2名は同室窓横の防火壁を伝って8階へ脱出した。 南棟では、913、921、923号室の各2名がいずれもシーツ等で7階まで脱出し、901号室のC 7は窓台を伝い917号室外壁角にある配管を伝って地上まで脱出し、905号室のZ 10は、窓台を伝って911号室と913号室の間の防火壁に至り、同所を伝い下りて南棟2階屋上へ脱出した。 908号室の1名、924号室の2名は、窓台を伝って926号室外壁角に至ったところをはしご車で救出され、927、928号室の各2名も、はしご車で同室窓から救出され、901号室のV 4は、窓台を伝って同室と968号室の間の防火壁につかまっているところを、消防隊の救助ロープで屋上へ救出され、902号室のJ 3は、窓台を伝ってサービスステーション外壁凹部の防火壁につかまっているところを消防隊のはしごで救助された。 3 その他 904号室のW 5、906号室のC 8、910号室のR 7、J 4、931号室のS 1、935号室のR 8、940号室のQ 4、942号室のZ 3、Z 4、943号室のG 4、944号室のD 5、958号室のV 5、974号室のI 7が階下へ飛び降りあるいは転落し、右S 1が5階の屋根、右J 4が3階の屋根にそれぞれ落下しながら一命をとりとめたほかは、全員後記のように死亡し、また、残りの14名は、各宿泊室内または廊下で後記のように死亡し、脱出するに至らなかった。 2 10階の宿泊者ら 一 火災覚知状況 10階には別紙在館者一覧表(略)記載のように宿泊客29名(外国人17名)と居住者4名がいたが、従業員等の火事ぶれで火災を覚知した者はなく、9階とほぼ同様の経過で火災発生に気付いたため、覚知時刻はほとんど3時30分以降となり、前記のように9階に比べれば火煙の伝播が遅れてはいたものの、非常階段等から自力で避難できた者は半数に満たなかった。 二 避難、脱出状況 1 廊下からの避難 F 2邸にいた3名、1076号室の1名のほか、1003、1006、1037、1038、1042、1044号室の計13名及び1036号室のJ 5は自力で、1043号室の2名は前記H 10の誘導でそれぞれ非常階段から避難し、1033号室の1名は中央ホールのエレベーターで避難した。 2 窓からの脱出 脱出状況は9階の場合とほぼ同様であるが、東棟の脱出者はなく、西棟では1039号室のZ 5とR 9が廊下を通って1032号室に入り、同室の窓台を伝って同室とF 2邸との間の防火壁に至り、同壁をよじ登って屋上に脱出し、1032号室のG 5は消防隊の救助ロープにより同室窓から屋上へ救出され、南棟では、1010号室のR 10が廊下を経て1011号室に入り、同室の窓外へ出、窓台、防火壁等を伝って1017号室外壁角にたどり着き、同所の配管を伝い下りて地上に脱出し、1013号室の2名も同室窓外へ出、窓台を伝ってR 10と同様に地上へ脱出し、1014号室の2名は窓からシーツ等を伝い下りて7階へ脱出し、1016号室のV 6も窓台を伝って1014号室前のシーツ等で同様に脱出した。 3 その他 1001号室のZ 6、I 8、1005号室のY 9は、窓外へ飛び降りあるいは転落して死亡し、1007号室のC 9、1008号室のJ 6、1011号室のW 6、1032号室のZ 7は、いずれも客室内で後記のとおり死亡し、脱出するに至らなかった。 3 8階以下の宿泊客ら 8階以下各階の宿泊者らは、主として9階と同様な経過で、煙、騒音等により火災を覚知したが、前記のような従業員等の火事ぶれ、通報によって覚知した者もあった。 各階とも、前記のように一部では従業員による避難誘導も行われ、ほとんどの宿泊客は非常階段で避難したが、方向がよくわからず最寄りの階段ではないところを利用した者も少なくなかった。 エレベーターを利用して避難した者も数名おり、そのうちの7階733号室のV 7は、同階から1階へ向かおうとしたが、エレベーターが9階へ昇って停止して閉じこめられ、ドアを押し開くなどしてようやく脱出し、消防隊により救助され、さらに、4階437号室の1名は窓から飛び降りて左踵骨骨折(全治約1か月)の傷害を負った。 4 その他の火災覚知状況 本件ホテルの火災は、宿泊客の悲鳴や煙、炎の噴出等によって、3時26分ころ以降、ラテンクォーターの従業員、H神社関係者、衆議院職員宿舎居住者等のほか、S通りを通行中のタクシー運転手、通行人、喫茶店店員等によって目撃され、第1報以下の119番通報が後記のとおりなされたり、フロント等への通報、自動車の警笛の吹鳴等がなされたりしたが、これに対するフロント等の従業員らの対応は、前記のとおり、誠に不適切、不十分のものであった。 六 消火活動状況等 司法警察員作成の昭和57年5月25日付、同年10月12日付、同月13日付各検証調書(282、292、307)、同年7月26日付、同年9月25日付、同年11月16日付各捜査報告書(423、426、445)、検察官作成の捜査報告書(503)、押収してある近代消防1982年4月臨時増刊号1冊(前同押号の21)等によれば、次の各事実が認められる。 1 119番通報受理 本件火災に関する119番通報は、火煙を目撃した通行人等により、付近の公衆電話から3時39分10秒に第1報が、引続いて衆議院職員による第2報がなされ、前記フロント係Pの通報は第3報(3時39分50秒)、交換台S 9の通報は第7報であって、結局、本件ホテルからの通報は、いずれも煙発見時刻から約二十数分も経過していたことになる。 2 消火状況等 東京消防庁は、前記第1報を受理して本件火災発生を覚知し、直ちに火災指令が行われ、第1出場としてポンプ車隊11隊、はしご車隊4隊、特別救助隊2隊、救急隊1隊、ボーリング放水塔車隊1隊、指揮隊2隊が出場して現場に急行し、A消防署S町中隊のポンプ車が3時44分に最先着したのをはじめ、各隊が続々到着して消火、救助活動に取りかかり、次いで第2出場、第3出場がなされ、さらに4時0分には東京消防庁としてもほぼ10年ぶりの第4出場が実施され、結局、出場消防隊総数123小隊(ポンプ車49台、化学車3台、はしご車12台、特別救助車8台、空気補給車6台、照明車2台、燃料補給車3台、救急車22台、指揮隊車12台、その他4台、ヘリコプター2機。 )が出動し、出動消防官618名が消火、救助活動等に当たったが、通報が前記のように遅れたうえ、本件建物の構造、設備、内装の問題点や異常乾燥等のため、火煙の伝走が速く、各隊到着時には既に火災が拡大して、延焼面積が広く、火勢も強かったうえ、要救助者が多数で、建物の構造も複雑であったため、消防隊が9、10階に到達すること自体容易でなく、また、宿泊者名簿が整理されていなかったことなどから、在館者の数、宿泊室等の状況を把握するのにも手間どるなど、救助活動も容易ではなかったが、各隊員の活動の結果(救助者約60名余)、本件火災は、同日午前10時15分ころ鎮圧され、同日午後零時36分ころ鎮火した。 3 焼損等の状況 本件火災により、10階では東棟及び西棟の一部を残し、約2,153平方メートルが焼失し、9階では東棟及び南棟の一部を残し、約1,927平方メートルが焼失し、右各階で焼損を免れた部分もその大半に水損や汚損が生じた。 その他、前記のように中央塔屋1階、5ないし8階にも一部の焼損や水損、ガラスの破損等が生じた。 七 被災状況 1 死亡状況 司法警察員作成の昭和57年2月28日付、同年6月4日付各実況見分調書(396、398)、同年6月1日付、同年10月26日付各検証調書(395、397)、同月25日付捜査報告書(424)その他関係証拠によれば、次の各事実が認められる。 前記のとおり、9、10階の宿泊客の多数は、急速に伝播した火煙と避難誘導の欠如等のため、煙にまかれ、あるいは激しい火炎を浴び、さらには、火煙に追われて窓から転落したり、いちるの望みを託して飛び降りるのやむなきに至らしめられたりなどして、9階25名、10階7名の宿泊客が別紙死亡者一覧表記載のとおり死亡したほか、出火原因をつくったD 1も9階西棟避難所付近廊下(948号室前)で焼死した。 右各宿泊客の死亡状況は次のとおりである。 一 9階の宿泊客 903号室のM 2は同室内で火煙を浴び、904号室のW 5及び906号室のC 8は、各室内でそれぞれ火煙を浴びたうえ、右各室窓から正面玄関側3階屋根にそれぞれ落下し、910号室のR 7、935号室のR 8は右各室窓付近からそれぞれ前同屋根に落下し、940号室のQ 4は西棟北側避難所から北西側駐車場に落下し、942号室のZ 3、Z 4及び944号室のD 5は同室窓付近から同駐車場側2階屋根に落下し、943号室のG 4は同室窓付近からゴルフ練習所屋根に落下し、957号室のJ 7、I 9及び970号室のV 8、V 9はいずれも各同室内で火煙を浴び、958号室のV 5は同室窓付近から正面玄関側3階屋根に落下し、965号室のJ 8及び975号室のZ 8、I 10はいずれも各同室内で煙等を吸引し、974号室のI 7は同室窓付近から北西駐車場側2階屋根に落下し、977号室のC 10は同室内で、同室のC 4は同室前廊下付近でそれぞれ煙等を吸引し、983号室のE 6、G 6はいずれも984号室前廊下付近で煙等を吸引し、987号室のD 6は同室前廊下付近で、同室のZ 9は同室内で、それぞれ煙等を吸引し、C 8が別紙死亡者一覧表(略)記載の日時・場所で死亡したほか、いずれもそれぞれその付近で死亡した。 二 10階の宿泊客 1001号室のZ 6、I 8及び1005号室のY 9は、いずれも右各室窓付近から南東側(日本庭園側)2階屋根に落下し、1007号室のC 9及び1011号室のW 6はいずれも各同室内で火煙を浴び、1008号室のJ 6及び1032号室のZ 7はいずれも右同室内で煙を吸引し、I 8が別紙死亡者一覧表(略)記載の日時、場所で死亡したほか、いずれもそれぞれその付近で死亡した。 2 負傷状況 司法警察員作成の前掲捜査報告書(424)その他関係証拠によれば、次の各事実が認められる。 前記のような避難、脱出の際に、9階の宿泊客17名、10階の宿泊客6名、7階の宿泊客1名が、それぞれ別紙負傷者一覧表(略)記載のとおり負傷したほか、4階の宿泊客や消火活動中の消防官数名が傷害を負った。 右9、10、7階の宿泊客の負傷状況は次のとおりである。 一 9階の宿泊客 901号室のC 7及び905号室のZ 10は、前記窓台上を伝って避難する際に火煙を浴び、901号室のV 4及び902号室のJ 3は各同室窓外の防火壁につかまり救助を待っていた際に火煙を浴び、910号室のJ 4は同室窓付近から正面玄関側3階屋根に落下し、931号室のS 1は同室窓から正面玄関側5階(塔屋)屋根に飛び降り、932号室のG 3、934号室のD 4、943号室のW 4、944号室のQ 3、953号室のR 5、Z 2、954号室のR 6及び958号室のE 5は、前記のように、それぞれ、窓から脱出した際に火煙を浴びあるいはガラスの破片等で負傷するなどし、979号室のR 4、Z 1はいずれも同室内で煙を吸引し、980号室のR 3は同室の窓ガラスを割るなどした際に負傷し、それぞれ別紙負傷者一覧表(略)記載の各傷害を負ったが、特に、前記S 1は一命はとりとめたものの、骨盤、左前腕、左大腿骨、左脛骨等を骨折して長期療養を余儀なくされたうえ、重大な後遺障害が残存し、また、J 4は本件火災当時の記憶を全く喪失してしまった。 二 10階及び7階の宿泊客 1010号室のR 10及び1016号室のV 6は、窓から脱出した際にいずれも煙を吸引するなどし、1032号室のG 5及び1039号室のZ 5、R 9はいずれも各同室内で煙等を吸引し、1036号室のJ 5は同室の窓ガラスを割った際ガラスの破片等で、また、7階733号室のV 7は、避難の途中、中央ホールのエレベーター内に9階で閉じこめられ、同エレベーターから脱出し、火煙の中を逃げる際にそれぞれ前記一覧表(略)記載の傷害を負った。 三 以上のように、9、10階の負傷者らは、猛火、猛煙の中をからくも脱出し、その際、他の宿泊客が次々と落下しあるいは火に包まれて死亡する状況を目撃するなどして、激しい精神的衝撃を受け、相当期間不眠に悩まされるなどした者もあった。 3 その他の被害 司法警察員作成の昭和61年10月14日付、同月16日付各捜査報告書(942、943)等によれば、本件火災により、同ホテルの建物、家具、F 2等の居住者、貸事務所等の利用者及び宿泊客らの私物等が焼損、水損等を蒙り、損害保険の査定額だけでも約73億円に達する損害が生じたことが認められる。 第五 被告人両名の過失 一 注意義務の内容 1 被告人Aの注意義務 一 同被告人は、ホテル・ニュージャパンの代表取締役社長として、対価を得て不特定、多数の宿泊客に客室等を提供し、安全かつ快適にこれを利用せしめることを業務内容とする、同ホテルの経営、管理事務を統括する地位にあった者であり、前記のように、文字通り専権的に被告人B以下の従業員等を指揮し、同ホテルの営業はもとより、これに伴う宿泊客等の生命、身体の安全確保のため、防火、消防関係も含めた同ホテル建物の改修、諸設備の設置、維持管理及び従業員の配置、組織、管理等の業務を統轄掌理する権限及び職責を有していたものである。 二 これを消防法令に徴してみると、同被告人は、本件ホテルの経営の最高責任者として、政令で定める防火対象物である同ホテル建物について、消防法8条1項にいう「管理について権原を有する者」及び同法17条1項にいう「関係者」に該当するものであるから、同ホテル建物の客室等に、消防法令の定める基準に従った消防用設備等を設置する義務を負い、かつ、防火管理者をして前記の消防計画を作成させ、同計画に基づく消火、通報、避難訓練の実施(以下、消防計画の作成、消防訓練の実施等という。 )、消防用設備等の点検整備、防火上必要な構造及び設備の維持管理(以下、防火用、消防用設備等の点検、維持管理等という。 )など防火管理上必要な業務を行わせる義務(以下、防火管理体制確立義務という。 )を負っていたものである。 三 そして、同ホテルは、前記のように、その建物の規模、利用状況、構造、設備等の問題点、欠陥等のため、出火の危険性が高いうえ、いったん出火すれば急速に火煙が伝走、拡大し、早期の火災発見と適切な消火、通報、避難誘導等を欠くときには、多数の宿泊客らを死傷に至らしめる危険性が高く、このような危険を防止するためには、前記消防用設備等の設置及び防火管理体制の確立が有効かつ必要不可欠のものであったというべく、したがって、このようなホテルの経営者である被告人としては、宿泊客らの火災による死傷という結果の発生を予見し、かつ、これを未然に防止するため、右のような各措置を講ずべき業務上の注意義務を負っていたものといわなければならない。 2 被告人Bの注意義務 一 同被告人は、ホテル・ニュージャパンの支配人兼総務部長として、被告人A及び副社長Y 1の指揮監督の下に、同ホテルの業務全般にわたりその事務を掌握し、同ホテル従業員等を指揮監督して、宿泊客等の生命、身体の安全を確保する防火管理業務を行うべき権限と職責を有していたところ、同被告人は、前記のように、防火管理に関する講習会の課程を修了し、昭和54年10月31日本件ホテルの管理権原者たる被告人Aから、消防法8条の防火管理者として選定、届出され、消防法令上同ホテルについて、前記消防計画の作成、消防訓練の実施等及び防火用、消防用設備等の点検、維持管理等を行うべき義務を課されていた。 二 そして、同ホテルには、前記のように、火災の高度の危険性があったうえ、スプリンクラー設備等が一部にしか設置されていないなど防火用、消防用設備等が不備であったから、同被告人としては、そのような設備等の不足を補い、宿泊客らの火災による死傷の危険を防止するため、消防計画の作成、消防訓練の実施等のほか、既存の防火用、消防用設備等の点検、維持管理等を実施することが一層必要不可欠であったものというべく、同被告人としては、このような宿泊客らの火災による死傷という結果発生を予見し、かつ、これを未然に防止するため、右のような各措置を講ずべき業務上の注意義務を負っていたものというべきである。 二 予見可能性及び結果回避義務 1 予見可能性 被告人Aの弁護人は、同被告人には、ホテル・ニュージャパンにおける火災発生及びそれに伴う死傷者発生のいずれの予見可能性もなかった旨主張し、同被告人もこれに沿う公判供述を行っている。 しかしながら、一般的に、ホテルは、その業務の性格上、昼夜を問わず不特定、多数の宿泊客等に宿泊その他の利便を提供することを業とするものであるから、火災発生の危険性を常に包蔵しているものといえ、いったん火災が発生すれば、宿泊客らの大半はホテル建物の構造、避難経路等に不案内のため、火災発生の覚知の遅れ、初期消火の失敗、通報や避難誘導等の不手際、消防用設備の不備等から、火災が拡大し、逃げ遅れた客に死傷の結果が生じるおそれのあることは、本件以前における累次のホテル、旅館等の火災事例に徴しても明らかであって、右はホテル経営に携わる者の等しく予見しうるところであるから、本件における結果発生に対する予見可能性も右の程度をもって足りるものというべきである。 ことに、本件ホテルにおいては、前記認定のとおり、高層、大規模な国際的ホテルとして、多数の内外国人が宿泊等に利用し、その構造も複雑であったにもかかわらず、防火用、消防用の設備や構造において、幾多の欠陥を包蔵する建物であって、防火管理体制も極めて不備、不十分であったのである。 そして、被告人Aは、本件ホテルの社長就任以降、前記のとおり、部下職員の説明や進言、消防当局の指導等によって、同ホテル建物の欠陥や従業員に対する消防訓練の不実施等の防火管理上の問題点も十分認識していたものと認められるから、同ホテルに火災が発生した場合、宿泊客等に死傷の結果が生じる蓋然性が高いことは、同被告人にとり、より具体的にこれを予見することが可能であったものということができる。 2 結果回避義務 前記のように、既存ホテルにおいて、火災による死傷者の発生を防止するための措置として、一般的には、防火区画等の防火構造・設備、消防用設備等の設置、維持と防火管理体制の確立があげられるところ、本件ホテルにおけるその具体的措置を検討すると、前記のとおりの本件建物の規模、構造、利用状況、内装、区画、防災設備等の状況、従業員の数、組織、訓練状況等から認められる火災による高度の危険性に対応するため、 一 設備等の面では、客室階には、前記消防法令上の基準に従ったスプリンクラー設備若しくは同基準に従った客室等の部分を100平方メートル区画、廊下を400平方メートル区画とした代替防火区画を設置すること、 二 防火管理面では、本件建物の構造、諸設備の状況、従業員の数、業務内容、経験の程度等の実情に即した火災発生時の消火、通報、避難等に関する行動準則及び防火用、消防用設備等の点検、維持管理等を含めた防火管理を有効ならしめる事項を定めた消防計画を作成し、右計画に基づく消火、通報、避難訓練を定期的に実施するなどして、下請関係者を含めた従業員等に右消防計画等を周知徹底させ、火災発生時の役割分担、行動要領等を平素から習得させ、また、防火戸その他の防火用、消防用設備等の点検、維持管理を適切に実施して、火災時にこれらが有効に機能するような防火管理体制を確立することが、ホテル・ニュージャパンにおいては、要求されていたものと認められる。 そして、本件において、被告人Aには、右 一 のスプリンクラー設備若しくは代替防火区画の設置及び防火管理者である被告人Bを指揮して右 二 の防火管理体制を確立すること、被告人Bには、右 二 の措置として右消防計画の作成、同訓練実施等による同計画の従業員等への周知徹底、既設防火戸等の点検、維持管理をすることが、具体的な結果回避義務の内容となるものと解され、被告人両名には、前記のとおり、本件死傷の結果を回避するため、右各義務を尽すことが十分に可能であったものといえる。 三 各注意義務違反と結果発生 被告人両名が前記各注意義務を怠り、その結果、本件死傷者が発生するに至ったことは、前記第三、第四で詳細に認定説示したところから明らかというべきであるが、右各注意義務と本件死傷発生との因果関係について、以下補足的に説明を加える。 1 スプリンクラー設備、代替防火区画等の有効性 X作成の鑑定書(614)、同人、Y 10、W 7の各証言等によれば、次の各事実が認められる。 本件建物の9、10階には、前記のようにスプリンクラー設備、代替防火区画はいずれも設置されていなかったが、これらが設置され、正常に作動していれば、本件死傷者の発生は回避できたものと認められる。 一 スプリンクラー設備 これが消防法上の基準に従って設置され、正常に機能すれば、スプリンクラーヘッドの温度が72度に達すると、1平方センチメートル当たり1キログラム以上の圧力で、毎分80リットル以上の水が散水されるはずであるから、938号室内で前記のように出火したとしても、その炎が天井に沿って伝播し始めたころには、スプリンクラーが作動し、その火を鎮圧してしまうはずであり、そうであれば、同室以外の区域に火災が拡大することは特段の事情がない限りなかったものと認められる。 このことは過去に発生した火災におけるスプリンクラー設備の奏効事例からみても優に肯認できる。 二 代替防火区画 前記のような代替防火区画が設置されていた場合には、9、10階客室は完全な100平方メートル以内の区画となり、出火室を含む3室程度が耐火構造で囲まれ、各室ドアは自動閉鎖式甲種防火戸(ドアチェック付鉄扉等)とされ、廊下との区画やパイプシャフト、配管引込み部等の埋戻しも完全になされ、また、廊下は400平方メートル以内の区画となって、その内装には難燃措置が施され、区画部分には煙感知器連動式甲種防火戸が設置されることとなるので、本件火災時のように客室ドアが開放されたままとなって室内にフラッシュオーバーが生じたり、ドアの燃え抜けにより火災が拡大することは原則としてあり得ず、窓の開放等によって出火室内でフラッシュオーバーが生じたとしても、隣室には窓際木製間仕切り部等を通じて延焼する可能性があるだけで、その炎は1区画内の3室程度に閉じ込められるうえ、その延焼時間が大幅に遅れるため、隣室の宿泊客等の自力避難は十分に可能であったと認められる。 したがって、右いずれかの設備が設置されていれば、本件のような火煙の急速な伝播、火災の拡大による多数の死傷者の発生は未然に防止することが可能であったものということができる。 2 防火管理体制確立の必要性及び有効性 X作成の鑑定書(614)、同人の証言その他関係各証拠によれば、次の各事実が認められる。 一 防火管理体制確立の必要性 もっとも、スプリンクラー設備が設置されていたとしても、その点検、整備が十分でない場合には、ヘッドの機能不良による散水障害や、給水バルブの閉鎖、ポンプの電源切断等による給水遮断等が起ることもあり、また、正常に機能しても出火部分や火勢等によっては、炎の完全な鎮圧に失敗し、あるいは火災拡大を防止し得ない場合もあり得る。 また、代替防火区画についても、本件火災時のように、維持、管理が不十分であれば、防火戸ないしドアが完全に閉鎖しない場合も考えられ、また、本件のD 1のように、ドアのところに人が倒れ、あるいは物が置かれるなどすれば、出火室ドアは完全には閉鎖されず、窓にも開口部が生じるなどしてフラッシュオーバーが激しく生じる可能性もあり、本件火災時のように、適切な避難誘導や通報等が全く欠けていれば、9階西棟の一部の宿泊客が覚せいしないまま一酸化炭素中毒に至る可能性は否定できず、さらに、いずれかの設備が設置され正常に機能した場合であっても、火災発生時に、宿泊客等への適切な通報、誘導等を欠けば、混乱から負傷者等が生じる可能性も否定し得ないではない。 したがって、これら個々の設備の設置は、結果回避措置としてはそれのみで足りるものではなく、これを点検整備、維持管理させるとともに、右のような異常事態や混乱などによる2次災害の発生等に対処するため、前記消防計画の作成及びその訓練実施等により、従業員等への周知徹底を図ることが必要不可欠のものということになる。 二 防火管理体制確立の有効性 1 消防計画の作成、実施等の有効性 前記のように、ホテル・ニュージャパンにおける消防計画は、本件出火当時の同ホテルの実情と全く合わないものとなっていたが、これが実態に即して適切に作成され、従業員らに周知徹底のうえ、実行されていれば、消火、通報、避難等に関する訓練や教育の際に、既設防火戸、防火壁等の維持管理、建物の自主検査、非常放送設備その他消防用設備等の点検整備も同時に実施されることになるので、そうなれば、防火戸や防火壁等は、法令に定められた基準に合致するものとなり、延焼防止のうえで多大の機能を発揮し、また、本件火災時に全く機能しなかった非常放送設備等も、宿泊客らの火災覚知、避難のため、従業員等の消火、通報、避難活動等と相まって、有効に活用されたものと認められる。 2 消防訓練の実施等の有効性 ア 煙発見時の対応 前記のように、F 4は、煙を発見しながら、そのままエレベーターでフロントへ向っているが、適切な訓練がなされていれば、同室に赴いて発煙状況等を確認したうえ、直ちに、932号室前等の最寄りの屋内消火栓に設置されている発信機の発信ボタンを押すとともに、同消火栓内にある非常電話で、警備室に火災発生の事実を知らせることができ、これを受けた警備室のC 2も、直ちにフロントに電話連絡するほか、自動火災報知設備受信機の階別警報電鍵を操作して、9、10階の非常ベル(地区ベル)を鳴らし、仮眠者全員を起したうえ、直ちに現場へ急行するなどの適切な措置をとることができたものと認められる。 また、F 4がフロントに通報し応援を求めるにしても、エレベーターで戻るのではなく、サービスステーション等からの電話で、より迅速に連絡することが可能であった。 このように、煙発見時の対応として、適切な訓練が平素実施されていれば、警備室やフロントに対する通報は、より的確、迅速に行われたはずである。 イ 初期消火 前記のように、煙発見時から938号室ベッド上の炎が同室天井に達するまでには約4分ぐらいの間隔があり、その時点ではH 10の消火器噴射により、一応の消炎もできたのであるから、その際付近にいたK 7、F 4及びH 10らが協力して、屋内消火栓により適確な放水を行っていれば、その場で鎮火させることは可能であったものと認められ、このような消火栓操作は、適切な訓練さえ実施されていれば、容易に実行することができたはずである。 また、前記のようにF 4によって各所への通報が的確、迅速になされていれば、H 10、K 7、C 2らが、本件出火時に要したよりも短時間で出火室に到着し、その応援、協力が可能であったものといえるから、初期消火に成功する可能性は更に高かったものというべきである。 ウ 火災発生の通報、避難誘導 前記のように、9階西棟においては、煙発見時刻から約9分間、同階南棟、東棟においては約12分間、10階においては約二十数分以上それぞれ避難可能時間があったものと認められるところ、宿泊客らが覚せいして各非常階段内踊り場まで避難するのに要する時間は、前記のとおり、非常放送、誘導等が適切になされていれば約2分強、これが若干不十分な場合でも3分程度で足りたものと認められるから、F 4から連絡を受けたフロント等において、直ちに119番通報するとともに、非常放送設備を活用して、非常トークバック放送をも含めた防災放送を実施し、また、F 4から連絡を受けた警備室においても、直ちに9、10階の地区ベル(非常ベル)を鳴動させ、9階においては、F 4のほか、H 10、K 7らが協力、分担して、まず、9階西棟から火事ぶれを実施するとともに、宿泊客らを順次、非常階段へ誘導する措置をとり、初期消火が困難であれば、中央ホールの各防火扉の閉鎖を確認し、閉鎖していないものは手で閉鎖するなどしたうえ、9階南棟、東棟、10階の宿泊客に対しても、順次、火事ぶれ、避難誘導等を協力分担して適切に実施すれば、前記のようには鎮火させることができず、放送や非常ベルが用いられない場合であっても、9、10階の宿泊客全員を無事避難させることは十分に可能であったものと認められる(後記のような防火戸閉鎖の効果も加われば、右の安全避難はなお一層容易かつ確実となる。 エ その他適切な訓練が実施されていれば、本件火災発生時の119番通報、仮眠者等による消火、救助活動等が迅速、適確になされていたであろうことが期待できるほか、訓練の際に非常放送設備等が実際に使用されるため、その過程で、前記のような、自動火災報知設備の副ベルの誤配線、非常放送設備のパワーアンプの故障、エンドレステープ再生機の故障等は当然発見され、その他の不備、不良の箇所も容易に発見されることとなり、消防用設備等の保守、点検等の実効性も確保されたものと認められる。 オ 以上のように、本件ホテルにおいて、その実情に適した消防計画が作成されたうえ、これに基づいて、下請従業員等も含めた自衛消防隊が編成され、消火、通報、避難誘導等の任務分担やその手順、行動要領等が、各種の訓練実施等を通じて、各隊員に周知徹底されていれば、各所への早期の通報や従業員相互間での適切な連絡、協力が図られ、初期消火活動や、宿泊客に対する火事ぶれ、避難誘導等の適切な措置が迅速かつ有効になされ得たものと認められる。 3 既設防火戸の維持管理の有効性 前記(第二、三、4、 一 、第三、三、2、 一 )のとおり、9、10階中央ホール東棟側、南棟側には、それぞれ温度ヒューズによる自動閉鎖式防火戸が設置されていたものの、その維持管理が悪く、機能不良のまま放置されていたため、本件火災時には1か所も防火戸として機能しなかったが、これらが適切に保守管理されていれば、本件火災当時、温度ヒューズ溶断による閉鎖までのわずかの間に煙の流入はあるものの、9階の東棟、南棟への右防火戸部分からの火煙の侵入は阻止され、右各棟の各宿泊客らの避難可能時間が本件火災時に比してはるかに長くなるため、その全員の避難がより可能かつ容易となる。 また、10階においても、前記のとおり、9階南棟への延焼が阻止されるため、9階から10階への主要な延焼経路である907号室から1007号室へのパイプシャフトスペースを通じての延焼が防止され、あるいは少なくとも大幅に遅れるため、西棟の935号室から1035号室へのパイプシャフトスペースを通じた延焼が主たるものとなり、延焼時間は大幅に遅れ、さらに、10階の防火戸も閉鎖するため、その西棟から東棟、南棟への延焼は防止され、あるいは少なくとも大幅に遅れるため、10階の宿泊客の避難可能時間はより長くなり、全員の避難が一層可能かつ容易になったものと認められる。 たしかに、弁護人の指摘するとおり、右各防火戸が閉鎖された場合でも、適切な避難誘導、通報等が全くなされなければ、右各部分の宿泊客の中にも、死傷者発生の可能性があることは否定し得ないが、右各防火戸が閉鎖されれば、時間的な余裕が生じるので、従業員等による通報や避難誘導活動もより容易かつ有効になされることが期待でき、これと相まって、右各棟の宿泊客らの死傷発生の防止は、より一層確実なものとなったと認められる。 3 因果関係不存在等の主張 一 従業員、警備員らの初動活動の不手際 被告人Aの弁護人は、前記のような本件火災時における従業員、警備員らの対応は、とうてい予測しえない重大な不手際であって、同被告人の行為と結果発生との間には因果関係が存在しない旨主張している。 しかしながら、ホテル従業員等のように、火災発生時に適切な活動が期待される立場の者であっても、十分な訓練等を積んでいない場合には、消火栓操作等のような技術、知識等の習得を要するものはもとより、そうでないものについても、火急の際に、驚愕、狼狽し、あるいは不安、恐怖にかられるなどして、平常時ではおよそ考えられないような拙劣な対応しかとれないことがあり得ることは、本件以前の累次の火災事例等に徴し、容易に予測できるところであって、消防法令上、前記のような消防計画の作成、訓練実施等が義務づけられているのも、まさにそのような事態を予想し、これを訓練等の実施により防止し、適切な活動をなさしめようとするものにほかならない。 そして、本件ホテルにおいては、前記のように、被告人Aの社長就任後、消防当局から消防計画、自衛消防隊編成、消防訓練等の不備、不実行がたびたび指摘され、被告人両名ともその事実を十分に認識していたこと、警備実施要領書で定められていた、火災発生時の対応の前提となる、ホテル側からの防火防災のための通報要領、消防計画の呈示、協議、訓練等が実行されていなかったこと、同ホテルと契約していた警備会社の警備員は、駐車料金徴収の作業に追われて、人的にも時間的にも本来の警備業務を十分に行ない得ないような状況にあったことなどの事情からみれば、被告人Bのみに止まらず、被告人Aにおいても、従業員及び警備員らが火災発生時に適切な対応ができず、本件のような不手際の生じるおそれのあることは、十分予見することが可能であったものというべく、被告人Bは、このような不手際が生じることをも前提として、前記のような適切な消防計画の作成、訓練の実施等をすべきであり、被告人Aは、右Bを指揮して、これらを行わせるべき立場にあったのである。 右のような不手際等は、被告人両名が前記のような注意義務を尽すことによって防止できたものというべきであるから、右の点に関する弁護人の主張は理由がない。 二 消防用設備の維持管理等 被告人Aの弁護人は、前記防火戸、自動火災報知設備、非常放送設備の不備、機能不良等は、点検業者や被告人B以下の従業員等、さらには、消防当局の手抜き査察に重大な責任があり、因果関係がない旨主張している。

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