おしん 竜三。 「おしん」を観てる喪女

おしん太平洋戦争編・第37週あらすじ 竜三、自害する!

おしん 竜三

『おしん』は、1年間の平均視聴率52. 6%、最高視聴率62. 9%(11月12日)という驚異的な数字を記録。 一大ブームを巻き起こした。 そして、1975年の『水色の時』以来半年で定着していた連続テレビ小説を、『鳩子の海』(1974年)以来の1年間で描くこと。 80年以上にわたるヒロインおしんの人生を3人の女優が演じ分けることを発表。 7歳から10歳までを演じたのは、100人の応募者の中から「シンの強いところがおしんにぴったり」と選ばれた小林綾子さん。 16歳から45歳を演じたのは、『マー姉ちゃん』(1979年)でデビュー以後、テレビ、映画で一作ごとにきわだった個性とシャープな感性で若手No. 1の成長株として注目を浴びていた田中裕子さん。 そして、50歳から83歳は乙羽信子さん。 乙羽さんは、自分の生きてきた道筋をふりかえりながら「おしんと私は辛抱強いところが似ている」と話していたそうだ。 おしんの少女時代を演じた小林綾子さん• 16歳からを演じた田中裕子さん• 50歳からを演じた乙羽信子さん このドラマに、原作・脚本の橋田壽賀子と制作者たちは「高度経済成長の中で現代人が見失ってしまったものを提示し、問いかけよう」と意図したという。 橋田自身はだいぶ前から「私たちの暮らしは豊かになったけれど、本当に幸福なのかしら。 豊かになるために、何か大事なものを切り落としてきたのではないかしら」という思いを抱いていたという。 また、明治から昭和にいたる激動の時代を歩んできた人たちの生き方を、いましっかり書きとめておかなければ永遠に埋もれてしまうという危機感も抱いていた。 そんな気持ちから週刊誌の投書欄を利用して明治女性の人生体験記とも言うべき手記を集め出した。 2,3通でも貴重な体験にふれられればと思っていたのだが、いざ始めて見たらなんと段ボール1箱の手紙の山が届き、驚きとうれしさに思わず興奮したそうだ。 それらの手紙をきっかけに丹念な取材を繰り返し、明治女性の生きてきた道のりを、おしんというヒロインに託して日本近代女性史ともいえるドラマを書き始めた。 書き上げた原稿は延べ6000枚、単行本ざっと20冊分の分量に匹敵する。 幼少期のおしん(小林綾子)を徹底的にしごいた材木問屋の女中頭・つね役の丸山裕子さんは、「いじめるというより教育していたんでしょうね」と言いつつも、演じていても辛いなと思ったことがあったという。 「おしめを投げつけるシーンは、自分でもなんてことやってるんだろうと思ってしまいました。 冬でおしめが濡れていて冷たいんです。 小林綾子ちゃんの、あの大きな目でじーっと見られると、もうダメって感じで」。 それでも演出からは容赦なく「鬼になれ」と言われ続けたそうだ。 佐賀編で、田中裕子さん演じるおしんをいびる田倉家の姑・清を演じた高森和子さんも「私はさほど厳しいと思っていなかった。 きついといえばきついけど清から見たらおしんのことを我慢できない部分も当然あっただろうし。 だから憎まれ役のつもりはなかった」という。 ところが、まず舞台地の佐賀からどっと清に対する反発の声が上がった。 「役者冥利に尽きるとも言えるけど、そんなに怒られると思わなかったので、最初は少し落ち込みましたね(笑)」。 とはいえ、高森さんもおしん役の田中裕子さんの熱のこもった演技に、いびる立場でありながら「あまりにかわいそうで」思わず涙したこともあったようだ。 つね役 丸山裕子さん• 姑・清役 高森和子さん• 世界も泣いた 『おしん』は放送中から海外でも評判となり、各国から引き合いが相次いだ。 1984(昭和59)年秋のシンガポールに始まり、これまで世界60以上の国と地域で放送され、「日本といえばおしん」と連想されるほどの反響を巻き起こした。 シンガポールが『おしん』を、海外で初めて放送したきっかけは、駐日シンガポール大使の黄金輝(ウイ・キムウイ)氏が、おしんの大ファンだったことによる。 大使の任期を終えたウイ氏は、シンガポール放送協会の経営委員長に就任することになり、NHKに「私は『おしん』の大ファンである。 是非シンガポールで放送したいので提供してほしい」と申し入れた。 シンガポールで放送が始まると、視聴率は80%に達する大ヒット。 これが呼び水となって、タイ、オーストラリア、アメリカ、中国などでも放送された。 海外での放送は、日本語版や英語版に自国語の字幕スーパーを入れたり、自国語で吹き替えたりした。 各国での反響は、日本国内に勝るとも劣らないものだった。 中国では、日本で放送された翌年、1985年3月から中国語の吹き替えで放送され、北京での視聴率は75. 9%を記録した。 中国語で『おしん』は、『阿信』(アーシン)と表記された(中国語の「阿」が日本語の「お」に相当し、「信」の方は当て字)。 主な反響は、「登場する日本人たちが現在の経済大国の底力であったことがわかり納得できた」「中国と日本に共通した伝統的な倫理観が根ざしている。 だから我々は何の抵抗もなくこのドラマを受け入れることができた」というものだった。 ベルギーでは、修道院の尼僧が『おしん』を見るために、お祈りの時間を変更した。 タイでは、当時、日本の経済進出に対する批判記事が毎日のように新聞に掲載されていたが、『おしん』の放送が始まってしばらくすると少なくなった。 エジプトでは、生まれた子どもに『おしん』と名付けるひとたちがいた。 カナダでは、『おしん』のために現金や米が放送局に届いた。 モンゴルでは、放送時間に道路から人の姿が消えた。 イランでは最高視聴率90%超を記録した。 『おしん』は、日本にも貧困の時代があったことを知らせ、発展途上国の人々を勇気付ける効果も示したのだった。 『おしん』の物語に世界中が涙した• 日本での放送終了から7年たった1991年2月、東京経団連国際会議場で、おしんを放送した世界各国の関係者が集まり、国際シンポジウム「世界はおしんをどう見たか」(主催:NHKインターナショナル)が開催された。 パネリストとして参加した原作・脚本の橋田寿賀子さんは「日本を支えた人たちを書きたかったという気持ちが皆さんに伝わったことは、非常にうれしゅうございます」と発言。 それに対し、中国社会科学院の李徳純氏は「あなたたち日本人だけの『おしん』ではない。 私たち、中国人、タイ人、インドネシア人、ヨーロッパ人、全世界の『おしん』です。 日本のみなさんは独占してはいけません。 おしんという人物のイメージ、特にその民族精神、これを私は、全世界の共有する尊い財産だと思います」と語った。 日本のある1人の女性の生涯を丹念に描くことで、逆に、『おしん』は世界共通語となったことを、李徳純氏の言葉は雄弁に語っている。 『おしん』を放送したおもな国と地域• 1980年代:シンガポール、アメリカ、オーストラリア、タイ、中国、ポーランド、香港、マカオ、ブラジル、ベルギー、カナダ、マレーシア、インドネシア、イラン、スリランカ、サウジアラビア、ブルネイ、メキシコ、カタール、バーレーン• 1990年代:シリア、フィリピン、ドミニカ共和国、バングラデシュ、ペルー、パキスタン、ボリビア、パナマ、ネパール、グアテマラ、ニカラグア、エジプト、インド、ルーマニア、チリ、ウルグアイ、ジャマイカ、ガーナ、ホンジュラス、キューバ、ベトナム、台湾、ミャンマー、コスタリカ、パラグアイ、カンボジア、ラオス、モンゴル、スーダン、トルコ、ブルガリア、マケドニア、エチオピア、ベネズエラ、アルゼンチン• 2000年代:コロンビア、タンザニア、ウズベキスタン、エリトリア、イラク、アフガニスタン、ブータン、ガボン、タジキスタンなど 大ヒットの裏には、ホンモノよりホンモノらしいリアリティをめざした、制作スタッフたちの強いこだわりがあった。 今も名場面として語り継がれているのが、おしんが奉公に出るためにいかだで最上川を下るシーン(第7回放送)。 1月中旬、一面の雪の中で行われた山形ロケでは、最上川を見下ろす山の上から俯瞰で撮影することになった。 しかし、いざ山の上からいかだをカメラに収めようとすると、その直前にいかだを川に押し出すスタッフの姿がまるで雪の中の黒い点のように映ってしまう。 そこで登場したのが大きな白い布で、頭からすっぽりとかぶり雪になりすますというもの。 白い布作戦は見事に功を奏し、いかだ以外は人っ子ひとりいない雪景色が完成した。 ちなみに、このいかだはロケ地となった山形県西村山郡大江町役場の全面的な協力で出来上がったものだ。 撮影当時には、ほとんど見られなくなっていたいかだだが、若いころ地元でいかだ流しをしていたという斎藤欣次郎さん(72歳)の指導で、当時とまったく同じ藤づるを使って組み上げた。 万が一にも崩れることがあってはならないので、見えないところはワイヤーで補強したが、その上からつるをまきつけてカムフラージュ。 船頭役には指導にあたった斎藤さんがそのままあたり、昔取ったきねづかで巧みにいかだを操ってもらった。 おしんの母・ふじ役は泉ピン子さん• ヒットを確信した米一俵の贈り物 『おしん』の視聴率は、1年間の平均52. 6%、最高62. 9%という驚異的なものだったが、第1回の視聴率は32. 当時の朝ドラとしては特別に高かったというわけではない。 しかし、わずか1か月後には50%を突破する。 江口がそのころ、「このドラマはヒットする」と確信したエピソードが2つあったという。 (江口) 「ひとつは、隣のスタジオで『御宿かわせみ』(続編=1982~1983年放送)というドラマを収録していたんですが、その主役の真野響子さんが『おしん』を収録していた106スタジオのモニターに映った収録映像を見て、泣いていたのを目撃したときです。 そうしたら、新潟から米一俵がNHKに送られてきたんです。 『これでおしんを取り返してくれ』ってね。 新潟の視聴者の方からです。 それから他にも、お金が送られてくることもありましたね。 『ドラマで食べている大根めしはあなたに送っていただいたお米で作っています』って連絡して(笑)。 そんなことがあって、多分、ヒットするだろうって。 ドラマとして見るんじゃなくてね、現実として視聴者のみなさんは見ていたんですね。 最初に見たくないと思っていたテレビドラマであっても、制作者や役者が情熱をもって作っていれば、その熱気で自然と見ているんですよね。 最近、そういう熱気のあるドラマが昔に比べて少なくなってきていませんかね。 1962(昭和37)年NHK入局。 大阪局芸能部をへて、東京・ドラマ部へ。 手がけた作品に、『ゼンマイじかけの柱時計』、大河ドラマ『花神』『草燃える』、連続テレビ小説『水色の時』『本日は晴天なり』『おしん』などがある。 山形の貧しい小作農の子おしん 小林綾子 は、父 伊東四朗 に奉公に出ろと言われる。 学校に行きたいおしんだが、母 泉ピン子 が凍てつく川に自ら入り流産しようとするのを目撃。 「おれ、奉公さ行ぐ」と決意する。 貧困、いじめ、修業、大切な人との別れ。 やがて、おしん 田中裕子 は結婚、しかし関東大震災ですべてを失う。 さらに日本は戦争の渦の中へ……。 最高視聴率は日本のドラマ史上最高の62・9㌫を記録。 世界各国でも放送された。 その魅力の第一は、きれいごとで済まさず、時代の現実を一年通して描いたことだろう。 大根めしも満足に食べられなかったおしんが、麦飯のうまさに感動しただけで、ほっとしてしまう。 そして織り込まれる反戦の心。 与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」を朗々と詠みきった、おしんの恩人俊作あんちゃん 中村雅俊 は脱走兵として射殺されるのだ。 完結編 第262回~最終回 ではスーパー経営で成功したおしん 乙羽信子 と家族が描かれる。 嫁姑、世代格差、橋田壽賀子得意のホームドラマも展開。 どこを切り取っても生きるための教えが詰め込まれた力強いドラマである。 文/ペリー荻野• 放送期間1983(昭和58)年4月4日~1984(昭和59)年3月31日• 主な出演者• おしん:小林綾子(7~10歳)• 田中裕子(16~45歳)• 乙羽信子(50~83歳)• 父・作造:伊東四朗• 母・ふじ:泉ピン子• 祖母・なか:大路三千緒• 少女期のおしんと出会う逃亡兵・俊作:中村雅俊 (加賀屋)• 祖母・くに:長岡輝子• 父・清太郎:石田太郎• 母・みの:小林千登勢• 娘(おしんのライバル)加代:東てる美• おしんの永遠の恋人・高倉浩太:渡瀬恒彦• 髪結いの師匠・長谷川たか:渡辺美佐子 (田倉家)• おしんの夫・田倉竜三:並木史朗• 夫の父・田倉大五郎:北村和夫• 夫の母・田倉清:高森和子• 夫の家の執事・源右衛門:今福将雄 (おしん夫妻の家族)• 次男・田倉仁:高橋悦史• 次男の妻・道子:浅茅陽子• 次女・田倉(崎田)禎:吉野佳子• 次女の夫・崎田辰則:桐原史雄• 加代の子ども・八代希望(加代の死後、おしん夫妻が養育):野村万之丞• 希望の子ども・八代圭:大橋吾郎• おしんの養女・田倉初子:佐々木愛• ナレーター奈良岡朋子• 作橋田壽賀子• 音楽坂田晃一• 考証小木新造• 制作岡本由紀子• 演出江口浩之、小林平八郎、竹本稔ほか• デスク山岸康則• 美術田坂光善、宮井市太郎、増田哲• 技術設楽国雄、白石健二• 照明渡邊恒一、増田栄治• カメラ後藤忠、沖中正悦• 音声金光正一、近藤直光、若林政人• VE福井功一•

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共演者も仰天した、怪優・田中裕子『おしん』撮影秘話(週刊現代)

おしん 竜三

おしんが田倉商会の番頭・源右衛門にキレちゃうお話でした。 おしんのキレっぷりが気持ちよくて、可愛らしくて、田中裕子さんファンにはたまらない回でした。 最後の決めセリフ「塩まかれてぇのか!」は何度も見返してしまいます。 ネタバレは控えめに、見どころや感想などを書いてみたので楽しんで頂ければと思います。 第73話のあらすじを簡単に その日もおしんは、出髪(でがみ)に回っていました。 CAFEアテネでは竜三や竜三の母の話で女給達が盛り上がっています。 一方、田倉家では竜三がおしんと結婚したいと言い出して大騒ぎに。 おしんを嫁にもらうなど許さない母。 おしんとすでに出来ていると勘違いし始めると、番頭の源右衛門を使っておしんと竜三との関係を断ち切らせようと画策します。 そしてある日の早朝、おしんのもとを源右衛門が訪れるのでした・・・。 前回(第72話)のあらすじはこちら 次回(第74話)のあらすじはこちら 第73話の名場面:竜三と別れてくれと言う源じいにキレるおしん 竜三とおしんがすでに出来ていると勘違いした竜三の母・清と源じい。 清の言いつけで源じいはおしんに竜三と別れるよう説得を試みます。 当然、全く心当たりのないおしんからするとなんの話をしてんだこのジジイはとなって、最終的には源じいにキレるという事態に発展。 おしんのキレっぷりがとっても面白かったのでこのシーンをピックアップしました。 ある日の早朝。 おしんが共同井戸で他の家の主婦と談笑しています。 そこに源右衛門こと源じいが現われる。 源じいに気づいたおしんは、また出髪を頼まれるのかと期待して挨拶をします。 「また大奥様の出髪に伺うんですか?」 しかし、源じいはなにやら神妙な面持ち。 「今日は、折り入って話があります。 」と言われたので部屋にあげてお茶を出すことに。 おしんの部屋で正座して座る源じい。 「こがんことに前口説してもしかたなか。 何も言わんでくんさい。 とにかく200円用意してきたけん。 」 突然そう言って源じいは封筒を取り出してちゃぶ台に置き、手をついて頭を下げました。 「黙って坊ちゃんと別れてくんさい!坊ちゃんのことは諦めてくんさい!この通りじゃ。 それで足りんち言うない、また後で何とかするけん。 二度と坊ちゃんとは会わんでくんさい。 縁ば切ってくんさい!」 熱心に何度も頭を下げる源じい。 おしんは目を点にして驚いている様子。 「いや、何のお話だか私にはさっぱり・・・。 」 困った表情で源じいに聞きます。 「しらを切りたか気持ちはよう分かる。 ばってんおしんさんがほんなこて坊ちゃんを大事かって思うとうない、坊ちゃんのためにおしんさんが身ば引いてくるるとが、ほんな愛情というもんじゃなかね。 坊ちゃんとどがん約束ばしんさったか知らんばってん、今までのことは全てなかったことにして・・・。 」 腰を低くしてお願いする源じい。 何を言ってんだこのジジイって雰囲気でちょっと苛立ち始めるおしんです。 「あの・・・、誰か他のおなごと間違うておられるんじゃないんですか? 私はほんとに田倉さんとは何の関わり合いも・・・」 苦笑いをしながら言います。 間髪入れず言い返す源じい。 「ごまかそうとしたってそうはいかんたい。 坊ちゃんがはっきりおっしゃったとばい。 おしんさんば嫁にもらうって。 」 『嫁にもらう』って言葉が出てきて大いに反応するおしん。 「田倉さんが?まさかぁ。 私、田倉さんにそんなこと言われる覚えはありません。 おしんはおしんでも、他のおしんちゃんでねぇべか?」 あり得ないでしょ、全く竜三になんて気持ちがないしって感じです。 「いんや!昨日あんたが大奥様の髪ば結うて帰った後、そん話になったとじゃけん。 間違えようなんか。 」 おしんが嘘をついていると信じて疑わないジジイ。 「でも、知らないものは知らないんです。 田倉さんとはそんな親しい付き合いでもないし、こんな金もらう筋合いもない。 とっとと持って帰って下さい。 」 迷惑千万な話しだと困り顔です。 「そいない聞くぎ、こん鏡台はどがんしたとね?誰からもろうたとね?うちの坊ちゃまからじゃなかとね。 いつじゃい家具屋から鏡台の請求書が届いたけん、おかしかと思うてどこさん届けたか調べさせたことがあったたい。 そしたら谷村しんっていうおなごのとこじゃった。 」証拠を突きつけた気になって、嘘つくでねぇ、この子娘がっていう雰囲気に。 強気に出る源じいです。 「あれは・・・!」 竜三が勝手に送りつけてきた鏡台だからと、全力で言い訳をしようと声を張り上げるものの、説明の時間も与えないように源じいがツッコんできます。 「弁解はよか!あん時わしが坊ちゃまば叱っときゃよかっただけん。 こがんことになるとは思わんじゃったもんじゃけ。 わしの怠慢たいっ!」 目が据わってきて源じいを睨みはじめるおしん。 竜三に気持ちがあって別れてくれと言われるならまだしも、気持ちがないのに別れて欲しいなんて、なんでそんなことを言われなきゃいけないのか。 竜三にはそぐわないから別れてくれと言われているようで、プライドが傷つけられた気持ちにもなったのか、怒りがこみ上げている様子。 しかし、源じいはおしんが怒り始めたのに気づかず続けます。 もはや自分の世界に入っているように話し続ける源じい。 「あんたも色々言いたかこともあるじゃろうが、今坊ちゃまには立派な縁談があるとじゃけ。 どうかこのじいの白髪頭に免じて坊ちゃんと別れてくんさい!手切れ金が足りんと言うとうならまた後で相談に応じるけん。 」 ここまで来るとついに堪忍袋の緒が切れちゃいます。 口をぎゅっと結んでから、源じいにぶちキレます。 「いい加減にして下さい!何勘違いしてるのか知らないけど、私はほんとに何の関わり合いもねえっす!他に男がいないわけじゃあるまいし、どこが良くてお宅の坊ちゃまなんかと付き合わなきゃならねえの?付き合ってくれって頼まれたって、こっちだって願い下げだ!」 山形弁でしかも早口でまくし立てるおしん。 驚いた源じい。 左手をおしんに向け「ばばばばってん・・・」。 源じいがビビりはじめても止まらないおしん。 ジジイを怒鳴りつけます。 「とっとと帰って!『坊ちゃま、坊ちゃま』って何様のつもりでいるんだ?」 最後は立ち上がって「塩まかれてぇのがっ!!」 この時の源じいの驚いた顔っ。 目を丸くして口をぽかんと開けて、『怒るとこの娘はこんなになるのか』と驚きにあふれた表情で立ち上がったおしんを見上げています。 一瞬言葉が出なくなる源じいです。 源じいが帰った後しばらくしてナレーションが入ります。 奈良岡さんのナレーションも、どこか怒っている様子です。 「おしんは腹の虫が治まらなかった。 少しでも好きな男とでもいうのなら我慢もできるが、竜三には特別な感情のひとかけらも持っていなかっただけに源右衛門の仕打ちは許せなかったのである。 」 相変わらずの毒舌なナレーション「ひとかけらも」って、望み無しやん、竜三さん。 ナレーション中、鏡台をジッとにらみつけ、口をグッと結んでカバーを投げつけるように下ろすおしん。 下ろした後もしばらく鏡台を横目で睨んでいます。 キレたおしんさん、結構好きです。 山形弁が炸裂し源じいもタジタジです。 最後の「塩まかれてぇのか!」は笑った。 こんなこと言うのかってw。 感想 竜三の母・清と源じいの妄想から、とんだとばっちりを受けたおしん。 源じいの大暴走にぶちキレるおしんがとってもキュートでした。 源じいは、おしんにキレられて会社に戻った後に竜三に再び怒られてしまいますが、その時の飄々として憎めない感じはなんとも可愛げのある爺さんだと思いました。 源じい役の今福将雄さん、ファンになりましたが、すでに亡くなられているので残念です。 「太陽に吠えろ」や「あじいちもんめ」、「お金がない」などのドラマ作品にも多数出演されたそうです。 視聴者の気持ちを大事にした構成を心がけて作った作品なのかな。 さすが経営者とでも言うべきか。 でも、そこはポケットマネーでしょw。 源じいのセリフから発覚するっていうのがなんともユーモアにあふれていますね。 この「アテネーズ」の染子、八重子、茂子が、みんな互いに内緒で竜三に手紙を出していたことが分かって、呆れたやらおかしいやらで笑い合うっていうシーンがありました。 あれだけ竜三への気持ちをお互いけん制し合っていたのに、手紙をみんなで出していたのが分かると、とっつかみあいになったりして揉めることもなく笑い合っちゃうのが見ていてとても気持ちよかったです。 アテネーズの出演は東京編まででしょうが、こらからもドンドン出演して一服の清涼剤として楽しませてもらいたいですね。 それにおしんがどんな反応をするのかが見どころ。 お楽しみに。 それではまた別の作品で。

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NHK朝ドラ「おしん」について・・・・・(ネタバレ質問)おしんは...

おしん 竜三

『おしん』は、1年間の平均視聴率52. 6%、最高視聴率62. 9%(11月12日)という驚異的な数字を記録。 一大ブームを巻き起こした。 そして、1975年の『水色の時』以来半年で定着していた連続テレビ小説を、『鳩子の海』(1974年)以来の1年間で描くこと。 80年以上にわたるヒロインおしんの人生を3人の女優が演じ分けることを発表。 7歳から10歳までを演じたのは、100人の応募者の中から「シンの強いところがおしんにぴったり」と選ばれた小林綾子さん。 16歳から45歳を演じたのは、『マー姉ちゃん』(1979年)でデビュー以後、テレビ、映画で一作ごとにきわだった個性とシャープな感性で若手No. 1の成長株として注目を浴びていた田中裕子さん。 そして、50歳から83歳は乙羽信子さん。 乙羽さんは、自分の生きてきた道筋をふりかえりながら「おしんと私は辛抱強いところが似ている」と話していたそうだ。 おしんの少女時代を演じた小林綾子さん• 16歳からを演じた田中裕子さん• 50歳からを演じた乙羽信子さん このドラマに、原作・脚本の橋田壽賀子と制作者たちは「高度経済成長の中で現代人が見失ってしまったものを提示し、問いかけよう」と意図したという。 橋田自身はだいぶ前から「私たちの暮らしは豊かになったけれど、本当に幸福なのかしら。 豊かになるために、何か大事なものを切り落としてきたのではないかしら」という思いを抱いていたという。 また、明治から昭和にいたる激動の時代を歩んできた人たちの生き方を、いましっかり書きとめておかなければ永遠に埋もれてしまうという危機感も抱いていた。 そんな気持ちから週刊誌の投書欄を利用して明治女性の人生体験記とも言うべき手記を集め出した。 2,3通でも貴重な体験にふれられればと思っていたのだが、いざ始めて見たらなんと段ボール1箱の手紙の山が届き、驚きとうれしさに思わず興奮したそうだ。 それらの手紙をきっかけに丹念な取材を繰り返し、明治女性の生きてきた道のりを、おしんというヒロインに託して日本近代女性史ともいえるドラマを書き始めた。 書き上げた原稿は延べ6000枚、単行本ざっと20冊分の分量に匹敵する。 幼少期のおしん(小林綾子)を徹底的にしごいた材木問屋の女中頭・つね役の丸山裕子さんは、「いじめるというより教育していたんでしょうね」と言いつつも、演じていても辛いなと思ったことがあったという。 「おしめを投げつけるシーンは、自分でもなんてことやってるんだろうと思ってしまいました。 冬でおしめが濡れていて冷たいんです。 小林綾子ちゃんの、あの大きな目でじーっと見られると、もうダメって感じで」。 それでも演出からは容赦なく「鬼になれ」と言われ続けたそうだ。 佐賀編で、田中裕子さん演じるおしんをいびる田倉家の姑・清を演じた高森和子さんも「私はさほど厳しいと思っていなかった。 きついといえばきついけど清から見たらおしんのことを我慢できない部分も当然あっただろうし。 だから憎まれ役のつもりはなかった」という。 ところが、まず舞台地の佐賀からどっと清に対する反発の声が上がった。 「役者冥利に尽きるとも言えるけど、そんなに怒られると思わなかったので、最初は少し落ち込みましたね(笑)」。 とはいえ、高森さんもおしん役の田中裕子さんの熱のこもった演技に、いびる立場でありながら「あまりにかわいそうで」思わず涙したこともあったようだ。 つね役 丸山裕子さん• 姑・清役 高森和子さん• 世界も泣いた 『おしん』は放送中から海外でも評判となり、各国から引き合いが相次いだ。 1984(昭和59)年秋のシンガポールに始まり、これまで世界60以上の国と地域で放送され、「日本といえばおしん」と連想されるほどの反響を巻き起こした。 シンガポールが『おしん』を、海外で初めて放送したきっかけは、駐日シンガポール大使の黄金輝(ウイ・キムウイ)氏が、おしんの大ファンだったことによる。 大使の任期を終えたウイ氏は、シンガポール放送協会の経営委員長に就任することになり、NHKに「私は『おしん』の大ファンである。 是非シンガポールで放送したいので提供してほしい」と申し入れた。 シンガポールで放送が始まると、視聴率は80%に達する大ヒット。 これが呼び水となって、タイ、オーストラリア、アメリカ、中国などでも放送された。 海外での放送は、日本語版や英語版に自国語の字幕スーパーを入れたり、自国語で吹き替えたりした。 各国での反響は、日本国内に勝るとも劣らないものだった。 中国では、日本で放送された翌年、1985年3月から中国語の吹き替えで放送され、北京での視聴率は75. 9%を記録した。 中国語で『おしん』は、『阿信』(アーシン)と表記された(中国語の「阿」が日本語の「お」に相当し、「信」の方は当て字)。 主な反響は、「登場する日本人たちが現在の経済大国の底力であったことがわかり納得できた」「中国と日本に共通した伝統的な倫理観が根ざしている。 だから我々は何の抵抗もなくこのドラマを受け入れることができた」というものだった。 ベルギーでは、修道院の尼僧が『おしん』を見るために、お祈りの時間を変更した。 タイでは、当時、日本の経済進出に対する批判記事が毎日のように新聞に掲載されていたが、『おしん』の放送が始まってしばらくすると少なくなった。 エジプトでは、生まれた子どもに『おしん』と名付けるひとたちがいた。 カナダでは、『おしん』のために現金や米が放送局に届いた。 モンゴルでは、放送時間に道路から人の姿が消えた。 イランでは最高視聴率90%超を記録した。 『おしん』は、日本にも貧困の時代があったことを知らせ、発展途上国の人々を勇気付ける効果も示したのだった。 『おしん』の物語に世界中が涙した• 日本での放送終了から7年たった1991年2月、東京経団連国際会議場で、おしんを放送した世界各国の関係者が集まり、国際シンポジウム「世界はおしんをどう見たか」(主催:NHKインターナショナル)が開催された。 パネリストとして参加した原作・脚本の橋田寿賀子さんは「日本を支えた人たちを書きたかったという気持ちが皆さんに伝わったことは、非常にうれしゅうございます」と発言。 それに対し、中国社会科学院の李徳純氏は「あなたたち日本人だけの『おしん』ではない。 私たち、中国人、タイ人、インドネシア人、ヨーロッパ人、全世界の『おしん』です。 日本のみなさんは独占してはいけません。 おしんという人物のイメージ、特にその民族精神、これを私は、全世界の共有する尊い財産だと思います」と語った。 日本のある1人の女性の生涯を丹念に描くことで、逆に、『おしん』は世界共通語となったことを、李徳純氏の言葉は雄弁に語っている。 『おしん』を放送したおもな国と地域• 1980年代:シンガポール、アメリカ、オーストラリア、タイ、中国、ポーランド、香港、マカオ、ブラジル、ベルギー、カナダ、マレーシア、インドネシア、イラン、スリランカ、サウジアラビア、ブルネイ、メキシコ、カタール、バーレーン• 1990年代:シリア、フィリピン、ドミニカ共和国、バングラデシュ、ペルー、パキスタン、ボリビア、パナマ、ネパール、グアテマラ、ニカラグア、エジプト、インド、ルーマニア、チリ、ウルグアイ、ジャマイカ、ガーナ、ホンジュラス、キューバ、ベトナム、台湾、ミャンマー、コスタリカ、パラグアイ、カンボジア、ラオス、モンゴル、スーダン、トルコ、ブルガリア、マケドニア、エチオピア、ベネズエラ、アルゼンチン• 2000年代:コロンビア、タンザニア、ウズベキスタン、エリトリア、イラク、アフガニスタン、ブータン、ガボン、タジキスタンなど 大ヒットの裏には、ホンモノよりホンモノらしいリアリティをめざした、制作スタッフたちの強いこだわりがあった。 今も名場面として語り継がれているのが、おしんが奉公に出るためにいかだで最上川を下るシーン(第7回放送)。 1月中旬、一面の雪の中で行われた山形ロケでは、最上川を見下ろす山の上から俯瞰で撮影することになった。 しかし、いざ山の上からいかだをカメラに収めようとすると、その直前にいかだを川に押し出すスタッフの姿がまるで雪の中の黒い点のように映ってしまう。 そこで登場したのが大きな白い布で、頭からすっぽりとかぶり雪になりすますというもの。 白い布作戦は見事に功を奏し、いかだ以外は人っ子ひとりいない雪景色が完成した。 ちなみに、このいかだはロケ地となった山形県西村山郡大江町役場の全面的な協力で出来上がったものだ。 撮影当時には、ほとんど見られなくなっていたいかだだが、若いころ地元でいかだ流しをしていたという斎藤欣次郎さん(72歳)の指導で、当時とまったく同じ藤づるを使って組み上げた。 万が一にも崩れることがあってはならないので、見えないところはワイヤーで補強したが、その上からつるをまきつけてカムフラージュ。 船頭役には指導にあたった斎藤さんがそのままあたり、昔取ったきねづかで巧みにいかだを操ってもらった。 おしんの母・ふじ役は泉ピン子さん• ヒットを確信した米一俵の贈り物 『おしん』の視聴率は、1年間の平均52. 6%、最高62. 9%という驚異的なものだったが、第1回の視聴率は32. 当時の朝ドラとしては特別に高かったというわけではない。 しかし、わずか1か月後には50%を突破する。 江口がそのころ、「このドラマはヒットする」と確信したエピソードが2つあったという。 (江口) 「ひとつは、隣のスタジオで『御宿かわせみ』(続編=1982~1983年放送)というドラマを収録していたんですが、その主役の真野響子さんが『おしん』を収録していた106スタジオのモニターに映った収録映像を見て、泣いていたのを目撃したときです。 そうしたら、新潟から米一俵がNHKに送られてきたんです。 『これでおしんを取り返してくれ』ってね。 新潟の視聴者の方からです。 それから他にも、お金が送られてくることもありましたね。 『ドラマで食べている大根めしはあなたに送っていただいたお米で作っています』って連絡して(笑)。 そんなことがあって、多分、ヒットするだろうって。 ドラマとして見るんじゃなくてね、現実として視聴者のみなさんは見ていたんですね。 最初に見たくないと思っていたテレビドラマであっても、制作者や役者が情熱をもって作っていれば、その熱気で自然と見ているんですよね。 最近、そういう熱気のあるドラマが昔に比べて少なくなってきていませんかね。 1962(昭和37)年NHK入局。 大阪局芸能部をへて、東京・ドラマ部へ。 手がけた作品に、『ゼンマイじかけの柱時計』、大河ドラマ『花神』『草燃える』、連続テレビ小説『水色の時』『本日は晴天なり』『おしん』などがある。 山形の貧しい小作農の子おしん 小林綾子 は、父 伊東四朗 に奉公に出ろと言われる。 学校に行きたいおしんだが、母 泉ピン子 が凍てつく川に自ら入り流産しようとするのを目撃。 「おれ、奉公さ行ぐ」と決意する。 貧困、いじめ、修業、大切な人との別れ。 やがて、おしん 田中裕子 は結婚、しかし関東大震災ですべてを失う。 さらに日本は戦争の渦の中へ……。 最高視聴率は日本のドラマ史上最高の62・9㌫を記録。 世界各国でも放送された。 その魅力の第一は、きれいごとで済まさず、時代の現実を一年通して描いたことだろう。 大根めしも満足に食べられなかったおしんが、麦飯のうまさに感動しただけで、ほっとしてしまう。 そして織り込まれる反戦の心。 与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」を朗々と詠みきった、おしんの恩人俊作あんちゃん 中村雅俊 は脱走兵として射殺されるのだ。 完結編 第262回~最終回 ではスーパー経営で成功したおしん 乙羽信子 と家族が描かれる。 嫁姑、世代格差、橋田壽賀子得意のホームドラマも展開。 どこを切り取っても生きるための教えが詰め込まれた力強いドラマである。 文/ペリー荻野• 放送期間1983(昭和58)年4月4日~1984(昭和59)年3月31日• 主な出演者• おしん:小林綾子(7~10歳)• 田中裕子(16~45歳)• 乙羽信子(50~83歳)• 父・作造:伊東四朗• 母・ふじ:泉ピン子• 祖母・なか:大路三千緒• 少女期のおしんと出会う逃亡兵・俊作:中村雅俊 (加賀屋)• 祖母・くに:長岡輝子• 父・清太郎:石田太郎• 母・みの:小林千登勢• 娘(おしんのライバル)加代:東てる美• おしんの永遠の恋人・高倉浩太:渡瀬恒彦• 髪結いの師匠・長谷川たか:渡辺美佐子 (田倉家)• おしんの夫・田倉竜三:並木史朗• 夫の父・田倉大五郎:北村和夫• 夫の母・田倉清:高森和子• 夫の家の執事・源右衛門:今福将雄 (おしん夫妻の家族)• 次男・田倉仁:高橋悦史• 次男の妻・道子:浅茅陽子• 次女・田倉(崎田)禎:吉野佳子• 次女の夫・崎田辰則:桐原史雄• 加代の子ども・八代希望(加代の死後、おしん夫妻が養育):野村万之丞• 希望の子ども・八代圭:大橋吾郎• おしんの養女・田倉初子:佐々木愛• ナレーター奈良岡朋子• 作橋田壽賀子• 音楽坂田晃一• 考証小木新造• 制作岡本由紀子• 演出江口浩之、小林平八郎、竹本稔ほか• デスク山岸康則• 美術田坂光善、宮井市太郎、増田哲• 技術設楽国雄、白石健二• 照明渡邊恒一、増田栄治• カメラ後藤忠、沖中正悦• 音声金光正一、近藤直光、若林政人• VE福井功一•

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