笑っ て いいとも。 いいとも青年隊

『ヒルナンデス!』が『笑っていいとも!』を終了させ昼の王者になれた理由

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正しい番組名は『森田一義アワー 笑っていいとも! 』(もりたかずよしアワー わらっていいとも)。 その長い歴史の中で起きた様々なハプニング、事件、放送事故などからおもしろいと思ったものをピックアップしてみました。 黒柳徹子テレフォンショッキングジャック事件(1984. 14) 黒柳徹子さんが1984年3月14日放送の「笑っていいとも」でテレフォンショッキングに出演した際に、タモリさんが止めるのも無視し43分間ひたすらしゃべり続け、他のコーナーがすべてカットされた。 黒柳さんは22年後の2005年12月16日にも登場し、39分間しゃべり続けた。 14放送) 2位 有吉佐和子 42分間(1984. 22放送) 3位 黒柳徹子 39分間(2005. 死ねや! クソババア! 」と有吉さんと大喧嘩を始めた。 後にこれは番組サイドと打ち合わせ済みのいたずらだったらしいです。 そんな明石家さんまさんも、テレフォンショッキングでは歴代ベスト3には漏れたものの、35分間(1984. 13放送)という長いトーク時間を誇っています。 さんまさんなら何時間でもしゃべってくれそうですね。 観客乱入事件(1983. 1) テレフォンショッキングがはじまると本来のゲスト佳山明生が登場する直前に観客の男がゲスト席に座った。 タモリさんは生放送のため、冷静に対応し、男に話かけていたというもの。 男性 「しゃべらせてくれ」 タモリ 「なにしゃべるの?」 スタッフ 「本番中ですから!」 男性 「いいんだよ!!」 スタッフが男を取り押さえましたが、観客席からは悲鳴も上がっていた中、タモリさんはにやにや。 さすが、余裕がありますね。 テレフォンショッキングに素人出演(1984. ゲストの泰葉(42才)がしばたはつみさん(享年57)に電話をかけようとして間違い電話をしてしまうものの、おもしろがったタモリさんが「明日、来てくれるかな?」といつも通り質問すると電話口の女性も「いいとも!」と答え、それ以降の3日間、。 翌日、一般人がテレフォンショッキングに出演しました。 タモリ二日酔い(1992. 28) いいとも本番に二日酔いで登場したタモリさん。 酩酊していてトークはしっちゃかめっちゃか。 後半のコーナーで、一般出演の幼児に「おれは子供が嫌いなんだ!」と絡んでしまいました。 アントニオ猪木爆弾発言(1995. 30) プロレスラーの藤原組長がテレフォンショッキングの次のお友達にと、アントニオ猪木に電話したところ、 「お前、そんなバカ番組出てんのか!」 と発言。 藤原さんがなだめるという一幕が。 猪木さんはいいとも出演時に苦笑しながら、 「電話ではすいません。 バカ番組とか言っちゃって」 と謝罪をしたというものです。 観客から禁断の質問(2005. 21) テレフォンショッキングに出演していた山崎邦正(現・月亭方正、45才)に対し、タモリが「お前だと時間が余るな」と突っ込むと、山崎が突如「じゃあ質問コーナー!」と観客に無茶ぶり。 すると観客の1人が大声で「番組が終了するって本当ですか?」と質問し、スタッフに退席させられた。 CM明け、彼の座っていた席には熊のぬいぐるみが置かれた。 この事件後、しばらく山崎は『いいとも』に呼ばれなくなったという。 ドリーカムチャイルド仕込み発覚事件(2003. 4) 一般人んの子供が将来なりたい夢を語るいいとものコーナーでの一幕。 さらにもう一人の男の子が「ママがキリンプロって言っちゃダメって言ったのに……」と次々に仕込みであることが発覚していった。 タモリ 「お名前をどうぞ!」 女の子 「キリンプロの田澤有里朱です」 柴田、藤井隆 「えっ、キリンプラ?」 男の子 「あのねえ~、キリンプロってねえ、レッスンの事。 ママがねえ、キリンプロって言っちゃダメって言ったのに…」 タモリ 「ちょっと待てよ。 これ仕込み?」 柴田 「言っちゃダメだってママが言ってるのに~」 爆笑田中 「キリンプロさんっていう子役の事務所でしょうか?」 【一同大爆笑】 爆笑田中「そこで仕込んだんだって早い話が、スタッフが」 タモリ 「あ~~これ仕込み?」 柴田 「でも、みんな夢はそれぞれ持ってますよ」 藤井 「吉本興業の藤井隆で~す」 【観客拍手】 みんなが子供に「いいんだよ」ってフォローする タモリ 「今日は皆さん、所属事務所を言って下さい」 「来週はどの事務所かな?」とバレたらもう開き直るしかないですが、それを笑いにしてしまうのはさすが。 停電事件 1999. 14 いいとも放送中に停電となり、突然画面が真っ暗に。 その状態がCMを挟んで(CMは正常に流れていた)約35秒続いた。 その後は「おそれいますが、しばらくそのままお待ちく ださい」という表示のみの時間が約20秒続きました。 いいともが、というよりもテレビ局の放送事故ですね。 志村けんがテレフォンショッキング出演拒否 タモリ 「明日なんですけど、大丈夫でしょうか?」 志村 「ダメです」 観客笑 志村 「明日ゴルフなんですよ」 タモリ 「明日ゴルフ? ダメですか?」 志村 「はい。 だって明日ゴルフだもん」 観客笑 志村 「桑野ヘタだからなあ」 タモリ 「出るわけにいかないですか?」 志村 「明日天気いいもんで…」 桑野 「残念ですねぇ」 タモリ 「じゃあ、しょうがないな」 桑野 「じゃあ、また今度の機会にでも」 「じゃあ師匠、またご連絡します」 志村 「はいはい」 タモリ 「ありがとうございました」 観客 「え~~~」 タモリ 「会場が『え~~~』っつってますけど」 志村 「え~?」 タモリ 「じゃあ、またの機会に。 どうもすみません」 観客 「え~~~」 タモリ 「またゴルフでも一緒に。 それではどうも失礼します」 「失礼しま~す」 電話を切る 桑野 「ダメでしたねぇ」 タモリ 「ちゃんと出る人をやってよ」 桑野 「はい、すみません」 この後、ビージーフォーのモトを紹介 この件は実際には「やらせ」というかおふざけのお約束であったらしいです。 お互いお笑い芸人ですし、にやっと楽しむべき事件でしょうね。 これ以外にも初期のガチでお友達紹介をしていた時代には、テレフォンショッキングで断られることもけっこうありました。 細野晴臣が大瀧詠一に電話をかけたが「出たくないって、散々断っただろ」と拒否。 コロッケが千昌夫を紹介したら明日は都合が悪いって断られた。 松山千春が自分のラジオで、郷ひろみからテレフォン・ショッキングで繋ぎたいって 連絡が入ったが断ったと言ってた。 まずは遅刻した方々。 新幹線乗り越し? 片平なぎさ 12時40分に到着。 原因不明。 片桐はいり 12時40分に到着。 由紀さおり 12時47分に到着。 首都高で渋滞。 epo 12時30分に到着。 理由不明。 三宅裕二 到着時間、理由不明。 22) 1994年4月22日、いいともにレギュラー出演していた明石屋さんまさんが「風邪によるダウン」により生出演をキャンセルしました。 しかし、明石家さんま自身が本当の理由を「実は 寝坊だった」と後の「笑っていいとも」の放送内で告白しました。 「わたくし、ウソをついていました」 と頭を下げたさんまさん。 目が覚めたときはすでに「ごきげんよう」(いいともの後の昼1時からの番組)が始まっていて、「焦りをこえて笑ってしまった」そうです。 間寛平は吉本興業に所属するお笑い芸人で大御所の一人ですが、借金問題でも有名です。 お人好しでた 2014年大晦日に行われる『第65回NHK紅白歌合戦』の出場者が決定。 「アナと雪の女王」の大ヒットで ものまねお笑いコンビ「すだちtoかぼす」の一人、金野忠義が詐欺未遂の現行犯で逮捕された。 タージンは、大阪など関西の番組でリポーターとして活躍するタレント、リポーター。 放送日は、3月30日 土 で「関ジャ サンダーバード博の招待券についての情報を紹介します。 通常のチケットは、一般・大人:1,300円( ワイルドスギちゃんとしてブレイクし、年収は億を超えていると言われるが、先日バラエティー番組で現在の貯 「ラブ注入」のギャグで人気だったお笑い芸人の楽しんごが2014年1月14日、元恋人男性を数回殴ったと 髭男爵ひぐち君のマザコンぶりがハンパないという。 ひぐち君はそのせいか今でも独身で寂しさを紛らすために.

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笑っていいとも!過去のコーナー一覧

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「笑っていいとも!」事件メモ 1982年10月8日 放送5回目のテレフォンショッキングに出演した和田アキ子が翌日のゲストであるガッツ石松に電話をかけたところ、プライベートな電話だと勘違いしたガッツが「アッコさん、今度例のエロテープ(構成者註:裏ビデオのこと)貸してよ。 凄いのあるんでしょ」と口走ってしまい、会場騒然となる。 1983年4月14日 テレフォンショッキングに出演した映画評論家の小森和子が翌日ゲストのイルカに電話する際、相手の電話番号を口に出してしまう放送事故が発生。 翌日、登場したイルカは「おばちゃまのせいでイタズラ電話が殺到した」と苦笑していた。 1983年12月1日 テレフォンショッキングに演歌歌手の佳山明生が出演するはずだったが、タモリの呼び出しで登場したのは見知らぬ男。 呆気にとられるタモリ。 実はこの男、突如乱入した一般人で、すぐにスタッフに取り押さえられたが、会場は一時騒然となった。 「この人が佳山明生さんかと思った」と困惑を隠せないタモリに、その後登場した本物の佳山明生もただ苦笑するしかなかった。 1984年2月14日 タモリがつねづね「嫌い」と公言していた小田和正が初めてテレフォンショッキングに出演。 小田もタモリに嫌われていることは知っていた様子で、「レコード出されたんですって」というタモリのフリに「たぶん気に入らないと思いますよ」と苦笑交じりで返し、タモリも微妙な表情になるなど終始不穏な空気が漂う放送となった。 1984年4月23日 テレフォンショッキングに出演した泰葉が翌日のゲストと間違えて見ず知らずの一般人に電話をかけてしまい、タモリの「明日来てくれるかな?」の呼びかけを真に受けたその一般人が翌日、本当にやって来るというハプニングが発生。 結局3日間にわたり一般人がゲストとして登場するという前代未聞の放送が続いた。 1984年6月22日 当時極度の不眠症を患い心神ともに弱り切っていた作家の有吉佐和子(放送の2ヶ月後に逝去)がテレフォンショッキングに登場。 タモリ作詞による早稲田大学の応援歌「ザ・チャンス」を突然歌い上げるなどの「暴走」ぶりにレギュラー出演者の明石家さんまも乱入。 なんとか有吉を帰そうとしたが、結局番組終了までゴタゴタが続き、この日の放送は「有吉佐和子いいともジャック事件」として後世まで伝わることとなった。 ただし、伝聞ではさんまが有吉に対して「死ねババア!」と口にしたなど事実とは異なる部分が多く、同様の内容を著書『タモリ論』(新潮新書)のなかで記した作家の樋口毅宏が有吉の遺族から抗議を受け、謝罪する事態も勃発。 実際にはこのときの「暴走」はすべて事前に決められていた演出であったというのが真実のようである。 1993年10月~94年3月 この間、ミュージシャンのローリー寺西(現ROLLY)が木曜日にレギュラー出演。 奇抜なファッションやメイク、狂気を感じさせる言動でアルタの客席とお茶の間をしばしば凍りつかせた。 なかでも自身が進行を務めるクイズコーナーの冒頭の一言(「奥さん、お宅の娘さん、いまセックスしてますよ」「テレビの前のよい子のみんな、お前を殺す!」など)は、毎回放送コードすれすれの過激さでタモリ以下共演者とスタッフを冷や冷やさせていた。 2001年7月30日 江頭2:50がゲスト出演したコーナー中、当時レギュラーだった脚本家の橋田壽賀子が「この人、トルコで捕まった人でしょ」などと自身の芸をことごとく遮るので、「俺はおまえが前から好きだった!」と突如橋田にキスを敢行。 観客が絶叫するなか、共演者が江頭を羽交い絞めにし、番組はCMに突入。 以後、江頭は10年以上にわたり「いいとも」を出入り禁止となる。 タモリもレギュラーも一瞬なんのことかわからず困惑したが、共演者の男の子が「ママがキリンプロは言っちゃダメって言ってたでしょ」と発言したことで、出場者の子供たちが特定の事務所に所属していた子役タレントであったことが判明。 タモリは「来週はどの事務所かな」とすかさず笑いに変えることでその場をフォローした。 2005年9月21日 テレフォンショッキングに山崎邦正が出演した回。 トークの途中で突如、客席にいた男が「タモリさん、いいともが年内で終わるって聞いたんですけど、本当ですか?」と発言。 タモリは「全然聞いてないよ」とクールに受け流したが、横にいた山崎邦正はただ呆然とするしかなかった。 男は即時退場となり、CM明けには男の席にクマのぬいぐるみが。 ------------------------------ タモリ名言・珍言集 「やる気のある者は去れ」(「笑っていいとも!」より) タモリのタレントとしてのスタンスを最もよく表している一言だろう。 本当に「やる気」がないかどうかはともかくとして、タモリは作為や熱意を表に出すことを徹底的に嫌う傾向がある。 タモリイッツクール。 「この番組は人生において1ミリの得にもならない」(「タモリ倶楽部」より) 自らの看板番組を指してこの発言。 しかし、タモリが標榜する理想の番組こそはまさにこういう番組なのではないだろうか。 意味や思想性を退けた先にみえる「無」の境地。 タモリというタレントを読み解くカギがこの一言に隠されている。 「日本人というのはメジャーと常識で生活しているんですね」(「潮」1977年6月号より) デビュー当時のタモリによる至言の一つ。 「密室芸人」「アングラ芸人」と呼ばれ、メジャーとは最も遠いところにいたタモリならではの本質を突いた一言だが、興味深いのは彼がその後、「メジャーと常識」に対抗するのではなく、国民的タレント・司会者に転身することでその内側から中心軸を揺さぶり続けた点である。 「僕は、故郷を引きずっとるというのはひどくみっともないような感じがするんですよ」(福武書店刊『阿久悠とすばらしき仲間たち』より) これもタモリのクールな横顔が垣間見える発言。 「郷土愛」などというベタベタした日本人的人情はタモリの感性が徹底して嫌うところなのだ。 この対談の前後には、九州愛まるだしの武田鉄矢をからかい気味に揶揄したり、「田舎の人情」を重視する永六輔に疑問を呈したりもしている。 「思想のない歌こそ素晴らしい。 思想のある歌はゴミだ」(「タモリのオールナイトニッポン」より) 1970年代に若者たちの絶大な支持を得たさだまさしや小田和正といったニューミュージックの歌手たちをタモリが毛嫌いしているのは有名な話だが、その背後にはこのような感覚があった。 こうした思想を叫ぶ音楽に対抗して、「オールナイトニッポン」では「思想のない音楽会」を開催していた時期もある。 「なんでああいうふうに詞に意味を持たせるんだろうね。 恋だの愛だのをいい大人が一大事のように唄ったり、社会への異議申し立てをおこなったり、そういう「あつかましい」思想の表明をタモリのクールな感性は許さないのだ。 「(五木寛之について)いかんなぁ。 あーゆーもんが文化人面してのさばられるとねえ……(略)あれはね、ちょっと殺さないかんのじゃない?」(「宝島」1983年5月号インタビューより) デビュー間もない頃のタモリが敵視していた人物の一人に作家の五木寛之がいる。 関係者の証言によると、福岡空港でスチュワーデスに「お客様は禁煙席になさいますか?」と訊かれた五木が「僕がタバコ吸わないの、君知らないの」と横柄な態度をとったところをタモリが目撃したことに端を発するらしい。 「(小森の)おばちゃまにセーラー服着せて犯してみたい」(世界文化社刊『タモリと賢女・美女・烈女』より) タモリのロリコン性がうかがえる発言の一つか。 恋多き女にして永遠の乙女でもある映画評論家・小森和子(通称・小森のおばちゃま)に対して、まさかのコスプレセックスを要求。 これに応答した小森の「一度、タモリちゃんを密着取材しなくっちゃ」という一言もさすがだ。 「おいタモリ、おまえの番組に出てやる」(大橋巨泉を真似て) いまや大橋巨泉を象徴するフレーズとなったこの言葉は、しかし巨泉本人が実際に言ったものではない。 これもタモリの鋭い人物観察眼と表現力の賜物にほかならない。 「タモリはパロディストではなく、カリカチュア(戯画化)されたものを描く天才ではないか」(寺山修司を真似て) 寺山修司はタモリの形態模写の十八番ネタであるが、その完成度は単に顔やしぐさを似せるだけでなく、いかにも本人が言いそうなことを言う、そのもっともらしさによって保証されている。 この言葉は、そうした「寺山っぽさ」が表れているだけでなく、タモリによるタモリ分析としても貴重な一言であると思う。 「冷蔵庫の脇にあるゴキブリホイホイには昭和60年のゴキブリがいる」(「タモリのオールナイトニッポン」より) 日常の何気ない風景から、こういう奇妙なことを発想し、しかもそれを絶妙な言葉で表現する。 タモリがラジオで人気を博し、その後司会者として本格的に「しゃべり」の世界で天下を取ったのは、なにをおいてもこの言語感覚の鋭さによるところが大きいのではないだろうか。 「雨の日の国道には必ず軍手が一個落ちている」(「笑っていいとも!」より) いわゆる「あるある」ネタだが、タモリらしい観察眼とディテイル言語化能力が発揮された秀逸な一言だと思う。 このあと「(軍手が)工場のポールに刺さってたりする」などさらに秀逸な発言が続く。 「生まれ変わったら金髪美女になって、惜しげもなく裸をさらしたい」(「笑っていいとも!」より) 「生まれ変わったら何になりたい?」という質問に対して、タモリは再三このように答えている。 ヌード雑誌であられもないポーズを披露したり、エッチなビデオに出たいとも。 タモリのなかのねじれた性的欲求の発露だろうか。 「私もあなたの数多くの作品の一つです」(赤塚不二夫の弔辞より) 福岡から東京に出てきたタモリを自分の部屋に居候させ、デビューのきっかけをつくった恩師・赤塚不二夫。 その葬儀でタモリが読み上げた8分間の弔辞は「勧進帳」を思わせる見事な芸の一幕であったが、なかでもこの締めの言葉は秀逸であった。

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『ヒルナンデス!』が『笑っていいとも!』を終了させ昼の王者になれた理由

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村上和彦 [TV演出家、プロデューサー] 1965年神奈川県生まれ。 筑波大学卒業。 日本テレビ放送網に入社し、スポーツ局に所属。 ジャイアンツ担当、野球中継、箱根駅伝などを担当する。 その後制作局に移り、『スッキリ!! 』『ヒルナンデス!』『24時間テレビ』『三行広告探偵社』『中居正広のブラックバラエティ』など、ジャーナリスティックな番組から深夜帯のバラエティ番組まで幅広いジャンルで実績を上げ、年間バリュアブル賞を5 回受賞。 なかでも総合演出を務めた『ヒルナンデス!』では、『笑っていいとも!』を視聴率で追い込み、「いいとも!を倒した男」の異名をもつ。 2014年7月、日本テレビを退社。 (株)プラチナクリエイツを立ち上げ、TV演出、執筆活動のほか、企業や地方自治体に向けコンサルティング、講演会も行っている。 ニュース3面鏡 インターネットの登場以来、以前にもまして巷にはニュースがあふれ返っています。 そうしたニュースや出来事の中から、DOL編集部が気になる出来事を厳選し、正面のみならず右から左から、価値あるニュース、楽しいニュースをお届けします。 「ヒルナンデス!」番組ホームページより いまやお昼の定番番組となった『ヒルナンデス!』(日本テレビ)は、かつてモンスター級の人気を誇った『笑っていいとも!』(フジテレビ)をなぜ終了に追い込めたのか。 その勝因は、9割は捨て、あるポイントを重点的に攻める「一点突破」の戦い方だった。 無敵を誇った『いいとも』の唯一の弱点とは 『いいとも』が昼番組の王者として君臨できた理由、それは「20~40代女性」に不動の人気を誇っていたことにある。 この「20~40代女性」のことを、テレビ業界、広告業界では、F1・F2と呼ぶ。 彼女たちは無駄遣いをしない高齢者とは違い、CMで紹介された新商品に興味を持ち、時には衝動買いもする。 同時間帯のライバル番組たちの視聴者層は高齢者が多いため、CM市場では『いいとも』のひとり勝ちが続いていた。 その状況を変えて、新番組はこのF1・F2の取り合いで『いいとも』と真っ向勝負をする。 そして、CM売上で『いいとも』に勝利する。 これが私の考える戦い方だった。 まず、こういった「ライバルに勝つ」系のミッションの場合、相手を分析することは重要だ。 なぜそんなに強いのか、その理由を探り出せばいいだけだ。 その強い理由を排除してしまうことができれば勝てる。 これが攻略の王道だ。 『いいとも』攻略法は、F1・F2の奪取で一点突破を試みることだった。 それを知った業界の人たちは、「またまた日テレさん、無謀な戦いを挑んで…」と思ったに違いない。 『いいとも』の泣き所である高齢者層を取り込もうというのなら現実的だが、『いいとも』の独壇場であるF1・F2で真っ向勝負をしようというのだから。

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