浜崎あゆみ m 作詞。 浜崎あゆみの「M」の正体が明らかに!Mの歌詞に込めた思いを調査!

M(浜崎あゆみ)/はたゆりこ(M covered by Yuriko Hata)

浜崎あゆみ m 作詞

ドラマ『M 愛すべき人がいて』。 小説「M」が出て、これまたドラマ化されるというニュースが流れた時、誰が祭りになることを予想しただろう。 少なくとも私はコケると思っていた。 ところが結果、ドベタなほどのサクセス&ドリーミンなセリフの数々に、コロナ自粛期間のブルーな気持ちがどれだけ助けられたか。 「アユ、俺を信じろ!」と叫ぶ三浦翔平演じるマサに「私も信じる信じる!」とテレビに向かって連呼したのも一度や二度ではない。 そして、マサを信じたついでに浜崎あゆみの全盛期の歌を聴くようになった。 そこに広がるのは、ビッグドリームを叶えた人とは思えない「弱さ」のオンパレード。 前向きに見える歌詞の中に漂う、永遠に続かないという消費感……。 彼女の歌に「こうすればいいのに」「こう考えてみようよ」という提案はない。 将来の展望や常識をぶち壊す反抗心もない。 ひたすら居場所を探し、自分を見失わないようにする必死さがビッグウェイブとなって押し寄せてくるのだ。 MAX松浦に「書いてみろ」と勧められ、浜崎あゆみの作詞人生は始まっている。 才能を偶然引っ張り出されたのは羨ましい話だが、想像してみよう。 コツもわからずヒーヒーと書いてみたら「お前すごいな、才能あるよ」。 そしてあれよあれよという間に作品化。 次もはよ書けと言われたら、自分ならどうか。 嬉しいと同時に不安極まりない。 「これでいいの? ねえ教えて」と戸惑うと思う。 歌詞に自分の人生を全部暴露する(孤独感を前面に押し出す)というのは、戦略の一つだったそうだ。 しかし「戦略」だけではない自信のなさがダダ漏れた歌詞は、世紀末の混乱と喧騒の中、彷徨い続けるギャルたちの不安と重なった。 自発的に歌詞を書こうとする人や、熟練のプロにはどうしても出せない「拙さ」も込みで伝わるものがあり、時代がそれを受け入れたといえる。 『ASAYAN』『egg』『Cawaii! それまでJPOP界にはコムロブームが吹き荒れ、バラエティーオーディション番組『ASAYAN』が大人気。 女子高生は存在自体がブランドと化し、雑誌では『egg』『Cawaii!! 』など、プロとはまた違う「読モ」が表紙を飾っていた。 力のある業界人にワンチャンスもらえば、シンデレラストーリーも夢ではない時代。 若さがとてつもない威力を発揮する時代。 これは世紀末の「光」の面である。 どんどん悪くなっていく景気の中「パワーをどう出していいのかわかんない」とくすぶる若者も多かった。 どんなに頑張っても、個性がなければ埋まる。 ギャルたちはキャラづけとヘンな大人から身を守ることを兼ね、顔を黒く塗り、油性ペンでアイラインをひいた。 そんな光と闇のコントラストがくっきりと分かれた時代を反映し、若いアーティストの楽曲も、恋愛より生き方の美学やムーブメントの起こし方、絶望と希望などを綴る歌詞が増えていく。 「居場所がなかった」とガツンと書いたことだ。 これが若者に届いた。 「一人きりで生まれて 一人きりで生きて行く」。 親が聞いたらせっかく腹を痛めて生んだのにと泣きそうな歌詞だが、ここまで孤独感をはっきりシンプルに言ってくれるのを誰もが待っていたのも事実。 「私も同じ」「私も居場所がない!」と、共感の嵐が吹き荒れ、145万人が泣いた(CD売り上げが145万枚)。 この歌をカラオケで歌ったときの自己陶酔は凄まじい。 口に出して言うのはなかなか恥ずかしい弱音と孤独を、日本語でストレートに歌える気持ちの良さ! この「日本語」というポイントは大きくて、コムロブーム以来、ラップが入ったりサビが長々と英語だったり複雑な楽曲が増えたなか、浜崎あゆみの詞は歌いやすかったのだ。 2000年に放送されたドキュメンタリー番組『スーパーテレビ情報最前線』(日本テレビ系)の浜崎あゆみ密着回では、カラオケで彼女の歌を歌うガングロギャルが取材されていたが、彼女たちはキャッキャと明るく笑いながらも「歌詞を読んで泣きそうになった」「(自分たちも)なにげに孤独だよね」と答えていたことをすごく覚えている。 そうか、ヤケクソに若さを消費しているように見えるギャルたちも「怖い、この状態が悲しい」と思っているのか、と。 心細さや居場所のなさを、分厚いメイクで隠し笑い飛ばしていた彼女たちも、浜崎あゆみを歌うことで、本音を叫ぶことができたのである。 小室哲哉は「あなたと私」、浜崎あゆみは「君と僕」 1999年以降の浜崎あゆみの詞が、若者の気持ちとシンクロしたのは、「あなたと私」ではなく「君と僕」もしくは「僕たち・僕ら」という表記が増えたこともあるだろう。 この、男女格差も上下関係も感じない歌詞の「君僕革命」、遡ってみると渡辺美里の『My Revolution』がまさに一大レボリューション。 これが大ヒットした1986年といえばおニャン子クラブ全盛で、アイドルが不安定な音程で「あなたと私の恋愛模様」をキュートに歌っている中、アイドル的ルックスの彼女が、意志の強い青年を思わせる野太い声で「君」と歌うのは衝撃だった。 作詞は川村真澄で、恋愛はベースにありつつも、夢や生き方を強く歌っている。 その自立した歌詞にかなり驚いたものだ。 90年前半からはコムロブームが吹き荒れるが、小室哲哉の詞は意外なほど「あなた」が多い。 ブレイクのきっかけとなった篠原涼子の『愛しさとせつなさと心強さと』も「あなたへと向かって」。 「あなたと私」、なかなかクッキリとした主従関係である。 浜崎あゆみは1999年から、「君がいなきゃ何もなかった」(『TO BE』)や「僕たちは 幸せになるため この旅路を行くんだ」(『Voyage』)と「君と僕」「僕たち」「僕ら」が増えるが、『My Revolution』ほどは前を向いておらず「理解されにくい悩みの共有」のほうが断然強い。 内緒話を打ち明けるようなイメージだ。 若さが消費される諦めを、親しいメンバー限定で愚痴り合うような「密」。 独特の内輪感があり、聞いているうちに「あゆ、実は私さ……」とCDジャケットに向かって心の内を打ち明けたくなる。 「夢を追いかけるなら たやすく泣いちゃ駄目さ」と励ますのではなく「ほら笑顔がとても似合う」と語りかけてくれる視線の位置。 これが浜崎あゆみの歌詞がもたらした「君僕」革命だったのだ。 2018年に行われた20周年のアリーナツアー「ayumi hamasaki ARENA TOUR 2018」で彼女がファンに叫んだ言葉「君がくれた20年でした」は、その世界観全てを表している名言だと思う。 ドラマ「M」で再び巡ってきた浜崎あゆみのSEASONS 絶望感と焦りと疲れみたいなものを感じていた世紀末時代、彼女の歌は、弱者にとって理解されないことを理解してくれる最高の愚痴り相談相手だったのだと思う。 時代が変わって令和になり、世紀末彼女の歌を聴いて救われた10代は、今やその多くが30代に突入。 浜崎あゆみもデビュー22周年、41歳、1児のママだ。 そして彼女はまだ「世紀末の女神」という十字架を背負いつつ、いまだに旅を続けている。 まだまだ旅は続くのに、なぜ今になってデビュー当時を、しかも恋愛事情まで自ら掘り返すのかと首をひねりまくった『M』だったが、浜崎あゆみに「そんな日々もあったねと、笑い話せる日」がようやく来たのかな、とも思い始めている。 大映ドラマテイストというトリッキーな味付けでそれを見せられたのは意外だったが、なんだかんだ「あの頃」の記憶を辿り、浜崎あゆみが彩った季節をタイムトラベルするきっかけをもらったのは間違いない。 ああ、『SEASONS』歌いたい。 『Voyage』歌いたい。 カラオケに行けないのがツラい。 旅のあとの余韻が少し厄介ではある。 (田中 稲).

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浜崎あゆみ「M」歌詞の意味は?切ない恋の相手は松浦社長だった?!

浜崎あゆみ m 作詞

『M』を作曲したCREAって一体誰なの? あゆのMAX松浦の話云々よりも、2000年代前半に突如現れてMやevolutionのメガヒット曲を連発した天才作曲家CREAさんについての存在についての説明をして欲しい。 今なにしてるんだろう — スティックのり stenori 前作から1ヶ月という短い期間で、2000年12月13日に発売された『M』は、浜崎あゆみの19thシングルです。 『M』はもちろん大ヒットして、すぐに2001年にはDVD版とアナログ盤の販売、2003年にはヨーロッパでも販売されています。 この『M』で初めて作曲家として、CREAの名前が世の中に出ることになりました。 『M』がとても素敵な曲だったからこそ、発売当初から「CREA」って誰?と言うのは、ファンの間でも話題になっていました。 なんで浜崎あゆみじゃなくてCREAの名前を使ったんだろう? 『M』が発売された際は、作曲家のCREAが浜崎あゆみさんであることは伏せられていたようです。 2000年頃の浜崎あゆみさんと言えば、作詞を自分で行っていることはもちろん、かなりのハイペースでシングルやアルバムをリリースしていている頃で、かなり忙しかったのではないかと思います。 その頃の浜崎あゆみさんは、ライブなども数多くこなしていましたが、疲れによるものなのか突発性難聴によって、ライブを一部キャンセルすると言うアクシデントにも見舞われています。 この目まぐるしいスケジュールの中で『M』の作曲まで手掛けていたと考えると、普通の方であれば考えられないと思いますし、やはり才能あふれる人なんだな、と感じます。 CREAにしたことには何か意味があったのかな? 浜崎あゆみさんが自分の曲を作詞しているというのは誰もが知っていると思いますが、ではなぜ作曲するにあたってCREAを使用していたのか、少し不思議に思いますよね。 実は、浜崎あゆみさんは作曲する際にCREAを使用し、浜崎あゆみであることを発表していなかったのかと言うと、「浜崎あゆみが作曲している」と言う目で見られたくなかった、先入観なしで聞いてほしかったからなんです。 そこで、なぜCREAと言う名義にしたかと言うと、飼っていたチワワ犬の名前がCREAで、そのまま使用したようです。 CREAという言葉には、「クレア」イタリア語で「創り出す」という意味があるそうですが、作曲家のCREAの意味も、そのあたりにも関係があるのかもしれませんね。 浜崎あゆみとCREAの関係や使い分けの意味は? 私は大事なことを見落としてた! 「浜崎あゆみの、音楽にコトバを載せるセンス」、近田春夫が書いた「M」も、亀田誠治が書いた「Voyage」も、『CREA作曲(あゆ作曲)』だ! あゆのそのセンスは、人が作った曲に詞を書く時に特に発揮されると思ってたけど、自分が作った曲でもそうかぁ。 — pineapple hrksyk 浜崎あゆみさんは、自分で長年作詞は行ってきたものの、作曲家としてデビューする際は、既に「平成の歌姫」としての世間の目を背負いながら活動していた時期でもあります。 このまま浜崎あゆみ本人の名義で作曲を行うとなった場合に、やはり「平成の歌姫」の浜崎あゆみがどんな作曲をするのか、という厳しい目や先入観に囚われた状態で受け入れる方が多くなるのは想像できます。 そこで、浜崎あゆみ本人であることを明かさないまま、作曲活動をしていくことを選択したのではないでしょうか。 最近ではCREA名義で作曲していたという事を知る方も少なくなってきているようなので、現在ではCREAを使用していないことが原因でかもしれません。 使い分けしていることにも意味があったんだね! CREAについてファンはどう思ってるの? 浜崎あゆみさんがCREAを使って作曲していることを知っている方の声を集めてみました! あゆ金スマみた…すごいな…すごいなあ…わたしはMとHANABIとDearestがすきです。 作曲クレジットのCREAが別名義だと知ったの少し後だけど。 しかもCREAは愛犬の名前よね。 — 彩音ざくろ zakuro0508 今日は浜崎あゆみさんの音楽を聴いていますが、avexの音楽って基本、作詞者と作曲者が違っていて1曲作るのも大変だと思うのに、それを16曲のアルバムで統一感を持たせるのは至難の業であり、それを作り上げるまでの労力を考えると頭が下がる思いです。 実はCREAの正体は浜崎あゆみさん本人であることが明らかにされましたが、当初は浜崎あゆみさん本人であることは明かされていませんでした。 そのため「作曲のCREAって誰?」「浜崎あゆみさんと何か関係ある人?」と話題になりました。 当初は『M』の作曲家CREAと浜崎あゆみさんの関係性を気にしている方も多かったようですが、「同じ人」「作曲の際の名前がCREA」という事が分かりました。 CREAが誰かわかって、ホッとした人もたくさんいたと思います。 浜崎あゆみさんが作曲の際に使っている名前CREAの意味も気になるところですが、CREAは犬の名前であることが分かっています。 しかしCREA(クレア)の意味などを考えると、犬の名前だからと言う意味以外にも、何か意味があるのではないかと思ってしまいます。 浜崎あゆみさんがCREA名義で作曲を行っていたことを知らなかった方、ぜひもう一度CREA名義の曲を聞きなおしてみると、新たな発見があるかもしれませんよ。

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ドラマ「M」最終回 小室哲哉は「あなた」、浜崎あゆみは「君」……90年代ギャルにアユの歌詞がウケた理由

浜崎あゆみ m 作詞

ドラマ『M 愛すべき人がいて』。 小説「M」が出て、これまたドラマ化されるというニュースが流れた時、誰が祭りになることを予想しただろう。 少なくとも私はコケると思っていた。 ところが結果、ドベタなほどのサクセス&ドリーミンなセリフの数々に、コロナ自粛期間のブルーな気持ちがどれだけ助けられたか。 「アユ、俺を信じろ!」と叫ぶ三浦翔平演じるマサに「私も信じる信じる!」とテレビに向かって連呼したのも一度や二度ではない。 そして、マサを信じたついでに浜崎あゆみの全盛期の歌を聴くようになった。 そこに広がるのは、ビッグドリームを叶えた人とは思えない「弱さ」のオンパレード。 前向きに見える歌詞の中に漂う、永遠に続かないという消費感……。 彼女の歌に「こうすればいいのに」「こう考えてみようよ」という提案はない。 将来の展望や常識をぶち壊す反抗心もない。 ひたすら居場所を探し、自分を見失わないようにする必死さがビッグウェイブとなって押し寄せてくるのだ。 浜崎あゆみの歌詞の魅力の一つは、この「突然書かされた人しか出せない自信のなさ」だと思う。 MAX松浦に「書いてみろ」と勧められ、浜崎あゆみの作詞人生は始まっている。 才能を偶然引っ張り出されたのは羨ましい話だが、想像してみよう。 コツもわからずヒーヒーと書いてみたら「お前すごいな、才能あるよ」。 そしてあれよあれよという間に作品化。 次もはよ書けと言われたら、自分ならどうか。 嬉しいと同時に不安極まりない。 「これでいいの? ねえ教えて」と戸惑うと思う。 歌詞に自分の人生を全部暴露する(孤独感を前面に押し出す)というのは、戦略の一つだったそうだ。 しかし「戦略」だけではない自信のなさがダダ漏れた歌詞は、世紀末の混乱と喧騒の中、彷徨い続けるギャルたちの不安と重なった。 自発的に歌詞を書こうとする人や、熟練のプロにはどうしても出せない「拙さ」も込みで伝わるものがあり、時代がそれを受け入れたといえる。 『ASAYAN』『egg』『Cawaii! それまでJPOP界にはコムロブームが吹き荒れ、バラエティーオーディション番組『ASAYAN』が大人気。 女子高生は存在自体がブランドと化し、雑誌では『egg』『Cawaii!! 』など、プロとはまた違う「読モ」が表紙を飾っていた。 力のある業界人にワンチャンスもらえば、シンデレラストーリーも夢ではない時代。 若さがとてつもない威力を発揮する時代。 これは世紀末の「光」の面である。

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