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【日韓経済戦争】日本の半導体専門家が喝!「韓国は死ぬ気で国産化を図る覚悟があるのか!」ソウル講演が大反響: J

泉谷あいな

80年(32歳)映画「ええじゃないか」に出演。 83年(35歳)ドラマ「金曜日の妻たちへ」に出演。 お金がない人には無料で家を建ててあげていた。 ・母親はお調子者で元気な人だった。 ・兄、弟、妹が2人いる。 ・3歳まで青森に住んでいた。 家の周りは殆ど畑で家の向かいは牛小屋だった。 ・雪が降った日に父親が徹夜で箱そり作ってくれた。 ・3歳の時に小児マヒを患って右足が少し不自由になった。 ・手塚治虫に憧れるマンガ家志望少年だった。 西部劇やアクション物をよく描いていた。 そのシーンの「効果音」を自分で声に出しながら漫画を描いていた。 ・右足が不自由な事をいたわられるよりケンカを売られる方が嬉しかった。 逆に「これで仲間に入れて貰える」と思った。 ・小4の時、坂井恵子さんに初恋。 授業中にずっと見つめた。 放課後に彼女の家が見える橋の欄干で漫画を読んだ。 ・小学校の卒業文集のカットを担当。 ・中2の時、彼女が貸してくれた官能小説に興奮した。 ・中学時代、ギターを始めた。 ・学生時代、団体行動が苦手だった。 ひとりで目黒や渋谷の盛り場をうろついて映画を観た。 ・坊主頭と体育会系ノリが嫌で高校を1週間で自主退学した。 ・高校中退後、画家を目指して代々木のデザインスクールに通った。 ・18歳の頃、「いすみやしげる」のペンエームで投稿したマンガが雑誌に掲載された。 ・ダンスパーティーでギターを弾くまねをするアルバイトをしたのをきっかけに、 本格的にギターをやりはじめてロックバンドを結成した。 スパゲティナポリタン。 ジンギスカン。 天ぷら。 生春巻き。 タコス。 霜降りステーキ。 豚しゃぶ(ブルーチーズを巻いて食べる)。 豚の角煮。 のどぐろの塩焼き。 ブリ大根。 クラゲ。 温野菜。 焼きとうもろこし。 冷やしトマト。 チーズ。 トッポギ(韓国料理)。 コーラ。 ファンタグレープ。 ・嫌いな食べ物…すっぽん鍋。 甲殻類(アレルギー)。 キャビア。 焼きマツタケ。 水ようかん。 ・高級な食べ物に嫌いなモノが多い。 ・酒はほとんど飲めない。 ワインだけは少し飲める。 ・虫歯がない。 ・猫舌。 ・寒さが苦手。 冬が大嫌い。 ・好きな映画…「火垂るの墓」(何度観ても泣ける)。 ・Wii(テレビゲーム)が好き。 60歳の頃にWiiのソフトで測定した肉体年齢は45歳だった。 ・収集…ブリキのおもちゃ。 フィギュア。 ・住んでいる所…東京都世田谷区(元外人の家で庭が広い一戸建て=99. 03現在)。 ・長女夫婦、次女夫婦、孫と同居中(9人家族=10. 02現在)。 ・いきつけ…小料理屋「しのぶ」(中目黒、ハンバーグがおいしい)。 ・古代遺跡が好き。 遺跡発掘のテレビ番組に出演したいと思っている。 ・絵を描く時は音楽をガンガンかけて大騒ぎしてテンションを上げる。 熱中すると3日〜4日徹夜して描き続けてしまう。 描いている最中にいつの間にか肩を脱臼していた事がある。 ・芸能人の冠婚葬祭には滅多に出ない。 お歳暮や年賀状も嫌い。 ・恐竜が好き。 自称「恐竜博士」。 ・金、クルマ、料理、ブランドなに一切興味がない。 ・基本的に新しモノ好き。 ・運転免許を持っていない(=11. 03現在)。 ・絵文字をたくさん使ってメールする。 メール友達がたくさんいる。 ・携帯でブログを書いていると眠たくなる。 ・家に友人を大勢呼んで騒ぐのが好き。 ・正月にイカサマトランプで子供からお年玉を巻き上げた。 ・子供部屋に鍵はつけずに出入り自由で育てた。 ・不良まがいの口を聞いてきた長女を家の外に蹴り出した事があった。 ・恐妻家。 ・結婚当初は妻に経済的に面倒を見て貰っていた。 ・浮気がバレた事が何度かあるらしい。 妻は何度か離婚を考えたらしい。 泉谷が主催した阪神大震災チャリティーコンサートで森高千里と共演、 森高との交際〜入籍を泉谷に逐一報告してきた。 ・岡林信康…友人。 フォークの師匠。 フォークを始めた頃に当時山奥に住んでいた岡林を家族で訪ねて以来のつきあい。 ・近藤真彦…友人。 酔った近藤を介抱した事がある。 ・武田鉄矢…若い頃からの友人。 武田に上京するようにアドバイスした。 新人時代に泉谷の前座をやっていた。 ・高中正義…若い頃からの友人。 ・時任三郎…友人。 飲み友達。 ドラマ「Dr. コトー診療所」で共演。 ・福山雅治…友人。 「オヤジ」と呼んで慕ってくれる。 ・渡部篤郎…友人。 飲み友達。 お互いの自宅に行く。 演技に関してアドバイスする。 渡部がプロデュースした自主映画にノーギャラで出演。 ・森山良子…友人。 フォーク仲間。 吉田拓郎とのとっくみあいのケンカを森山に仲裁された事がある。 ・風吹ジュン…友人。 20代の頃からの仲。 ・RIKACO…友人。 飲み友達。 自宅に遊びに来た事がある。 渡部がプロデュースした自主映画にノーギャラで出演。 ・浦沢直樹(漫画家)、かまやつひろし…友人。 ・伊東美咲…メル友。 方言メールをやりあう。 ドラマ「愛し君へ」で共演。 ・小向美奈子…メル友。 ドラマで共演。 ・真矢みき…メル友。 ・菅原文太…一緒に刑務所に慰問に行った。 ・CHAR…CHARのバックバンドでギターをやっていた。 ・忌野清志郎…ユニットを結成してライブツアー。 ・伊勢正三、井上陽水、忌野清志郎、小田和正、大友康平、さだまさし、 浜田省吾、南こうせつ、吉田拓郎 …スーパーバンドを結成して島原救済のチャリティーコンサートを開催(=94年)。 ・井上陽水、小室等、吉田拓郎…泉谷を含めた4人でフォーライフレコードを設立(=75年)。 ・イジリー岡田…泉谷のモノマネをする。 ・大杉漣、岡本夏生、かとうれいこ、酒井美紀…泉谷のファン。 ・フク子…22歳の時に結婚。 ・子供: 長女。 ・20歳の頃、ヒッピーにかぶれて父親が包んでくれた布団を持って家族に見守られて家出して、 恵比寿公園で寝ていた所を警察に捕まって母親に向かえに来て貰った。 ・寺山修司(故人)の「書を捨てよ、街へ出よう」という言葉に感化された。 ・渋谷のライブ喫茶「青い森」に1ヵ月毎日通って出演させて貰った。 ・当初はロックミュージシャンを目指していた。 預かっていたメンバーの楽器を火事で全焼させてしまったのをきっかけにフォークに転向した。 ・日比谷野外音楽堂のライブに飛び入り参加して「戦争小唄」という超過激な歌を歌った事が デビューのきっかけ(=70年)。 ・アルバム「春夏秋冬」がヒット(=73年)。 ・フォーライフレコードを脱退後、ホサれて仕事がなかったのでアメリカでドラッグを経験した。 ・ドラマ「戦後最大の誘拐・吉展ちゃん事件」に犯人役で出演して芸術祭優秀賞を受賞。 撮影中に演技をさんざんダメだしされて現場から逃走した。 実際の犯行現場で撮影した(殺人現場で子役の首を締めるシーンで本当に怖くなった)。 ・映画「狂い咲きサンダーロード」の音楽、美術を担当(=80年)。 ・雑誌アクションキャラクターに漫画「ニューズミネーター」を連載(=90年)。 ・奥尻島災害救済ライブを開催(=93年)。 入っていた仕事を全部断わって3ヵ月間やった。 ・普賢岳災害救済コンサートを開催(=94年)。 ・阪神大震災の被災地で救済活動をした(=95年)。 ・奥尻島災害救済ライブなどのフォークゲリラ(街頭ライブ)にユネスコが全面協力してくれた。 ・アニメ映画「ジャングル大帝」に声優として出演(=97年)。 ・渋谷のスペイン坂に縦3m横6mの壁画を描いた(=98年)。 ・絵画の個展を開催(=98年)。 ・エイズ撲滅キャンペーンで「俺は生でやるのが好きだ! 」と発言。 ・ノリが悪いと客に向かって「てめえら金返せ! 」と怒鳴る。 ・2階席の客に向かって「そこから飛び降りろ」と言ったら本当に飛び降りた奴がいた。 ・栃木の少年リンチ事件、広島の医療ミス事件、岡山の金属バット母親殺害事件、 三宅島噴火など自ら現場に足を運んで取材した感想を著書「とぎすまされた六感」にまとめた。 ・現場が大好き。 現場を盛り上げる為に率先して声を出して文句を言う。 ・本番ではオレ様キャラだが裏では低姿勢らしい。 ・還暦記念ライブで60曲以上をオールナイトで歌った(=08年)。 ・泉谷しげるコミック展を開催(=10年)。 ・65歳で紅白歌合戦に初出場(=13年)。 本番直前に前歯の差し歯が取れてそのまま歌った。 ・主な著書… 「泉谷しげる詩集1971〜1989」「泉谷しげるの治外法権」「とぎすまされた六感」。 ・ライブで観客席に投げたギターが当って観客の女性が顔面を負傷して緊急搬送(=15年)。 ・駅弁「驛 福島応援弁当」をプロデュース(=18年)。

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マンガサミット|泉谷しげるの動体視力!~楽しいイベントの創り方教えます!~

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輸出規制で世界1の日本企業が営業利益10分の1に 日本の韓国に対する半導体素材・部品の輸出規制は、日本のメーカーにも大打撃を与えている。 「それみたことか」という論調で伝えるのが、朝鮮日報(2019年11月11日付)「フッ化水素世界最大手ステラケミファ、営業利益が10分の1に」だ。 「高純度フッ化水素の世界市場でシェア70%を占める日本企業、ステラケミファは2019年7~9月期の営業利益が前年同期の10分の1にまで激減した。 日本政府が韓国へのフッ化水素輸出を規制したことで、業績が悪化するというブーメラン効果を生んだ格好だ」 ステラケミファは11月8日、7~9月期の売上高が前年同期比21%減の74億600万円、営業利益が88%減の1億4800万円だったと発表した。 9月中間決算も売上高が12%減の171億4000万円、営業利益も54%減の9億9600万円という落ち込みようだ。 ステラケミファは純度が99. 9999999999%を超える超高純度フッ化水素の製造技術を持っており、この分野では世界中で追走できる企業は皆無の状態だ。 例年、フッ化水素生産量の60%を韓国のサムスン電子、SKハイニックスに輸出してきたが、日本政府が輸出規制にあい、韓国に輸出できずにいる。 こうした日本企業の苦境を、小気味よさげに報道する韓国紙が増えている。 また、「国産化に成功した」とする記事も非常に多い。 「韓国はお金にならなくても40年間我慢できるのか」 こんななか、ある日本の半導体専門家がソウルで講演し、メディアや半導体メーカー幹部を前に「韓国には本当に国産化を図る覚悟ができているのか!」と喝を入れたのだった。 中央日報(11月12日付)「『韓国、金にならなくても40年投資する準備できているか』日本人専門家の素材・部品・装備診断」が、こう伝える。 「日本の半導体専門家である産業タイムズ社の泉谷渉代表が11月11日にソウルプレスセンターで『なぜ日本は素材産業が強いのか』を主題に講演した。 彼は『創業100年以上の企業がすぐにお金にならなくても数十年間ひとつの分野にぶらさがったため。 40~50年かかってもよい。 死ぬ覚悟で国産化しなければならない』と話した」 産業タイムズ社(本社・東京都)は1967年創業の国内唯一の電子デバイス業界専門紙だ。 半導体、一般電子部品、フラットパネルディスプレー、プリント配線板、太陽電池、2次電池、各種製造装置や電子材料などもカバー。 電子デバイスの視点から自動車や医療、ロボット、FA、航空・宇宙といった産業分野の動向も詳細に報道。 上海、ソウルにも支局を持っている。 泉谷渉社長は40年近く第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者だ。 日本電子デバイス協会副会長も務めている。 泉谷渉社長の講演会は、韓国半導体ディスプレー技術学会が主催し、報道陣だけでなく、半導体関連学会の研究者、サムスン電子やSKハイニックスなどの半導体メーカー幹部、そして韓国の素材・部品・装備業者関係者が参加した。 日韓経済戦争が勃発して4か月を超え、やっと日本の半導体専門家の冷静な目から見た韓国半導体産業の現況を謙虚に学ぼうという機運がおきたのだった。 中央日報がこう続ける。 「泉谷代表講演に先立ち、自身を『親韓派中の親韓派』と紹介した。 (そして明治維新から国産化の動きを説き起こした)19世紀末に日本の明治政府は欧州と米国に遅れを取った産業の復興に向け素材・部品・装備の国産化を掲げた。 150年過ぎた21世紀初めに、韓国は日本の輸出規制に対抗し素材・部品・装備の国産化を国家的課題として推進している。 日本は明治政府の時から政府が品目ごとに40~50年かかってもよいから死ぬ覚悟で国産化しなければならないと推し進めた。 韓国の国産化戦略を十分に理解する、と話し始めた」 ノーベル化学賞・吉野氏の研究中、旭化成は金を稼がなかった 泉谷氏は「韓国の気持ちはよくわかる」というのだった。 しかし、彼は日本の素材産業が強い理由を説明しながら、あちこちで韓国の国産化に対する批判的な見方を遠慮なく示した。 まず彼が挙げた日本が素材に強い最初の理由は、100~300年になる日本の素材・部品・装備企業の歴史だった。 たとえば、半導体リードフレーム素材分野で世界1位である住友金属鉱山は江戸時代中期の1590年に設立されてから420年も銅精錬と細工一筋にやってきた。 また、半導体用多結晶シリコン分野の世界シェア30%で1位のトクヤマが設立されたのも1918年。 日本には創業100年以上の企業だけで3万社に達すると強調した。 日本の輸出規制品目であるフォトレジストを作るJSRは1957年設立、信越化学工業は1926年設立で、それぞれ60年と90年を超える歴史を持っている。 中央日報がさらにこう続ける。 「彼が挙げた2番目の理由は、与えられた仕事を黙々と遂行する日本の和の精神だ。 泉谷代表は『東レの炭素繊維がお金になり始めたのは投資して41年目から。 企業は収益がなくても40年間粘り強く投資し、開発者は匠の精神で武装したままひとつの井戸だけ掘った』と語った。 東レの炭素繊維は次世代航空機だけでなく自動車などに用途が拡大しており、いまや東レは最強者だ」 「彼はまた、今年ノーベル化学賞を受賞した旭化成の吉野彰名誉フェローのことも語った。 吉野彰氏は1972年から47年間研究一筋だったが、旭化成が彼の研究で金を稼いだという話は聞いたことがないという」 かといって、「日本企業は停滞している組織では絶対ない」と、泉谷氏は強調するのだった。 中央日報が続ける。 「日清戦争当時に無線通信を提供する企業として出発した東芝の場合、144年の間に電話機、火力・水力発電、家電、ノートパソコン、メモリーへと事業を変えていき世界1位になった。 東芝は15~20年単位で既存の主力事業と人材を捨て、新たな事業を探して全社的努力を注いで1位になった日本企業の革新事例の1つだと泉谷氏は話した」 日本と韓国の争いで中国が漁夫の利 そして、「韓国にこうした長期間お金にならなくても、国産化を目指す覚悟があるのか」と問いかけたのだ。 では、今回の日韓経済戦争の解決にあたり、どうすればよいのか。 泉谷氏は記者団の質問にも答えて、こう提案した。 「泉谷代表は『半導体が韓国経済で占める地位を見れば、韓国政府が素材・部品・装備国産化を推進するのは当然だと考える。 サムスンが日本から輸入する素材・部品・装備だけで年間約2兆円になる。 韓国の半導体がうまくいけば日本に対する貿易赤字がさらに大きくなるため、韓国民の自尊心を考えれば国産化政策は十分に理解できる』とした」 「だが、泉谷代表は『国産化するなら品目をしっかり選定しなければならない。 たとえば、7ナノメートル(10億分の1メートル)以下の半導体を作るEUV用フォトレジストは、2年以内に国産化しても工程別、装備別の最適化にさらに3~5年かかる。 結局サムスンやSKのEUV工程競争力そのものが落ちるだろう。 個人的な考えだが、政治家らはこれを知らないようだ。 無条件で国産化したところで日本企業はその時間にさらに遠くを走っているだろう』と語った」 その間、中国の国家を挙げた「原価引き下げ競争」に韓国は大打撃を受ける。 それより、「日本は素材・部品・装備に強いが、韓国は怒らずに得意なデバイスにもっと投資すればよい。 (現在、日本の輸出規制が続いているが)韓国は日本の素材・部品・装備企業の韓国誘致を強化して不確実性を減らしていかなければならない」と具体的な提案をしたのだった。 つまり、日本の素材・部品・装備企業を韓国が誘致すれば、日本政府の規制を受けなくてすむというのだ。 泉谷代表は講演を「韓国であれ日本であれ、中国の台頭、米中貿易紛争による中国市場の沈滞に備えなければならない。 韓国と日本が争っている時ではない」と、強調したのだった。 (福田和郎).

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【日韓経済戦争】日本の半導体専門家が喝!「韓国は死ぬ気で国産化を図る覚悟があるのか!」ソウル講演が大反響: J

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80年(32歳)映画「ええじゃないか」に出演。 83年(35歳)ドラマ「金曜日の妻たちへ」に出演。 お金がない人には無料で家を建ててあげていた。 ・母親はお調子者で元気な人だった。 ・兄、弟、妹が2人いる。 ・3歳まで青森に住んでいた。 家の周りは殆ど畑で家の向かいは牛小屋だった。 ・雪が降った日に父親が徹夜で箱そり作ってくれた。 ・3歳の時に小児マヒを患って右足が少し不自由になった。 ・手塚治虫に憧れるマンガ家志望少年だった。 西部劇やアクション物をよく描いていた。 そのシーンの「効果音」を自分で声に出しながら漫画を描いていた。 ・右足が不自由な事をいたわられるよりケンカを売られる方が嬉しかった。 逆に「これで仲間に入れて貰える」と思った。 ・小4の時、坂井恵子さんに初恋。 授業中にずっと見つめた。 放課後に彼女の家が見える橋の欄干で漫画を読んだ。 ・小学校の卒業文集のカットを担当。 ・中2の時、彼女が貸してくれた官能小説に興奮した。 ・中学時代、ギターを始めた。 ・学生時代、団体行動が苦手だった。 ひとりで目黒や渋谷の盛り場をうろついて映画を観た。 ・坊主頭と体育会系ノリが嫌で高校を1週間で自主退学した。 ・高校中退後、画家を目指して代々木のデザインスクールに通った。 ・18歳の頃、「いすみやしげる」のペンエームで投稿したマンガが雑誌に掲載された。 ・ダンスパーティーでギターを弾くまねをするアルバイトをしたのをきっかけに、 本格的にギターをやりはじめてロックバンドを結成した。 スパゲティナポリタン。 ジンギスカン。 天ぷら。 生春巻き。 タコス。 霜降りステーキ。 豚しゃぶ(ブルーチーズを巻いて食べる)。 豚の角煮。 のどぐろの塩焼き。 ブリ大根。 クラゲ。 温野菜。 焼きとうもろこし。 冷やしトマト。 チーズ。 トッポギ(韓国料理)。 コーラ。 ファンタグレープ。 ・嫌いな食べ物…すっぽん鍋。 甲殻類(アレルギー)。 キャビア。 焼きマツタケ。 水ようかん。 ・高級な食べ物に嫌いなモノが多い。 ・酒はほとんど飲めない。 ワインだけは少し飲める。 ・虫歯がない。 ・猫舌。 ・寒さが苦手。 冬が大嫌い。 ・好きな映画…「火垂るの墓」(何度観ても泣ける)。 ・Wii(テレビゲーム)が好き。 60歳の頃にWiiのソフトで測定した肉体年齢は45歳だった。 ・収集…ブリキのおもちゃ。 フィギュア。 ・住んでいる所…東京都世田谷区(元外人の家で庭が広い一戸建て=99. 03現在)。 ・長女夫婦、次女夫婦、孫と同居中(9人家族=10. 02現在)。 ・いきつけ…小料理屋「しのぶ」(中目黒、ハンバーグがおいしい)。 ・古代遺跡が好き。 遺跡発掘のテレビ番組に出演したいと思っている。 ・絵を描く時は音楽をガンガンかけて大騒ぎしてテンションを上げる。 熱中すると3日〜4日徹夜して描き続けてしまう。 描いている最中にいつの間にか肩を脱臼していた事がある。 ・芸能人の冠婚葬祭には滅多に出ない。 お歳暮や年賀状も嫌い。 ・恐竜が好き。 自称「恐竜博士」。 ・金、クルマ、料理、ブランドなに一切興味がない。 ・基本的に新しモノ好き。 ・運転免許を持っていない(=11. 03現在)。 ・絵文字をたくさん使ってメールする。 メール友達がたくさんいる。 ・携帯でブログを書いていると眠たくなる。 ・家に友人を大勢呼んで騒ぐのが好き。 ・正月にイカサマトランプで子供からお年玉を巻き上げた。 ・子供部屋に鍵はつけずに出入り自由で育てた。 ・不良まがいの口を聞いてきた長女を家の外に蹴り出した事があった。 ・恐妻家。 ・結婚当初は妻に経済的に面倒を見て貰っていた。 ・浮気がバレた事が何度かあるらしい。 妻は何度か離婚を考えたらしい。 泉谷が主催した阪神大震災チャリティーコンサートで森高千里と共演、 森高との交際〜入籍を泉谷に逐一報告してきた。 ・岡林信康…友人。 フォークの師匠。 フォークを始めた頃に当時山奥に住んでいた岡林を家族で訪ねて以来のつきあい。 ・近藤真彦…友人。 酔った近藤を介抱した事がある。 ・武田鉄矢…若い頃からの友人。 武田に上京するようにアドバイスした。 新人時代に泉谷の前座をやっていた。 ・高中正義…若い頃からの友人。 ・時任三郎…友人。 飲み友達。 ドラマ「Dr. コトー診療所」で共演。 ・福山雅治…友人。 「オヤジ」と呼んで慕ってくれる。 ・渡部篤郎…友人。 飲み友達。 お互いの自宅に行く。 演技に関してアドバイスする。 渡部がプロデュースした自主映画にノーギャラで出演。 ・森山良子…友人。 フォーク仲間。 吉田拓郎とのとっくみあいのケンカを森山に仲裁された事がある。 ・風吹ジュン…友人。 20代の頃からの仲。 ・RIKACO…友人。 飲み友達。 自宅に遊びに来た事がある。 渡部がプロデュースした自主映画にノーギャラで出演。 ・浦沢直樹(漫画家)、かまやつひろし…友人。 ・伊東美咲…メル友。 方言メールをやりあう。 ドラマ「愛し君へ」で共演。 ・小向美奈子…メル友。 ドラマで共演。 ・真矢みき…メル友。 ・菅原文太…一緒に刑務所に慰問に行った。 ・CHAR…CHARのバックバンドでギターをやっていた。 ・忌野清志郎…ユニットを結成してライブツアー。 ・伊勢正三、井上陽水、忌野清志郎、小田和正、大友康平、さだまさし、 浜田省吾、南こうせつ、吉田拓郎 …スーパーバンドを結成して島原救済のチャリティーコンサートを開催(=94年)。 ・井上陽水、小室等、吉田拓郎…泉谷を含めた4人でフォーライフレコードを設立(=75年)。 ・イジリー岡田…泉谷のモノマネをする。 ・大杉漣、岡本夏生、かとうれいこ、酒井美紀…泉谷のファン。 ・フク子…22歳の時に結婚。 ・子供: 長女。 ・20歳の頃、ヒッピーにかぶれて父親が包んでくれた布団を持って家族に見守られて家出して、 恵比寿公園で寝ていた所を警察に捕まって母親に向かえに来て貰った。 ・寺山修司(故人)の「書を捨てよ、街へ出よう」という言葉に感化された。 ・渋谷のライブ喫茶「青い森」に1ヵ月毎日通って出演させて貰った。 ・当初はロックミュージシャンを目指していた。 預かっていたメンバーの楽器を火事で全焼させてしまったのをきっかけにフォークに転向した。 ・日比谷野外音楽堂のライブに飛び入り参加して「戦争小唄」という超過激な歌を歌った事が デビューのきっかけ(=70年)。 ・アルバム「春夏秋冬」がヒット(=73年)。 ・フォーライフレコードを脱退後、ホサれて仕事がなかったのでアメリカでドラッグを経験した。 ・ドラマ「戦後最大の誘拐・吉展ちゃん事件」に犯人役で出演して芸術祭優秀賞を受賞。 撮影中に演技をさんざんダメだしされて現場から逃走した。 実際の犯行現場で撮影した(殺人現場で子役の首を締めるシーンで本当に怖くなった)。 ・映画「狂い咲きサンダーロード」の音楽、美術を担当(=80年)。 ・雑誌アクションキャラクターに漫画「ニューズミネーター」を連載(=90年)。 ・奥尻島災害救済ライブを開催(=93年)。 入っていた仕事を全部断わって3ヵ月間やった。 ・普賢岳災害救済コンサートを開催(=94年)。 ・阪神大震災の被災地で救済活動をした(=95年)。 ・奥尻島災害救済ライブなどのフォークゲリラ(街頭ライブ)にユネスコが全面協力してくれた。 ・アニメ映画「ジャングル大帝」に声優として出演(=97年)。 ・渋谷のスペイン坂に縦3m横6mの壁画を描いた(=98年)。 ・絵画の個展を開催(=98年)。 ・エイズ撲滅キャンペーンで「俺は生でやるのが好きだ! 」と発言。 ・ノリが悪いと客に向かって「てめえら金返せ! 」と怒鳴る。 ・2階席の客に向かって「そこから飛び降りろ」と言ったら本当に飛び降りた奴がいた。 ・栃木の少年リンチ事件、広島の医療ミス事件、岡山の金属バット母親殺害事件、 三宅島噴火など自ら現場に足を運んで取材した感想を著書「とぎすまされた六感」にまとめた。 ・現場が大好き。 現場を盛り上げる為に率先して声を出して文句を言う。 ・本番ではオレ様キャラだが裏では低姿勢らしい。 ・還暦記念ライブで60曲以上をオールナイトで歌った(=08年)。 ・泉谷しげるコミック展を開催(=10年)。 ・65歳で紅白歌合戦に初出場(=13年)。 本番直前に前歯の差し歯が取れてそのまま歌った。 ・主な著書… 「泉谷しげる詩集1971〜1989」「泉谷しげるの治外法権」「とぎすまされた六感」。 ・ライブで観客席に投げたギターが当って観客の女性が顔面を負傷して緊急搬送(=15年)。 ・駅弁「驛 福島応援弁当」をプロデュース(=18年)。

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