ジン 横丁。 中野ジンガロ横丁?中野ブロードウェイにある呑み屋街のようなオフィス?【o】

「ジン横丁」に描かれた18世紀のイギリスに、今の日本があまりにも似てきていてヤバいんじゃないかという件。

ジン 横丁

作家・ドイツ文学者の中野京子によるベストセラー「怖い絵」の刊行10周年を記念した特別展「怖い絵」展が、兵庫県立美術館で2017年7月22日(土)~9月18日(月・祝)まで、上野の森美術館で2017年10月7日(土)~12月17日(日)まで開催されます。 視覚的な怖さだけでなく、「この絵がなぜ怖いのか」という隠された背景を知ることで分かる恐怖を紐解いていく、今までになかった斬新な展覧会となっています。 2007年にシリーズ1作目が刊行された同書は、「恐怖」をキーワードに据えて西洋美術史に登場する名画の魅力を紹介しており、その絵の時代背景や隠された物語という知識をもとに読み解く美術書としてベストセラーを記録し、シリーズ化されて多方面で大きな反響を呼びました。 これまでとは違う視点で、名画に隠された「恐怖」を読み解きます。 また、著書でも紹介された、ロンドン・ナショナル・ギャラリーを代表する名画、ポール・ドラローシュの「レディ・ジェーン・グレイの処刑」も日本初公開。 5m、横3mにもおよぶ大作を間近で鑑賞できる絶好の機会となっています。 Bequeathed by the Second Lord Cheylesmore, 1902 ロンドン・ナショナル・ギャラリーの代表作品「レディ・ジェーン・グレイの処刑」が、本展のために初来日します。 ヘンリー8世の姪の娘として生まれたばかりに政争に巻き込まれ、望みもしない王冠を被せられたあげく、わずか16歳で死なねばならなかった、悲運の女王・ジェーン・グレイ。 「9日間の女王」とも呼ばれる彼女が、今まさに処刑されようとしている風景が、この絵に描かれています。 手探りしている首置台に触れれば、彼女は司祭の助けをかりてそばに身を横たえ、処刑人の大きな斧の一撃を受けるのです。 下に敷かれた藁は、夥しい血を吸いとるためのもので、首がころがる様をも想像させます。 残酷な運命を前に、怯えるでなく怒るでなく、周りの悲嘆にも動揺するでなく、覚悟を決めて従容と死につこうとしている少女。 その儚い一輪の白い花のごとき姿、散る寸前の匂いたつ美しさ、清楚な魅力が光る1枚です。 キルケーは、近づく男たちを歓待すると見せかけて、魔術で動物に変えてしまう恐るべき魔女。 ここでは、薄衣をまとって玉座に座り、右手の杯を高々と掲げる傲岸な姿で描かれています。 そして、魔女キルケーの背後の大きな鏡に描かれているのは、部下たちを探しに来たオデュッセウス。 部下は、キルケーの美貌に惑わされ、勧められるまま薬草を煎じた魔酒を飲んで豚に変えられ、周囲に転がっています。 面白いことに、オデュッセウスとキルケーはこの出会い後たちまち恋に落ち、1年以上も共に暮らし、別れに際してキルケーは、この先の航海で待ち受けるセイレーンから身を守るためには、彼女たちの歌声を聞かないよう蜜蝋で耳栓をすべし、と忠告したと言われています。 半人半鳥または半人半魚の姿で、美声によって船乗りたちを惑乱させ、船を沈めたと言われる海の魔女セイレーン。 マストに縛りつけられた古代ギリシャの英雄オデュッセウスは、彼だけ蜜蝋の耳栓をしていなかったため、セイレーンの歌声を聞いて狂乱し、海へ飛びこもうと身をよじっています。 ドレイパーが描くセイレーンは、当時のイギリス人が理想とする若い美女そのもの。 彼女らの下半身は海中では魚なのに、船べりによじのぼる時には白いエロティックな脚となり、腰には海藻が巻きついています。 さらに船内へ入ると藻は布へと変わり、あたかもファム・ファタール(男を破滅させる運命の女)の正体は、人間ならざる異界のものだと言っているかのようです。 Photo L. Gauthier こちらの作品は、ジェリコーによるフランス・ロマン主義絵画の記念碑的作品(ルーヴル美術館蔵)の模写にあたります。 メデューズ号事件は、フランス王政復古期に起こった、無能な貴族艦長による弱者切り捨ての大スキャンダル。 ナポレオン戦争が終結し、西アフリカの植民地セネガルがイギリスからフランスへと返還されることが決まり、海軍のフリゲート艦メデューズ号は3隻の船舶とともに同地に派遣されました。 しかし、メデューズ号は早々に、ほかの船舶とはぐれ座礁。 400人の乗員に対して救命ボートは250人分しかなく、残りの150人は急ごしらえの筏に乗せられてしまいます。 始めは、ボートにひかれていましたが、反乱の恐れありとロープを切り離され大西洋へと放り出されます。 わずかの水と食料だけで筏に放置された約150人の乗員たちは、炎天下のアフリカ海域を13日間も漂流し、最終的にサバイバルできたのは、10人弱と言われています。 政府は事件を揉み消そうとしましたが、ジェリコーの傑作がそれを許しませんでした。 作品は模写され、版画になり、ヨーロッパ中に衝撃を与えたのです。 そのダイナミックな構図とドラマティックな表現法は、現代のハリウッド映画にまで影響を与え続けています。 今ではカクテルベースとしてのジンが身近ですが、絵の中の人々はストレートで飲んでいます。 イギリス国内では、ジンは原料も安く、税もかからず安く手に入れられましたが、牛乳やお茶、そしてビールは高く、貧民街に住む人々はジンを飲むしかありませんでした。 いつしか街の中では、子どもまでもが安酒のジンを飲み、地獄さながらの様相が繰り広げられていたのです。 その模様がこの作品の中から読み取れます。 しかしながら、当時のジンは安かろう悪かろうの粗悪品で大勢の健康をそこね、廃人を産み、犯罪も激増。 作者のホガースは、反ジン・キャンペーンとしてこの作品を制作しました。 対になったもう1枚では豊かなビール街が称えられています。 そのため、絶世の美女クレオパトラも、歴史画としてこぞって取り上げられました。 紀元前1世紀のエジプト女王クレオパトラは、弟から王位を追われた後、ローマのシーザー(カエサル)を籠絡し、その愛人となり、王位を奪還。 シーザーが暗殺されると今度は次の権力者アントニウスと結婚しましたが、彼の失脚とともに命運尽きて自殺してしまいます。 自殺の手段は、アスプコブラ(別名エジプトコブラ)に噛ませてのものだったと伝えられています。 本作でも、その伝承にのっとり、ベッドのシーツに茶色い蛇がのたくるように這っています。 神経性の猛毒なので、クレオパトラの身体はぐったり弛緩し、眠るかのようです。 そして、それこそが、彼女がアスプコブラを選んだ理由でした。 激しい政争の時代、幾度も命の危機にさらされてきたクレオパトラは、生きたまま敵の手に落ちることだけは避けたい、見苦しくなく美しいまま死にたいと、早い段階から毒蛇を飼っていました。 エキゾチックなエジプト風の舞台背景の中、敵から辱めを受ける恥辱を避けるために誇り高く自害する姿としてではなく、妖艶な美女としての官能的な姿が描かれています。 各章の内容をご紹介! 1. 神話と聖書 神話や宗教は、本質的に人間には抗うことのできない超越的な力や摂理を抽出するもの。 ギリシャ・ローマ神話や聖書で語られる物語は、必ずしも幸福なものばかりではなく、人間に苦難を強いたり、悲劇的な結末を迎えるものも少なくありません。 この章では、神の意志や気まぐれに翻弄される人間の悲喜劇を描いた絵画を紹介します。 悪魔、地獄、怪物 ヨーロッパのキリスト教世界では、人間を堕落させ悪の道へと誘う者として悪魔という存在が長きに亘って想像されており、人間が生前犯した罪の報いを受ける死後の世界として、地獄のイメージが伝統的に培われてきました。 「悪魔、地獄、怪物」の章では、近代にまで命脈を保った悪魔や地獄のイメージや、それに近接する怪物の主題を描いた作品を取り上げます。 異界と幻視 人は、自らの日常生活の外にそれとは違う論理に支配された異界というべき空間を想像してきました。 また、とりわけロマン主義以降の美術では、異界が時として日常生活の狭間や我々自身の内面に発生する様子を幻視するかのような作品が数多く生み出されました。 本章では、私たちの住む世界の自明性を脅かす様々な異界の表現を紹介します。 現実 様々な恐怖と苦悩に満ち満ちている現実世界。 なかでも最大にして最も普遍的な恐怖は死と言えるでしょう。 死は、それに近接する老いや病気、あるいは犯罪や戦争などの死を発生させる事象とともに、画家たちにとって重要な主題でした。 また現実の世界には、一見無害に見える社会的な習俗にも様々な悪弊や不条理が潜んでいます。 この章では、死の場面を中心に、現実の中に存在するいくつもの闇を描いた絵画に焦点を当てます。 崇高の風景 18世紀から19世紀にかけてのロマン主義時代、風景画は新たな発展を遂げていきました。 歴史画の背景として発達した理想的風景や特定の場所のありのままの姿を描写する地誌的風景に加え、なんらかの感情や気分を暗示的に表現する主情的・主観的な風景画が生み出されました。 本章では、「崇高」の美学を反映した作例を取り上げ、その背後に隠された不安や恐怖の感情を読み解きます。 歴史 人間の歴史は、激しい権力闘争の歴史でもあります。 ヨーロッパにおいてもそれは例外ではなく、一度は栄華を誇った者であっても、ひとたび争いに敗れてしまえば無慈悲な運命が待ち受けていました。 本章では、歴史を彩る悲劇的なエピソードや運命に翻弄された人々の姿を描いた作品を特集します。 展覧会の注目ポイント! テーマは「恐怖」!これまでにない切り口で楽しめる 「恐怖」をテーマに、視覚的な怖さだけでなく、隠された背景を知ることで判明する恐怖まで、約80点の西洋絵画・版画が登場。 その怖さを読み解くヒントとともに絵画をじっくりと鑑賞できます。 さらに、ターナー、モロー、セザンヌなど、ヨーロッパ近代絵画の巨匠による"怖い"作品も楽しめます。 ロンドン・ナショナル・ギャラリーの至宝「レディ・ジェーン・グレイの処刑」が奇跡の初来日! 本展最大の注目作は、縦2. 5m、横3mにもおよぶ、ポール・ドラローシュの大作「レディ・ジェーン・グレイの処刑」。 「9日間の女王」として知られ、16歳にて散った、イングランド史上初の女王の最期を、繊細な筆致と緻密な構成で描いた本作は、まさに圧巻の一言ですよ。 1928年のテムズ川の大洪水により失われたと考えられていましたが、1973年の調査で奇跡的に発見された本作は、1975年の一般公開再開以来、瞬く間にナショナル・ギャラリーの代表作品となった、奇跡の作品。 アートファンの方は必見です。 ベストセラー「怖い絵」シリーズ著者・中野京子氏が特別監修! 本展の特別監修は、「怖い絵」シリーズの著者・中野京子氏。 また、ポール・ドラローシュの「レディ・ジェーン・グレイの処刑」のほか、ハーバート・ジェイムズ・ドレイパーの「オデュッセウスとセイレーン」や、ウィリアム・ホガースの『ビール街とジン横丁』より「ジン横丁」など、「怖い絵」シリーズで紹介された作品も展示します。 その介護者1名は無料。 問い合わせ:03-3833-4191(上野の森美術館 全日10:00~17:00) 公式サイト: 「怖い絵」展 特別サイト:• おすすめキーワード• その他• ただし、比較する料金は世の中で誰でも確認できる一般公開したプランのみが対象となります。 copyright c All rights reserved ASOVIEW Inc.

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【ぶら美】ホガースが描いた《ジン横丁》と《ビール街》【怖い絵展④】

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ホガースのジン横丁 この絵、ご覧になったことはありますか? 高校の世界史の本などではよく見られるので、見たことはあるなという方もあるかもしれませんね。 作品のタイトルは「ジン横丁 Gin Lane」、作者はウイリアム・ホガース William Hogarthです。 18世紀の半ばから始まった産業革命によって、大英帝国は華やかな繁栄の時代を迎えましたが、その一方で格差と貧困、そして都市への人口集中、それにともなう劣悪な都市環境の悪化が社会問題となっていました。 そうしたなかで描かれたのがこの絵です。 実は、この絵はもともと「ビール通りとジン横丁 Beer Street and Gin Lane」という2枚組の版画なのですが、ビールを善、ジンを悪として描いています。 その悪の方であるこの絵を見てみると、かなりすさんだ状況がみてとれます。 画面中央の酔って子どもを落としてしまう母親も強烈ですが、画面右上には首つりの死体、画面奥には棺桶と死体といったおどろおどろしいものが描かれています。 これが、すべてジンを飲むことによる結果だというわけです。 産業革命によって広がった格差により、大人はもちろんのこと、劣悪な労働環境で幼い子どもや女性も働かされるようになりました。 そのストレスのはけ口を、人々はお酒に求めたのです。 男性は仕事帰りにパブに入り浸り、貧しい家計をさらに圧迫。 また、「ジン横丁」右中央に描かれているように、女性の中にはむずかる子供にジンを与えて眠らせるなどいった虐待を行うケースもありました。 このようなアルコールの過剰摂取による弊害は、劣悪な都市環境や労働条件とともに社会問題と認識されるようになり、イギリス議会は、労働者階級の犯罪や窮乏の主要因は「飲酒」にあると位置づけます。 そこで、始まったのが「禁酒運動 tee'total 」です。 ティートータルとは 「 tee'」は、「絶対に」という強調を示す言葉で、発音はお茶の teaに似ています。 ここから、「絶対に」の「 tee'」に「お茶」の「 tea」をかけて、「アルコールの代わりに、お茶を」というスローガンのもと、全英規模で禁酒運動が展開されることとなりました。 つまり、お酒ではなくお茶を飲みましょう、という運動です。 まず、1830年に「禁酒協会」が設立されます。 そしてその3年後、同会の主催でクリスマスにティーパーティーが開かれました。 このティーパーティーは、1200人もの人々が参加するという大変な盛況ぶりであったといいます。 その後、1839年には16歳以下の子供にビール以外のアルコールを禁じる法律が成立し、パブの営業時間は制限されるようになりました。 さらに禁酒協会は、アルコールが家庭に及ぼす悪影響を意識させ、幸せな家庭とはどのようなものなのかを労働者階級にもイメージさせるために、ヴィクトリア女王夫妻をモデルとします。 大英帝国繁栄の中心にあったヴィクトリア女王ですが、女王夫妻は、王室には珍しく恋愛結婚で結ばれていました。 しかも女王は、公務を執りながらも、多くの子どもたちを出産して、育児を行っていました。 仕事と子育ての両立を成し遂げていたわけですから、まさに理想の家族像だったわけです。 そうした一家の肖像画が公開され、「幸せな家庭」のイメージが定着、協会は女王に後援会長を依頼し、女王もこれを快諾したといいます。 労働環境の改善 19世紀半ばに始まった禁酒運動は、順調に成果をあげていきました。 これは、「禁酒」を目的としている人ならば身分を問わず、誰でも仲間になれるというオープンな運動だったことが効を奏したようです。 休憩時間に、お茶を飲むと作業効率が上がるといった報告もなされ、無料のお茶を準備する雇用主も現れました。 全英規模で展開された禁酒運動は、その他の方面でも良い成果をあげていきます。 まず、政府は、労働環境の向上のため、児童の酷使や長時間労働の規制、最低賃金の値上げ、食品の物価抑制といった労働者を保護する政策を打ち出しました。 失業率も順調に減少、男性の雇用が安定したことにより、子育て期間中の女性が外で働かなくても良い環境も整ってきます。 また政府は、公園、図書館、博物館といった公共施設の設置をすすめ、お金をかけなくても楽しめるような社会資本の充実をはかっていきました。 第一回万国博覧会 その頂点に立つのが、1851年に開催された世界初の万国博覧会です。 当初の目的は、イギリスの進んだ工業力や技術力を海外に誇示するために企画されたものですが、国民にとっては一大イベントととして迎えられました。 5ヶ月の期間中入場者数は、なんと600万人という記録が残っていますので、その熱狂ぶりがよくわかりますね。 これは、入場料が安く設定されていたために誰でもが気軽に訪れることができたことが一つの要因でした。 万博終了後は、展示品の多くがイギリス政府に寄贈され、政府は万博の収益金で博物館を設置、万博終了後も展示物を見学できるようにしました。 この「産業博物館」は、入場無料で、しかも夜まで開館する日も設けられていたために、仕事帰りの労働者も見学しやすいような環境が整えられていました。 この「産業博物館」は、現在の「」に引き継がれており、当時話題になったティーウェアのメーカーの名品なども見ることができます。 政府はこれにとどまらず、科学館や自然史博物館といった公共施設をさらに充実させます。 こうして、アルコール以外のものに人々の関心を向けることにより、アルコールに依存する人たちも少なくなっていきました。 やがて、子どもにはアルコールを与えてはならないという法律も成立、子どもの健全な生活基盤の確立が図られるようになったのも、禁酒運動の成果といわれます。

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名画の隠された恐怖を読み解こう!「怖い絵」展が兵庫&東京で開催

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久しぶりに中野ブロードウェイに行った時のことだ。 歩いてお店を見て回っていると古めかしいの飲屋街を見つけた。 こんなところあったけな?そんなことを思いながら近づいてみると、なんとそれは飲屋街ではなく。。。 中野ジンガロ横丁、飲屋街のようなオフィス? 中野ブロードウェイとは東京の中野にある、 サブカルの聖地として知られる商業複合ビルだ。 昭和感を漂わす、レトロな雰囲気が良い場所だ。 懐かしのフィギアや昔の映画のポスター、古本屋、ちょっと怪しいアートなど。 懐かしさと怪しがある場所だ。 まんだらけなどが有名だ。 実は古くからあり、1966年に開業した。 現在のようなサブカルの発信地になったのはバブル崩壊後だという。 そんな場所に レトロな呑み屋街があると思ったら?? 飲屋街と思ったら? 何を買うわけでもなく、歩くだけでも楽しいというのがこの中野ブロードウェイだ。 そして久しぶりにこの場所に行った時、変な場所を見つけたのだ。 元からレトロな雰囲気はあるが、その中でも古めかしい雰囲気の呑み屋街を見けたのだ。 その名も 「中野シンガロ横丁」。 こんな場所あったけ?と疑問に思いながらも魅力を感じ、入ろうと思った。 249• 378• 398• 273•

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