同人誌 昭和道。 まんが編集道《昭和の時代からマンガの現場に居続けて》

【山さ行がねが】道路レポート 束松峠 「昭和新道」

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束松 (たばねまつ)峠は、会津地方(福島県)と越後地方(新潟県)を結ぶ越後街道(会津街道)の由緒正しい峠道で、海抜は465m。 会津盆地の西隅に位し、古くから政治、文化、生活、軍事に関わるあらゆる交通が往来した。 現在も峠のほぼ真下を磐越自動車道の束松トンネルが貫き、クルマの流れは絶えない。 少なくとも、車が通れるような道は。 自動車専用道路である磐越自動車道の在来線は国道49号で、束松トンネルの約1km南をやはり峠で越えている。 この峠は「藤峠」という名で呼ばれ、明治16年に開通した「会津三方道路」に起源を持つ。 会津三方道を造らせたのはオブローダーなら誰でも知ってる、かの 三島通庸 (みしまみちつね)。 (明治期の藤峠はを参照のこと) 束松峠は、藤峠が開削されたために越後街道としての要職を追われ、以来百余年のあいだ細々と残されてきた旧代の峠道である。 故に、車道改良も成されず今日に至る。 実は昭和末頃に申し訳程度の県道指定(一般県道341号「 別舟渡 (わかれ・ふなと)線」)の指定を受けているが、「自動車交通不能区間」の万年在籍者だ。 全長百三十間(約230m)の 束松洞門(束松隧道)は、明治17年から27年まで10年をかけて、峠の麓にある束松・ 片門 (かたかど)村の人々が、ほとんど独力で掘り抜いたもので、明治期の道路隧道として希有な例である。 この隧道は現存しており、崩壊著しい内部には村人達の未熟と苦心惨憺が、複数の「洞内分岐」(…誤った掘削痕)として残されている。 この隧道を含む約5kmの 明治新道は、藤峠に負けぬ馬車通行の可能な道として切りひらかれたが、完成後も長らく無冠であった。 明治・大正・昭和初期まで繰り返し陳情された県道指定がようやく実現した昭和62年には、もう全てが終わっていた。 残ったのは、車の通れぬ県道と、崩れた隧道だけだった。 これまで、完全に踏破したという報告が無い昭和新道は、果たしてどんな道なのか。 そもそもそれは本当に、名前の通りの 昭和の新道なのか? まずは、この道がなぜ「昭和新道」と通称されるようになったのかを明かさねばなるまい。 発端は、おそらく管理人TUKA氏だ。 まずは、「昭和新道」が最新の2. 5万分の1地形図にどのように表示されているかだが、右図の赤い矢印で示したのがそれだ。 しかも、「全体的に車道っぽい線形」で描かれている気もする。 「ありそう」と思わせる何かがある。 氏から借りてきた画像にちょっと手を入れたのが右。 元の画像は最新ではない…おそらく数年ほど前の2.5万分の1地形図(『うぉっちず』)だが、「束松峠」の注記の位置に注目していただきたい。 明らかに、その注記は「昭和新道」に対して示されているではないか。 現在も歴史の道として歩くことが出来る「越後街道」(峠を唯一藪漕ぎせず越えられる道)の峠には何ら表記はない。 おそらく利用者からクレームがあって国土地理院が訂正したのであろうが、ともかくこの峠名表記の旧位置は、昭和新道に対する氏の興味の発端となった。 なお、現在市販の多くの道路地図や、例えば冒頭でリンクを貼ったマピオンなども、未だこの旧表記位置を引きずっている。 (…『スーパーマップルデジタル8』より) だが、これだけでは単に地図の表記ミスという線も考えられる。 まだ、「昭和新道」という名前を連想させるものには出会っていない。 氏を真に開眼させたのは、氏がその活動の軸足として愛用する『歴史の道調査報告書』の表記だった。 昭和四十八年修正測量の二万五千分の一地形図を資料とした五万分の一地形図で、束松峠の注記がある所は、 戦後開設の新しい峠である。 『福島県教育委員会編 歴史の道調査報告書 越後街道』より ここから「昭和新道」という呼称が出て来たことは、想像に難くない。 歴史のプロ達もまた、束松峠を調査する上で「峠名表記の位置」に注目し、これについて「戦後開設の新しい峠」という調べをしていたのだ。 こうなってくると、もっと踏み込んだ情報が当然欲しくなってくる。 氏はその後何度か現地に赴き、昭和新道の正体を探る探索を行った。 その成果が数編のレポートに纏められている。 その中で、 「昭和新道の正体は天屋林道なのではないか」という、おそらく核心を突く発見をなされている。 東京に引っ越してきた地の利を活かし歴代地形図の悉皆調査という作戦に出た。 現状では道筋を見出すことも容易でない、相当に荒廃した道になっているようだが、代々の地形図を見直していけば、道がいつ、どのような規模で開通したのかが分かると踏んだのである。

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氷見敦子「『宇宙から来た猿』に遭遇する日」(『氷見敦子詩集』昭和61年=1986年刊より)

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詩の同人誌、季刊「銀紗」詩と音楽の散歩道 同人詩誌・ 季刊・ 「銀紗」・ 詩と音楽の散歩道・ 責任編集 近藤敏広 銀紗(ぎんしゃ)は昭和63年から平成5年までの間に16冊の本を発行した詩と音楽の同人誌です。 ここに20年の時を経て再開することにしました。 あなたは、どうやってこのホームページまで来られたのでしょうか?名前で?それとも同人だった方? 初めてご覧になった方も長年の友人も、ゆったりした時間をお過ごし頂けると幸いです。 お知らせ 銀紗33号(令和2年5月31日号)を発行しました。 こんかいの銀紗は手持ちの表紙と遊び紙を使いました。 みなさんから綺麗な本だねと言っていただき編集部一同喜んでいます。 引き続き銀紗34号(令和2年8月31日発行予定)の作品を募集をしています。 読んでみたい方、同人に参加される方、投稿希望の方、お便りお待ちしています。 今号は同人と投稿者のかたが増えましたので部数を少し多めに作りました。 もくじはブログに掲載しましたので上記からアクセスしてください。 たいへんな世の中です。 体に気をつけてお過ごしください。 銀紗は小さい同人誌ですが日本文藝家年鑑に掲載されています。 それではお便りお待ちしています。 銀紗をはじめて読まれるかたに 銀紗は昭和63年9月10日創刊されました。 最終号の16号までに20人を超える同人と一緒に本を作ったりお茶会をしたり楽しい 時間でした。 できあがった銀紗を図書館や書店、喫茶室などに置いて頂いて銀紗の輪も少しずつ 広がってゆくのに胸がときめいていたのを今でも思い出します。 観光地のホテルで銀紗をご覧になった方からお手紙を頂いたり有名な詩人や、ある 国の大統領府からもお手紙を頂いたりと銀紗は幸せな同人誌だったと思います。 銀紗には誰でも参加できます。 銀者は穏やかな同人誌です。 それでは最新号からご覧ください。

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【山さ行がねが】道路レポート 束松峠 「昭和新道」

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