オウム 真理 教 の ビデオ 事件。 オウム真理教事件 死刑執行|NHK NEWS WEB

「オウム」を暴走させた3つの転機:朝日新聞デジタル

オウム 真理 教 の ビデオ 事件

「なぜTBSのことを書かないのか」「TBS問題に触れないのはあまりに不自然だ」……。 昨日、のタイトルで記事をアップして以来、こういうツイートがたくさん寄せられている。 中には、私が真実を隠し、TBSを擁護していると疑っている人もいる。 この記事は、坂本弁護士一家の人となりや、突然命を奪われた理不尽さを伝え、そして本件は教祖麻原彰晃こと松本智津夫の指示によって起きたことを社会が記憶しておくために書いた。 特に、麻原の指示について、実行犯らの証言を詳しくお伝えすることに多くを割いたため、事件に至る詳細なプロセスは省いている。 それだけだ。 ビデオ問題が坂本事件を招いた、のか TBSが、坂本弁護士らのインタビュービデオをオウム真理教関係者に見せたことは、報道に携わる者の倫理に反し、強い非難に値する。 このことが、麻原の中で坂本弁護士に対する敵意を形成するのに、何の影響も及ぼさなかった、とまでは言い切れない。 ただ、これが事件に直結したかというと、そうとは言えない。 中には、「TBSがビデオを見せたから坂本弁護士は殺された」と強固に信じている方もいるが、事件に係わった者たちの証言から、そのような筋書きは浮かんでこない。 ついでに言えば、私がTBSを庇い立てる義理はまったくない。 けれども、せっかく問題提起をいただいたので、これを機に、坂本弁護士事件とTBSビデオ問題、さらに麻原が坂本弁護士に殺意を抱く時期について、裁判などで明らかになったことをまとめておくことにしたい。 オウムとメディア 「利用するもの」から敵対的存在へ 坂本事件が起きる1ヶ月ほど前、週刊誌『サンデー毎日』が「オウム真理教の狂気」と銘打った連載を開始した。 信者の親たちの訴えや元信者の証言などを元に、この教団の問題性をえぐる企画だった。 それまで、麻原にとってメディアは「利用するもの」だった。 番組には、出家直前の井上嘉浩なども登場している。 「サンデー毎日」への抗議行動 『サンデー毎日』の記事で初めてメディアに批判された麻原は、信者を率いて編集部に乗り込み、連載中止を求めた。 教団の街宣車が毎日新聞社が入るビル周囲で「でっち上げをやめろ」と叫び、ビル内のトイレなどにビラをべたべたと張って回った。 坂本事件の実行犯の1人でもある早川紀代秀は、麻原から同誌編集部のある毎日新聞ビルを爆破するように指示されたこともあった。 同じく実行犯の1人岡崎一明によれば、それは村井秀夫の発案で、爆弾を積んだトラックをビルの地下駐車場で爆破する、という大胆なものだった。 ただ、当時のオウムには爆弾の製造技術はなく、下見をしただけで終わった。 テレビでも 同誌の連載が始まって、他にもオウムを取り上げるメディアが出て来た。 テレビ朝日系列のワイドショー「こんにちは2時」(1989年10月11日放送)では、麻原らオウム幹部と「オウム真理教被害者の会」(現在はオウム真理教家族の会)の永岡弘行代表ら信者の親たちを対決する番組を生放送した。 その最中に、まだ信者だった永岡代表の息子が女装してスタジオ内に入り込み、いきなり父親を批判した。 番組サイドや永岡代表にしてみれば、まるで不意打ちだった。 早川によれば、これも麻原の発案だったという。 ラジオでも ラジオでも、文化放送の「梶原しげるの本気でDONDON」が、10月9日、16日と続けてオウム問題を取り上げた。 1回目の放送では、麻原が自由に話した後、レギュラーコメンテーターのほか宗教評論家が質問を浴びせた。 オウム側は、特に宗教評論家を出したことが気に入らなかったらしく、番組に抗議を行った。 それを受けて、2度目の番組が企画された。 2回目には、麻原、一般信者、広報担当だった上祐史浩幹部のほか、1回目にも出演した宗教評論家、そして坂本弁護士、木村晋介弁護士も出演した。 教団の一方的な宣伝にするわけにはいかない、というのは、ラジオ局として当然の番組構成だった。 しかし、オウムはそれが気に入らない。 この2回目の放送についても、文化放送に抗議し、謝罪を要求。 チーフプロデューサーの自宅周辺にも名前入りの中傷ビラがまかれた。 文化放送は、宗教評論家や坂本弁護士をまじえた討論番組を提案したが、オウム側は「それでは謝罪にならない」と拒否した。 問題の経緯 メディアへの取材売り込み そんなメディアとの攻防の中、オウムは「水中クンバカ大会」なるイベントを企画した。 信者が、水中にどれだけ長く潜っていられるかを競う催しだった。 これも修行の1つで、すぐれた修行者ほど長時間呼吸を止めることができる、とされた。 麻原は、この様子がテレビで放送されれば、よい宣伝になると考え、売り込みを指示した。 早川によれば、彼が政治記者に知り合いがいたTBSの担当となり、上祐が、高校時代の後輩がアナウンサーとして活躍していたフジテレビを受け持った。 これも麻原の指示だった。 「交渉してこい」と麻原の指示 結局、10月26日に行われた催しの取材にやってきたのは、TBS「3時にあいましょう」のクルーだけだった。 スタッフとの雑談の中で、番組では教団以外の人のインタビューも流す予定であることを聞いた早川は、話の雰囲気から、「少なくとも教団を称賛するインタビューではない」と察知した。 上祐に確認すると、「〔教団外の人のインタビューと抱き合わせであることは〕全然聞いてない」という返事。 「これはまずい」と思い、麻原に報告した。 麻原は、「そんなのは、ろくなインタビューじゃない。 すぐに外してもらえ。 行って交渉してこい」と命じた。 早川、上祐に加え、「出家」前だったが幹部扱いされていた青山弁護士が同行した。 「見てくれと言われた」と早川証言 その時の状況を自分の弁護人から聞かれて語った早川の被告人質問を、当時の傍聴メモから再現する。 『水中クンバカを放送していただくのはありがたいが、それにインタビューをくっつけるというのは事実ですか』と聞くと、『そうです』と。 「〔批判的なインタビューをつければ〕批判の方が全面的に出ることになる。 バランスがとれたものではなく、教団を叩くことになる。 『そうではなく、クンバカだけにしてもらいたい』と。 「それはウソですね。 我々だって、批判してるビデオなんて見たくないわけですよ。 見ないと反論できないでしょう?見て下さい』と。 我々の更なる反撃でバランスを取らせて下さいと言ったのはTBSで、我々から言ったわけじゃない」 「明日の番組はやめます」と 早川証言を続ける。 3人の報告を受けた後、上祐さんを通して、『そういう内容なら、反撃インタビューではダメだ。 全員がいったん我々との交渉を中断されて戻ったという場面が何回かありました。 どこを強調するかは違っても、内容は『サンデー毎日』の焼き直しでした。 〔ビデオを〕見て『また、牧さんが出ている』と思った。 『サンデー毎日』の連載は〔抗議をしても〕止まらないし、これを報告したら、グルは激怒して、下手したら『ポアしろ』と言われるんじゃないかな」 「牧さん、危ないな」 早川は、「ビデオを見た時、『牧さん、危ないな』と思った」という。 殺害指示が出るのでは、と予感したらしい。 オウムにとって最大の敵は牧編集長だった。 事実、麻原が村井を通じて実行犯の1人中川智正に塩化カリウムを用意させたのは、牧編集長を殺害するためだった。 また、早川はオウム批判の広がりを懸念した。 「内容ではなく、取り上げるマスコミがどんどん違ってきたな、と」 内容は「サンデー毎日」の連載記事の域を出ないが、媒体の数が増えていることを気にしたのである。 「この件は事件の要因ではない」 TBS側が同局関係者などに事情を聞いてまとめた報告書では、早川証言と異なっている部分がある。 たとえば、放送中止を決めたのは、早川らが帰った後、としている。 これについて早川は、重ねて「事実と違う」と反論している。 そのうえで、ビデオ内容を報告した時点では麻原は坂本弁護士に対して激怒している様子はなかった、と述べ、TBSの一件は「事件の要因になっていない」と言い切った。 坂本弁護士がビデオの中で語ったこと ちなみに、このビデオの中で、坂本弁護士が述べていたのは、実に冷静で穏当な内容である。 〈もちろん、信仰の自由とか信教の自由とかいうのがありますからね。 端で見ていて、どれほど異様なものであったとしても、それはその人たちの自由ですし、信じることは自由だと思うんです。 けれども、やはり〔宗教も〕社会の中でやっているわけですからね。 社会的ルールみたいなものもあるでしょうし、そこから起きるいろんな嘆きとか悲しみとか、そういったものにも目を向けていくのが宗教だと思うんですよね。 オウム真理教はその点、超能力を得たいとか真理を究めたいとかいう子供さんたちの気持ちには沿っているのかもしれないですけれども、置き去りにされるお母さんとか、(他の)子供さんとか、同級生とか、その人たちの嘆きとか苦しみに目を向けようとしない。 そこら辺に1つの問題があるんじゃないかな、ということ。 それから、やはり宗教っていっても、本当に真理を求めているのと、宗教ということに藉口して、要するに金儲けをすることというのは、別個だと僕らは考えるわけですね。 〔問題なのは〕後者の部分ですね。 宗教を利用したインチキ商法になっているとすれば、やっぱり社会的に断罪されるべきだと思うんですよ。 それには詐欺など法律に引っかかってきますから。 オウム真理教というのは、前者の部分でも、社会の枠をかなり逸脱しているとということもありますし、後者の宗教に藉口しているんじゃないか、要するに金儲けじゃないかという部分についても、今まで調べた範囲では、かなり疑惑というか、どうかなという部分が多々出て来ている。 そういう面については、やはり弁護士として、法律問題だと考えざるをえないということなんですね〉 麻原が敵意を強めるきっかけはいつか 「被害者の会を組織したのは坂本弁護士だ」 では、麻原はいつ頃から、坂本弁護士への敵意を強めていったのだろうか。 それを考える上で大事なポイントは、10月28日に開かれた、被害者の会の第1回総会だと思う。 この総会に、教団幹部が自分の配下の親を潜り込ませたとして、状況を麻原に報告した。 それによって、麻原は被害者の会が坂本弁護士の指導とイニシアチブによって結成されたことを知った、と見られる。 その後、30日までの間に開かれた「大師会議」と呼ばれる幹部会議で、麻原は「被害者の会を組織して、大きくしたのは横浜法律事務所の坂本弁護士だ」と不満を述べた。 この会議では、一連のオウムへの批判に対する対策が話し合われた。 そこで、「サンデー毎日」の連載に対抗して、『「サンデー毎日」の狂気』という反撃本を出すことが決まり、さらには青山弁護士が被害者の会に信者の側から内容証明を出すなど法的な防御を提案。 さらに麻原が、上祐幹部と青山弁護士に対して、坂本弁護士の事務所に行って抗議をしてくるよう命じている。 3人で横浜法律事務所へ 実際に、彼らが横浜法律事務所に行ったのは、10月31日夜8時。 この日、青山弁護士は、「サンデー毎日」でオウムに批判的なコメントをした別の弁護士に会う予定だった。 29日の日曜日に、青山弁護士がこの弁護士の自宅に電話を入れて、面会を申し込んでいた。 それほど急いで会いたかった相手なのに、31日当日になってキャンセルし、事務所に坂本弁護士との面談の申し込みをしている。 麻原の指示はすぐに実行する青山の忠実さを考えれば、対策会議が行われ、坂本弁護士への面会の指示が出されたのは、30日の夜だろう。 青山弁護士らの横浜法律事務所訪問には、早川も同行している。 早川は、やはりオウムに批判的な記事を掲載した『週刊大衆』に対して3人で抗議に行き、その後に横浜にも一緒に行くよう、麻原から命じられた。 横浜法律事務所で主に坂本弁護士と話をしたのは青山で、途中から上祐が加わった。 早川は、事務所の入り口付近の棚に並んでいたパンフレットを読んだり、所属弁護士の詳しいプロフィールなどが掲載された事務所の冊子を一冊抜き取ったりしている。 これには、坂本弁護士の家族構成も載っていた。 「彼らは恫喝に来た」と坂本弁護士 話の詳細は分からないが、親と信者の面会や100万円で教祖の血を飲む儀式に参加した元信者が返金を求めていることなどが話題になった。 雰囲気は険悪だったようだ。 別れ際、上祐が「 こちらには信教の自由がありますから」と捨て台詞を吐き、それに坂本弁護士が「 人を不幸にする自由は許されない」と反論するのを、事務所の事務局員が聞いている。 その後、一緒に居酒屋に行った同僚弁護士らによれば、坂本弁護士は次のように言って憤慨していた。 「向こう〔青山弁護士〕が会いたいというから、和解を申し入れてくるのかと思ったら、そうではなくて恫喝しに来たんですよ。 『被害者の会が活動を続けるなら、こちらも対抗措置を取る。 〔オウムの中にいる〕子供を使って、〔被害者の会に所属する〕親を訴えさせる』と言ってきた」 いきり立つ幹部 その日の深夜、麻原ら幹部の前で、青山、上祐の2人がいきり立って報告をした。 その場にいた岡崎は、上祐の様子を次のように証言している。 「上祐は、『坂本弁護士は宗教的な話をしても全く聞く耳を持たずに話になりませんよ。 私に対しても、親が帰れと言えばかえらなければいけないんだと、そういうことを言ってますよ。 どう思いますか」と言って怒っていました」 急なターゲット変更 それでも、当時のオウムにとって最大の敵は牧編集長だった。 中川は、11月2日深夜の謀議でも、当初は牧編集長を殺害する、話が出ていた、と述べている。 ところが、牧編集長は行動が不規則で、自宅に帰らないこともあって狙いにくい、という話になり、立ち消えに。 そこで麻原が突然、「坂本弁護士はどうか」「今一番問題なのは坂本弁護士だ」と言い始めた。 以下は、前回も引用した、坂本弁護士を狙う理由説明について麻原が説明する場面の岡崎証言である。 「坂本弁護士にこれ以上悪業を積ませてはいけないんで。 坂本弁護士は法的手段をもって今後徹底的に〔オウムを〕たたくよ、被害者の会も大きくなる、このまま放っておいたら大変なことになる。 だからポアしなければいけないんだよ。 先日、青山弁護士とマイトレーヤ〔上祐史浩〕が話し合いに行ったけれども、全く話にならんかった。 だから、こう決めたんだと、そのように言っておりました」 麻原のこらえ性のなさが引き金を引いた? 以上のような経緯から、私は以下のように推測する。 批判的なメディアには、片っ端から抗議に行った。 その最大の火元は「サンデー毎日」であるとして、同誌編集部や牧編集長を攻撃しようとした。 けれども批判は止まず、むしろ拡がり、牧編集長の攻撃もうまくいきそうにもない。 そんな状態に、こらえ性がない麻原は、すぐに結果を求めた。 自分たちを窮地に追い込んでいる誰かの命を奪い、それによって状況を変えたくてたまらなかったのだろう。 その後は、前回の記事で書いたように、坂本弁護士1人を帰宅途中で狙う前提で準備が進められ、途中で一家全員を対象にするように変更となった。 ここにも、今すぐ結果が欲しいという、麻原のこらえ性のなさが出ている。 TBSの責任とは こうした経緯を見れば、TBSの一件があったから坂本一家が殺害された、という単純なものではないことが分かる。 ただ、被害者の会に関する報告や青山弁護士らの面談と、麻原が次第に坂本弁護士への敵意を募らせていくうえで、TBSビデオでの坂本弁護士のコメントも何らかの影響を与えた可能性は否定できない。 そもそも、敵対する相手に許可なく取材ビデオを見せたことは、取材倫理に悖るのは言うまでもない。 そのうえ、見せたことを坂本弁護士に伝えず、教団からの抗議の後、取材結果を放送せずに済ませたことも問題だ。 さらに、事件後もその事実を秘匿し続け、強制捜査が始まって早川のメモや供述によって、捜査機関に事実が発覚した後も、TBSはビデオを見せたことを否定した。 せめて、事件直後に明らかにしていれば、警察の捜査を促す材料になったのに、と思う。 TBSは、その後検証番組を作り、社長が放送を通じて謝罪した。 坂本事件の発生から30年。 ビデオ問題についてTBSが事実を認める最終報告を出して23年が経つ。 この問題をリアルタイムで経験した社員は、もう数少ないだろう。 この一件を、「できれば消したい過去の汚点」で済ませず、若い社員にも語り継いでもらいたい。 この問題を忘れずにいること。 それがTBSの会社としての責任だと思う。

次の

オウム真理教事件 死刑執行|NHK NEWS WEB

オウム 真理 教 の ビデオ 事件

(終了した番組・中継を含みます)は、での販売や公式な、またはが紹介するまで、 出典として用いないで下さい。 に基づき除去される場合があります。 TBSビデオ問題 場所 (TBS千代田分室) 日付 (元年) 概要 TBSのテレビ番組『3時にあいましょう』の取材班は反オウム真理教派の弁護士・のインタビューを収録した後、オウムの修行を取材。 その際のインタビューで紛糾し、沈静化のため同番組の金曜担当プロデューサー・武市功は坂本の動画を見せることを提案。 同日深夜、オウムのらが科学技術館に来訪、総合プロデューサー・多良寛則の命令により早川らに坂本のビデオを視聴させ、企画自体の放送を取りやめる約束をする。 このことが発生の根源とされる報道倫理問題。 原因 TBSがジャーナリズムの鉄則である「情報源の秘匿」およびを遵守しなかったため 対処 プロデューサーの多良および武市の懲戒解雇 社長らの引責辞任 番組からの一時撤退 謝罪 19時00分から19時20分まで社長による特別番組「視聴者の皆さまへ」、19時20分から22時50分まで「ビデオ問題検証特番『証言・坂本弁護士テープ問題から6年半』」を放送。 に特別番組「視聴者の皆さまへ」で当時の社長より経過報告と今後の対策および謝罪放送を行う。 TBSビデオ問題(TBSビデオもんだい)は、(元年)に、東京放送 TBS。 現在の の『』のスタッフが、のがを批判するインタビュー映像を放送前にオウム真理教幹部に見せたことで、9日後のに起きたの発端となったのではと指摘された、・である。 事件はオウム真理教への強制捜査()が行われたのちの一連のの捜査の途上で浮上し、当初は否定していたTBSが3月になってから認めたもので、 TBSオウムビデオ問題、 オウムビデオ問題、 TBSオウム問題、 TBS問題などとも呼ばれる。 問題を事件に置き換えた表記もある。 概要 [ ] TBSは、当時すでに『オウム真理教の狂気』特集などで批判されていたの取材映像を放送予定であったが、反オウムの弁護士のインタビュー映像が合わせて放送されることを知ったオウムは、坂本のインタビュービデオ(以下ビデオ)を見せるようTBSに要求し、信者の(坂本弁護士事件実行犯の一人)らがTBS内でこのビデオを視聴した。 信者がビデオを見たことがどれだけ影響を与えたかは不明瞭だが、その後11月に麻原はの殺害を指示、にが発生。 事件後、早速オウムの関与が疑われたものの、オウムに対し特に目立った捜査も無く、坂本弁護士事件は(1995年まで)迷宮入りとなった。 この時、TBSの担当者は事件直前にオウムがビデオを見に来たことを公表しなかったため、もし公表していれば捜査に影響を与えたのでは、そもそも何故ビデオを見せたのか、殺害決行のきっかけになったのではないか、などと批判された。 経過 [ ] インタビューとビデオ視聴 [ ] 1989年、オウム真理教について翌日27日の放送で取り上げることを企画していた『』は、26日午前中にオウム真理教批判の急先鋒であった坂本のインタビューを録画。 同日昼、金曜日担当プロデューサー(武市功)率いる取材班(社会情報局)は、オウム真理教富士山道場にて報道局社会部と合同で(松本智津夫)による「」の実演を取材。 TBS報道局記者の西野哲史によるインタビューが終了後、『3時にあいましょう』取材班の麻原インタビューが開始するも紛糾、オウム関係者がそんな取材でどんな放送をするつもりなのかと迫った。 麻原の実演の様子と被害者の会や坂本弁護士のインタビューをバランスをとった形で放送することを曜日担当プロデューサーがオウム側に明らかにすると、ビデオの確認を求めたオウム側と押し問答となった。 結果として曜日担当プロデューサーがオウム側に事前にビデオを見せることを認め、その場の事態を収拾した。 26日の深夜、オウム真理教の幹部、、、らがTBS(当時の)を訪れた。 まず曜日担当プロデューサーが応対し、暫くして番組総合プロデューサー(多良寛則)が同席した。 ここでオウム「被害者の会」に関係する坂本弁護士らのインタビューが収録されているについて、オウム側が執拗に見たいと要求した。 番組総合プロデューサーは、部下にオウム側がインタビューに応じるならば、坂本弁護士のインタビューを収録した当該ビデオを3人に見せてもいいと交渉。 坂本弁護士のインタビューを収録・管理している関連会社(当時の、現在の。 早川はこのときのことをメモにとっている。 結局、オウム側の抗議にTBS側スタッフはインタビュー(企画していたオウム特集自体)を放送しないことを承諾・約束し、オウム側幹部はその場を後にする。 31日に早川、上祐、青山ら3人は、坂本が所属する横浜法律事務所を訪れたが、坂本からは教団を告訴する旨を告げられ交渉は決裂。 4日後の、(当時は「」)が発生する。 捜査と日テレのスクープ、問題の否定 [ ] 3月20日、死亡者13名、負傷者約6300名余りの被害者を出したが発生。 その後の捜査でによると判明し、同教団への立ち入り捜査が行われた。 オウム真理教の幹部であった早川は、同年のTBS『』取材後に逮捕され、後に坂本堤弁護士一家殺害事件など計7事件で起訴される。 坂本の事件発生から6年弱となる同年、神奈川県警がTBSへ捜査協力を求めたことから、TBS側も事態を把握した。 9月中にがTBS関係者(武市、多良と「水中クンバカ」を合同取材した報道局社会部西野記者も含む)からの事情聴取を行う。 にTBSが社内調査委員会を設置し、12日にTBSがの要請に応じて、坂本弁護士のインタビューを任意提出した。 日本テレビは同日午後の『』と夕方の『』、夜の『』でもこの事を報じ、後日、TBSは総務局長名義で日本テレビ宛に抗議文書を送付した。 、TBSは坂本弁護士のインタビュービデオを見せた事実はなかったという「社内調査概要」を発表。 翌に早川被告の公判において、TBSのプロデューサーおよび早川の供述調書の要旨告知(事件の核心となる 早川メモが公表される)。 これを受けて、横浜法律事務所はTBSに対して公開質問状を送付。 TBSは同日の会見で改めて否定し、19日に横浜法律事務所に、坂本のインタビュービデオを見せた事実はなかったという趣旨の回答書を提出した。 にTBSの大川常務は、に参考人招致され、社内調査概要に従って、以下の様に証言した。 社内の調査は、予断を排し、厳正、公正に行いました。 その結果を隠すことなく発表いたしました。 社内調査では、オウムの三人に対応しました二人の社員のほか、当日建物内におりました外部スタッフなどに状況を聞きました。 (中略)そうした状況から、我々はテープは見せていないと確信しております。 検察庁の捜査結果につきましては私どもはコメントできませんけれども、社内の調査では、見せたという事実は出ていないと確信しておる次第でございます。 — 大川参考人、 衆議院法務委員会 問題の解明と謝罪 [ ] 1996年に「早川メモ」の全容が明らかとなり、翌々日のにTBSの社長は坂本のインタビュービデオをオウムの早川たちに見せたことを認める内容の緊急記者会見を行う。 同時に、武市の懲戒解雇処分を発表。 にTBS前常務の大川は衆議院法務委員会で、19日の発言とは異なる内容を述べて陳謝した。 三月十九日、当法務委員会の場で私どもの社内調査の結果を御報告申し上げましたが、その後、新たな事実が判明いたしました。 TBS社員がオウム真理教の幹部三人に、坂本弁護士のインタビューテープを見せていたのであります。 前回、当委員会に御報告した内容は誤りということであります。 まことに申しわけございません。 訂正させていただくとともに、おわび申し上げます。 — 大川参考人、衆 - 法務委員会 ・に磯崎らが衆議院逓信委員会に参考人招致された。 、TBSは坂本のインタビューテープ問題についての社内調査概要など発表。 19時00分から19時20分まで磯崎社長の出演による特別番組「視聴者の皆様へ」、19時20分から22時50分までと、の司会進行による社内検証番組「ビデオ問題検証特番『証言・坂本弁護士テープ問題から6年半』」を放映。 に最終報告書を提出し、多良の懲戒解雇と磯崎社長ら三役の辞任を発表し、翌5月より磯崎の後任としてが社長に就任した。 に23時50分から5分間の特別番組「視聴者の皆様へ」で砂原社長より経過報告と今後の対策および謝罪放送を行い、不祥事による自粛措置としてまで、0時以降の深夜放送を取りやめた。 にTBSは横浜法律事務所に公開質問状に対する再回答書提出。 3月19日の回答書を全面的に撤回し、坂本インタビュービデオを見せたことを認めるとともに、遺族と横浜法律事務所などに陳謝した。 に衆議院逓信委員会で砂原は「スーパーワイド」の終了、情報系番組の見直しを言及し 、翌に問題の発端となった『3時にあいましょう』の後継番組『』の放送を終了、同時に『』の放送も同年9月末をもって終了し、社会情報局も廃止されてワイドショーの番組制作から撤退。 2005年の『』までワイドショーと謳った番組は制作されなかった。 なお、当時は社会情報局制作だった『』など一部の番組は報道局に制作が引き継がれている。 にTBS「放送のこれからを考える会」(座長・弁護士)が、報道現場における「個の確立」を求める提言を行った。 TBS批判とその過熱 [ ] 報道倫理の逸脱 [ ] 1989年10月26日にTBSビデオ問題が発生、坂本堤弁護士一家の失踪は同年11月15日から公開捜査となるが、TBSは通報や公表をしなかった。 さらにTBS側スタッフがオウム幹部にビデオを見せたことは、 情報源の秘匿というの原則に反し、を大きく逸脱するものとして批判された。 また、TBSがビデオをオウム幹部に見せたことで坂本が殺害されたという非難もあり、TBS以外の報道機関や世論もこれを認め、TBSを批判して責任を追及した。 さらには、オウム幹部の公判において当事者の供述やメモが明らかになったことを受け事実を認めるまでの5か月以上にわたり、「内部調査」を根拠に疑惑を否定し続け、この間の調査の不透明さから、TBSは事実を把握しているのに意図的に隠しているのではないかと疑われた。 こうした杜撰な対応による危機管理の失敗も、TBS批判をさらに加速させる要因となった。 なお、TBSは遺族に対しても不誠実な対応をしている。 坂本の妻・都子の父、大山友之の著書から引用する。 1週間後の3月19日、において、参考人として招致されたTBS常務は、この矛盾を突かれ、返答に詰るといった醜態を晒す結果となっています。 挙句の果てに、その年の4月30日、TBSは、監督官庁である、に、事の顛末を報告しています。 私は、この「坂本テープ調査報告の要旨」について、日刊紙数社の記事を読み比べましたが、TBSの誤魔化しの意図が見えすぎる半面、事態の真相が全く見えてこないことに激しい憤りを感じました。 そこで、私は、直接TBSに問い合わせをしてみました。 真相をこの目とこの耳で確認したかったのです。 自宅からTBS本社に電話をかけ、広報担当の部署へつないでもらい、住所氏名、どういう立場の人間かを細かく申し述べ、用件を手短かに伝えると、電話の相手が代わりました。 そこで私はさらに細かに説明すると、先方はこう言いかけました。 「今、責任者が席をはずしていて…」ところが、それも言い終わらないうちに、今度は別の男の声でいきなり、「いったい、何をどうしろと言うんだ!何を要求するんだ! 」 そう恫喝してきたのです。 これには驚きました。 激しい怒りも湧いてきました。 しかし、私は真相を知ることと,郵政省に提出した報告書と同じものを入手することが目的であることを思い、ぐっと堪えて、「要求でなく、お願いの電話です。 坂本ビデオの報告…」と言いかけたところで、また、電話の相手が代わりました。 「私は広報部副部長の〇〇です」居たのです! 責任者は席を外している筈なのに、その場にいたのです! 丁寧に名乗ってはくれましたが、用件を伝えると、「あるにあるが、残る部数も少ないし、部外者に見せる物ではないが、仕方がない、送ります。 」そういう答えが返ってきたのです。 やはり私は部外者だったのです。 『仕方がねえ、送ってやらあ。 有難く思え』で済む程度の人間として扱われたのです。 マスコミという特権意識に舞い上がった、彼らの思い上がりを強く感じたものです。 勿論、マスコミを十把一絡げにして物をいうつもりはありません。 しかし、刑法に抵触するとまでも言えないにしても、およそ、理性ある人間として、してはならない過ちをしでかし、それを恥じる事もなく、逆に隠し切ろうとしたTBSの当時の経営陣は、マスコミの末席にも置けない、いや置いてはならない、という思いは今でも変わっていません。 このような経緯はありましたが、96年5月2日付けで、広報部長の添え書きと共に、次の表題の書類を送って頂いたことは幸いでした。 — 大山友之 妻、都子の父 、「都子 聞こえますか」(新潮社、2000年) P227以下 内部調査の破綻 [ ] 当初、調査委員会設置時には報道局を中心とした善後策がまとめられていたが、1995年(平成7年)10月19日の日本テレビの疑惑報道で事態は一変する。 一連の経緯を把握していなかった一部経営幹部が、日本テレビに抗議を指示。 幹部らの独断に近い形で『』内での抗議声明の放送が決定してしまう。 この抗議声明の放映により、TBSは疑惑を否定せざるを得ない状況に追い詰められてしまったのだった。 それから調査委員会は経営幹部中心となるが、その調査は該当プロデューサーらからの聞き取りのみで、その発言を鵜のみにした「結論ありき」のものだった。 しかも、該当プロデューサーはTBSの内部調査と検察の事情聴取に異なった証言をしており、TBSの調査委員会はこのことすら把握できていなかった。 一連の経緯からビデオ問題は、やへの信頼を大きく揺るがす非常に重大な事件となった。 マスメディアと視聴者との信頼関係 [ ] 、TBSは一転してを見せたことを認めて謝罪する羽目になってしまった。 TBS夜の看板報道番組『』のキャスターを務めるは、当日の番組コーナー『多事争論』内で、がとの関係の上で存在していることに触れ、 「TBSは今日、死んだに等しいと思います。 ……今日の午後まで私はこの番組を今日限りで辞める決心でおりました」と発言した。 坂本弁護士事件実行犯の公判後、TBSが一転してをオウム信者に見せたと認めたことが、世論のTBS不信を高まらせた。 のTBS特別番組「視聴者の皆様へ」では、当初オウム幹部へビデオを公開した事実はないとしながらも、後にこれを正反対の結論へ転じたことは、視聴者・消費者・国民の皆様の信頼を裏切ったとして、冒頭で社長自ら謝罪の言葉を述べている。 相次ぐ波紋と批判 [ ] 一方で、世論のTBS批判や「TBSがビデオをオウム幹部に見せたことで坂本が殺害された」という非難に対しては「坂本はそれ以前にラジオに出演し、麻原と電話での討論を行っており『TBSが見せたテープの内容が殺害の直接の動機となったのではないか』との報道は妥当性を欠いている」との反論や「TBSバッシングに興じることで(報道倫理としての)問題の本質を見逃してしまう」とする異論 があった。 また、取材テープを取材対象者からの要請で見せる行為は当時多くので行われていた事に加え、ビデオを見せたのは一連のが起きる前であり、この時点でオウム真理教により坂本弁護士及びその関係者がオウムに殺害されるという事態はメディアの側からしても想定不可能であった事から、結局この事件は 「たまたまTBSで起きただけで、どこの放送局でも起き得た事件ではなかったのか?」という非難もなされており、多良・武市両プロデューサーの取材ビデオを見せた行為もがなかった当時はではなかった為、彼らへの懲戒解雇処分もではないのかとの批判もある。 更にこれらの批判が行き過ぎ、批判の対象が殺害実行犯のオウム真理教からTBSに移ってしまったことで、一連のオウム事件そのものの真相究明がおろそかになったとの意見もある。 当時テレビマンだったは、この事件でこれまでキラーコンテンツだったオウム報道が一転して取扱い注意になり、マスコミはTBSの二の舞いを恐れ、オウム幹部インタビューそのものを自粛するなどして萎縮していったと見ている。 事件後のTBS [ ] 当問題は、の制作現場で発生したことに鑑み、TBSはワイドショー『』を終了させた。 また、 - は、予定していた午前0時以後の深夜放送の番組を休止とし、『』も23:50まで(24日金曜日のみ24:20まで)の第1部のみで打ち切りとした。 第2部をネットしている地区については『ドキュメントDD』など、TBSからの番組を放送したり、臨時に遅れネット番組や再放送などの自主編成を組むなどの対応となった。 その後 [ ] 大きな騒動となったが、坂本弁護士事件の裁判においては判決文にわずかに書かれているのみに留まる。 E10テレビは,同月26日,教団の長時間水中に潜る水中クンバカを取材し,これを翌日,被害者の会関係者のインタビューと共にテレビ放映することを予定していた。 被告人は,その情報を入手したA8から報告を受け,A8に対し,その番組の放映についてE10テレビと交渉するよう指示した。 A8は,同月26日夜,A11及びA10と共にE10テレビに赴き,その放映予定のインタビューが,B2弁護士,D2編集長及びB5会長による教団を批判する内容のものであることを知り,その旨被告人に報告し,その指示を受けてその番組の放映を中止するようE10テレビ担当者に働き掛け,これを中止させた — 松本智津夫被告東京地裁判決文 TBSビデオ問題発覚から以降、TBSテレビはワイドショーと大々的に名乗る番組は制作して来なかったが、秋にスタートの『』や春にスタートの『』(放送開始時のタイトルは『 白熱ライブ ビビット』、2019年9月終了)でワイドショーが復活した。 脚注 [ ] 注釈 [ ]• 経緯は忘れたのですが、TBS側も教団の反論を聞かずに放映することはできないと考えたのか、録画していた「被害者の会」関係者のビデオを見せてくれたのでした。 (「ビデオ問題検証特番『証言・坂本弁護士テープ問題から6年半』で放映された早川供述調書の内容による)• 坂本弁護士のビデオテープを見せた細部は確定できないが、総合プロデューサーと曜日プロデューサーが見せる決断をし、坂本弁護士をインタビューした担当ディレクターが呼ばれて実際の作業が行われたと判断される。 編集後のオウム側の確認については編集マンの証言による。 (「坂本弁護士テープ問題」及び関連調査書、株式会社東京放送、1996年4月30日、再調査書)• 1996年5月1日付け東奥日報朝刊18面記事。 この参考人招致の模様は、4月3日に日テレとTBSで同日17時から中継された。 (出典:1996年4月3日付読売新聞夕刊テレビ欄より。 同紙夕刊に、「(日テレ)緊急報道番組・TBSビデオ問題で磯崎社長再び国会へ」・「(TBS)報道特別番組・衆議院通信委員会・参考人招致-TBSテープ問題」と記載あり。 - 平成8年5月30日実施 2013年11月1日閲覧• 1996年3月25日. 2014年3月22日閲覧。 『田原総一朗の戦うテレビ論』 (、)• 『太郎が飛んだ 国際ニュースの現場』 (出版局、1997年)• 『TBS事件とジャーナリズム』 (岩波ブックレットNO. 406、、1996年) いずれも、「この問題はどの報道機関でも起こり得たことだ」として、TBSバッシングに興じ、自己批判・自己反省を行わないマスメディアのあり方やTBSへの過熱した批判報道に対して疑問を投げかけている。 実際にオウム報道がとなってしまい、そのほかのオウム報道の検証が行われなかった。 『TBSザ・検証 局にかわって私がやる!! 』 神山冴と検証特別取材班()• 「」 WEBRONZA -• - 平成8年5月30日,当時社長の砂原幸雄の発言より• デイリースポーツ デイリースポーツ. 2015年3月10日. 2018年7月10日閲覧。 関連項目 [ ]• - の後継番組。 、 - いずれもの後継組織。 - 1990年に暴力団を取材したビデオテープが捜査資料として押収された事件。 外部リンク [ ]• (坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会 ).

次の

坂本弁護士一家殺害事件とTBSビデオ問題~麻原はいつ殺意を抱いたのか(江川紹子)

オウム 真理 教 の ビデオ 事件

目次はこちら• オウム真理教とは オウム真理教とは日本で最も恐ろしいカルト教団です。 現在は政府によって解体されたものの、後継団体として主流派(Aleph(アレフ)や山田らの集団など)と上祐派(ひかりの輪)に分かれて活動を継続し、未だに麻原信仰に帰依しています。 そのため、警察当局の監視が続けられていますが、関連団体の中には昨今になって外れるものもあり一連の事件が風化したとも言われています。 教祖である麻原彰晃が死刑となった今では神格化され、信者数は少ないながらも勢いは衰えていないと言われています。 公安調査庁によると、後継団体全体で約13億円ほど資産があり、後継団体で最も大きな規模を誇る Aleph(アレフ)は、年間1億円ペースで資産を増やしていると報告され未だ危険性に注目されています。 オウム真理教の事件 オウム真理教の事件は今で言うテロ事件です。 世界史的に見ても、アルカイダやISILより先行し世界に影響を与えたとも言われています。 教祖である麻原彰晃(松本智津夫)には国家転覆計画があり、自動小銃の密造や化学兵器の生産など武装化し、教団と敵対する人物の殺害や無差別テロを実行しました。 簡単に言えば、クーデーター、武力革命、世界征服を真剣に考え行った事件と言えるでしょう。 事件のきっかけと狙い 事件にはきっかけと狙いがあります。 きっかけは、オウム真理教勢力の拡大を図ろうとして国政選挙に打って出たものの惨敗したことです。 狙いが外れ、今度は教団の武装化により教団の勢力の拡大を図ろうと考え、ついには救済の名の下に日本国を支配して自らその王となることを計画したのがオウム真理教の事件の始まりです。 その手口は、多数の出家信者を獲得するとともに布施の名目でその資産を根こそぎ吸い上げて資金を確保する事から始まりました。 一方で、多額の資金を投下して教団の武装化を進め、無差別テロを目的とする化学兵器サリンを大量に製造し、首都東京に散布するとともに自動小銃等の火器で 武装した多数の出家信者により首都を制圧することを目論んでいたのです。 オウム真理教の事件まとめ オウム真理教の事件をまとめると大きく3つの事件になります。 オウム真理教の3大事件と呼ばれ、教団と対立する弁護士とその家族を殺害した1989年11月の坂本堤弁護士一家殺害事件、教団松本支部立ち退きを求める訴訟を担当する判事の殺害を目的としてサリンを散布し計7人の死者と数百人の負傷者を出した1994年6月27日の松本サリン事件、教団への捜査の攪乱と東京首都圏の混乱を目的に5輌の地下鉄車輌にサリンを散布して計12人の死者と数千人の負傷者を出した1995年3月20日の地下鉄サリン事件です。 その他にもオウム真理教の一連の事件をまとめると、29人が死亡し(殺人26名、逮捕監禁致死1名、殺人未遂2名)負傷者は6000人を超えた。 教団内でも判明しているだけでも5名が殺害され、死者・行方不明者は30名超とも言われています。 オウム真理教の村井事件 村井事件はオウム真理教の指示ではないと言われています。 200人を超えるマスコミ関係者が集まり監視のなか殺害されました。 村井はオウム真理教幹部であり、教団内の科学技術省大臣を勤めていましたが山口組傘下の右翼団体(神州士衛館)構成員に刺殺されました。 村井を刺殺した犯人(徐裕行)で、動機は家族関係のように愛情で結ばれている人たちが、第三者の犯罪行為によって強制的に離間させられることに対して強い憤りがあったようです。 拉致事件でも同じことが言えますが、家族を無理やり引き離すようなことが許せず、それらに対する怒りは、サリン事件の時は非常に強かったので独断で犯行に及んだと言われています。 一方で、犯行の背後関係は未だ解明し尽くしておらず、陰謀説も数多く不透明な点が残されていると言わざるを得ません。 事件当時、オウムは追い詰められている中で、これから「村井が何かを発表する」と言いマスコミが集まってきたが、現場にいきなり現れた右翼が村井幹部を殺してしまったため 真相は闇の中になったと言われています。 結果的に村井幹部の死で、化学兵器、武器などの密輸ルートなどが解明されずに終わりました。 オウム真理教の事件の真相は? オウム真理教の事件の真相は非常に恐ろしい計画です。 簡単にまとめると、日本国を武力で打倒して「オウム国家」を建設し、更には世界征服をも念頭に置いていたオウム真理教の戦略が見事に失敗したのです。 1990年の第39回衆議院議員総選挙で真理党が惨敗した後、麻原彰晃は理想を叶えるのはテロしかないと決断しました。 オウム三大事件の1つ地下鉄サリン事件はオウム真理教にとっては最後の足掻きで、事件の真相は 11月戦争と呼ばれる無差別大量テロだったのです。 11月戦争とは、1995年11月教団所有の軍用ヘリコプターを使って東京上空からサリンを散布し、東京都民の大量殺戮を目論んでいました。 日本の混乱に乗じて、米・露・朝の各軍隊による核戦争の誘発を狙い、その間に教団はサティアンに造られた屋内退避シェルターに篭り、核戦争終結後に日本を統治するという狙いがあったのです。 しかし、1995年1月(11月戦争の10ヶ月前)に読売新聞によって上九一色村のサリン残留物がスクープされ、3月に警察当局の強制捜査によって11月戦争の計画が頓挫したのです。 このままでは、何も成す事が出来ないと考えた麻原彰晃が最後の足掻きで、3月20日に地下鉄サリン事件を指示したのが事件の真相です。 オウム真理教の事件一覧 オウム真理教の一連の事件を一覧にまとめています。 池田大作サリン襲撃未遂事件• 江川紹子ホスゲン襲撃事件• オウム真理教東京総本部火炎瓶投擲事件• オカムラ鉄工乗っ取り事件• 会社員VX殺害事件• 亀戸異臭事件• 警察庁長官狙撃事件• 公証人役場事務長逮捕監禁致死事件• オウム真理教国土利用計画法違反事件• オウム真理教在家信者死亡事件• 坂本堤弁護士一家殺害事件• サリンプラント建設事件• シガチョフ事件• 自動小銃密造事件• 島田裕巳宅爆弾事件• オウム真理教女性信者殺害事件• 新宿駅青酸ガス事件• 全日空857便ハイジャック事件• オウム真理教ソフト開発業務受注問題• 滝本太郎弁護士サリン襲撃事件• オウム真理教男性信者リンチ殺人事件• オウム真理教男性信者逆さ吊り死亡事件• オウム真理教男性信者殺害事件• 地下鉄サリン事件• 駐車場経営者VX襲撃事件• 東京都庁小包爆弾事件• 日本テレビ長官狙撃自白報道• 日本テレビ郵便爆弾事件• 農水省オウムソング事件• ピアニスト監禁事件• オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件• 松本サリン事件• 宮崎県資産家拉致事件• 村井秀夫刺殺事件• 薬剤師リンチ殺人事件 オウム真理教の事件で死刑囚になった13人 オウム真理教の事件で死刑囚になったのは13人です。 教祖を含め、元幹部など一連の事件の実行犯を中心に死刑囚となりました。 2018年7月に死刑囚13人全員の死刑が執行されています。 2018年7月6日 麻原彰晃(東京拘置所) 土谷正実(東京拘置所) 遠藤誠一(東京拘置所) 井上嘉浩(大阪拘置所) 新實智光(大阪拘置所) 中川智正(広島拘置所) 早川紀代秀(福岡拘置所)• 2018年7月26日 豊田亨(東京拘置所) 端本悟(東京拘置所) 広瀬健一(東京拘置所) 宮前(岡崎)一明(名古屋拘置所) 横山真人 (名古屋拘置所) 小池(林)泰男(宮城刑務所仙台拘置支所) オウム真理教の事件に関する書籍【おすすめ本3選】 オウム真理教の事件に関する書籍(おすすめ本)を3つ厳選しています。 1995年、出家信者として山梨県上九一色村の教団施設にいた著者は、教団の「科学技術省」に所属していました。 だがあまりに不穏で不合理な状況が続き教団に不信感を抱きます。 上層部からは何の説明もない中、意を決して教団から単身脱出。 彼はそこで何を体験したのか。 身近に見た教祖麻原彰晃の姿とは。 恐るべき犯罪に手を染めた教団幹部たちの素の姿とは。 内部にいたものだから知りえた教団の驚くべき実態を、可能なかぎり客観的な筆致で描写した本です。 オウム真理教の事件をわかりやすくまとめると オウム真理教の事件をわかりやすくまとめると、世界征服を視野に国家転覆を狙った新興宗教の事件です。 教団内部では殺人を正当化する為にポアという言葉を用い、敵対する人物や集団を殺害することで功徳を積む(罪人の救済)という信仰を植え付け一連の事件を繰り返しました。 クーデターの大きな足掛かりだった選挙戦に敗れ、無差別テロを行うも計画の半ばで捕縛されてしまったのです。 一連の事件の目的は、 大義名分のためならば何をやっても許されるという狂信的な信仰の末路だと言っても過言ではないでしょう。 オウム真理教の事件に隠された黒幕の存在 オウム真理教の一連の事件に黒幕がいると言われています。 しかし、こういった陰謀論の多くはヘイトスピーチの一貫で根も葉もないデマが多く、言ったもん勝ちのような所があります。 もし仮に黒幕がいたとするならば、オウム真理教の一連の事件で最も利益を得た人物や集団です。 カルト教団を利用して私腹を肥やすなんてシナリオが最もらしく聞こえます。 実際、オウム真理教を利用(支援)していた人物や集団(組織)も少なからずいた事でしょう。 ですが、現時点で黒幕として暴かれていないのであれば、それは闇の中に葬られたと言っても過言ではありません。 今更もう暴く事は難しいでしょう。 まとめ.

次の