ダニー ボーイ。 ロンドンデリーの歌

BS

ダニー ボーイ

イギリスにとって最初植民地となったアイルランドは、12世紀から800年間に渡って、その宗教と言語(ゲール語)に対して信じられないほどの差別と抑圧を受けた。 1800年頃になると、その地に暮す人々によって幾つもの民謡が生み出されるようになる。 17世紀頃から歌い継がれてきたこの「Londonderry Air(ロンドンデリーの歌)」も、そうした特別な歌の一つだった。 哀愁漂うメロディーが印象的なこの楽曲には作者のクレジットが存在しない。 19世紀にジミー・マッカリーという盲目のヴァイオリニスト(アイルランド人)が路上で演奏していたものを、ジェイン・ロスという女性の民謡収集家(アイルランド人)が聴き取って採譜したという。 ジェインは、その譜面を同じ収集家仲間のジョージ・ペトリに預け、その後、彼の編纂によって1855年発行の『The Ancient Music of Ireland(アイルランドの古代音楽)』に収録された。 辛く悲しい運命に翻弄されながら…ケルト人たちは、このメロディーにさまざまな詞(ことば)をのせて子孫へと歌い継いできた。 もし私がリンゴの花だったなら ねじれた枝からふわり浮かんでふわり落ちて 貴方のシルクの胸元に舞い降りたい もし私が磨かれたリンゴの実だったら 木漏れ日の中でローブが揺れる 金色の髪の貴方にもぎ取ってほしい 20世紀の初頭、世界では人類史上最初の世界大戦(第一次世界大戦)が始ろうとしていた。 1913年、この歌にイギリスの法律家で作詞家だったフレデリック・ウェザリーが「Danny Boy」というタイトルで歌詞をつける。 きっかけはウェザリーのもとにアメリカから義妹が送ってきた一枚の楽譜だったという。 そのメロディーはウェザリーにある歌詞のことを思い出させた。 それは彼が3年前に別の曲の歌詞として書いていたもので、そこには第一次世界大戦を前にした混沌とした世相が描かれていたという。 古くからアイルランドで歌い継がれてきた哀愁漂うメロディーに感銘を受けたウェザリーは、曲に合うように手直しをして「Danny Boy」として歌詞を完成させたのだ。 ああ私のダニーよ バグパイプの音が呼んでいるよ 谷から谷へ 山の斜面を駆け下りるように 夏は過ぎ去り 薔薇もみんな枯れ落ちる中 おまえは…おまえは行ってしまう すべての花が枯れ落ちる中 おまえがここに帰ってきて もしも私が先に死んでしまっていても どうか私が眠る場所を探してひざまづき… 私のために祈りを捧げて欲しい 時が流れ…第二次世界大戦中には、人気歌手のビング・クロスビーがレパートリーとしていたこともあって「Danny Boy」は世界へと広まっていき、戦後の日本でも江利チエミや美空ひばりが歌って人々に愛された。 日本語でもいくつかの歌詞が存在する中、作詞家・作家のなかにし礼が手掛けた日本語歌詞は特に秀逸だ。 2014年、なかにしは平和への願いを込めて毎日新聞夕刊にこんな寄稿(メッセージ)を残している。 集団的自衛権が閣議決定された かくして君たちの日本はその長い歴史の中のどんな時代よりも 禍々(まがまが)しい暗黒時代へともどっていく そしてまたあの醜悪と愚劣、残酷と恐怖の戦争が始まるだろう 巨大な歯車がひとたびぐらっと回りはじめたら最後 君もその中に巻き込まれる いやがおうでも巻き込まれる しかし君に戦う理由などあるのか? 国のため? 大義のため? そんなもののために君は銃で人を狙えるのか? 君は銃剣で人を刺せるのか? 君は人々の上に爆弾を落とせるのか? 若き友たちよ 君は戦場に行ってはならない なぜなら君は戦争にむいてないからだ 世界史上類例のない 69年間も平和がつづいた理想の国に生まれたんだもの 平和しか知らないんだ 平和の申し子なんだ 平和こそが君の故郷であり 生活であり存在理由なんだ 平和ボケ? なんとでも言わしておけ 戦争なんか真っ平ごめんだ 人殺しどころか喧嘩(けんか)もしたくない たとえ国家といえども 俺の人生にかまわないでくれ 俺は臆病なんだ 俺は弱虫なんだ 卑怯者(ひきょうもの)? そうかもしれない しかし俺は平和が好きなんだ それのどこが悪い? 弱くあることも勇気のいることなんだぜ そう言って胸をはれば 何か清々(すがすが)しい風が吹くじゃないか 怖(おそ)れるものはなにもない 愛する平和の申し子たちよ この世に生まれ出た時 君は命の歓喜の産声をあげた 君の命よりも大切なものはない 生き抜かなければならない 死んではならない、が、殺してもいけない だから今こそ!もっともか弱きものとして 産声をあげる赤児のように 泣きながら抵抗を始めよう 泣きながら抵抗をしつづけるのだ 泣くことを一生やめてはならない 平和のために!.

次の

ダニーボーイ Danny Boy 歌詞・日本語訳

ダニー ボーイ

ダニーボーイ Danny Boy 私は安らかに眠り続けます あなたが帰って来てくれるその時まで 自分の元を去ってしまった息子の事を思い続ける親の切ない心境を歌った名曲「ダニーボーイ」。 この曲は、のメロディーに、フレデリック・ウェザリが歌詞をつけたもの。 この曲がどのようにして生まれたのか?曲のエピソード・ルーツは?詳しくはへ。 ダニーボーイは「母親」の歌?「父親」の歌? よく見かけるのは、出兵する子供を想う「母親」の気持ちを歌う歌であるとのコメント。 これに対して、海外のサイトをいくつか見ると、「父親」の心境を歌ったものであるという説もあるようだ。 確かに、歌詞の中では性別がはっきりしていない。 真相は作者本人に訪ねてみるしかないが、なんとなく曲のイメージからして「母親」がしっくりくる気がする。 【関連ページ】 「ユーレイズミーアップ」との関係は? ケルティック・ウーマンの代表曲「」のサビのメロディーは、「ダニーボーイ」のサビにそっくり。 この点については、「」を作曲した音楽グループ「シークレット・ガーデン(Secret Garden )」のメンバーも、作曲にあたって「ダニーボーイ」をベースにしたことを明確に認めているようだ。 歌詞はアイルランド出身の作家に依頼して作詞されたもので、内容的にもアイルランド色が見られる。 O Danny boy, the pipes, the pipes are calling From glen to glen and down the mountainside The summer's gone and all the roses falling 'Tis you, 'tis you must go and I must bide. ああ私のダニーよ バグパイプの音が呼んでいるよ 谷から谷へ 山の斜面を駆け下りるように 夏は過ぎ去り バラもみんな枯れ落ちる中 あなたは あなたは行ってしまう But come ye back when summer's in the meadow Or when the valley's hushed and white with snow 'Tis I'll be here in sunshine or in shadow O Danny boy, O Danny boy, I love you so. 戻ってきて 夏の草原の中 谷が雪で静かに白く染まるときでもいい 日の光の中、日陰の中、私は居ます ああ私のダニーよ、あなたを心から愛しています But if ye come and all the flowers are dying If I am dead, as dead I well may be, You'll come and find the place where I am lying And kneel and say an Ave there for me. すべての花が枯れ落ちる中、あなたが帰ってきて もし私が既に亡くなっていても あなたは私が眠る場所を探して ひざまづき、お別れの言葉をかけるのです And I shall hear, though soft, your tread above me And all my grave shall warmer, sweeter be For you will bend and tell me that you love me And I will sleep in peace until you come to me. 私の上を静かにそっと歩いても私には聞こえる あなたが愛してるといってくれたとき 私は暖かく心地よい空気に包まれるでしょう 私は安らかに眠り続けます あなたが帰って来てくれるその時まで.

次の

ロンドンデリーの歌

ダニー ボーイ

イギリスにとって最初植民地となったアイルランドは、12世紀から800年間に渡って、その宗教と言語(ゲール語)に対して信じられないほどの差別と抑圧を受けた。 1800年頃になると、その地に暮す人々によって幾つもの民謡が生み出されるようになる。 17世紀頃から歌い継がれてきたこの「Londonderry Air(ロンドンデリーの歌)」も、そうした特別な歌の一つだった。 哀愁漂うメロディーが印象的なこの楽曲には作者のクレジットが存在しない。 19世紀にジミー・マッカリーという盲目のヴァイオリニスト(アイルランド人)が路上で演奏していたものを、ジェイン・ロスという女性の民謡収集家(アイルランド人)が聴き取って採譜したという。 ジェインは、その譜面を同じ収集家仲間のジョージ・ペトリに預け、その後、彼の編纂によって1855年発行の『The Ancient Music of Ireland(アイルランドの古代音楽)』に収録された。 辛く悲しい運命に翻弄されながら…ケルト人たちは、このメロディーにさまざまな詞(ことば)をのせて子孫へと歌い継いできた。 もし私がリンゴの花だったなら ねじれた枝からふわり浮かんでふわり落ちて 貴方のシルクの胸元に舞い降りたい もし私が磨かれたリンゴの実だったら 木漏れ日の中でローブが揺れる 金色の髪の貴方にもぎ取ってほしい 20世紀の初頭、世界では人類史上最初の世界大戦(第一次世界大戦)が始ろうとしていた。 1913年、この歌にイギリスの法律家で作詞家だったフレデリック・ウェザリーが「Danny Boy」というタイトルで歌詞をつける。 きっかけはウェザリーのもとにアメリカから義妹が送ってきた一枚の楽譜だったという。 そのメロディーはウェザリーにある歌詞のことを思い出させた。 それは彼が3年前に別の曲の歌詞として書いていたもので、そこには第一次世界大戦を前にした混沌とした世相が描かれていたという。 古くからアイルランドで歌い継がれてきた哀愁漂うメロディーに感銘を受けたウェザリーは、曲に合うように手直しをして「Danny Boy」として歌詞を完成させたのだ。 ああ私のダニーよ バグパイプの音が呼んでいるよ 谷から谷へ 山の斜面を駆け下りるように 夏は過ぎ去り 薔薇もみんな枯れ落ちる中 おまえは…おまえは行ってしまう すべての花が枯れ落ちる中 おまえがここに帰ってきて もしも私が先に死んでしまっていても どうか私が眠る場所を探してひざまづき… 私のために祈りを捧げて欲しい 時が流れ…第二次世界大戦中には、人気歌手のビング・クロスビーがレパートリーとしていたこともあって「Danny Boy」は世界へと広まっていき、戦後の日本でも江利チエミや美空ひばりが歌って人々に愛された。 日本語でもいくつかの歌詞が存在する中、作詞家・作家のなかにし礼が手掛けた日本語歌詞は特に秀逸だ。 2014年、なかにしは平和への願いを込めて毎日新聞夕刊にこんな寄稿(メッセージ)を残している。 集団的自衛権が閣議決定された かくして君たちの日本はその長い歴史の中のどんな時代よりも 禍々(まがまが)しい暗黒時代へともどっていく そしてまたあの醜悪と愚劣、残酷と恐怖の戦争が始まるだろう 巨大な歯車がひとたびぐらっと回りはじめたら最後 君もその中に巻き込まれる いやがおうでも巻き込まれる しかし君に戦う理由などあるのか? 国のため? 大義のため? そんなもののために君は銃で人を狙えるのか? 君は銃剣で人を刺せるのか? 君は人々の上に爆弾を落とせるのか? 若き友たちよ 君は戦場に行ってはならない なぜなら君は戦争にむいてないからだ 世界史上類例のない 69年間も平和がつづいた理想の国に生まれたんだもの 平和しか知らないんだ 平和の申し子なんだ 平和こそが君の故郷であり 生活であり存在理由なんだ 平和ボケ? なんとでも言わしておけ 戦争なんか真っ平ごめんだ 人殺しどころか喧嘩(けんか)もしたくない たとえ国家といえども 俺の人生にかまわないでくれ 俺は臆病なんだ 俺は弱虫なんだ 卑怯者(ひきょうもの)? そうかもしれない しかし俺は平和が好きなんだ それのどこが悪い? 弱くあることも勇気のいることなんだぜ そう言って胸をはれば 何か清々(すがすが)しい風が吹くじゃないか 怖(おそ)れるものはなにもない 愛する平和の申し子たちよ この世に生まれ出た時 君は命の歓喜の産声をあげた 君の命よりも大切なものはない 生き抜かなければならない 死んではならない、が、殺してもいけない だから今こそ!もっともか弱きものとして 産声をあげる赤児のように 泣きながら抵抗を始めよう 泣きながら抵抗をしつづけるのだ 泣くことを一生やめてはならない 平和のために!.

次の