月光 仮面 は 誰 で しょう。 月光仮面は誰でしょう COA 歌詞情報

ハニー・ナイツ 月光仮面(月光仮面は誰でしょう) 歌詞&動画視聴

月光 仮面 は 誰 で しょう

あの有名な「月光仮面は誰でしょう」の歌詞が星勝のブルース風の歌で始まる。 途中タンゴのリズムになり「バギューン、弾丸よりも早く...アッ空を見ろ!~」と、「スーパーマン」のオープニングのセリフになってしまう。 もともと大瀬康一扮する探偵、祝十郎が変身して月光仮面になるという設定の筈が、何故か宇宙人という設定になってしまうというハチャメチャな始まり。 途中通訳の鈴木ヒロミツが、宇宙語をしゃべる星勝の月光仮面にインタビューするのだが、この宇宙語と通訳が、ライブになると毎回演奏するたびに違ってくるという面白さだった。 当意即妙さと出鱈目な通訳の、出てくるものすべてが意表をつく作品だった。 グループ・サウンズと一線を画す意識を持っていたモップスはロックは英語でなければならないと、東芝へ移籍してからはA面の有名曲のモップス・バージョンは勿論オリジナル曲も英語詞のシングル盤を出し続けてきた。 1970年前後、グループ・サウンズ・ブームが段々下火になり、英米でもビートルズ・フォロワー・バンドから変化していったアーティスト達のハード・ロック・バンドや、アート・ロックといわれたバンドなどが盛んになってきた。 レッド・ツェッペリンや、ジェフ・ベックやエリック・クラプトンのクリームなどのヤード・バーズ出身のギタリストがもてはやされて始めていた時代だった。 日本でもジミー・ペイジを完コピしていた成毛茂などを先頭にロック・ギタリストのヒーローが登場してきた。 音楽のムーブメントやロックはモップスが目指しているイメージに近づいてきたと思った。 しかし、イメージとは裏腹にグループ・サウンズ全盛時代のような女性ファンが群がるような状況とは程遠く、レコードの売り上げにはほとんど結びつかなかった。 グループ・サウンズ・ブームから抜け出してロックバンドになっていったゴールデン・カップス、ダイナマイツなどと同様モップスのシングル盤の売り上げも芳しくなく、仕事の中心はジャズ喫茶。 当時のジャズ喫茶は昼の部、夜の部に分かれていて多い時など例えば、昼は銀座のジャズ喫茶5回、夜は池袋のジャズ喫茶5回のようなスケジュールで1ステージ3~40分演奏するのである。 女性客が少なくなったとはいえ、毎回きてくれるファンもいる。 常連客7~8人が昼の部から夜の部までずっと見ていることもある。 そうなると、昼夜10回のステージを全部違う曲でこなしてゆくのがキツイ。 そこで鈴木ヒロミツのトーク・タイムが始まる。 巧みなトークで客を引き付け、演奏が1ステージ2~3曲ということもよくあった。 そんな中でヒロミツの音楽の講義が始まった。 ロックはこういうリズム、ブルースはこういうリズム、タンゴはこういうリズムという違いを同じ曲で演奏する。 その例として取り上げたのが、当時は誰もがみんな知っている「月光仮面は誰でしょう」だった。 そして前述のステージが完成されていった。 これは面白かった。 同行したスタッフもこの曲になるとステージを見に行くほどだった。 東芝レコードのリヴァティ・レーベルの平形忠司プロデューサーが「これをレコーディングしよう」と提案してきた。 もともとステージの時間つぶしでスタートした曲がレコードになるのかなぁ? という疑問はあったが、「面白ければいいんじゃない」というロックバンドらしからぬ結論で録音は始まった。 レコーディングは毎テイク床をたたいて笑うくらい面白かったのだが、いざプレイバックすると妙にしらけてしまうことも多く、出来上がりは意外と時間がかかった。 次はこのハチャメチャな内容が、脚本と作詞をしている気難しそうな作家川内康範氏の許諾が下りるのかが全員の不安の種だった。 リリースすると、モップスとしてはデビュー曲以来のヒットとなった。 テレビの音楽番組も異色のヒット曲としてキー局は勿論、地方局などからも出演依頼がきた。 レコーディング・プロデューサーとマネージャーを兼任していた僕は、朝から夜まで行動を共にしていた。 明け方まで一緒に飲んでいても、マネージャーの僕が早起きして全員に電話をかけて起こすのである。 だが毎回のように誰かが遅れてくる。 テレビ出演でも真面目な性格の星勝以外のメンバーは遅刻の常習者である。 幸い本番に遅れたことは無かったのだが。 おかげで「月光仮面」の音合わせやカメリハでは、ドラムもベースも代役として僕が下手くそな演奏をしたことがある。 時にはヒロミツの代わりに通訳をやった。 星勝の宇宙語を僕の通訳で「ヒロミツが遅れて申し訳ありませんと月光仮面がおっしゃっています」で多少、場が和んだことを思い出した。 ただテレビを見てからファンになった人の中にはロックバンドというよりもコミックバンドという認識をしている人も多かったことも事実である。 当時、2年間だけ、元スパイダーズのリーダーで現在、田辺エージェンシーの社長の田邊昭知氏が、東京音楽出版(ホリプロの音楽制作部門)の社長を務めたことがある。 田邊社長の自宅にモップスメンバーと僕が呼ばれた。 理由はモップスが切り開いたこのジャンルを絶対に死守しろという命令に近いものだった。 ヒロミツの説得力をはるかに凌駕する田邊社長の説得力はハンパなものでは無かった。 コミックバンド扱いされたくないモップスと僕は毎日のようにアイデアを出し合った。 そしてヤマハ主催の「'71作曲コンクール 第3回 」のグランプリを受賞した 「雨/森田純一作詞・菅節和作曲・モップス編曲及び演奏」でようやくトンネルから抜け出した。

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月光仮面は誰でしょう COA 歌詞情報

月光 仮面 は 誰 で しょう

作詞:川内康範、作曲:小川寛興、唄:近藤よし子・キング小鳩会 1 どこの誰かは 知らないけれど 誰もがみんな 知っている 月光仮面の おじさんは 正義の味方よ よい人よ 疾風 (はやて)のように 現れて 疾風のように 去ってゆく 月光仮面は 誰でしょう 月光仮面は 誰でしょう 2 どこかで不幸に 泣く人あれば かならずともに やって来て 真心 (まごころ)こもる 愛の歌 しっかりしろよと なぐさめる 誰でも好きに なれる人 夢をいだいた 月の人 月光仮面は 誰でしょう 月光仮面は 誰でしょう 3 どこで生まれて 育ってきたか 誰もが知らない なぞの人 電光石火 (でんこうせっか)の 早わざで 今日も走らす オートバイ この世の悪に かんぜんと 戦いいどんで 去ってゆく 月光仮面は 誰でしょう 月光仮面は 誰でしょう 《蛇足》 昭和33年(1958) 2月24日から翌年7月5日まで、KRT(現:TBSテレビ) 系列で放映されたドラマ『月光仮面』の主題歌。 『月光仮面』は、川内康範原作・脚本による児童向け冒険活劇で、現在も子どもたちに絶大な人気をもつ仮面・変身ヒーローものの元祖というべき作品。 放映開始の夕方6時(途中から7時からに変更) 前には、銭湯から子どもの姿が消えたといわれるほどの大人気作品でした。 その後も、実写版の映画やテレビアニメが何度か作られ、『少年クラブ』『週刊少年キング』『週刊少年サンデー』や小学館の学年別学習雑誌に漫画が連載されました。 私は、元祖『月光仮面』をリアルタイムでは見ていません。 放映が始まったのは、私が中学卒業を間近に控えたときで、その前年に 修学旅行で 東京に 行きました。 修学旅行生用旅館 のロビーめいた場所で、日本語の吹き替えが2,3秒ずれたアメリカのドラマを見たのが、私にとってのテレビ初視聴でした。 1学年5クラス、計約250人のうち、家にテレビのある者はほとんどいなかったと思います。 テレビ受信契約数が100万を超えたと報じられたのは、昭和33年5月のことです。 東京など大都市と地方とでは、さまざまな面でタイムラグが 大きかった時代でした。 (二木紘三) まさかのアップに感激してます。 昭和33年といえばまだまだテレビの普及度は低く、近所に所有している家庭は一軒も無く、電気屋か大衆食堂で視聴するしかありませんでした。 〈精工舎の時計が7時をお知らせします〉を聴いた時のワクワク感。 小学3年の頃です。 後年思った事ですが(小川寛興という作曲家は傑作を沢山作ってたんだなぁ)と。 「月光仮面」「七色仮面」「豹(ジャガー)の眼」「快傑ハリマオ」。 この「月光仮面は誰でしょう」を歌うと白装束で白いオートバイを駆る月光仮面の映像が鮮明に浮かんできますね。 川内康範の詞も「疾風のように」とか「電光石火の早技で」とか、「この世の悪にかんぜんと」など少年の心を奮い立たせるのに十分余りあるものでした。 上の写真は大型バイクなので、劇場版の大村文武主演のものですね。 33年〈ミッチーブーム〉が沸き起こり、翌年〈御成婚〉。 テレビの普及が本格的に始まることになるのですね。 投稿: かせい 2015年7月 6日 月 01時17分 我が国には一部の人を除いて日常宗教行事に参加するという習慣がありません。 そのためか道徳は学校の教育の一環で教えられています。 『月光仮面』は勧善懲悪の物語ですが、子供達に正義の大切さを教えるという意味で大きな意味があったと思います。 しかも主人公の正体は不明ということになっています。 はやての様に現れて事件を解決し、はやての様に去って行く正体不明のヒーロー像は、無償の愛の表現であり、最近話題になった『伊達直人』を名乗った人達の善意に通ずるものがあると思います。 月光仮面には主題歌以外に、三船浩が歌った『月光仮面の歌』という挿入歌?がありますが、こちらは大人向けの歌詞になっています。 そこでは「貧しい人よ呼ぶがいい、悲しい人も呼ぶがいい」と、高度成長期に必死に日本を支えた人達に対する思いやりが感じられます。 投稿: Yoshi 2015年7月 6日 月 09時45分 なつかしいとは、久しぶりにこのような曲を聴いた時、わきおこる感情ですね。 昭和24年の生まれです。 放映時間には銭湯から子どもの姿が消えたと「蛇足」にありますが、「君の名は」にせまる勢いだったのですね。 私も近くの食堂や、金持ちの家のテレビを見せてもらいにいきました。 入る時、失礼しますと言う、靴をそろえる、行儀よく見る、帰る時、ありがとうございましたと言う、そんなことを母親からしつけられて・・とにかく毎週とんでいきました。 今、you tubeなどで「月光仮面」をみるとなんとちゃちなヒーロー、ちゃちなバイク、ちゃちなストーリーと思ったりするのだが、そう思うことが間違っています。 あれはあれでよかった、子供向けのヒーローを作ってくれ川内康範先生に感謝です。 勧善懲悪の筋立ても入っている、疾風のように去っていく、だらだらと説教などしないところもすぐれたヒーローでした。 月光仮面が登場する時、ハハハハ、ハハハハという高笑いがありましたが、あれがよくわかりませんが、当時の子どもは、すんなり受け止めていました。 そんなこともなつかしい。 投稿: 屋形船 2015年7月10日 金 15時47分 川内康範氏が晩年、週刊誌の取材で、『月光仮面』について回顧しながら語っていました。 「月光仮面は、菩薩の化身であり、仏の意をうけ、この世に派遣された者である。 悪をなくし、善を広める役割を果たすために・・」 仏と菩薩の関係は、天台宗の教義によれば、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞(しょうもん)・円覚(えんかく)・菩薩・仏の十界の最上部に位置し、菩薩は、修業を通じて最終段階の仏に近づくといわれる。 今、話題の派遣社員じゃないが、仏、すなわち如来から差し向けられた者ということです。 月よりの使者とは、如来からの使者ということです。 50歳を越えてこの記事を読み、月光仮面を二度楽しんだような気持ちになりました。 投稿: 越村 南 2015年7月25日 土 13時06分 幼い頃に私が住んでた部落では、近所にテレビがある家がなく、「月光仮面」を初めて見たのは、母が連れて行ってくれた映画でした! 映画の内容はあまり覚えていないのですが、(近藤よしこキング小鳩会)が歌った「月光仮面は誰でしょう」を、すぐに好きになったことと、悪党だった骸骨の顔をした「どくろ仮面」が、印象に残っています。 それでも、5才の頃の私にとって、この映画のインパクトは大きく、最初に意識した、正義の味方は「月光仮面」でした。 家にあった包帯を顔に巻き、額の部分に紙で作った三日月をのりでつけ、風呂敷をマント代わりにして、月光仮面の格好をして遊んだりしましたが、大切な包帯を勝手に使ったり、汚したりしたので、母に叱られた記憶もあります。 その後、次々と始まった人気番組「七色仮面」や「アラーの使者」は、部落で一件だけテレビがあった、近所の駄菓子屋さんに、子供たちで集まり、少しのお菓子を買っては、何とか毎週見せてもらっていました。 そして36才の頃、会社の視察旅行で行った宿泊するホテルで、カラオケ大会があったのですが、大勢の参加者だったので、私は意表をついて選曲欄にあった「月光仮面は誰でしょう」を歌いました。 すると結果発表では思いがけない特別賞となり、景品のパナソニックビデオカメラブレンビーをもらいました。 そんな想い出もあり、この歌には特別な愛着があります。 投稿: 芳勝 2018年3月 2日 金 01時07分.

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「月光仮面」は誰でしょう

月光 仮面 は 誰 で しょう

あの有名な「月光仮面は誰でしょう」の歌詞が星勝のブルース風の歌で始まる。 途中タンゴのリズムになり「バギューン、弾丸よりも早く...アッ空を見ろ!~」と、「スーパーマン」のオープニングのセリフになってしまう。 もともと大瀬康一扮する探偵、祝十郎が変身して月光仮面になるという設定の筈が、何故か宇宙人という設定になってしまうというハチャメチャな始まり。 途中通訳の鈴木ヒロミツが、宇宙語をしゃべる星勝の月光仮面にインタビューするのだが、この宇宙語と通訳が、ライブになると毎回演奏するたびに違ってくるという面白さだった。 当意即妙さと出鱈目な通訳の、出てくるものすべてが意表をつく作品だった。 グループ・サウンズと一線を画す意識を持っていたモップスはロックは英語でなければならないと、東芝へ移籍してからはA面の有名曲のモップス・バージョンは勿論オリジナル曲も英語詞のシングル盤を出し続けてきた。 1970年前後、グループ・サウンズ・ブームが段々下火になり、英米でもビートルズ・フォロワー・バンドから変化していったアーティスト達のハード・ロック・バンドや、アート・ロックといわれたバンドなどが盛んになってきた。 レッド・ツェッペリンや、ジェフ・ベックやエリック・クラプトンのクリームなどのヤード・バーズ出身のギタリストがもてはやされて始めていた時代だった。 日本でもジミー・ペイジを完コピしていた成毛茂などを先頭にロック・ギタリストのヒーローが登場してきた。 音楽のムーブメントやロックはモップスが目指しているイメージに近づいてきたと思った。 しかし、イメージとは裏腹にグループ・サウンズ全盛時代のような女性ファンが群がるような状況とは程遠く、レコードの売り上げにはほとんど結びつかなかった。 グループ・サウンズ・ブームから抜け出してロックバンドになっていったゴールデン・カップス、ダイナマイツなどと同様モップスのシングル盤の売り上げも芳しくなく、仕事の中心はジャズ喫茶。 当時のジャズ喫茶は昼の部、夜の部に分かれていて多い時など例えば、昼は銀座のジャズ喫茶5回、夜は池袋のジャズ喫茶5回のようなスケジュールで1ステージ3~40分演奏するのである。 女性客が少なくなったとはいえ、毎回きてくれるファンもいる。 常連客7~8人が昼の部から夜の部までずっと見ていることもある。 そうなると、昼夜10回のステージを全部違う曲でこなしてゆくのがキツイ。 そこで鈴木ヒロミツのトーク・タイムが始まる。 巧みなトークで客を引き付け、演奏が1ステージ2~3曲ということもよくあった。 そんな中でヒロミツの音楽の講義が始まった。 ロックはこういうリズム、ブルースはこういうリズム、タンゴはこういうリズムという違いを同じ曲で演奏する。 その例として取り上げたのが、当時は誰もがみんな知っている「月光仮面は誰でしょう」だった。 そして前述のステージが完成されていった。 これは面白かった。 同行したスタッフもこの曲になるとステージを見に行くほどだった。 東芝レコードのリヴァティ・レーベルの平形忠司プロデューサーが「これをレコーディングしよう」と提案してきた。 もともとステージの時間つぶしでスタートした曲がレコードになるのかなぁ? という疑問はあったが、「面白ければいいんじゃない」というロックバンドらしからぬ結論で録音は始まった。 レコーディングは毎テイク床をたたいて笑うくらい面白かったのだが、いざプレイバックすると妙にしらけてしまうことも多く、出来上がりは意外と時間がかかった。 次はこのハチャメチャな内容が、脚本と作詞をしている気難しそうな作家川内康範氏の許諾が下りるのかが全員の不安の種だった。 リリースすると、モップスとしてはデビュー曲以来のヒットとなった。 テレビの音楽番組も異色のヒット曲としてキー局は勿論、地方局などからも出演依頼がきた。 レコーディング・プロデューサーとマネージャーを兼任していた僕は、朝から夜まで行動を共にしていた。 明け方まで一緒に飲んでいても、マネージャーの僕が早起きして全員に電話をかけて起こすのである。 だが毎回のように誰かが遅れてくる。 テレビ出演でも真面目な性格の星勝以外のメンバーは遅刻の常習者である。 幸い本番に遅れたことは無かったのだが。 おかげで「月光仮面」の音合わせやカメリハでは、ドラムもベースも代役として僕が下手くそな演奏をしたことがある。 時にはヒロミツの代わりに通訳をやった。 星勝の宇宙語を僕の通訳で「ヒロミツが遅れて申し訳ありませんと月光仮面がおっしゃっています」で多少、場が和んだことを思い出した。 ただテレビを見てからファンになった人の中にはロックバンドというよりもコミックバンドという認識をしている人も多かったことも事実である。 当時、2年間だけ、元スパイダーズのリーダーで現在、田辺エージェンシーの社長の田邊昭知氏が、東京音楽出版(ホリプロの音楽制作部門)の社長を務めたことがある。 田邊社長の自宅にモップスメンバーと僕が呼ばれた。 理由はモップスが切り開いたこのジャンルを絶対に死守しろという命令に近いものだった。 ヒロミツの説得力をはるかに凌駕する田邊社長の説得力はハンパなものでは無かった。 コミックバンド扱いされたくないモップスと僕は毎日のようにアイデアを出し合った。 そしてヤマハ主催の「'71作曲コンクール 第3回 」のグランプリを受賞した 「雨/森田純一作詞・菅節和作曲・モップス編曲及び演奏」でようやくトンネルから抜け出した。

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