さよならの今日に 歌詞。 さよなら・今日は

【藤井風/さよならべいべ】歌詞をもとにプチ小説作ってみた

さよならの今日に 歌詞

あいみょん• J-Pop• provided courtesy of iTunes 新曲『さよならの今日に』の歌詞もそうだ。 具体的なメッセージを伝えようとはしていない。 歌詞の主人公がどのような人物なのかもよくわからない。 それなのに心をつかまれる。 自分のことを歌ってくれているような気持ちになって共感する。 結論も結末もわからない歌詞 あいみょんは歌詞で結論を出そうとしない。 結末も教えてくれないのだ。 『さよならの今日に』は「過への後悔があった上で明日をどのように生きていくか」がテーマの歌詞に感じる。 泥まみれの過去が 纏わりつく日々だ 鈍くなった足で ゴールのない山を登る 恋い焦がれたこと 夢に起きてまた夢見たこと これまでを切り取るように 頭の中を巡る 明日が来ることは解る 昨日が戻らないのも知ってる できれば やり直したいけれど 切り捨てた何かで今があるなら 「もう一度」だなんて そんな我儘 言わないでおくけどな それでもどこかで今も求めているものがある 不滅のロックスター 永遠のキングは 明日をどう生きただろうか 傷だらけの空が やけに染みていく今日 鈍くなった足で 河川敷をなぞり歩く 涙がでることは解る 気持ちが戻らないのも知ってる それなら 辞めてしまいたいけれど 残された何かで今が変わるなら 「もう一度」だなんて そんな情けは言わないでおくけどな それでもどこかで今も望んでいる事がある 伝説のプロボクサー 謎に満ちたあいつは 明日をどう乗り越えたかな 吹く風にまかせ 目を閉じて踊れ 甘いカクテル色の空を仰げ そんな声が聞こえる 切り捨てた何かを拾い集めても もう二度と戻る事はないと 解っているのにな 切り捨てた何かで今があるなら 「もう一度」だなんて そんな我儘 言わないでおくけどな それでもどこかで今も求めているものがある 不滅のロックスター 永遠のキングは 明日をどう生きただろうか 伝説のプロボクサー 謎に満ちたあいつは 明日をどう乗り越えたかな しかし歌詞の主人公がどのような結論を出したのかはわからない。 悩んだままで終わる。 考えた末に何も変わっていない。 あいみょんの歌詞の特徴の一つが「変わらないこと」を歌うことかもしれない。 『君はロックを聴かない』『マリーゴールド』などの代表曲でもそれは共通している。 『マリーゴールド』では愛する人との変わらない日々を歌っている。 あいみょん• J-Pop• provided courtesy of iTunes それは日常を切り取ったような歌詞で、結論も結末もいらないのかもしれない。 意味やメッセージを込めた歌というよりも、物語を見るような感覚。 それに共感したり入り込むことで、リスナーに寄り添ってくれるような歌詞だ。 『さよならの今日』は結論や結末が決まらない部分は、『マリーゴールド』や『君はロックを聴かない』の歌詞に通ずるものがあるかもしれない。 しかし内容や方向性は違う。 『さよならの今日に』は出来事を歌っているわけではなく、心情を歌っているのだ。 明るくはない歌詞 『さよならの今日に』は主人公以外の登場人物は出てこない。 過去に主人公だけしか出てこない歌詞はあった。 『真夏の夜の匂いがする』『19歳になりたくない』などだ。 あいみょん• ロック• provided courtesy of iTunes 明日になれば私 何か変わっちゃうかな どうにもこうにも想像できない 19歳になりたくない 『19歳になりたくない』では上記のフレーズから始まる。 19歳になる前の心情という具体的なシチュエーションの曲。 「小中高と進んで逃げ方も覚えた」「カメラを片手にギターを背負い」というフレーズから高校を一度退学した経験もあり、プロのミュージシャンを目指していた自身の体験を歌ったドキュメント的な歌に思う。 しかし『さよならの今日に』は少しだけ違う内容だ。 『真夏の夜の匂いがする』の主人公とは違い、落ち込んでいる。 悩みや後悔や苦しみを感じている。 『19歳になりたくない』の歌詞のように何に対して悩んでいるのか具体的な理由がわからない。 状況や環境や立場もわからない。 歌詞の内容が抽象的なのだ。 つかみどころのない歌詞。 明るくはない内容。 しかし歌詞に共感してしまう。 歌の世界に入り込んでしまう。 それにも理由があるのではと思う。 具体的と抽象的の中間 泥まみれの過去が 纏わりつく日々だ 鈍くなった足で ゴールのない山を登る 抽象的な表現だが「泥まみれ」「鈍くなった」などの表現によりマイナスな感情であったり、悪い状況であることが伝わる歌い出し。 明日が来ることは解る 昨日が戻らないのも知ってる できれば やり直したいけれど BメロではAメロと違い、比喩表現を使わず具体的な表現になる。 当たり前のことで誰もが理解していることを歌う。 「できればやり直したいけれど」という誰もが思ったことがあるであろう内容を歌っている。 切り捨てた何かで今があるなら 「もう一度」だなんて そんな我儘 言わないでおくけどな それでもどこかで今も求めているものがある 不滅のロックスター 永遠のキングは 明日をどう生きただろうか サビでは「何か」という言葉を使い、あえて確信に触れず曖昧な表現にする。 リスナーによって「何か」の受け取り方は変わるので、感情移入しやすくなる。 「不滅のロックスター」という具体的でありつつも抽象的な部分も含んでいる表現によって、リスナーとの距離を詰めているように思う。 有名で評価されている一流のロックミュージシャンをリスナーに想像させる歌詞。 しかし特定の誰かを指しているわけではないので、聴き手によって思い浮かぶミュージシャンは違う。 だからリスナーが曲に入り込んでしまう。 自分の頭に浮かんだ「不滅のロックスター」が明日をどのように生きたのかを想像してしまう。 具体的な表現と抽象的な表現を使い分けたり、組み合わせることで歌詞を組み立てる。 具体的すぎると曲に入り込める人を選別してしまう。 抽象的すぎると曖昧な表現ばかりになり説得力がなくなる。 このバランスが取れているから、あいみょんの歌は多くの人に響くのかもしれない。 それに加えて『さよならの今日に』では、もう1つ工夫がなされている。 一人称と二人称が出てこない この歌の主人公は男性なのか女性なのかわからない。 「僕」や「私」などの一人称が出てこないからだ。 これが共感させたり、歌の世界に入り込ませる工夫の一つに思う。 『マリーゴールド』でも一人称は出てこなかった。 だから主人公が男か女かもわからない。 リスナーに委ねられている。 だから聴いていて想像が膨らむ。 だから多くの人が共感や感動をしてヒットしたのだと思う。 『さよならの今日に』は一人称だけでなく「君」や「あなた」など二人称も出てこない。 主人公の性別も年齢も立場も分からない。 自分以外の誰かがいるのかも分からない。 主人公についても他の登場人物についても、リスナーの想像に任されている。 そのため自分に置き換えて歌の世界に入り込みやすい。 自分の経験や考えと照らし合わせることができる。 具体的な表現と抽象的な表現が組み合わさっているので、歌の世界観に入り込みやすい。 あいみょんはリスナーやファンに媚びているわけではないと思う。 自分の個性を活かしながら表現をしているように思う。 自分の表現をしつつもリスナーの入り込む隙をあえて作っているのだ。 特に『さよならの今日に』はその傾向を感じる。 だから自分は『さよならの今日に』の歌詞にグッと来たのだ。 あいみょんはずっと変わらない• あいみょん• J-Pop• provided courtesy of iTunes 『憧れてきたんだ』という曲がある。 2017年に発表された楽曲。 あいみょんがブレイクする前の楽曲だ。 『憧れてきたんだ』ではこのように歌われている。 私が知ってるロックスターなら 数年前に墓の中 掘り起こせ 掘り起こそう ギターをまた握らせてやろう 私の知ってるシンガーソングライター 数年前にメジャーを辞めた 歌うこと 歌うこと まだ続けていてくれよお願いだ 憧れて 憧れて 憧れてきたんだ あなた達が奏でた音で 私は変わったんだ 『憧れてきたんだ』でも『さよならの今日に』と同じように「ロックスター」という言葉が出てくる。 あいみょんは売れる前も売れてからも誰かに憧れて、それによって心を動かされたり力をもらったのだと思う。 ヒットした理由や人気アーティストで居続けている理由は、音楽の間口が広がったからだと思う。 聴く人を選ぶ過激な歌詞も減ったし、個人的な心情を吐露したり偏った内容の歌詞は減った。 しかし根っこの部分は変わっていない。 あいみょんは変わらずに音楽を作り続けている。 最も大切な部分が変わらないから音楽に説得力が増す。 変わらない部分に感動することもある。 『さよならの今日に』でも変わらないあいみょんを感じたからこそ、聴いていて心が動かされた。 ただ変わった部分もあるのだとは思う。 あいみょん自身というよりも、周囲が変わったように思う。 憧れてきたんだ あなた達が奏でた音で 私は変わったんだ あいみょんは『憧れてきたんだ』でこのように歌っていたが、今は「あいみょんが奏でた音で私は変わったんだ」と感じている人が数え切れないほどたくさん居ることだ。 あいみょんの音楽が、多くの人を感動させるようになった。 これはあいみょんがヒットしたことによって変わったことだ。

次の

あいみょん さよならの今日に 歌詞

さよならの今日に 歌詞

歌詞は途中から始まるため何の「中をめぐる」のかは分かりません。 ここでは少しどのような単語が前につくのか 予想してみたいと思います。 「めぐる」の漢字はいくつかあり、意味としては 「巡る」と 「廻る」の2種類があります。 まず「巡る」これは いろいろな場所を見回るときに使われます。 こちらの意味として使われている場合を考えてみましょう。 おそらく前の歌詞には場所や風景のような単語が使われていると予想できます。 しかし、注目したいのはその前に「中」という単語が使われていることです。 そのため風景ではなく、美術館などの 建物の中を巡っていると考えられます。 いろいろな場所を巡ることで、「明日」のことについて理解するのでしょう。 もうひとつの「めぐる」は「廻る」または 「回る」とも書くことができます。 こちらは字の通り「まわる」という意味です。 例えば地球が「廻る」などのように使われますね。 「中」で廻るものを考えると、体の中を流れる血液などがあります。 しかし、歌詞の流れを考えても何かが回って「明日」について解るとは考えにくいです。 そのため普通に考えれば「巡る」という単語が、歌詞では使われていそうですね。 ただその予想をいい意味で裏切ってくるのがです。 彼女の独特な世界観がどのように歌詞を紡いでいくのでしょうか? 今から フルバージョンの公開に期待が膨らみますね。 もしもの人生は 私達は常に前に進まないといけません。 昔のことを思い出すことはできても、 昔に戻ることは決して出来ないのです。 あいみょんがここで歌っているのは、当たり前のことですが 無常を感じますね。 私たちの人生で ターニングポイントというのはどこかでやってきます。 あのとき夢を追いかけていればどうなっていたのでしょうか? 有名人になっていた未来もあったかもしれません。 またや告白なども過去を振り返るときの定番ですね。 したとき、 どんな行動をしていたら私たちは 別れずにすんだのか考えます。 あのとき告白していたら、想い人と結ばれていたのかを夢想します。 人生のifを考え始めるときりがありません。 それは歌にあるようにあいみょんも同じなのでしょう。 彼女ほど成功したアーティストでも、 やり直したいことはあるんですね。 僕らは今を生きている 選ばなかった未来 人生は選択肢の連続です。 今までの生活が180度ひっくり返ってしまうようなもの。 ランチは何を食べようかという日常の些細なもの。 実際アメリカの研究で、人は1日に 約35,000回の選択をしているようです。 秒数にするとおよそ2秒~3秒に1回、私たちは無意識に選択をしています。 もちろん選択をしているということは、歌詞にあるように 切り捨てられた選択もあります。 気づいていないだけで、私たちが歩んできた道には 多くのifがあったのです。 先ほどの見出しで人生のターニングポイントについて触れました。 ただそれは私たちが考えるような重大な決断ではなく、もっと 日常に潜んでいるかもしれません。 些細な選択でも、もしかしたら交通事故に繋がった可能性があります。 もしかしたら、 今生きているのは奇跡なのかもしれません。 そう考えると、いま生きているということの素晴らしさを実感できます。 もちろん人生をやり直したい気持ちはとても分かります。 ただもう一度人生をやり直したいと思う前に、今の人生に目を向けてみませんか? あなたが望んだifの人生はもしかしたら、すでに途切れているのかもしれません。

次の

【たま さよなら人類】あの歌詞の意味が知りたいです。どなたか教えて下...

さよならの今日に 歌詞

この項目では、で放送されたテレビドラマの『さよなら・ 今日は』について説明しています。 のシングル「さよなら こんにちわ」については「」をご覧ください。 さよなら・今日は ジャンル 脚本 演出 出演者 ほか オープニング まがじん「愛の伝説」 製作 プロデューサー 制作 放送 放送国・地域 放送期間 - 放送時間 土曜 21:00 - 21:55 放送枠 土曜ドラマ 日本テレビ 放送分 55分 回数 26 特記事項: 日本テレビ開局20周年記念番組。 『 さよなら・今日は』(さよなら・こんにちは)は、から1974年まで夜9時から1時間枠で、系列で「」として放送されたテレビドラマ。 「日本テレビ開局20周年記念番組」の一環として制作された。 造船会社に勤める吉良友二郎 山村聰 を中心に、友次郎の腹違いの弟・洋司 山口崇 、長女の夏子 浅丘ルリ子 、次女で養女の緑 中野良子 、長男の太郎 原田大二郎 、太郎の妻・路子 小鹿ミキ 、三女で心臓弁膜症の愛子 栗田ひろみ などが、吉良家の家族として出演している。 また、夏子の夫で防災洋品店「諏訪」を経営する伊藤良平 林隆三 、その妹で喫茶店「鉄の馬」のママ・伊藤冬子 大原麗子 、伊藤家の母親 森光子 、吉良家の嫁である路子の兄・高橋清 緒形拳 、路子や清の母・高橋菊代 山田五十鈴 、高橋家の父・高橋作造 森繁久彌 、「鉄の馬」のバーテン・和気一作 原田芳雄 、一作が連れて歩く友人の遺児・まゆみの母親 緑魔子 、老人ホームで暮らすまゆみの祖父 中村是好 、友二郎が勤める造船会社の重役 加東大介 、愛子の家庭教師・伊達源吉 藤村俊二 、吉良邸の敷地の地主で源吉の叔父・伊達源三郎 鈴木瑞穂 、夏子の勤め先であるブティックの経営者で洋司の愛人 水野久美 、愛子の担当主治教授 久米明 、太郎のレコード会社の同僚 団次郎 、太郎の知り合いのバンマス 鈴木ヤスシ など、当時としてもたいへん豪華な俳優陣で話題を呼んだ。 下落合でもロケーションが行われ、「おとめ山公園」と落合第四小学校との間に通う相馬坂を下る、三姉妹 夏子・緑・愛子 のロケシーンからスタートしている。 「桜の洋館」と呼ばれた吉良邸は、落四小学校のチャイムが間近に聞こえる丘上あたりに建っている設定となっているが、ドラマの第23回「子供は誰のもの」の中で、吉良夏子 浅丘ルリ子 が「下落合2丁目801番地」と発言するシーンがある。 ドラマが放映された1973~1974年当時、このような住所はすでに存在しないが、1965年以前の旧・下落合 現・中落合/中井2丁目含む には実在した住所であり、下落合の薬王院北側に拡がる住宅街の一画あたりだ。 その周辺は、洋画家の鶴田吾郎、満谷国四郎、鈴木良三、有岡一郎、彫刻家の夏目貞良など数多くの芸術家が、軒並みアトリエを構えていたエリアであり、また吉良邸の近くにはクレヨン工場の廃墟が登場するなど、同ドラマの制作スタッフの中に、下落合地域の美術分野についての側面にたいへん詳しい関係者がいたものと思われる。 旧・下落合 現・中落合/中井2丁目含む は、大正期から美術関係者や文学関係者が多数住み着いてきた地域であり、「目白文化村」や「近衛町」に代表されるハイカラな西洋館やアトリエが林立していた、いわば「芸術村」的な性格が強い街並みを形成している。 「さよなら・今日は」は、そのような明治以降に形成された新山手の住環境をベースに、家族の出会いと別れをていねいに綴ったドラマとして、高く評価された。 サブタイトル [ ] 放送回 サブタイトル 放送月日 演出 第1回 - 1973年10月6日 石橋冠 第2回 - 10月13日 吉野洋 第3回 - 10月20日 第4回 - 10月27日 石橋冠 第5回 - 11月3日 吉野洋 第6回 結婚前の浮気 11月10日 第7回 亡き母の日記 11月17日 石橋冠 第8回 離婚! 最後のデート 11月24日 吉野洋 第9回 父と娘 12月1日 小杉義夫 第10回 嫁の母親 12月8日 吉野洋 第11回 手作りの羽子板 12月15日 石橋冠 第12回 それぞれの贈り物 12月22日 第13回 女同士 12月29日 小杉義夫 第14回 正月の結婚式 1974年1月5日 第15回 男の約束 1月12日 吉野洋 第16回 旅立ちのとき 1月19日 石橋冠 第17回 気になるあいつ 1月26日 吉野洋 第18回 海を見たい! 2月2日 石橋冠 第19回 おふくろには内緒 2月9日 第20回 愛子よがんばれ! 2月16日 吉野洋 第21回 十七歳、その生命 2月23日 石橋冠 第22回 父親誕生 3月2日 第23回 子供は誰のもの 3月9日 第24回 能登路の姉妹 3月16日 第25回 花咲く家族 3月23日 吉野洋 第26回 別れも楽し 3月30日 石橋冠 出演 [ ]• 吉良友二郎:• 吉良夏子:• 吉良緑:• 吉良愛子:• 吉良太郎:• 吉良路子:• 吉良洋司:• 高橋清:• 伊藤良平:• 伊藤和代: - 良平の母• 伊藤冬子:• 和気一作:• 高橋菊代:• 高橋作造:• 造船会社の重役:• 伊達源吉:• 伊達源三郎:• 誘子(まゆみの母):• まゆみの祖父:• まゆみ:名和真由美• ほか スタッフ [ ]• 脚本:、、• 音楽:• ディレクター:、、• プロデューサー:、• 制作:日本テレビ 主題歌 [ ]• 「愛の伝説」(作詞:、作曲・編曲:坂田晃一、歌:) -から1973年11月10日発売• 「さよなら今日は」(作詞:、作曲・編曲:坂田晃一、歌:) 系 前番組 番組名 次番組.

次の