死に たい。 希死念慮・自殺願望・死にたい気持ちへの対処法 [メンタルヘルス] All About

「死」と向き合うことで、生きることを考える。ロンブー田村淳さんが慶應大学院で実現したいこと

死に たい

この本を読むまでは、私自身、著者が指摘されているように、健康な今の自分の意識を投影して、「よりよい死」を考えているに過ぎませんでした。 しかし、この本を読むことによって、私自身が、社会のなかで「強い自分」をたえず求められ、「弱い自分」や「一貫性のない自己」を否定し、抑圧しているに過ぎないということに気づかされました思いでおります。 著者は本書のなかで、「よりよい死」(安楽死や尊厳死)を語る前に、よりよく生きる社会、自分の生き方を追求することを尊重できる社会をつくることが重要だ説きます。 人が生きていうくうえで当然と思われるような内容ではありますが、それが当然のことではなくなっている今日の社会だからこそ、多くの人に手に取って読んでもらいたいと思いました。 心肺停止13分間の際に臨死体験をした私に言わせれば、この本は死について語る本ではまったくない。 生について語る本である。 もし、一文でまとめるなら、この本に書いてあることは、 生きるに値する命と、生きるに値しない命という考えはいったいどこから来ているのかよく自覚する必要がある。 以上である。 よい意味でも悪い意味でも、それ以上のことは書いていなくて、安楽死・尊厳死への賛成や反対もはっきりとは書いていない。 生きるに値しない命という考えのどこかに何かの勘違いがないか?という問いはかなり強いので、どちらかというと安楽死・尊厳死について反対にやや傾いているように感じられはするが、その意見を言うために書いたものではないと感じた。 安楽死・尊厳死について考えるならば、その前に「生きるに値しない命」という考え方は、どのようにして発生するのかについて、よく自覚し、観察しておかねばならぬのではないか。 そう書いてあるだけである。 それはたとえば、比較的健康な今の自分が、痴呆のために自分がわからなくなったり、病や障碍による機能不全のために殆ど何もできなくなった際の自分に対して、前もって「投影している」考えではないか。 そう安藤氏は個々に問いかける。 またどのような状態の自分になったとしても、生きるに値すると感じ続けるための援助や社会的手立てが、十分に整っていなかったり、そのような援助を受けるための情報を十分に得ていないときの考えではないか。 そのように社会的にも問いかける。 この二つは別の側面ではあるが、まったく別々のことであるわけではない。 個人的な価値観と社会的な価値観はどのような事柄についても密接に繋がっている。 「生きるに値する命」という考えについても同様である。 この本の前書きはナチスドイツで作成されたことのある安楽死についての法案の条文で始まっている。 一方、今の日本の政権は、ナチスを見習えばいいと公言したことのある閣僚を抱えている。 いや政権だけではなく、人々の生に関する考え方はどうなのだろうか。 有能であること、役に立つこと、周囲に「迷惑」をかけないことへの圧力は、異様に高まっており、それはまた自分自身の心にまで内面化されていないだろうか。 「生きるに値する命」と「生きるに値しない命」の境界線はいったいどこにあるのか。 いや、「生きるに値しない命」というものがそもそもあるのか。 人は死という究極の現実についてまで、自己決定権という言葉をたやすく使ってしまうことがある。 しかし、それはどのような価値観の社会の中で内面化された「自己決定」なのか。 そのことはけっして無視することができない。 「死ぬか植物人間です」と医師に宣告されてから10日後、私は、自発呼吸と意識を取り戻した。 その際の私は、常に激しい痙攣に見舞われ、幻と現実の間をさまよい続けていた。 たくさんの医療器具に繋がれ、その医療器具を自分で引きちぎらないようにするための拘束具によって、ベッドに縛り付けられていた。 だが、私には生きる意志があった。 「この拘束具を外しなさい。 虐待で告訴する」と医療関係者に言い続けた。 ) 友人からの最初の見舞い品は録音機だった。 その録音機に私が最初に吹き込んだ声は「臨死体験ですべてがわかった。 それを録音するから書き起こしてくれ」というものだった。 手指が動くようになるとすぐに私は宇宙がどのような構造で成り立っているかについての、臨死体験における理解をミミズが這いずり回ったような字で書き始めた。 (残念ながらその「お筆先」は通常の意識状態にもどった私には解読不能である。 ) やがて私はパソコンで文字を打てるようになり、病院で小説を書き始めた。 退院後の6年間に3冊の書物を発表し、過去の書物の改訂増補版を作った。 私が意識不明のとき、家族は問われていた。 口腔からの人工呼吸器は感染症に罹りやすい。 植物状態になることを覚悟して、気道切開し、そこから人工呼吸器に繋いで延命をはかりますか? 家族が決断の期限を迎える頃、死体のようだった私の体が激しい痙攣を始めた。 家族は驚いたが、看護師が「自発呼吸を再開しようとしている兆しです」と説明したという。 そして、気道切開の決断の期限を迎える直前に私は、自発呼吸と意識を回復した。 今、考えるとよくあの状態で一度も「死んだ方がよかった」と思わなかったもんだなと思ったりもするのだが、私は一度も死んだ方がよかったと思ったりはしなかった。 完全に病床に繋ぎ止められた状態で、権利の主張を始め、録音機に私が価値あると思った言説を呂律の回らぬ声で録音し始めた。 どこまで回復するのかは未知であったが、それを一所懸命確かめることより、その状態でできることをすぐに開始した。 自分でもびっくりするわ) この本を読みながら、あのときの自分を振り返って、思い出すままに書いてみたが、かく言う私にも、安楽死・尊厳死については、誰もがこう考えるべきだという結論があるわけではない。 安楽死・尊厳死についてのブックレットです。 中味はズバリ、タイトルそのものです。 昨今、安楽死・尊厳死に関する書籍やテレビなどが広がりを見せています。 しかしながら、安楽死・尊厳死とは一体何でしょうか? 実はこうした言葉の定義が置き去りになっている印象があります。 本書はそれに対する論考をきちんとやっています。 つまり安楽死・尊厳死とは何かをクリアカットに解説し、同時にまた、世間ではその定義が全然クリアに理解されていない現状を指摘しています。 どんな議論でもそうですが、テーマとなる「言葉」の定義があやふやだとそこから議論が深まるということはあり得ません。 語る前に知ることとして、筆者は精密に説明してくれています。 そしてこうした言葉をしっかりと理解した上で、今日の医療の問題点を整理していきます。 医療=病気を治すこと・・・こうした定義が昔からありましたが、現在ではそういう狭いとらえ方では医療は語れません。 医療は、再生医療などを含めてまだまだ進歩していくはずですが、今から四半世紀前と比べれば、その進歩はかなり飽和状態に達していると思います。 たとえば、かつて癌は死病でした。 しかし今はそうではありません。 早期診断・早期治療の様式が確立しています。 その一方で、私たちの大多数は癌で命を失います。 癌を治す手順がチャート化された一方で、多くの病院が緩和病棟やチームを構えるようになりました。 つまり、医療=病気を治すという観念で医者をやっている人はかなり減っているということです。 そうであればこそ、医師たちは、生をどう閉じるのかについてさらに真剣に考える必要があります。 この本の最後には、「死にたい」と思っている患者が「生きたい」と思えるような手立てを医療が十分にやっているか・・・そこが問われていると書かれています。 まったく同感です。 緩和ケアというのは、痛みを取っておしまいという訳ではありません。 そうであってはいけません。 本書には大事なことがたくさん書かれています。 おそらく筆者には語り足りなかったことがたくさんあるのではないでしょうか? それは読者への宿題となるはずです。 書籍やテレビで安楽死・尊厳死に関心を持ったら、この本を読んで考えを深めていってください。 多くの人にお勧めできる一冊です。

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「死認めて」が奪う生きたい意欲 れいわ・舩後氏の懸念:朝日新聞デジタル

死に たい

死生観とは 死生観とは、文字通り 「死」と「生」についての考え方のこと。 死は誰にでもいつか必ず訪れるという前提で、どのように生きるかを考えることです。 死生観は信仰している宗教に影響されることが多いと言われます。 しかし死後の世界は未知のため、死に対する考え方や価値観は人それぞれです。 日本人は特定の宗教を信仰しない「無宗教」の人が多いので、宗教による影響は少ないと言われています。 死について考える時期やきっかけも人それぞれです。 例えば家族や友人が亡くなったり、自分自身が大病や事故で生死をさまよう体験をしたりすると、死について考えるきっかけになるでしょう。 以前の日本では、死について語ることはタブー視され、公に考える機会がほとんどありませんでした。 しかし、最近は「終活」がブームとなり、自分の死に対する準備を始める人も増えてきました。 死生観は時代によって変わるものです。 死について考えることを前向きに捉え、「今をいかに生きるか」に目を向けることは人生の最期を豊かなものにするきっかけになるはずです。 出典:『平成27年度 高齢化の状況および高齢社会対策の実施状況』(内閣府) 2019年6月25日時点 内閣府が発表している「高齢化の状況及び高齢社会対策の実施状況」では、60歳以上の男女のうち「介護を受けたい場所」を「自宅」と回答している人が男性で42. 2%、女性では30. 「介護老人福祉施設に入所したい」と回答しているのが男性で18. 3%、女性で19. 1%となっています。 また「病院などの医療機関へ入院したい」と回答した人の割合は男性で16. 7%であるのに対し、女性は23. 1%となっています。 女性は男性よりも病院や医療機関での介護生活を望む傾向が高くなっている傾向が窺えます。 さらに、同調査では 「どこで最期を迎えたいか」という問いに対して半数以上が「自宅」を望み、5人に1人以上が「病院などの医療施設」を望んでいることも明らかになっています。 死ぬ前にやりたいことを考えてみる 人生の最後を考えるにあたっては、「やり残したこと」「やっておきたいこと」についても思いをめぐらせてみましょう。 しかし、今の生活に満足している方ならすぐに「あれがやりたい」とは思いつかないかもしれませんね。 そんなときは、これまでの人生を振り返り、自分の記憶と向き合ってみましょう。 「自分史」のようなものを書いてみるのもいいかもしれません。 これまでのことを振り返ってみると、忘れていた思いがよみがえったり、新しい発見があったりするもの。 そうすると、 「学生時代の友人と会いたい」「新婚旅行の場所にもう一度行きたい」など、やりたいことが思い浮かんでくるはずです。 思い浮かんだやりたいことをリスト化し、すぐに実現できるものから実行していけば、後悔が少ない最期を迎えられるでしょう。 出典:『ホスピス・緩和ケアに関する意識調査2018年』(ホスピス財団) 2019年6月25日時点 また、同調査では多くの人が理想の死に方として「ある日、心臓病などで突然死ぬ」という「ぽっくり願望」を持っていました。 この理由としては、「家族に迷惑をかけたくないから」というものが大多数を占めています。 一方で、「病気などで徐々に弱って死ぬ」ことを理想と考える人は、その理由として「死の心づもりをしたいから」と挙げています。 また普段、子が親と離れて暮らしていれば、故人がどんな交友関係を築いていたのかがわからず、亡くなったことを誰に知らせればいいのか困ってしまうことが起こりえます。 また、生命保険をかけていても遺族がそのことを知らずに請求できず、未払いとなってしまうケースも多く、せっかく毎月少しずつ積み立ててきた備えが無駄になってしまうということも珍しくはありません。 いざ死に直面したときや、認知症や病気などにより自立できなくなったとき、自分の代わりにさまざまな手続きをやってもらう誰かはどうしても必要です。 人間は、1人では死を迎えることができないからこそ、普段から少しずつ考えておくべき大切な課題なのではないでしょうか。 出典:『【テーマ1】看取り 参考資料 意見交換 資料-2参考1 2 29. 22』(厚生労働省) 2019年6月25日時点 また、割合は低いものの、老人ホームで最期を迎える方も年々増加傾向にあり、終末期に対応する介護・医療のあり方が問われる時代となっているのは確かです。 また、厚生労働省が実施している「人生の最終段階における医療に関する意識調査(2012年度)」では、末期がんや心臓病、認知症などの状況別に「人生の最終段階を過ごしたい場所」という質問を実施。 その結果、「認知症で介護が必要な場合」は「介護施設」を望む人が59. 2%と多数を占めています。 それに対して、「末期がんで食事や呼吸が不自由であるが意識や判断力は健康なときと同等の場合」に関しては、「医療機関」で過ごしたいという方が47. 3%、次いで「自宅」で過ごしたいという方が37. 4%となっています。 出典:『入院医療(その2)中医協総ー6 29. 15』(厚生労働省) 2019年6月25日時点 急性期医療を行うことで、患者を治し、救うための病床として国が2006年に「7対1病床」を導入。 「7対1病床」とは、7人の患者に対して1人の看護師が配置されている病床のことです。 質の高い医療を提供できる体制であるうえに、医療費がかかるため診療報酬も最も高いことから、医療機関側も経営のために病床数を増加させてきました。 2012年度には36万床と厚労省の予想を遥かに上回り、一般病床で最もボリュームが多くなってしまった「7対1病床」。 本来急性期医療のために設けられた病床であるにもかかわらず、高齢者の増加に伴い 「7対1病床」を利用する慢性期患者や長期入院患者数も多く、療養病床や介護施設等に入院・入所できない高齢者の受け皿となっていました。 診療報酬も高く、本来の急性期医療へのニーズを満たすという設置目的とはかけ離れた現状になってしまっている「7対1病床」の数の増加は、医療費の増大にも直結することから、国では 2014年の診療報酬改定で「7対1病床」の算定要件を厳格化しました。 自宅や介護施設、リハビリ病棟などへ復帰する在宅復帰率を要件に加えることで「7対1病床」を減らす方針に転じています。 国としては、2025年までに「7対1病床」を現状の約36万床から半分の18万床に減らすことを目標としており、反対に長期間医療ケアが必要な高齢者に必要な慢性期医療の充実を図ることで、 「治す」医療から「支える」医療への方針転換を図っていると言えます。 入院していた病院から自宅や介護施設に戻る際に、ケアをする家族や介護スタッフが心がけなければいけないのが、治療への挫折感を払拭し、死への恐怖感をやわらげ、より良い最期を迎えるための前向きな気持ちを引き出すケアです。 24時間365日診療を行ってもらえる場所の事前確認や、訪問看護、訪問介護サービスがいつでも利用できるようにかかわりを持っておくことも大切です。 また、 家族は看護師や介護スタッフと同様に終末期ケアを行うための大切なチームメンバーであり、心のケアが必要な存在であることも忘れてはいけません。 ひとりでも多くの方が自分自身の望む終末期を過ごすことができるよう、社会全体での体制づくりが必要になっています。 また、個々人でも看取りまで行ってもらえる、信頼できるかかりつけ医を見つけておいたり、家族や医師と、いざというときのことをきちんと話し合っておいたりすることなども同様です。 終末期を迎えるための準備を少しずつ進めることが老い支度の作法として大切な時代になってきています。 出典:『平成28年人口動態統計月報年計(概数)の概況』(厚生労働省) 2019年6月25日時点 高齢化が進み、今や年間出生数が年間死亡者数を下回る「少産・多死」社会に突入しました。 この傾向はさらに今後も進み、2030年には年間死亡者数が161万人にものぼると予想されています。 2010年時点で102万人だった年間死亡者数がわずか20年で59万人も増加する現代日本において、 どこで最期を迎えるか、どんな医療ケアを受けるのかという問題は、これまで以上に切実な問題となってきます。 そもそも、「尊厳死」と「安楽死」は考え方が違い、 尊厳死は延命治療をしない、もしくは植物状態となったときに延命処置を中止し、 自然死を迎えることを指す言葉です。 一方、 安楽死とは、治療が困難な耐え難い苦痛があり、死期が迫っている患者に対して、医師あるいは患者本人が、医師の処方した薬物などを用いて、 死期を積極的に早めることを指します。 尊厳死も安楽死も、治る見込みのない末期の患者本人の意思を尊重するという点では同じですが、日本では安楽死は認められておらず、自殺幇助もしくは殺人として犯罪となります。 治る見込みがなく死期が近いときに、こうした延命処置を受けずに尊厳死というかたちで私たち自身がどう死ぬかを選び、医師や家族にそれを尊重してもらうことは基本的人権です。 しかし安楽死については、認めるか否かは、 国によって、文化や宗教的背景が異なり、世界的にもさまざまな議論が行われています。 世界で積極的安楽死を認めている国や地域には、スイス、アメリカのオレゴン州やワシントン州、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクがあります。 世界で最も早い1942年から安楽死を認めているスイスには、2008年から2012年の間だけでも30ヵ国以上から611人の重症患者の方たちが 安楽死を遂げるために入国したと言われています。 2000年以降、スイス以外でもオランダやベルギー、アメリカのいくつかの州で安楽死が合法化されており、世界的にも徐々に安楽死が認められつつあります。 その一方で、老老介護が立ち行かなくなった、障がいを持って生きることがつらい・・・などといった理由で安楽死を選択してしまう人もいます。 これが福祉の貧困によるものといえ、尊厳死、安楽死とも十分な緩和ケアや福祉体制による人間の尊厳が保たれていることがその要件となります。 日本では理由を問わず、安楽死は認められていないのが現状です。 通常、人生の終末期医療において、本人の希望のもとに過度な延命治療を行わず、自然に死を向かえる尊厳死。 病気が治る見込みがないという点と、本人の意思であるという点は安楽死と共通ですが、 自然死なのか故意の死なのかというところが大きく違います。 尊厳死に関する法律は今のところ定められていませんが、過剰な延命治療を行わず、自然死を迎えることは医療の主流となってきています。 そうした判断は、本人や家族の希望を踏まえて、医師が本人にとっての最善を医療チームと話し合って決めることが推奨されています。 積極的に死をサポートする安楽死が国内では認められていない一方で、高齢者が日本人の4人に1人を占める超高齢社会の日本において、高齢者ほど医療費がかかり、医療費が国の予算を圧迫している現状も無視できません。 また、老老介護や介護離職の問題のように、寝たきりの親の介護のために生活に困っている人のサポートも大きな課題です。 高齢化が進展すればするほど、終末期医療は国の財政を圧迫しています。 延命治療を行えば行うほど、その方にかかる終末期医療費は多くなり、そのほとんどを国が負担することになっています。 過度な延命治療は本人への負担が大きく、国の財政も圧迫していることを考えると、尊厳死に関してもしっかり法制化を進めるべきとの意見もあります。 「延命治療をしても生きたい」と願う方もいれば「苦しまずに人生を終わりにしたい」と願う人もいます。 このように正解がない議論だからこそ、お金の問題だけを取り上げることなく、 延命治療の具体的な説明や、倫理観などを慎重に議論し、一人ひとりがより良く生きることができる社会となるような選択をしていきたいものです。 多くの方が、がんを代表とする大病にかかり、最終的には死を迎えるケースが大半となっている現代。 一般的に老衰と呼ばれる状態で、自然に死を迎えられれば理想的ですが、残念ながら人間の寿命がこれだけ延びていると、 「病気をせずに亡くなる」というのは希少なケースになってきました。 治療が可能な場合は、もちろん治療を行うというのが今の日本の考え方です。 この時期を「人生の最終段階(終末期)」と言い、ここで行われる医療を「終末期医療」、介護を「看取り介護」と言います。 死が目前に迫る患者に対する介護のあり方、余命を宣告された患者の生き方、家族や介護者の患者への接し方をしっかりと考えることは、本人だけではなく家族や介護関係者にとって重要なことになってきています。 今後は「早期からの緩和ケア」 これまでは、手術、抗がん剤、放射線治療などの治療を一通り終え、回復が見込めなくなった患者に対して行われるのが緩和ケアであると考えられていました。 いわば、がん治療と緩和ケアの間には、明確な境界線があったわけです。 しかしWHOは1990年、緩和ケアはがん治療と並行して行われるべきものであると再定義し、がんのすべての経過段階に関わるケアとして位置づけ直しました。 新たな緩和ケアの理念のもとでは、治療を始めたばかりの段階でも、痛みなどの症状があればその緩和のために鎮痛剤の処方が行われていました。 さらに病名の告知を受けて落ち込んだときは、心理的なサポートが積極的に行われます。 どんなケアを受けられるの? 緩和ケアではさまざまな医療、ケアが行われます。 痛みなどのつらい症状を抑え、取り除くためのケア。 痛みはもちろん、精神的な苦痛など、患者を苦しめる痛み以外の症状にも対応してくれる• 日常生活を快適にするためのケア。 たとえば、食事を楽しんだり、夜にしっかり睡眠できたり、寝返り・体位変換、体を清潔に保ったり、患者の生活環境を心地良いものにしたりするためのケアなどがある• 患者との心の触れ合いを重視し、気持ちを前向きにするケア• ご家族に対するケア• 患者本人とご家族の要望があれば、自宅でも緩和ケアを受けられるよう支援する• 患者に自分の病気についての理解を深めてもらい、治療方法の選択をサポートする 緩和ケアチームとは 緩和ケアのあり方は病院によって異なりますが、がん診療にかかわる医師と看護師、薬剤師や栄養士、看護師などが「チーム」を形成し、患者とその家族をサポートしていくという点では共通しています。 緩和ケアについて考えることに、早い遅いは関係ありません。 緩和ケアのことを考えたくないと思ったときは、無理に考える必要はありません。 人間は、気力や体力が減ってしまうと、冷静に考えることができなくなります。 そんなときは慌てずに、体の中にエネルギーを蓄積する時間を確保しましょう。 また、困ったことがあれば1人で抱え込まず、周囲のご家族や医療スタッフに相談してください。 緩和ケアに携わるスタッフは、患者が直面する不安や悩みに対して、一緒に解決策を考え、納得できる選択ができるよう手助けしていきます。 (がん)治療を受けている病院、緩和ケア病棟、あるいは在宅医療など、どこでも受けられるのが緩和ケアの特徴のひとつです。 緩和ケア ターミナルケア (終末期ケア) ホスピス ケア エンド・ オブ・ ライフ・ ケア 概要 病気の進行度にかかわらず、苦痛を和らげることに焦点を当てた看護・介護 無駄な延命治療を中止し、人間らしい最期を迎えられること支える看護・介護 余命が限られた患者に、残された日々を人間としての尊厳を持ちながら、かつ心身の不安から解放され過ごせるようにするためのケア 人生を完成させる時期をより良く生きるための支えるケア 対象となる 疾患 がんを中心に普及(海外ではがん以外でも適用されることがある) 疾患によらない がんを中心に普及(海外ではがん以外でも適用されることがある) 疾患によらない 対象となる 年齢層 年齢によらない 高齢者が対象になることが多い 年齢によらない 高齢者が対象になることが多い 病気の進行 度合い 治療中~終末期まで 回復が望めない時期~終末期 回復が望めない時期~終末期 病気だけでなく単に高齢などでも「人生を完成させる時期」と自覚した時期から開始される アドバンス・ケア・プランニングとは 万が一のときに備えて、自分の望みや大切にしていること、どのような医療やケアを希望しているかについて自分自身で考え、家族など信頼する人たちと話し合うことを「アドバンス・ケア・プランニング(これからの治療・ケアに関する話し合い)」といいます。 こうした話し合いは、自分の身に「もしものこと」が起こり、自分の信頼する人が自分の代わりに治療やケアについて困難な決断をする場合、重要な助けとなります。 「自分にはそんな話し合いは必要ない」と思われる方もいるかもしれません。 しかし「もしものこと」を想定して話し合いをしておくことは、自分の気持ち、心の声を伝えておける貴重な機会となり、またいざという時に取るべき対応がわかるという点で、家族や友人の心の負担を軽くすることもできるのです。 ステップ 1:まずは自分の人生観を考えてみましょう アドバンス・ケア・プランニングの最初のステップは、「自分が大切にしていることは何か」を考えることです。 まずは「もし生きられる時間が限られているとしたら、自分が大事にしたいと思うものは何か」について考えてみましょう。 「家族や友人」をイメージする人もいれば、「ひとりの時間を保つこと」をイメージする人もいるかもしれません。 そこからさらに考えを進め、自分や親しい人が危篤状態になったとき、あるいは親しい方を亡くしたときの経験を思い出し、そのときにどんなことを感じたか、どんな最期を迎えるのが望ましいのかについて考えましょう。 また、「こんな最期は嫌だ」と感じたとしたら、具体的にそれはどんなことに対してそう感じたのか、考えてください。 こうした考察を重ねたうえで、もし今後、危篤や重体など自分が同じような状況になったとしたら、どんな治療やケアを受けたいのかについて考えます。 その際、「どんな状態になったら、生き続けるのは大変だと感じるのか」、「生き続けるのが大変な状態になったとしたら、どのように日々を過ごしたいのか」についても考えましょう。 ステップ 2:あなたにとって誰が信頼できる人なのかを考えてみましょう 次に、自分が信頼できる人は誰なのかを考えます。 ここで言う信頼できる人とは、病状が原因で自分の考えを伝えられなくなったときに、自分の代わりに「どんな治療やケアを受けるのか」「どこで治療、ケアを受けるのか」といったことについて話し合う人のことです。 一般的には、配偶者、子ども、兄弟姉妹、親戚、友人、親、医療・介護従事者などが該当します。 ただ、自分の身に万が一のことが起こったとき、自分の価値観や人生観を大切にして、それに沿った話し合いを自分の代わりにしてくれるのは誰なのかは、慎重に考える必要があるでしょう。 人によっては、家族ではなく友人を選ぶ人もいるでしょう。 なお、1人だけ選ばないといけないということはありません。 例えば、信頼のおける人として妻と長男がいる場合は、2人で話し合って決めてほしいという意思を伝えることもできます。 そうした「信頼できる人」「価値観を共有できる人」に、自分の身に何か起きたときにどうして欲しいのか、前もって話し合いの場を持ち、気持ちを率直に伝えておくのです。 ステップ 3:あなたの主治医に病気やその経過について質問してみましょう 既に病気療養中であるなら、自分の病名や病状、今後受けるであろう具体的な治療やケアについて、医師からどのくらいの説明を受けたのか考えてみましょう。 もし不明点や疑問点、知っておきたいことが思い当たった場合は、積極的に主治医に質問することが大切です。 通常、患者は主治医に以下のようなことを質問することができます。 治療やケアを受けることによるメリット• 治療やケアによって受けるデメリット、リスク• 現在受けているものとは別の治療、ケアの方法• 治療やケアを受けることで、生活上どんな影響があるのか• 予想される今後の病気の経過• 治療が困難であるなら、その理由は何か。 余命(あとどのくらい生きられるかの予測)はどのくらいか ただ、「予想される病気の経過」や「余命」については、「自分は本当に知りたいのか」を考えおくことも大事です。 「知りたい」あるいは「知りたくない」と感じたとき、なぜそのように感じたのか考えてみましょう。 また、自分の病気やケアについて知っておきたいと思うことがあれば、ノートやメモ帳に書き出しておくと、医療・介護従事者に会った際に質問しやすくなります。 ステップ 4:信頼できる友人や家族と話し合いましょう もし治療が不可能な病気にかかり、その後に症状が悪化して周りの人に自分の意思を伝えられなくなったとき、どのような治療やケアを受けたいのか、あるいは受けたくないのかについて、信頼できる家族や友人と考え、話し合あっておきましょう。 特に、以下のような中からどのを受けたいのかについて考え、話し合っておくことは、アドバンス・ケア・プランニングにおいて重要です。 延命を重視する治療• ある程度の延命効果のある一般的な内科治療• 延命よりも、苦痛の緩和や快適な生活を重視する治療 延命を重視する治療は、心肺蘇生や人工呼吸器、気管挿管など、心身につらさや負担を与えるとしても、できるだけ長く生きることを重視した治療法。 延命効果を伴った一般的な内科治療は、心身に苦痛を感じるような延命措置までは希望しないものの、延命に必要な治療はできるだけ受けていくという治療法です。 一方、苦痛の緩和や快適な生活を重視する治療は、延命効果は期待せず、自分らしい生活を送れることを大切にする治療法になります。 この3つの選択肢のうち、「行ってほしい治療」「行ってほしくない治療」について考え、家族や友人など信頼のおける人と話し合いを行っておきましょう。 ステップ 5:医療・介護スタッフにも共有しましょう これまでは家族や友人など「信頼できる人」との話し合いについて触れてきましたが、話し合いの範囲を医療・介護従事者に拡大することも重要です。 仮に自分が望んでいるケアのあり方を信頼できる人と共有していても、それが医療・介護従事者の考えと食い違った場合、どう判断すべきか迷ってしまいます。 そのため、信頼できる人にだけ話し合いをするのではなく、他の家族をはじめ、医療・介護従事者とも話し合いをし、自分の希望、考えを伝えておきましょう。 また話し合いは、一度だけ行えば良いというものではなく、必要に応じて繰り返し行うことも大切。 例えば、時間の経過とともに気持ちが変わっていき、以前望んでいた治療、ケアの方法を受けたくないと思うようになるかもしれません。 気持ちが変わっているのに、そのことを伝えないままでいたら、望まない治療、ケアが実践されてしまいます。 気持ちが変化したら、その都度、信頼できる家族や友人、医療・介護従事者と話し合いを行い、自分の意思を伝えておくことが大事です。 また、自分自身、病状や症状に変化があったときなどに「万が一のときはこの治療、ケアで良いのか」と考えを改めて整理しましょう。 長崎大学大学院を卒業後、佐世保中央病院、国立佐賀病院を経て、2000年にを開業。 2010年には、有志とともに佐賀県の在宅医療介護に関わる多職種連携のネットワーク「在宅ネット・さが」を立ち上げ、2ヵ月に1度の症例検討会、年2回の市民公開講座を開催するなど精力的に活動を行っている。 2013年より・さが会長。 日本内科学会認定総合内科専門医、日本消化器病学会認定消化器病専門医、日本消化内視鏡学会認定消化器内視鏡専門医、日本肝臓学会認定肝臓専門医、日本プライマリ・ケア連合学会認定医・指導医、日本医師会認定産業医。

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ネットで「死にたい」と訴える人に、死にそこねた私が言えること

死に たい

芦花ホームの常勤医を務める石飛幸三です。 施設に勤めて10年になります。 医療技術の発達によって、命を延ばすさまざまな延命治療法が生まれ、そのことが、逆に家族や本人を悩ませることになっているのではと感じています。 私たちは人生の終末期をどのように迎えればいいのか迷い道に入ってしまったのかもしれません。 施設では、本人や家族と話合いを続けながら、胃ろうなどの延命治療に頼るのではなく、自然の摂理を受け入れ、静かに最期を迎えてもらう取り組みをすすめてきました。 入居者の皆さんが亡くなられる前には、次第に食べる量が減って、眠って、眠って最期は穏やかに息を引き取られます。 私は老衰による安らかな最期を「平穏死」と呼んできました。 実は、施設に来るまで、自然な最期がこんなに穏やかだとは知りませんでした。 40年以上外科医として、徹底した治療を続けてきました。 施設ではいつも「ご本人もご家族も、みんなが平穏な気持ちで最期を迎えることが理想」と話しています。 今回の番組が皆さんの大切な人の最期を考える一助となることを願っています。 樹木希林です。 NHKスペシャル「老衰死 穏やかな最期を迎えるには」のナレーションを担当しました。 番組で紹介しているような形で最期を迎えることができたらとてもいいなと思いました。 そういう役目を人間は持っているのかなと・・・。 私は、できれば、チューブにつながれるような形で延命治療を受け続けて亡くなるよりも、自宅で自然な形で亡くなりたいなと思いました。 ぜひ、皆さん、ご覧ください。

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